2016年9月18日日曜日

日本のシステムの危なさの一つ

病院という大きなシステムで働いていると、システムの構築という課題はいろいろな面で難しいものだなと言う事態に遭遇します。

申し訳ないのですが、こういう場面では経営コンサルタントなどというのは恐らく”無能”としか言いようのない助言をするのではないかと考えています。私の考える理由は簡単で、コンサルはその現場におけるシステムの実態、特に人的ネットワークの相互関係について余りにも”ブラインド”の状況で理想的構造を考えさせられるが故に現場におけるフィードバックではかなり役に立たない助言をしていくものと推測します。(ウェブで読むことの出来るコンサル達の独白録なんかも実に酷い内容を淡々と語っていることからもそんなもんだろうというのを推測させるネタにはなっているのですが。w)

実際の所、コンサルが全員に聞き取りをしていったところで、それぞれの職能の長であっても”本当のこと”をどれだけ言うのか実に疑わしいものですしね。

システム構築に関する最も大きな問題は日本のシステム設定が負荷分散型になっていないことでしょうか。
一人ひとりの”ベスト・エフォート”に過剰に頼っていることでしょう。これは本当に前回の大東亜戦争以来全く進歩なし。”各個人”の能力に過剰に期待して、上から下までの厚生院の中の誰かに大きな負荷をかけつつ、その人の頑張り無しでは組織がうまく回らないようなセッティングにした挙句、結局はどこかでそれに綻びが出てきて終わりというパターン。(まるでメインフレー頼りのシステムとでも言いますか・・・。)

「それでは組織は長続きしないよ!」というのが前回の大戦で多くの貴重な命と引き換えに導き出された教訓だったはずですが、全然日本は学んでいない。働き蟻の遺伝子は、誰かが死んでも誰か新しい担い手が次々に現れては組織を次の目的地へと”間違いなく”移動させてくれるというあり得ない幻想のもとに運営されています。

アメリカは個人のスキルや知識という意味では正直それ程高いと思いません。しかし”上の人間”がよく考えたシステムにそれぞれ比較的単能の人がキチンと割り振られ”こんな人でも??”と日本では言われそうな人が、それでもその仕事がそこそこには出来るようにセットアップされていると私は思います。

誰かが居なくなったり、最悪の場合は死んだりした時にその組織はどう立ち回っていくのか・・・。それが顕著に差として現れたのは前回の大戦の結果であったはずなのですが。単一の人に頼りすぎる組織はその人の寿命を以て瓦解することになりかねません。

ソフトバンク、日本電産、ユニクロ、下手したら京セラの様なところであっても、”旗手が特別”だからこそ、危険を孕むという逆説的な一面をよく検討しておくべきだと思います。そう言えばソニーというエクセレント・カンパニーでさえその軛からは逃れられなかったという事実はきちんと思い出すべき歴史ではないでしょうか。

病院で働きながら、中に居る仕事のできる人の様子を見ながらふと考えた一日でした。

人気ブログランキングへ

0 件のコメント: