人の世界はホンにいろいろです。
”もし”人の存在の要不要と言うものを考察するとしましょう。それ自体がおぞましい考察ですが、そういうことを言う人間は時代を超えてどこにでもおります。
近代史の中だけに限って最も一番有名なのはナチス。ところがこういう考え方というのは21世紀の今、我々が住む世界の中でも実は”普通に、身近に”我々の世界にも住んでおります。私の身近にも勿論おります。
病院関係者と言えどもこの考え方から逃げ出せない方は沢山おります。むしろ、病院関係者だからこそそういった考え方に汚染されている人が一部に居るのです。
長い間の病院勤務では様々な患者さんたちと向き合うのが日常ですが、いわゆる世間一般の常識で測ればキャラクターとして”ロクでもない連中”と言われるような人もおりますし、脳血管障害、その他の難病で身動きの取れない人達も沢山おります。
そういった人達の日常生活というのは本人にとっても”歯がゆいレベル”のことしか出来ない人たちが沢山。それらの人達を”役に立たない人”という定規で測り始めるとアッという間にその人達は社会にとって不要という意識がある種の単純な思考回路を持つ人達の中では頭をもたげ始めます。
実はナチスはそれをとことん突き詰めた最も近代的で効率的な組織でした。健康であることが最高の美徳であり、障害があること、美しくないことは悪徳であり、システマティックに美しく構成できないものは存在すべきでないものというふうに規定された理想の世界を作ろうとした人達があの時代、あそこに集中して彼らなりの理想の世界を作ろうとしていたわけです。
彼らはそれをアーリア人という有りもしない人種集団によるゲルマン的理想国家を建設するために排除していくという方法論を”集団”として受容しました。それもゲルマン的に徹底的に・・・。その理想論に沿った効率の良い彼らなりの夢の世界の行き着いた先は詰まるところ人を毒ガスで殺したり、焼いたり、意味のない残酷な生体実験を生きた人間に加える反吐の出るような世界でした。
効率だけで人の世界を測るなんて言うことは、この前もニュースになったようにマイクロソフトの人工知能が結論付けたような実に気味の悪い糞のような世界観なわけで・・・。
優れて豊かなアナログ的思考が可能な感情豊かな”ヒト”であるからこそ発揮すべき、理屈を超えた”観念”を語る時代に来ていないかと私は考えます。
数字や効率だけで人の要不要を語れば、歳をとっただけで、太っただけで、病気になっただけであなたはこの世から消される対象にカウントされます。それがオカシナ結論であることは”議論する必要”さえありませんよね?w
この前、障害者達を誇りを持って殺し続けたあの茶髪のクズの所業にそういう”効率の病理”をみて取ったのは私だけでは無いと思います。
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