2025年9月5日金曜日

「最後の特攻隊」の記憶

 嫁さんが録画しておいてくれた「最後の特攻隊」の記憶という番組を視ました。

外道の作戦と言われた非人道的な作戦群である種々の特別攻撃作戦の中の中でも特に大分の宇佐にあった特攻機出撃基地の一つであった元特攻基地を巡る人や物の記憶でした。

東大法学部に入学後に特攻機の兵士として散っていった学徒のお母さんの手記が読まれた時には涙が止まりませんでした。極秘の伝言を受け田舎から特攻基地へと夫婦で駆けつけるも基地の受付で兵士に「昨日出撃し、もう生きておられない」旨を告げられた時に体中の血液が地面に吸い込まれるような感覚を覚えたという話の後に、時局柄涙は流せなかった母。

ところが、実は特攻機の故障で戻って来ていて本当に、本当に「たまたま」御両親と再会することが出来たのでした。その後親子水入らずで旅館で二晩過ごすことが出来た時のお母さんの気持ちが手記の形で読み上げられた時、私は滂沱の涙を流さざるを得ませんでした。

学生を、若者を戦いに送り込んでいくようになってしまう時点でもう戦いは単なる自国の未来の力を削り続ける戦い。要するに自分の脚を食べ続ける蛸と一緒です。

特攻は明確な外道の作戦であり、特攻機を設計させられた技術者自身が己の設計したものに強い拒否感を示していたのは明確な記録の残った事実。若い人間を熱狂や祖国防衛の美名のもとに戦場に送り込む事は最後の最後の瞬間まで絶対のレベルで回避し続ける努力を「必死」で続ける事が我々年長者の使命だと思います。

拳をあげる事は簡単ですが、そのあげた拳を下ろす場所を見つけるのは本当に至難の業。何時の時代もどこの戦争でも、始める前の高揚感はあっと言う間に恐怖と絶望と後悔へと変わります。その上で、終わった後もそこに残るのは死と、心と体の障碍と闘った国の間に数世紀にわたって残る敵対心。そしてその敵対心はやがて再び形を変えて同じ過ちの火種となるのです。

散華した多くの有為の人材の想いを継ぐという事は愚かな戦を二度としないという誓いを日々新たにする事だと思います。

いま世界中で愚かな名誉欲・領土欲に憑りつかれた老人達が若者達を戦場に送り続けています。糞ジジイ共こそ人類の為に真っ先にあの世へ先に逝くべき人物達でしょう。

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