2025年7月31日木曜日

伊東市の鉄面皮おばさん!頑張れw

突然ネットで伊東市長・田久保真紀ちゃんの会見がLIVE放映されるというので視てみたら、そんじょそこらのエンタメでは全く勝てない程の素敵なLIVE放送が待っていました。^^

いや、もう鉄面皮というか顔の皮膚の厚さが1メートルはあるな~という感想。ここまでしっかり悪役が板につくと逆に痛快で、私は完全に外野で映画を観る感じの観客。この犯罪者を市長に選んだ可哀想な伊東市の市井の皆さんにお気の毒という言葉しか頭に浮かびません。

私の心の弱さが招いたことで、ひとえに私の不徳の致すところ」と話しつつ、「『頑張ってほしい』『負けないでほしい』『やり遂げろ』という声もたくさんあった」そういう声が沢山聞こえた!とこのおばちゃんの脳内では処理されているようですが、それって「1,2,沢山
くらいの数え方なんでしょうかね?

普通は多い方の声を「沢山」と数えるんじゃないかと小学生のころ以来習ってきたもんですが、この髪が紫のおばちゃん的には聞きたい方の声が聞こえればそれで終わりみたいだったようで、数々の約束を詭弁を弄して反故にしてきたこのオバちゃんの行く末が気になります。

市役所の秘書課の皆さんも苦情の処理できっと仕事にならん事でしょう。orz

ところで、裏の方でいろいろと入れ知恵している目付きがそっくりの弁護士さんがいましたので調べてみたところ「ナルホド!」と納得した事実が判りました。それはこの方は疑惑の中心となっているアノ東洋大学の法科大学院を出た人という事。今この法科大学院は?と思ってみてみると「2004(平成16)年4月の開学以来,東洋大学法科大学院は,286名の修了生及び65名の司法試験合格者を輩出してまいりました」と書いてあるんですが、余りに実績が残せない事から2018年には暖簾を降ろしてしまいました。ですから。この人はこの65人の中のおひとりなんでしょうね。

もう一つ気になるのはあのサイコ斎藤の時と同じで、この人の家族どうなっとんじゃ?という事。まあ、老婆心ながら~の世界ですけども、御主人とか子供さんが居ったら大変だなって思います。少なくとも当選した時には画像として残されているでしょうし、周囲の人々も当選後は市長の家族と認識されていたでしょうから…。何か言われそう。

小池も、石破も、斎藤も、田久保も…居直りこそが最強だという事を証明する素晴らしい時代になりました。そろそろ、少なくとも経歴詐称等の事実の歪曲によるに関しては厳正な法改正が必要でしょうね。

そのうち市長からは除籍されるでしょうけどね。w

2025年7月30日水曜日

意識改革はなかなか勇気が要るw

今日はちょっとした人生の「小」冒険を致しました。それは、ファッション。

娘と嫁さんから還暦祝いに送られたチャイハネのサルエル・パンツというものを実際に外に出て穿いてみる事にしました。

今までこんなシェイプの服を着た事は無かったのですが、それを穿いていざ外に出るという段になると結構意識してしまうものです。今回は思いっきりソレを人前に晒して勇気を出すためにわざと人の多いイオン・モールに出向く事としました。

家を出て駐車場で車に乗って~というところまでは一人にしか知り合いとすれ違いませんでしたが、モールに入ればそこは多くの知らない人々の無数の視線が漂っている訳で、そこに自分が変わった新しい服を着て登場する訳ですからまあ、小さな挑戦なんですけどね。

と思いましたが、自分の中にある「ある言葉」を思い出しました。それは己が思って居るほど他人はお前の事など見ていないと云う鉄板の言葉。では実際どうだったか?と云うと私が上に赤字で書いた通りでした。w

という訳で、今回の挑戦は肩の力を抜いて歩いて結局は正解でした。還暦のオッサンが何を着ていこうと結局は私がどう着こなしを愉しむかが全て!であれば、なるべくスマートに着こなしたいものです。

後で家に帰って聞いたところ、次女は母親に「お父さんならどんな服でも着て外に出ていくと思っていた」との事で、さすがに還暦に貰ったちゃんちゃんこTシャツは着ていきませんでしたが、この服は新しく着て行って自分なりに新たな扉を開いたと思いました。^^

今度はもう少し別のコンビネーションで、コレに合う数種類のユッタリ系のアジアン・テイストの腹を着て宮崎の田舎に帰省しようと思いました。


2025年7月29日火曜日

眠りは大事

入院中の患者さんの眠りの問題のコントロールは医師にとって重要な問題の一つなんですが、翻ってお前はどうよ?という話になると「極めて健康的な状況」からはちょっと遠いかもしれません。

基本的に私自身の寝つきは何の問題も無くて、床に就いたら何時であろうと普通は知らない間にスッと寝るというのが普通の夜。ところが私自身はこのブログを書いたり、本を読んだり、勉強したり、ちょこっと酒を飲んだりという感じで直ぐに12時を回ってしまいます。朝起きるまでの時間が7時間を切る事がしばしばあるというのは私にとってはあまり良くない事でして、少しだけ眠気が残ってしまいます。

これが数日続くと、50前の頃と違って「疲れ」が蓄積し始めます。週末の寝貯めでそれが取れるかと云うとそうはいかないのが普通です。疲れは取れたような気がしても、頭の中の疲れが取れないというのは良くない。昔から宵っ張りの私ですが、1時過ぎに寝るのが続くのは避けたい所です。

周りの80歳前後の(入院していない)年寄りの人々の話を聞いていると、眠れない人は徹底的に眠れないようで、8時頃には床に就いても結局薬を服まなければ3時間ほど布団の上で悶々としているなんて言う話を聞きます。例え眠剤を使用しても7時に寝てその日の内に目が覚めてしまうなんて言う笑えないパターンの人も。その分眠剤をちゃんと処方してその睡眠時間が少し伸びるようにしようとしても今度は翌日に二日酔いの如く残る眠気に悩まされるという人も。

