今日は息子の二十歳の誕生日でした。
私にとって息子がこの世に生まれてきて初めて彼を己の腕に抱いた瞬間はまだまだ本当に昨日の事のようです。嫁さんの体から出てきて未だ粉を吹いていた息子を見た瞬間思ったことは”そら豆”のような頭の形をしてるナ〜、ということでした。
この形は間違いなく俺の遺伝子より嫁さんの遺伝子のほうが”濃い”んでないの?と思ったものですが、顔の方は見る人がみな私の方に似ている、というかそっくり等と言われておりました。自分の腕の中でゆっくりと手足を動かして、初めて見る珍しい世界の空気を吸っている我が息子を見て手足の先がジーンと来るような甘い感覚に襲われたのを今も新鮮に覚えています。
未だにあの不思議な感覚は忘れません。最初に娘が生まれてきた時もこの感覚に襲われましたが、人は本当に感動すると何か不思議な物質が体から出てくるんだろうなって言うことがよく理解できました。βエンドルフィンとかそういうものなんでしょうかね?知りませんが。
あれから20年。本当に色々なことを夫婦で経験しながら長男の成長を見つめてきましたが、息子が優しい女の子二人に挟まれてすくすく育つ様を見てきた20年は一言では言い表せない時間でした。言葉の発達の遅い息子に障害があるんだろうなということは夫婦が互いに話さずとも何となく解っていましたが、最終的にアメリカでautism(自閉症)であると最終的に診断されても、私達夫婦にとっては息子は息子。それこそ望まれて我が家に神様から選ばれて送られてきた子だということに何の変わりがあるわけでもなく・・・。
むしろ息子の存在は、我々にとってのみならず二人の娘達により大きな影響を与えたようで、その生き方や発想、将来の仕事や興味にまで強く強くその人格形成の土台になったようです。
言葉にすると安っぽくなってしまうので、その影響を縷々述べるようなことはここではしませんが、彼の存在は確実に娘達を人に優しい、しかし、差別には猛然と反対する”静かに戦う人間”を作ったと感じています。また、我々夫婦はアメリカ社会の素晴らしいコミュニティの皆さんに公私にわたってこの子の子育てに関しては大変なお世話になりました。
障害があることをものともせず包み込んでいくサービスの存在と、人はだれでも一個の自立した存在として認められてしかるべきという考え方のなかで育った子供達はまさにアメリカと日本の文化のハイブリッドと言って良いと思います。
アメリカに戻った時にいつも恥ずかしそうに私を迎えてくれる息子に会う度に私の心と体は甘い気持ちに包まれるのでした。後10ヶ月ほどは嫁さんが息子を守ってくれますが、その後は私もその環の中に加わってしっかりと彼とともに成長を続けたいと思っています。
息子よ、お父さんとお母さんのところにやって来てくれてありがとう!次に生まれ変わって新しい家族になってもまた俺の息子になってくださいって、こんなみっともない親父じゃ嫌かもな?w
2 件のコメント:
奥様にもsmallGさんにも似ている息子さんの
二十歳のお誕生日おめでとうございます!
我が子を抱いて「何か不思議な物質が体から出てきて」
感動していらっしゃる様子を想像して
ジーンとしてしまいました。
親兄弟や結婚相手とは全く違う存在ですよね、子供って。
(お父さんを恥ずかしそうに出迎える様子を想像したらキュンとしました)
そうですね〜。
子供が出来る前は、嫁さんに「子供はまた作れるけど、お前は一人しか居ないからもしものときにはお前を助ける」みたいな事を確信犯的に言っていたのですが、今はそんな事を実際にしたら嫁さんに逆に一生恨まれるでしょうね。
子供が出来て初めて、ほんとうの意味で自分の命を何のためらいもなく投げ出せる存在が出来たと心の底から実感できました。
子供と言うのは未来そのものだと思っています。己という”過去”が例え消えても、未来ある限りは何の問題ないと思っています。
ただ、この子達にすこしでも親の生き方を長く見せてあげたいな、と思うのは親バカの部分なんでしょうね。
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