2016年7月5日火曜日

宗教は人間の”狂気”の部分をコントロール出来ない

バングラデシュの残虐非道なテロで亡くなられた現地の方々の御遺体が日本へ還ってきました。

亡くなられたのは日本人の方々のみならずイタリア人の9人の人々も居ます。本当にたくさんの現地で彼の国のために働く人達がまるで虫けらのようにクズどもに殺されてしまうという、関係者で無くとも衝撃の大きな事件でした。
この手のテロリストたちは、自分の国を良くしようと種々のリスクを顧みずに自分たちの国に来てくれる善意の人々をも無差別に、無慈悲に殺していきます。

原理主義と言うのは本当に恐ろしいもので、ありとあらゆる現実の世界にある複雑な要素を”綺麗さっぱり無視して”二元論的な世界の対立構造に持ち込んだ挙句に彼我の何れの立場にあるかによって味方と敵を峻別するという実に頭の悪い恐ろしい思考形式だと私は感じています。
物事を単純化して人の頭に短絡させて焼き付けるので、ぶっ壊れた回路と同じで自分の頭で物事を考えるようにはなっていないところがこの手の宗派のマインドコントロールの要諦なんでしょう。

一神教の世界というのは多かれ少なかれ皆この手の思考形式を内在していて、長い歴史の間には、例え今では比較的おとなしく見える仏教であろうがキリスト教であろうが、その宗教が拡散する過程において何れも申し開きの全く出来ないような悲惨でおぞましい大虐殺の歴史を内包しているのは、歴史を学んだ人なら誰もが知るところです。

神の御名において」という、愚かな人間様の作った自己に都合の良い解釈を散りばめた”己の教団・宗派”というものは、どの宗教においても誕生直後から常に核分裂のごとく四分五裂。大きな声を出せば出すほど、力で相手をねじ伏せればねじ伏せるほど、己の権益が拡がっていくというまさにドロドロとした人間の欲望の塊の大きさそのものが、そういった宗派の力になっていくという点で、救いようの無い自己矛盾を持っているというのは、宗教を取り扱う側の人間の悲しい性ですよね。

狂っていようがまともだろうが、己の信念を人に押し付けて、それが達成されないと相手を殺すとかやっぱ基地外と言うしか表現のしようが無いです。orz

しかし、今回帰還した御遺体の上になぜ国旗をかけてあげないのか?
アメリカでもイギリスでもドイツでも、そして今回の事件のイタリア人の犠牲者たちの帰還でも全員美しい各国の国旗が棺にかけられていました。
日本だけは白い晒を巻きつけただけの棺。あれは何なんだろうと、私はその無言・無念の帰国となった御遺体の入った棺の映像をじっと見ながら、国旗を巻いてさしあげるのは国家の基本的な責務ではないのかと考えたのですが。

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