前回の名古屋訪問中の私の親父の眠りを見ていたところ、鼾が酷く睡眠時無呼吸も確実に存在する状況。ただし、本人は睡眠に関しては全く問題ないとの事で、横になったら直ぐ寝てしまうのでした。実際に横で見ていても座ればアッという間に寝る感じで親父の云う事は嘘じゃ無いなと思いました。

先回りしていろいろと済ませて早く寝ようと思うんですが、夜の12時前後っていうのは私にとって一番頭が回っていると感じられる時間でして、その時間になるといろいろしたくなっちゃうんですよね…。結局その時間に起きている事で何かを口にしてしまい…。w

もう少しだけ早く寝ます!

2025年7月28日月曜日

昭和100年

良く考えると自分が還暦になった年が昭和100年なんだと思うとなんか良いな~って思います。

何と言っても区切りが良い!いろいろな時間の計算をするのに自分の誕生念を中心にするん尾が非常に容易です。こういう仕事をしていると、他人の生年月日を見て直ちにその人の年齢が言えるというのは結構便利です。

本当は全部が西暦であればいろいろな書類の整理が非常に簡単なんですが、実際のところ日本では和暦と洋暦が混然一体となっていて書類整理の時に「勘弁してくれ」というような事が本当に沢山ありますよね。

天皇の一代と元号一つの区切りが長いのは明治以降の事であって、それまでは何か凶事が重なったりすると直ぐに元号を変えていたりしたことからコマ切れの和暦が重なっていて、それが洋歴では何年であったのかという事を容易に頭の中から自信をもって引き出せるなんて言う事はとても私のようなボンクラ人間には出来ません。^^

今のところ、昭和13年生まれの両親が共に生きておりますし、その年齢前後の患者さんが多い事から本当に計算は素早く出来て有難いです。死亡診断書や診療情報提供書を作成する時にもS13生まれの親が今誕生日を迎えて87だからこの人は幾つ!という具合でしょうか。

それにしても最近書く死亡診断書は親父より若い人達も増え始めましたね。私が研修医だった頃はまだまだ普通に明治生まれの患者さんの名前を書く事があったのですが、アメリカから帰って来てみると大正生まれの方の診断書を書く事自体が本当に稀であって、明治に至っては絶無という状況になってしまいました。

私が小学生の頃は明治生まれの爺さんが周りには普通にゾロゾロ居りましたので、今の子供達にとっては昭和40年生まれなんていうのは私が小学生の頃に草田男の「明治は遠くになりにけり」的な感覚で爺さん達を見ていたのが今度は見られる側になってきたという事なんでしょうね。

みゆきさんじゃないけど「時代はまわる」というのは本当ですね。何時までも今までの様に無鉄砲な人生を送れたらいいなと改めて思ったここ数日でした。

2025年7月27日日曜日

なんと!還暦を迎えることが出来ました^^

遂に還暦迎えました。昭和100年目です!

60年一回りという感じで人生を取り敢えず一周したことになります。一周というのは十干十二支で、10と12の最小公倍数が60。この60歳から種々のタイプの長寿のお祝い開始となるのだそうですが、次は66歳の緑寿というのになるんだそうです。まあ、親父が近づいている米寿や卆寿等には到底及びもしませんが。

さて、今日は嫁さん達と近所の藤が丘にある彼女の選んだ「やまとなでしこ」というお店で夕食会となりました。結論から言うと「味は、まあその~」という感じのお店。銀婚のお祝いで以前食べたガード下にあったおしゃれなお店PANCOYAの串料理には到底及ばない感じ。残念ながらパンチに欠けるどれもそれなりの料理でした。

とは言え腹は既にそれなりに満ちておりましたので、後はおまけとして息子と嫁さんと次女と一緒に先ずは駅の方に戻ってマックで息子の為にフレンチ・フライを一つ、そしてすぐそばにあるドトールでヨーグルト・シェイクを注文して近くのベンチで一休み。

家に帰ると今度は腹一杯の状態で手作りのチョコロールケーキが待っていました。これはアメリカにいた頃からの我が家の伝統でして、なんか大きめのお祝いがあると全部これ。判り易くていいもんです。w

ケーキにはきちんとチョコの銘板が添えられ60の文字のローソクと共に何故か8本のローソクが周りに立っていました。俺の80歳の誕生ケーキか?orz

まあ、そんな細かい事は抜きにして横では次女と嫁さんがバースデーソングを歌ってくれまして、私が火を吹き消した後でプレゼントが二つ出て参りました。一つは最近私が凝っているチャイハネのメンズ・パンツ、そして赤いちゃんちゃんこの代わりとなるめっちゃ可愛い名前入りの赤いグリコ風のTシャツでした。
思わず笑ってしまいましたが、二つとも上下直ぐに着てみて写真を撮って貰いました。なんともいい感じで、来週に予定している宮﨑に帰郷した時のボトムとして使おうと思いました。

夜は岡本太郎の本を読んでサイド人生における挑戦について思いを馳せる時間を作りいい感じで一日を終えることが出来ました。まさか自分のようないい加減な人間が還暦まで生きるとはな~。いろんな変ったことが起きる時代ですな。




2025年7月26日土曜日

50代最後の日に

いよいよ今日が50代最後の日となりました。

10時からマンションの運営に関する定期総会があって、それに出席したのちに嫁さんを誘って昼飯を食べて(誘いに乗って生まれて初めてDenny'sに行きました。アメリカでも行った事無かったんですが、エビフライのオムライスを食べましたが、意外とソースとのコンビネーションが美味くて馬鹿に出来んもんだと思いました) 

終わったら一旦帰宅して夜まで本を読んで過ごし、外に出て8000歩ほどのいつもの散歩を済ませて家に戻って考えること暫し…。

人生60年をとり敢えず生きて迎えることが出来る素晴らしさは幸いにして味わいました。そして、子供達を三人も授かることも間違いない幸せ。(金も手間もかかりますが、それはそれで苦労も喜び!)更には家族の迷惑も顧みず、大学院からアメリカでの研究まで20年以上私の個人的な学問的挑戦を許して貰えました。

男として、親として、夫としてこれ以上の幸せはあるのかというのが正直な所。ひたすら感謝の気持ちしかありません。優れた体や頭脳では無かったけど、こういう人生を送らせてくれた「少なくとも60年は持つ」心と体を与えてくれた両親には感謝、そして俺の人生の真ん中から後をガッチリと横から支えてくれた嫁さんと家族達に感謝。

そして忘れがちですが、こういう人生を送らせてくれたのは幼少時からの多くの友人、先生、そして市井の人達だという事。今はもう無くなってしまった人達も含めて今の自分がココに今いるのはそういう大小のサポートの集積の結果という事ですよね。

自分が今いるのは自分が頑張ってきたからだというのは多くの人が言いたい事なんでしょうし、それはもっともな事なんですが実際は上に遭書いた様に周りの無数の見えないサポートが今の自分の人生を作り上げてきたって事を今一度感謝を持って思い返す良い日となりました。

明日から60歳!人生を一周回って生まれ変わったつもりでまた頑張っていきたいと思います。二周完走は幾ら医学が進んでも無理ですが!w

2025年7月25日金曜日

やっぱり行くもんじゃねえなw

以前から約束していたバイト先の他の先生との食事会に行きました。

場所は藤が丘にある鮮魚を提供するお店でしたが、まあそれなりに美味しく食べられました。というよりも三人で語る話が面白くてそっちにばかり集中していて、味の方は「それなり」という表現しか出来なかったというのが本音なのですが。

さて、話が佳境に差し掛かったところで散会するかと思いましたが、そこで若い一人の看護補助さんが言うには「ここの大将の奥さんがしているスナックが近くにあるんですよ」とのことで、そこに我々二人を連れて行くと言います。

そもそもスナック等というところにはまず自分で行くようなことはありませんし、巷間良く聞くガールズ・バーとかにも決して近づきません。昔先輩にそういった店へ連れて行かれたことがありましたが、どうせ大して美味くも無いつきだしを食い、美味しくも無い酒を呑み、若い娘さんのしょうもない話を聞き…等という事ばかりでしたので、期待はしていなかったのですが。

店に入る所に開店10周年記念のお花が大量に並んでいましたので「おお、ナルホド」という感じで店に入りました。何と言ってもビックリしたのはこの店は私が何時も仕事に行く時に毎日通る道にある店。これまでに確実に5000回は目の前を通っているのですが、勿論一度も入ったことはありませんでした。

中に入るとタバコ臭い店の中には人いきれでムンムン。女の子が7—8人いるのですがお客さんはその倍ほど。我々の座る場所はギリギリ有るか無いかという程度のところですが、ママさんがすっと寄って来て座って座ってという感じ。三人に3袋ずつの安菓子が配られましたが、酒が来る訳でも無し。

愛知医大の看護学校に行っているという女の子が目の前に座りましたが、我々は職業をはぐらかして真実は一切告げずいろいろとはぐらかし続けての30分でした。

皮膚科の先生と示し合わせて「さあ、出ましょう」という事でお勘定になったのですが、一人3袋のお菓子と女の子との10分程度のお話で会計は18,000円。まあ、無駄なお金以外の何物でも無いなって事だけは再度学びました。w

お金の使い方というのはいろいろありますが、こういう使い方だけはするものでは無いという事を心に誓って店を出ました。^^

実は今回スナックに入ったとき私の目の前に何故かお金が降って来たんですよね。33000円。ですけど、このお金にはもちろん手を付けずママにそれを言ったのですが、ままは「あら」といって自分の懐へお金をスッと。

まあ、この店に二度来る事はございませんナ。




2025年7月24日木曜日

嫁さんと沖縄料理

今日の夜は嫁さんの「要請に従い」覚王山のあるお店へと向かいました。

今夜の目的はそのお店でマスターが提供する数多くの沖縄料理と沖縄の味をベースにした種々の創作料理を食べるのが彼女の狙いですが、私は特にそんな目的など何もなく泡盛でも飲みに行くベイ位の感じで家を出ました。

家を出る時から何だかウキウキ顔の嫁さんでしたが、今日は本当に暑い日で立っているだけでも汗が出るのに、駅まで淡々と歩いた訳ですのでそれなりに汗を掻きました。

それでも覚王山について階段を昇りそのお店に到着するとお店の奥様から大歓迎を受けました。直ぐにテーブルに着いて先ずは生中を注文。以前、メニューを写真としてスマホに収めていた嫁さんは地下鉄で覚王山に着くまでの間に何度も画面を見つめ直しては頭の中で何を食べるかオーダーを組み立てていたようですが、何が彼女をそこまで食う事に熱心にさせるのか理解できない私です。

本は好きでも勉強には熱心で無い事は30年以上の付き合いで既に解っていますが、このメニュー研究の趣味には何か生理的な本能のレベルでの欲望を感じてしまうのでした。謎、謎、ひたすら謎です。w

彼女の大きな間違いはメニューが変わってしまっていた事でした。店の中に着いた途端それに気付くと、もう一つ大きな間違いに気付きました。それは8時にならないと腹を満たす本格的な料理は注文できないという事実。

