2015年1月21日水曜日

常識の変遷

最近、臨床の勉強を再開してつくづく思うことがあります。

それは臨床における常識の変遷のめまぐるしい変化です。私が研修医として働き始めた太古の昔の様々な常識はこちらで医業を再開し始めて恐ろしいほどに以前とは異なることを、日々痛感させられ続けています。
使う薬は勿論、手技に関する大常識、勿論治療の一般常識も長足の進歩を遂げています。また、診断に至ってはありとあらゆる事が非常にスマートにコンピューター上でまとめ上げられており、今や使用できる機器のレベルがかなりの効力を伴って診断の質を決める様になってきているのは非情なほどです。

勿論、持っている情報に対して誤った判断を下したり思いもよらなかったピットフォールが潜んでいたりするので、そこを見抜いてきれいに前進していくのが大切なのは今も昔も変わらないのでしょうが、それにしても診断のために使える機器の質の向上は素晴らしいものです。

ですから、医師は常に激しく勉強し続けていないとアッという間に新しい知見から取り残されることになってしまいますので、配られてくる雑誌などにもいろいろと目を通したり、研修会や講演会、学会などに行かなければならない忙しい日々です。(まあ、新しいから正しいとも限らないので難しいのですが・・・。)

5年も経つと、それまでの記述内容に様々な改訂が加えられていて、以前はそうしなければ訴えられるレベルだったものが、今度はそれをすると訴えられるレベルに変化していたりなんていう激しい変化をするものまである始末。

ところが、お年寄りのお医者さんの中には医師の義務である、古い知識の新しい知識への更新を諦めてしまう方もどうやらちらほら、、、。特に70を超えてくると知的には衰えていなくても意欲という意味で落ちてこられる方がいらっしゃるようです。
基本的にコンピューターとかに拒否感を示す我らが親世代の感覚とおんなじなのでしょうか。やっぱり、そういうことに適応できなくなったらやっぱり医師というのはその仕事柄、責任をもって「引退」を考えないといけないのでしょうかね。私自身もやがてはそういった人間にならなければ良いのですが、コレばかりは予測もつきません。

まあ、老いる前にぽっくり死にそうですが。w

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