患者さんの家族も本当にいろいろです。
今日も世の中の縮図を病院の中で見ることになりました。(具体的にどうだったかということは記述を差し控えますが。)患者さんによっては家族の背景は非常に複雑です。世の中生物学的な親がいて、その子供がいて、その子が老いた親が入院したらきちんとその世話をしてくれて・・・等というのは公民の教科書や道徳の教科書には出てくるかもしれませんが、そうはいかないのが病院の中の普通の現実。
血の繋がった親はおらず、兄弟とは何十年も音信不通なんていうのは今の時代極めて普通。繋がっているのは昔ちょっと悪いことをしたけど、今はお互い老いてしまって、悪いことをする力もなくなった老人二人とか、訳のわからない宗教法人がお為ごかしの人助け風(ふう)の親切を”死ぬ直前”にかまして遺産かっぱぎの準備を病院でしたりとか、金と遺恨を廻りありとあらゆる事がおきます。
基礎研究をやっていた頃の私に比べれば、人の生死を回る現場で起きる本当に現実的な世界のあり得ないような複雑な話はやっぱり自分が違う世界に戻ってきたんだなということを強く思い起こさせてくれますね。
複雑といえばもう一つ。患者さんを受け入れた時には病歴聴取時に簡単な家系図とその家族の病歴も当然伺うのですが、実はそこに書かれている家族というのは想像を絶する様な複雑な養子縁組を経て構成された人工的な家族だったりすることもあり、自分が”それが普通”と考えていたような単純な世界観に基づいた家族構成と言うのは実に普通では無いのだというのが良く判りました。
看護師や医師の眼前で今そこで死んでいこうとする親に向かって暴言を吐く子供なんて言うのは比較的ザラですが、そこまでに至った背景を想像すると外野が一概に責められるものでもなく、時に只々暗澹たる心持ちとなることもしばしばです。
テレビドラマのように、家族親戚がぐるりとその患者さんの周りを囲み、手を握りながら涙ながらに別れを惜しむなどというのは、本当に稀で幸せな患者さんなのだということを悟った次第です。
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