到着は6時10分でしたので、そこの時間に至る迄にあれこれと細かく注文し続ける中でhらはすっかり満腹状態になってしまいいざ8時になったら腹はすっかり満腹状態!結局我々のような凡人レベルの胃袋持ちには到底8時からの仕切り直しなど出来る訳も無く数河事白旗掲揚と相成りました。

お互い、もうこれ以上一切れでも食べたら爆発という状況で店を出て本日の沖縄料理を囲む夕べは終了。

帰りは腹一杯になりながら、明日の為のアイスを購入するために新装開店となったマックス・バリュに入って一通りアイスを購入しての帰宅となりました。嫁さんと食べ歩くと太るな!という事が改めて確認できた夜となりました。


2025年7月23日水曜日

突然感謝されて困惑

今日病院の正面玄関で見覚えの無いうら若き美女がジッと私の方を見ているのに気づきました。

人生の中で美女を見ることはあっても美女に見られることなど決して無い人生ですので「???」という感じでチラッと見返すと、その女性も私のネームタグなどもチラ見してにじり寄ってきます。

実はその時に別の患者さんとその御家族をお見送りしている途中だったので、その女性が近くに寄って来ても応答をするような余裕はありませんでした。しかし、それにしても何故かその女性は「愁い」を含んだ眼差しをこちらに向けてきます。内心では「一体どちら様?」という大きな謎が渦を巻くばかり。

御家族をお見送りした後、その女性がササッと私の方へ近寄って来てしっかりと私のネーム・タグをもう一度見直して言葉を発してきました。

「ああ、やっと会えました。XX先生ですね!私、A病棟に今も居りますBの娘です。4年前に母が先生に助けて頂いて以来、先生に会う事が出来ればとずっと思っておりました。先生は本当に私にとって神様です!」等と話しながら、その美しいお顔に涙を貯めながら更に近づいて来られるのでした。

私はその患者さんの事は今でもしっかり覚えておりましたので、ああ、あの患者さんの娘さんなんだ!とは内心では思いましたが、応対としては「いや、普通に医者として仕事をしただけです」と笑顔で返すしかありませんでした。^^

蓋を開けてみれば謎でも何でもない業務の延長上の患者さん御家族からの感謝の表明という事でしたが、自分のしている日常の仕事が救命を通じて人に涙を流して貰えるくらいに役立っている事も「たまには」あるんだという事実に改めて気付かされた今日のお昼でした。

もっと医学の勉強をしないと…。

2025年7月22日火曜日

選択の積み重ね

右か左かという選択肢がある時にどちらを選ぶかという行為の積み重ねで人の一生は成り立っていると考えます。

私のようなツマラナイ人間でさえも日々小さなことから大きなことまでいろいろな選択をしながら過ごす訳です。そもそも、この仕事はするこれは受けないとか、この紹介患者さんをどう処するのか、今日の次の仕事は何をするのか、明日は何をするのか、仕事をするにしてもその順番をどう構成するのかという事も全て選択の結果です。

私は決断力が無いという人も「決断しない」という事を結局決断している訳で、そういう意味ではその人なりの人生は全て決断の集積の結果という訳で間違いないと思います。

「人類」のレベルで偉大な仕事を成し遂げる能力がある人も、その才能を得手に帆を揚げてというエリアに自分を突っ込んでいなければ「賢いし、仕事も早い」けれども歴史の中では隙間埋めの一人でしかない訳です。まあ、殆どの人はそちら側。もちろん私も同類ですが!

周囲であれやこれやと文句を垂れて日常を過ごしている人を見る日々ですが、今の自分があるのはある方面に対する才能と選択の結果としての努力と運の掛け合わせとして仕上がっている大きな結晶の断面を眺めているにすぎません。結晶のサイズや輝きは人によって日々変わるし、輝いていたものも時を経るにつれてその輝きを失いくすんでガラス玉どころかつまらない礫岩の様になってしまう人も。

十代で既に輝きを失っている老人も居れば、70超えても80超えても創造的な活動をする若者も居る訳で、自分は例え体が動かなくなっても後者でありたいと願うのでした。

毎日の小さな選択。挑戦をしない事で選べる「小さな安定」に満足することなくこれからも常にリスクの高い方を選んで生きていこうと思います。^^

2025年7月21日月曜日

家族の健診データのデジタル化

当直の機会を利用して家族の「溜まりに溜まった」健康データをデジタル化しました。

デジタル化といっても単なるpdf化なんですが、大量に溜まって厚さ10センチほどになっていた家族の健診結果や各種の健康関連データを全てふるさと納税で手に入れたScanSnapでスキャンして、自分のクラウドに上げました。

家の中を少しでも片付ける為の一環という感じで今回のデジタル化を行いました。何と言ってもデジタル化をしていかないとこの手のデータは本棚を次から次に圧迫していきますので、本を置くのに大変邪魔になります。先日もここで書いた様に本を買わないという選択肢は私の人生にはありませんので、こういう作業をシコシコとしていく必要があります。

昭和や平成の様な時代であればこれにDVDや写真用のアルバム棚等も必要となっていた訳ですから、それからすれば今の時代はまだまだ随分とスマートになったもんです。今はDVDを持つ事も無く、レンタルすれば良いだけ。写真はデジタルですから場所も取りませんしね。

さて、今回の健診等のデータはアメリカにずっといた娘達の分は極僅か。勢い私と嫁さんと息子、そしてしつこく大量の自分達のデータを送り続けてきた宮崎の実家の親のデータを取り込まなければなりませんでした。そして最後はCTやMRIの画像データの取り込みなんですが、今回は取りあえず10枚分程度の画像データは取り込まず…。

