2014年3月13日木曜日

今回のこと

もう今回のSTAP細胞の件は私の中では終わったことになりました。

今日当直室でたまたま見ていたニュースの中で代表者っぽい理研の中の誰かが「ここ数日小保方さんの精神状態が不安定で云々」というような話をされていたのを見て、なんだかな、、、というこちらまで落ち込んだような気持ちしかしませんでした。
30歳の女性が中身も確かめずリケジョとか割烹着を着たトップ研究者とか馬鹿マスゴミに持ち上げられた挙句、プライバシーを完全に剥ぎ取られて今度は貶されるという、、、。まあ、普通の神経を持った人なら今の気持ちは本当にこの世自体が消えて欲しいか、自分がこの世から消えてしまいたいというほどのダメージを受けているのではないでしょうか。
最初から徹頭徹尾彼女の研究に関して純粋にそのコンテンツを吟味検討していたなら彼女自身の顔や姿はそれほど表に出さずとも、もっともっと冷静なものになっていたのは間違いなかったでしょう。

彼女のやったことは確かに研究者としては最低の行為であって、決してやってはいけない事ですが、(そもそも研究者の前提であるべき博士論文自体が偽物だったわけですから、本来は研究者とも呼ぶべきではないのでしょうが)既に論文撤回の白旗を揚げたのですから、これ以上「彼女個人の罪」を云々言っても何も良くならないと思いますし、彼女自身が残りの人生で再び研究者としてではなくとも一人の女性としては再び更生していく道を残しておくべきではないかと考えます。

小保方さんのご両親、そして彼女自身が語っていたお祖母ちゃんの今の気持ちも本当に引き裂かれるような気持ちではないかと。罪を認めたからには罪を憎んで人を憎まず。

今から取り組むべきは、論文撤回に同意した彼女個人のことを語るのではなく、過去にも何度も有った今度のような事件を生まないためにはどこをどう改革すべきかを正しく議論することだと考えます。例えば大学院教育、例えば修士や博士論文の査読制度の改革、その他にも予算の配分における一極集中の廃止等、今回の件をむしろ「奇貨」としてポジティブに捉えて次の時代に進むべきではないかと。

日本は論文数は少ないけれども一報毎の重大さと正確さで世界から一目置かれるような体制に切り替えても良いのではないかと私個人では思うのですがどうなんでしょうか。効率最優先のアメリカという国が作り出したpublish or perishという、今後も間違いなく今回のような捏造や剽窃を産み出しやすいシステムから何とか別の評価システムへ離脱できないかと夢想するのです。

アメリカに居た時もインパクトファクターと論文数だけで構成される今の科学研究の世界は物凄く歪んできているのを中にいて非常に強く感じていました。ビッグ・ラブに行って自分に箔をつけ共著者として良い論文の数を稼ぎ、そこを足場にして大ボスの庇護のもとにNIHの予算を獲得しプロモーションを繰り返す。
スマートという表現を当て嵌めたくもなりますが、それしか予算獲得の近道がないのなら、小粒でも良いアイデアを持っていてそれが金欠で結果にならない研究者も沢山いると私は感じることが沢山ありました。逆に大ボスでも一言「クダラネ〜」アイデアを発表。しかし、過去の流れでそのクダラネー実験を下の若手にやらせて彼らのキャリアを殺しているボスも沢山いるのです。

予算、予算、予算。そしてその予算を取るための「論文数」と「IFの高い論文への投稿」だけが実質的にプロモーションとテニュアトラックをきめる世界が残る限り、今後も同じ事件は起き続けることでしょう。
実際にそうやってテニュアをとった人も、再度すべての論文を精査すればクビが飛ぶような教授はこの世界にはゴマンといるはずで、今回の小保方さんを見ながら今頃背中に冷たい汗が出まくっている人は日本の中だけでも「絶対に」相当数確実に居ることでしょう。

そしてお隣の最近「論文数の伸びが著しいお隣の大国」はこれから今までアメリカや日本が辿ってきた道をひた走り始めています。論文数と予算配分が比例するあの国では倫理観の欠如した多くの人々が同じようにしてサイエンスを飯の種にしていますから、粒は小さいながらも同じことをやる人間が必ずウジャウジャ出てくるし、実際そう感じるような論文が沢山出されています。

場所と時間は違えど、今後も同じようなことは同じpublish or perishという評価システムが変わらない限り、世界中で何度も何度も無限に繰り返されることでしょう、、、。それが人の世の中というものでしょう。しかし、間違った情報に振り回された人の時間とお金は二度と返ってこないんですよね。

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