2016年10月28日金曜日

ボブ・ディランとノーベル賞

世間の一部を少しだけ賑わしているボブディランのノーベル賞受賞のお話。

正直なところ「どうでも良い」の一言です。w
基本的にこの手の人文系の成果に対するノーベル賞の授与自体が”ハ~〜??”というのが私の基本的スタンスです。それに、このオッサンに関して言えば反体制というのが”売り”じゃなかったんですかい?こんなガチガチの体制側の賞による権威の授与なんちゅうのはもっともこの人の忌み嫌うものじゃなかったんかな。

私の世代は既に微妙にベトナム反戦などの世代とは年齢的にズレておりますので、このオジサンを大好きな団塊の人達とは異なった世代であることは間違いないのですが、私個人としては”思想や哲学”に関連付けてこの人を見ることは特にありません。(意識の高い人たちは私の世代でも関連付けているのかな?)

そもそも文学賞や経済学賞というのはノーベル賞には全く相応しくないと端っから思っています。つまりは自然科学のみに限定すべきだと思うのです。経済学も今やただの金融工学という名の応用数学だと思うのですが、それが人類普遍の不朽の財産として価値があったかと言えばそれはNOでしょう。

また、誰が思いついたのかしれませんが、文学賞をノーベル賞に入れたのはどう考えても賞自体に傷をつけるものでしょう。平和賞に至っては何をか言わんやという感じで。

無数の文学者、多数のジャンル、数多くの言語、数え切れないほどの作品の中から一体どうやって、そして何を目的にそのような権威を与えたいのか全く見えてきません。殆ど無知蒙昧の所業としか言えず。メジャーな言語からメジャーな作家が選ばれてくることがほぼ”必定”というような状態の賞の選考過程からしてもう何だかね、、、ってなもんで。
珠玉の文学作品というのは果たして多くの人に読まれているのかということも一つの疑問ですが、ノーベル文学賞は何を目的に作品にお墨付きを与えるのでしょうか?委員会の選考理由に何が書かれていても真っ当なものなど何もないと思うのですが。(無論読む気もありませんが。w)

ボブ・ディラン、AFPニュースによるとディラン氏は同賞受賞について「信じられない」「素晴らしいことだ。こんなことを夢見る人がいるか?」と語り、12月10日にストックホルム(Stockholm)で行われる授賞式への出席の意向を問われると「もちろん、できることなら」と答えた。のだそうな。

もう、そろそろボケてきたんかな。音楽は既に死んでるけど。w

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