医局で夜にコソコソと作業開始。先ずは個人別に年代などを気にせず仕分け。今度はそれぞれのファイルを年代別に重ねていきました。

最終的にそれらをスキャンしてクラウドに上げるまでに結局丸一日かかりました。やっとこさ終わった後で今度はそれらをシュレッダーにかけたのですが、使ったことのある方ならご存じの様に種類をシュレッダーにかけると滅茶苦茶ボリュームが膨れ上がります。

40Lの可燃ごみ袋がパンパンになりました。アナログのデジタル化がこんなに大変なら最初から全部デジタルで処理したデータだけでやり取りしたいものだと思ったのでした。

まあ、近未来はそうなりますけどね。日暮れて途遠しです。

2025年7月20日日曜日

選挙の結果が出ましたが

愛知では国民新党の水野さんというのがさっさと当選を決めました。

基本的に政治家の言うことなんて全く信用していないし、今回当選した後の彼の話し方を見ていても正直なところ「ああ、これは何も変わらんな」という程度の感想しか持ちませんでした。中京大学卒で、あの「どまつり」の初代委員長を務めたとのことですから、お祭りには強いのかもしれません。何卒その実行力が政治の世界でも発揮されることを祈っておりますが。

今回は実は名古屋科学館に息子と私で初めて行ってみて、そのあとに仕事を終えた嫁さんと合流する形で藤が丘駅のフレッシュネス・バーガーで夕食?を摂って腹ごしらえをした後に藤森中学校の投票所で投票を済ませてきたのでした。

息子の手を握っての今回の投票でしたが、投票時にあれ?と思ったことがありました。それぞれの政党の簡略化名がその投票箱の壁に貼り付けられていたのですが、国民民主党と立憲民主党はともに「民主党」と書いて良いとなっていたんです。

「あれ?これ有りか?」と思ったのですが、一体簡略化名称でこの党に投票した人たちの票はどうカウントされたのでしょうか…。非常に強い疑念を感じたのですが、私はどこの党であろうともフルネームでしか書きませんので、特に何の問題もなかったのですが。

さて、そのあと汗をダラダラと流しながら三人で家路につきました。夕方にはみんな風呂にも入り終わり選挙速報をちらっと見てみたのですが、案の定というか自民党は非常に低調。取り分け印象的だったのは公明党の明確な退潮でした。昔は選挙前になると票集めに狂奔する公明党員というか学会の皆様が良くニュースネタになっていましたが、最近はそれらの人達も加齢が進行し病院や鬼籍に入っていく人々が増えたせいか、鉄壁の集票もままならぬ様子。

宗教票の減少は人口の減少を残酷な迄に反映しているようです。

犬作ちゃんも居なくなったし、もう結束もへったくれもあったもんじゃないのかな。

人を馬鹿にしたような金ばら撒き政策で人心を掴もうとひたバカ自民。ほんま人を愚弄するにも程々にせいという事。お前らの考えている以上に国民は冷静よ?パンとサーカスでは人は踊らん時代なのよ。参政党が議席を獲得するのも想定内でしたが、おそらくあのヤバそうな党首を含め今回の当選組の中からいろんなスキャンダルが噴き出してくることでしょう。

じっと眺めている私です。

2025年7月19日土曜日

土用丑の日

娘の用事で朝からある場所へ娘を連れていきました。

それは、以前からお世話になっている料理人さん。この方は次女がバイトとして一時期勤めていた近所の老人ホームの料理担当として働いて居た頃に孫のように可愛がってくれ、いろいろと料理の準備の方法などを仕込んでくれた方です。

いつもは養護老人ホームなどでカツオの捌きなどをしてみんなを愉しませてくれている方です。何でそんな事を定期的にボランティアで出来るかと云うと、料理人として魚屋さんとの深い繋がりがあるらしく、その様なネタを常に提供できる状況にあるようです。

今回の土用丑の日は次女を手伝いとして指名してくれました。朝の10時から巨大団地の前でうなぎの蒲焼きを提供し始めたようですが、当初「3時前に迎えに来て」と言っていた次女からいきなり「1時半過ぎに迎えに来てくれない?」とLINEで時間変更。どうしたんだろうと訝しがりつつも午前中に見送った小さな手作り屋台の店の前に車を寄せるとオジサンが一緒に娘と出て来ました。

挨拶をさせて頂いて、娘が御迷惑をかけていない事を確認。あちらから丁寧な挨拶をして下さっりながらも、右手には巨大なうなぎの蒲焼を二尾持っていました。それを娘に「持って帰れ!」と言って下さったので、そこはお言葉に甘えてその場を辞したのですが、何と驚く事に娘に二万のバイト代を出すと言っていたらしいのですが、娘の方は固辞してうなぎだけで十分ですと言ったらしいです。

娘によるとナントこの短時間に170匹ものうなぎを売り捌いてあっと言う間に売り切り。二匹買ってくれたお客さんに三匹目をただでつけたりとか、ワイルドなオジサンらしい滅茶苦茶アバウトな売り方をしていたらしいです。w

実は今回、ペスカタリアンの次女は頂いたうなぎを食べる筈だったらしいのですが、うなぎを捌く時に首を撥ねても、背骨を抜いても5分以上」くねくねと動いていたそうで、それを見てトラウマになったとの事でした。^^

結局、おかげさまで我々家族の中の競争者が一人減り、美味しい蒲焼の付いた土用の丑を過ごす事が出来ました!

