サブタイトルは今日のタイトル自身なんですが、日本という国の本質は本当に何も変わっていないという事実に俺達を含めた上下の世代は何をやって来たんだ?という憤りを覚えます。情報の大切さを蔑ろにする体質は今も昔も変わることなくこの国の行政に脈々と受け継がれています。
形を整え表面的には何事にもそつ無くこなしているように見せるのは昔から得意。しかし、その実体は徹底的に数理統計に弱く、想定外への備えを徹底的に無視し続けるという状況。商社や商人の方がよっぽど現実に対する対処法を知り行政の力など糞ほども頼りません。まあ、っ行政は規制を通じて彼らをコントロールしようとはしますが、彼らの望みはコントロールすること自体で、コントロールの先に何が発生しようと別に責任は取りません。絶対に!
企業であれば責任の帰結は自分自身の大損害や倒産、個人であれば左遷や失職などでしょうが、お役所にはそんな事をする気は毛頭ありませんのでやったらやりっぱなし。自分達の立案した案件の帰結を評価・反省する事は無いと思っておいた方が良いでしょう。
先の戦争もそうやって遂行され誰も責任をとらず実質的には一方的な連合国側からの裁きを受けただけで自分自身での反省や責任取りは無かった訳です。
ほんまに毎回繰り広げられるのは「黒船来航」という衝撃波によるショック療法ばっかり。情けない事この上なし。結局我々がお上に期待するのは「邪魔はするな」という事くらいでしょうか。
情報の使い方も自分の見たくない情報は伝えない、都合の良い情報を都合の良い方向にだけ解釈するという「やってはいけない事」の繰り返し。その結果が先の大戦の惨めな負けとなり大量の国民を地獄の底に引きずり込んで殺したわけです。じゃあ、その後軍部は責任をとりましたか?っていうとA級戦犯7人、BC級戦犯役920人が死刑を執行されたと記録されています。
無謀でしかなかったあの戦いに勢いよく飛び込んで行った挙句に死んでいった軍人は良いでしょう、しかし民間人80万人とノーと言えずに赤い紙切れ一枚で死んでいった200万人の非正規軍の人間達の流した血がどれほど日本の愚かさを変えてくれたでしょうか?
正しく情報を取得し、正しく解析し、正しく利用する教育を小さな頃から行っておかないと堀さんが記した「情報無き国家の悲劇」は何度も何度も繰り返されるのではないでしょうか。
大本営は名前を変えただけで今も日本にドッカリ生きているとしか思えません。
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