そもそも我が家の長女の場合は日本大好きとは言うものの、日本の企業やシステムに就職しようという気はちっともないような感じなんですが、バイリンガルの人たちはどの言語のバイリンガルであれ、どういう感じで日本や海外での就職を考えているんでしょうかね。
21世紀の今時、言葉だけ話せてもそれは単なる”何かをする為のツール”なわけですから、それ以外に何かしっかりとしたウリがなければどうしようもないことはアホでない限り理解ができそうなものですが、日本からの語学留学生とかの話をブログとかでチラリと読んでみると日本でもどうしようもないレベルの生活をしてるのに、アメリカ来てどうすんの?と一時間位説教してやりたいような連中が”いまだに”多いことに腰が抜けますよ、オジサンは。w
これだけ情報豊かにその手の人達の悲惨なその後の人生が語られているサイトが沢山有るのに(まだ語るだけの能力と継続性の有る人なら未来はあろうというものですが!)それらを無視して国外で話せるようになればなんとかなるなんて思っている人たちは所詮その延長線上のレベルでの未来しか無い訳なんですが・・・。
日本語が達者でない人間が外国語に切り替えたからと言って中身のある話が出来るように成れるわけでもなく(言葉を切り替えると発想の様式が少々変わることは私自身ありますが)、スカスカの人はそのスカスカぶりを別の言語で表現するのみで、仕事を新しくする能力が備わったわけでもありません。(純粋な通訳者も、両言語のバックグラウンドにそれこそ”精通”していて初めて成功の第一歩を得る”資格”を得るのみでしょうから。)
また、日本の独特な就職における習慣も海外で小さい頃から成長してきた娘には多分全く合わないでしょうし、年齢が異常に偏ったリクルーティングが主である日本の企業の就職事情もアメリカの常識しか知らない娘にとっては到底受け容れ難いものが有ることでしょうから、ここらあたりはまた別の意味での”参入障壁”かも?w
ヨーロッパの人間であれば、数か国語を方言レベルでネイティブとしてハンドリングできる人間は掃いて捨てるレベルで居るわけですから、多言語話者と言っても面積の小さな国が複雑に入り組んだ地域ではそれがデフォルトだったりすることもあり、特に何のアドバンテージもないわけで他に何かプラスアルファの能力がなければ厳しい世界でしょうね。
また、日本と違って例えばアメリカの場合は年齢ではなく、能力、知識、経験などというものにお金を払いますから、年令に関係なく高給を取る人はたくさんいますし、性別、人種、年齢、宗教を聞くことさえタブーもしくは法で禁止されたりしています。日本と大きく異なるのはまず履歴書に顔写真を貼る欄自体が無いというか、そんなの”あり得ない”ということでしょう。多分、アメリカ人にそういった話をしたら???という反応をされるはず。For what?って。
いろいろとまとまり無く書いてみましたが、こう書いてみるとやっぱり日本語と英語が出来るくらいでは今時屁のつっぱり程にも役に立ちそうにもありません。語学留学で数年間の現実逃避を考えているような人達は頭をもう一度冷やして、そもそも日本語のスキルや他の能力を磨くことを考えたほうがよっぽど堅実な未来が待っていると思うんですが如何でしょうか。
もともと何もない人は住む場所を変えても殆どそのまま、もしくはそれ以下の現実しか待っていないのだという冷然たる現実を直視すべきでしょう。特に根性のない人や継続能力の低い人には国外ではより厳しい世界が待っていると思ったほうが良いのではないでしょうか。文法の危うい酒場のブロークンな英語(外国語)を身に着けたところで、酒代は払えても誰もあなたをrespectはしてくださいませぬ。
結局、今時の若人はバイリンガルであることはただ便利な道具であるということくらいに考えておくべきで、何かそれ以外の能力を持ってこそのアドバンテージだと考えるロートルのオジサンの独り言でした。バイリンガルであることを充分に使われて仕事をされている方々には失礼極まりな文章ですかね。その点は申し訳ない!w
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