2025年7月18日金曜日

今池屋に夫婦で行ってきました

今日は息子がお泊りの日でしたので、嫁さんの御希望のお店に夫婦で行って参りました。

店内に入ると、幸いな事に今回も店にスッと入れました。二人で奥の方の畳部屋に上がると直ぐに生中を頼んで乾杯。嫁さんの頭の中では既に何を食べるのかは決まっていて、流れるように注文をしていきます。

「そんなに食えるんか?」と聞いたのですが、余裕をもって「これ食べた後で何食べるか考えとる」等という腰を抜かす様な事を言い放ちました。w

今日のデザートは何か、お勧めの一品は何かなどと次から次に手短に質問をしてはメニューを全決定。私はこういう事で悩むのが本当に苦手ですのでいつも助かります。結局次から次に注文のものを鉄板の上で焼いては切って焼いては切ってという感じであっと言う間に胃の中の収めていきました。やっぱり今池屋の食い物は最高級のB級グルメです。

最後の最後でやっぱり追加と言ってイカ玉まで注文して腹一杯。幸せな気持ちになって店を出たのでした。店を出た後で「アノ」亀ちゃんに行こうと嫁さんを誘ったのですが、流石にアノ亀ちゃんは嫁さんにはヘビー過ぎて、今回はパスされてしまいました。Z級グルメはプロしか近寄れません。w

実は店の中で店主と他のお客さんが話をしているのを横で聞いたのですが、今池屋は今年で開店75年!とのこと。店主は先代から続いており、今の若店主で恐らく三代目。

75年前と言えば下手するとまだカストリを出していた時代。終戦後五年です。当時の今池は猥雑で、間違いなく毎日がヤクザの徘徊するヤバい街だったはず。朝ドラのあんぱんを見ていてカストリの話が出て来ましたが、この今池屋でも出していたのでしょうか。

畳部屋に上がるだけで軋む黒く脂の染み込んだ畳部屋の上で粉物を食べながら、一人そんなことを考えた夜でした。

2025年7月17日木曜日

新しいナチスが日本で生まれるか

参政党というのが非常に話題になっています。

しかし、連中の配っていたチラシを見てみたのですが、極左の連中を非難していながら、お前らの発言は真に極右そのもの。今の日本でこんな連中がチンドン屋として扱われず、議席獲得の有力候補としてもて囃されるんですから、如何に与党が不味い政治をしているかってことですよね。

ナチス政権の台頭は、まさに「言葉の力」が社会を揺るがした歴史的な事例です。ヒトラーや宣伝相だったゲッベルスが用いたアジ演説は、感情を刺激し、敵を明確化し、単純なスローガンを何度も何度もしつこく繰り返すことで愚かな大衆の支持を拡大し、熱狂の中で国民の思考力を奪っていきました。ナチのやり方は歴史的に良く研究されていますけど、結局は以下の四つにまとめられます。

  • 敵の明確化:「ユダヤ人」「共産主義者」などを社会の不安の元凶として名指し
  • 誇張と恐怖の煽り:「ドイツは滅びる」「民族が汚される」といった危機感の演出
  • 反復スローガン:「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとりの指導者」などを繰り返し刷り込み
  • 感情優先の演説:理論よりも怒り・誇り・恐怖に訴えるということで、ゲッベルスは“プロパガンダは知的に満足のいくものである必要はない。任務は知的真実を発見することではない”と言い切っています。
  • このような手法は、今の時代だとSNSや街頭演説などで形を変えて出現してきています。たとえば、特定の集団(外国人、LGBTQ、共産主義者など)を「脅威」として語り、感情的な言葉で支持を集める政治家の言説は、ナチスの扇動と構造的に似ていると指摘されています。では振り返って参政党は何を言ってるんでしたかね?よく思い出してみると良く理解できるんでは無いでしょうか。今回はクルド人の一部や中国人、在日韓国人などがターゲットになるんでしょうけど。

    上の四つのポイントのユダヤ人やドイツなどの言葉を中国人や日本等と置き換えてみると我々が進んでいる道の先に何が現れるのか恐ろしい様な気がします。

    こういうポピュリストそのものであるアジテーター連中のやり口は何時の時代でも、どの国でも同じで、危機意識を煽ることで「敵」を作り出し、社会の分断を助長して、歴史修正主義や排外主義が「国家の伝統」や「民族の誇り」の名のもとに語られ、最後にはスローガンや陰謀論で思考停止を誘導し、冷静な議論を妨げるというもの。

    ナチスのもたらしたあの時代の教訓は、「沈黙」や「無関心」が独裁を許す土壌になるということ。ハンナ・アーレントも『全体主義の起源』で、大衆が政治的関心を失うことの危険性を強く警告しています。我々はこういう時期の「どこにも投票する党の無い糞のような政治状況の中」でも考えて考えて考え抜いてこういう連中以外の「誰か」に投票する必要があると強く感じます。

    「歴史を学ばない者は、歴史を繰り返す」というバークの言葉を世界は今一度冷静に噛みしめる時期になっているんでは無いでしょうか。日本だけじゃなく、アメリカもロシアも。

    少なくともポピュリスト共の片棒だけは担ぎたくないと思うのでした。

    2025年7月16日水曜日

    生活保護は我慢の日々

    この前ある生活保護受給者であるおばちゃんの家に訪問診療に行った日の事ある事実を知りました。

    それは生活保護の人にもきちんとエアコン用のお金が支給されるという事でした。金額は~というと現時点で67,000円。正直な所、これでは中古のエアコンしか買えないとの事でした。まあ、そうですよね。

    実際このお婆ちゃん、猛烈に質素な生活をされているんですがそれでもお金をセーブして血圧計を買ったりする事も出来ないほどカツカツの生活。実際には雀荘で何十年も真面目にママさんとして働き、国民年金もきちんと払っていたのですが、実際に退職するとその何十年の納付も雀の涙ほどの支払額でしかありません。結局はいろいろと無理なのです。

    そしてこのお婆ちゃんの話を聞いたところでは、暫く前までは生保受給者はエアコンを家につける事も罷りならぬ!と言われていたといいますから、まさに「熱中症で死ね」というのに等しい所業。いくらなんでも酷すぎです。

