看護師さん達の子供さん達の話や周りの雰囲気から今が文化祭や体育祭の季節だと言うのを感じます。
多分、体育祭は雨風の影響を受けなかったところでは、10月の体育の日の前後に行われたところが多かったのだろうと推測されますが、他にも明らかに文化祭の準備をしているような様子を見せている子供達の姿も見かけましたので、この10月というのはそういった文科系の行事もブワッと盛り上がる時期のようです。
アメリカでもこの時期は親にもメールで通知が来ます。娘の学校では日本と同様に10月の頭から半ば頃がそういった”催し物”の時期で、結構気合の入った出し物を見せますね。前にもそういう記事のことはこのブログにも書きましたが。
実は今日ちょっと驚いたのは近所にある日本の高校であったことでした。通勤の通りしなに見える教室の窓にはいろいろなものがペタペタ貼られているのが見えていましたし、吹奏楽の練習の異様な盛り上がりや演劇部の人間ではないかと思われる人間が窓から変わった格好でチョコチョコと外を見ているのが見えましたので、内心で”やっとるな〜”って呟いてました。
自分も高校の頃にこういった行事で積極的に楽しむ方だったら良かったのですが、実際はそれ程のめり込んだりすることもなく、学校が何となくボヤッとしてゆるくなる雰囲気自体を愉しんで家に帰って寝たり本を呼んだりするほうが大きな喜びになっていました。
今考えると中学・高校というのは本当に行事が次から次に押し寄せてくるように組み立てられていて、学生が余りゆっくりするようにはなっていなかったですよね。授業と宿題でビッチリ絞られている間に小テストと大テストが繰り返されるのが私の通っていた田舎の県立の高校でして、当時は更にその合間を縫って友達と帰りがけの川べりでソフトボールをやったり買い食いをしたりというのがバカ学生の平均的な日常でした。その反動で、大学に行ってそのスケジュール感の無さに嬉しくなりましたし・・・。
しかし、ああいった時期も本当に遠くの思い出になってしまいましたね。記憶事態は脳内で昨日のことのように鮮明に覚えているものなのですが体と日常はもうとっくに無関係に。こうやって死ぬ間際までに良い思い出を重ねて消えていくことが出来れば人は幸せなのでしょうね。
若い皆さんには思いっきり弾けてもらって、想像しうる限りのいろいろなことに挑戦してもらいたいものです。結果として失敗や成功なんてどうでもいいことですな。むしろ失敗したほうがよっぽど成長すると思います。色々と考えて行動する過程こそが後々の凄い武器になりますのでね。
2 件のコメント:
母校の高校ではほとんどの行事は生徒主導で運営され
先生はお金のチェックと安全指導ぐらいしかやってませんでした。
行事ごとの実行委員は全員有志で構成され、
勉強そっちのけで時間と労力を注ぎ込む感じでしたね~
友人の一人はそれを「スチャラカお祭り体質」だと呼んでいました。
行事の一つに演劇コンクールというのがあって
学校近くのホールを2日間借り切ってリハーサルと本番をやるのですが
何年か先輩にあたる荻原規子さんという小説家が
それを題材としたサスペンス(?)小説を書いて同窓生の間で話題になったことがあります。
なにしろ、学校の様子や伝統行事が当時の”まんま”出てくるので。
同窓生がAmazonのレビューにこう書いています。
「高校時代を強烈に思い出して一瞬クラクラした」
遠い思い出なんですが色鮮やかに思い出せるのは
青春だったからなんですかね~
うぐっ。
駐屯地そばの進学校ご卒業だったのですね!w
だいたいにおいて、こういった文化体育系の学内行事が真剣に盛り上がる伝統校はほぼ”間違いなく”進学校というのは私の中の脳内定義です。
勉強そっちのけでのめり込んで、結局終わった後は十分に勉強にもその能力を発揮するという。
出来る子達は何をやっても出来るという世界。知人の高校の先生が言っていたのは”いまの高校は運動さえも普通科の高校のほうが強い傾向にある。勉強が出来なくても運動は・・・と言った時代は自分達の高校時代の頃までの伝説”というものです。
良い高校でいい時代を過ごされたんですね〜!
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