中曽根ハゲ大勲位がやった亡国の馬鹿野郎政策に”教育の受益者負担”と言うものがあります。
見るだけで身の毛のよだつ様な老害爺さんが、当時から唱えてきた政策でして、簡単に言えば”教育の結果その利益を被るのはその教育を受ける者自身だからその受けてである者がそのための代価を払い給え”という天下の愚策です。愚策というものはいつの世の中にも有るものですが、この愚策の恐ろしいところは国家100年の大計の根幹である”教育”に経済の概念を刷り込んできたこと。
一言で言わせてもらえば「馬鹿も休み休み言え」ということに尽きます。
国家の根幹は人材。その人材を成長させるのは教育。教育こそは親の収入格差などに関係なくそれこそ”誰もが平等に”その能力に応じて最高の教育を受けられる環境を与えられるべく、国家が総力を上げて成し遂げるべき仕事。そこの一点さえ抑えておけば、国家というのは間違いなくそのばらまかれた種が100年を待たずして世界の中に誇るべき成果を出し続け、日本のみならず世界の尊敬を勝ちうる成果をあげようというものでしょう。
その成果が現れて居るのがまさに今の日本ですが、私はこれからの数十年は次第に日本の持っていたそういった輝きは失われていくという方向に残念ながら、しかしかなりの確率で掛け金を賭けざるを得ません。
ここ数年のノーベル賞受賞者達の育った環境はまさに明治の頃から絶え間なく投資され続けた教育への国家資源が作り出した人材が教師となり、その人物達にさらに薫陶を受けた世代が今になって花開いている訳であって、決して昨日今日の目先の投資の結果が今その成果となっている訳ではないのです。
現在の国公立大学の”科学教育への人材のお寒い供給事情”を知っている自分としては、今のお祭りは過去の営々たる準備の賜物が花開いているわけであって、これからの日本に起きることは実に厳しい現実が待っているとしか思えないのです。こんなのはアホの戯言だということで大外れであってほしいというのが自分自身の希望でも有るのですが、実際は本当に寒い実情があります。
科学者が子供達の未来の希望ではない国の科学にはそれなりの未来しか待っていないというのは考えすぎでしょうか。
大学院生が金を払って教育を受ける恥ずかしい先進国、それが今のセンシンコク日本の実情なのです。w(<最早自嘲の笑いです) そんな国で、誰が高等教育を受けましょうや?
”能力さえあれば赤貧洗うが如き環境から出た人間でも世界に踊り打って出られるチャンスを整える”事が国家以外に出来ましょうや?
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