    まあ、同じ感じで今の時代は未だに「車を所有する事」は罷りならぬといわれていますが、これとてよく考えたら移動の手段や車を使って仕事を受けようという生保受給者の手足を縛るのと一緒ですから、本来はコレも許すべきだと思うんですけどね。

    いつも思う基本的な疑問は、なんで生保受給者を自治体は「生かさず殺さず」状態に置きたがるのかという事が本当に理解できません。

    積極的に動ける状態に持って行って、困窮状態から抜け出せるのであればそれで良し、逆に抜け出せないような人達はそもそも車を運転したり、買ったり出来ない、車にガソリンを入れられないようなレベルの生活環境なんだというのが彼らの多くのデフォルト。

    巷間言われるような密かに贅沢な環境をして遊びまわっている少数の働かないクズ達の糞所業を拡大解釈して、保護費の受給者を悪人扱いするのは正に十把一絡げと言うべき明確な間違いだと思います。

    人は自分の目線の高さでしか物事を判断出来ません。下衆の勘繰りという言葉がありますが、己が下衆にならないように注意したいものです。

    2025年7月15日火曜日

    記憶の喪失とそれを理解する哀しみ

    訪問診療に行く家のうちのある一軒に1人で住んでいるお婆ちゃんが居ます。

    このお婆ちゃん「物凄く」明るいキャラクターで、話をしているこっちがいつも明るい気持ちにさせられるような素敵な方です。糖尿病や高血圧は持病としてあるのですが、年齢にし
    ては「まあこれ位のコントロールレベルなら良いかな?」という程度の数値は保ってくれています。

    ところが、今の所それは良いのですが既に現時点での食生活が全く滅茶苦茶で”今後”という意味では非常に危ない生活を送っておられます。何時行っても万年床の脇には四つか五つくらいが一つのパッケージになっている餡やクリームのドッカリ入った菓子パンを何時も買い込んでいるのです。そしてその脇にはチョコレート菓子…。

    2型糖尿病の説明を解りやすくして、食べていいもの駄目なものを理解できる範囲で説明するのですが、これがなかなか上手くいきません。そもそも我々が診療に行ってもお向かいの家に遊びに行っていて我々が来ることをすっかり忘れている事も度々で、既にその事を理解している我々はお向かいの家に診療の為にお婆ちゃんを呼びに行く事も頻回です。^^

    また、お婆ちゃんには既にかなりシビアな認知機能の低下が見られていて、それがそろそろ一人暮らしの限界を迎え始める所まで来ているような状況になってきています。

    具体的には今言ったばかりの事をすぐ忘れてしまう事。その記憶の保持時間約一分。要するに殆ど新しい物事を覚えられないのです。例えば家のエアコンのリモコンを一緒になって探している時に手許にあるテレビのリモコンを右手にとって「これ、リモコンじゃない?」と聞いて来るのですが、完全にテレビのリモコン。そこでやんわり否定して再度手許にあるその同じリモコンを「これ、リモコンじゃない?」と聞いて来るのです。そのやり取りが3分程度で7回発生…。

    お婆ちゃんにその事自体を告げると、寂しそうな顔になって「イカンね~、本当に物事を覚えられんくなって…」「本当にいかんくなったら先生の所に入院させてくれるかね」と何度も聞いてきて、何時もは明るい顔しか見せないお婆ちゃんが涙をポロリと流して下を向くのでした。

    実はこのお婆ちゃん、物事を理詰めで理解する事は未だに十分出来るので、自分が記憶力というものを喪失している事はしっかり理解できるという哀しさがお婆ちゃんの中に同時に存在しているのでした。しかし、その悲しみ自体も記憶の彼方に消えていくという事実。

    忘れるというのは歳を取った時に実は不幸な事実ばかりではないのかもしれないと思う事が多くなっている私です。

    2025年7月14日月曜日

    読書との折り合い

    ネットの情報は普通に歩いていてもスマホで見る事が出来ます。

    ところが、自分の好きな読書は歩いても出来るという風にはなかなか出来ません。ド田舎の小学校に通っていた頃は、帰りの道すがら歩きながらも図書館から借りた本を読みながら帰ることが出来ました。

    読み歩きしながら帰るコツは小学二年生の自分でも直ぐに習得出来て、お腹に肘を当てながらガチッと本を固定して読めば難なく読めるというだけの事ですが、この方法だと家に帰る30分ほどの道のりは当時大好きだったSFシリーズの本を何十ページも捲るのに十分な時間でした。

    ところが大きくなっての移動は自転車か車という形であって、自分自身が本などを手に持って移動することは出来ません。しかも、それがスマホに代わったとしてもそんなことしたら法律違反でアウト。w

    どうしても家に帰って来てからとか、医局でのちょっとした休み時間とか、滅多にない当直の時の時間とかになってしまいます。こうなると本を買うだけ買って積読という形になってしまう事が多くなってしまいます。

    なんでそんな状態なのに次々と本を買うの?とか、デジタルデータとしての本を買えばいいのでは?とかいう質問がされそうですが、そういう質問をする人は恐らく本当の意味での本好きでは無いのだと思います。読みたい本があったらその瞬間に手に入れておかないといけないと思うのは読書人の性。どうしても勝って手許に置いておきたくなるのです!

