2016年7月13日水曜日

ガイジンさん

今日は「ナルホド」と言う瞬間がありました。

朝、車を運転しながら病院の手前に入るときにヒジャブ(イスラム教徒の女性が頭に巻くあのスカーフのことです)を巻いた中学生の女の子が居ました。ごく普通の日本の中学生のセーラー服にヒジャブ。
よく考えたら今の日本はそれほどいろいろな国のいろいろな宗教や人種の人達とその子供達が当たり前のように生活しているんだな〜って感慨深いものでした。

アメリカに居たころはヒジャブを身にまとっている人なんて言うのは同じラボにも居ましたし、すれ違うのも極々日常でしたが、良く考えたら日本では本当に見てませんでしたね。しかし、中学校でこの子はどういう様に友達を作っているのか、日本のように同調圧力の強い国ではどうなんでしょうか。

まあ、よっぽどの根性腐れでもない限り姿形が違うからといってそれをイジメのソースに使う輩はいないと思いたいものですが、大人になってもそれが出来ないxenophobia(ゼノフォビア)っちゅう連中がどこの国にも一定の割合で居ますからね。

名古屋というところは東京ほどではないのですが、やっぱ田舎に比べればガイジンさんが多いのは間違いないです。それでも、、、やっぱり基本は日本人ばかりという感じ。他のアジア各国の人達の顔が多いのを入れたところでダイバシティーは小さい。名古屋駅周辺や名大周辺でこそ様々な人種を見かけますが、やっぱ基本的には”寂しい”レベルです。

いっときほど国際化という言葉は叫ばれなくなりましたけど、移民受け入れが難しいのは種々の意味で単純な話で無いという前提は”当然”としても、その対象たるガイジンさんが家の周辺に住んでいるだけでなんか違うなと思うような人達がたくさん居るような国では国際化なんていうのは永遠の画餅でしか無いだろうとフト思うのです。

習慣が違うと受け容れ難い、考え方が違うと受け容れ難い、容姿が違うと受け容れ難い、XXが違うと受け容れ難い、YYが〜、、、。こういうのって、やっぱり小学生の”皮膚”感覚の延長なのかな。
人と異なることを恐れる人が多い国では、違うこと、変なことはやはりある意味和を乱す”悪”なのでしょう。
世界にはそんな国が一杯です。

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

子供の大学にもヒジャブ着用の子がいるそうです。
あれって日本のようにムシムシした夏だと大変そうですよね。
以前、友人がイスラム系のお友達にヒジャブを借りて
かぶってみたそうなんですが
日本人の平面的な顔にはしっくりこなかったと言っていました。
民族衣装ってその民族に似合うようにうまいこと出来てるのかも知れないですね。

東京都心部は外国人に遭遇しやすいです。観光客も多いですしね。
見た目が日本人と似ていて目立ちにくい中国系、韓国系の人も合わせると
結構いるんじゃないかな…
私自身は、高校のとき同じクラスで仲の良かった男子が韓国系だったぐらい。
この男子、お医者さんになったんですが、私の子供が扁桃腺を切ったときの
担当医の先生(同じく韓国系の方)と知りあい(同じ大学の医学部)で
世の中狭いな~と思いました…ってちょっと話がずれてますね。


small G さんのコメント...

仰るとおりだと思いますよ。
その国の装束というのはまさに長い歴史と土地の気候が産みだした勝ち残りなんでしょうね。
そういう意味では合理性の塊なのかなって気がします。
勿論、おっしゃるようにその人達に”似合う”って言う意味でもよく吟味されているのでしょう。
着物着たハイ・ウェストのガイジンさんが、可愛さそのままではあっても違和感があるのと同様、柳腰の女性がよく似合うように作られているのではないかと考えます。

医者の世界は非常に狭いです。友達の友達は・・・というのが実にビックリするくらい狭くて、下手なことは出来ません。
こちらが知らなくても相手がこっちを知っていたり、その逆もまた真なりと言う感じです。