    読みたい本というのは向こうから背表紙が光って見えるもので、そういう本を手に取って数ページ読みさえすれば買うべきか否かは直ぐに判ります。こういう感じで、幾らでも読みたい本というのは見つかるんですが、その結果が家のあちこちに平積みされ医局の本棚に積まれている本の数々。

    夜中に「早く寝ないと明日ヤバいな」と思いつつも、今晩も次の本に手を伸ばしてしまう自分でした。今度はまたキャンプで読みましょうかね!^^

    2025年7月13日日曜日

    最近は岐阜に献金してばかり

    今日はゆっくりと寝ていて、昼から息子と嫁さんと連れ立って土岐に行って参りました。

    目的はただ一つ。土岐に新しく出来たイオン・モールに併設されたという露天風呂・土岐温泉「KAMABA」に行って湯に浸かった後飯食おうという嫁さんの計画に乗る事です。

    この前は金華山、その前は三峰温泉、その前は~という感じで、明らかに我々が最近カネを落とすのは名古屋では無くてその周辺。この前、親父を連れて行った湯の山温泉にしても三重県でしたしね。郊外に行くと自然と何故か愛知県を出てしまうのです。

    という訳で、新しく出来た土岐のイオン・モールに行ってきたんですが、もうホントにビックリするくらい巨大!何か飛行場の滑走路くらいの敷地に縦長でピカピカのイオン・モールが建っていて、その中にシネコンやその他の有名店がぎっしり詰め込んでありました。

    こういうのを見てると、日本の地方というのは概ねイオン・グループという会社の力でアメリカ風に統一されてしまうんじゃないかという感覚を持ってしまいます。その後には周りにあった小規模な店は潰れ去り、壊滅。そして「万一」イオンがそのエリアから撤退をしようものなら、地域全体が衰退するなんて言う、アメリカのラスト・ベルトで頻繁に起きているWalMartの容赦なき撤退の跡のような事にならんかなと考えてしまうのです。

    さて、そんな事はさて置き温泉。どこにあるかと探してもどうやら地図では外にあるという事しかわかりませんしたので、インフォメーション・センターに行って確認したところ、ゴーカート場の向こうにあります~との御返事でしたので、外に出てみたら確かにありました。カート場の向こうの丘の上!

    中に入ってみようとするその直前に何と見つけましたよ。アノ!ずっと探していたサントリーのジハンピが!嬉しくなって一本タダのものに交換して息子に飲ませました。

    温泉自体はごく普通でまだまだピカピカの新品。人も沢山おりましたが、内風呂と外風呂全てに少しづつ息子と入ってゆったり疲れを取ること一時間。いい汗かいて外で待っていた嫁さんと出会って夕食を取る事にしました。私は例の如く厚切りとんかつ。嫁さんは岐阜名物「けいちゃん」を食べて大満足。

    最終的には汗を再び掻きながら建物の外に出て、イオン・モールでちょっとした食材を買い足して岐路に着いたのでした。

    まあ、物珍しさで行きましたけども、温泉としてはごく普通でこの前行った三峰温泉の方が岐阜の近場としては良かったと思います。特に露天風呂が少し三峰のほうが良いと感じました。(あくまで個人的感想ですけどね!)

    また他の温泉も探していきたいと思います。^^

    2025年7月12日土曜日

    嫁さんと公園で待ち合わせ

    今日は「待ち合わせ」というものを超久し振りにしました。

    久しぶりに髪を切りに行って夏の暑さの中も取り敢えずは気持ちいいレベルの髪の長さであるように短めに仕上げて貰いサッパリとした気分で家路につこうとしたところで思い出しました。

    「そう言えば嫁さんいまバイトがちょうど終わるころやったかな?」という事でLINEを打ってみると「ちょうど今終わったところ」との短い返事。そこで私の方から「公園で待ってる」とメッセージを返して、嫁さんの仕事場からの帰り道にある大きな公園の昼下がりの木陰で座っていると「やっほー」という何時もの掛け声がしました。

    仕事を頑張って来た後らしく、顔が脂でテカテカしていましたが、そこは仕事帰りの勲章。御愛嬌です。w

    ここで一つ嫁さんの手抜きの手伝いをという事で昼飯夕飯の合わせたような時間帯の食事のお誘いをしました。3時過ぎですから今から食べれば夕食時にはちょっと早いし、実際に食べてしまうと今度は夕食時には腹が膨れたままという状態になるのは解った上での誘いです。^^

    食事の誘を切り出すと破顔一笑。昼も抜いて仕事をするというパターンで、短期間にすっかりスリムになっている嫁さんは今のところ食べる事に夢中。一緒に食べに行っても(冗談やろ?( ゚Д゚))と云う位たくさん注文して食べます。

    そこで出た結論は、今顔がテカって髪型も崩れているから電車に乗ってどこかに行くような事は避けたいという事でしたので、藤が丘駅の直ぐ傍にあるFreshness Burgerに行くことに。

    店に入るとササッとアボカド・バーガーを注文してジンジャー・エールと共に喉越しを愉しみました。数か月ぶりのフレッシュネスでしたが、やっぱりマックなどとは全く違う「健康に良さげ」な味でした。

    食べ終わった後は2人で夫婦だけでしか通じないような愚にもつかない話をしながら家に帰って息子が施設から帰るのを待ったのでした。たまにはこういう近所でのデートも良いですね。

    2025年7月11日金曜日

    401Kの受け取り

    はアメリカから日本に渡って今年で10年。

    あっちに残して来た401Kの引き出しをしておかねばなりません。税制上も退職用の資金として優遇されている401Kですが、どうやらいろいろその落とし方には「やり方」があるようで、分割して自分の口座に移し替えていくとか、いろいろAIからsuggestされたのですが、これは実際にアメリカにいる友人達に聞いて行く方が良さそうです。

    更に、そのお金をアメリカから日本に移すのならどうするのが一番交換レートが良いのか等という事までsuggestしてくれるのですが、それによるとFXの口座が最もレートが良いというような事も書いてあります。

    私自身としては、このお金はアメリカに置いておいて放り込んだままで利殖に回したいのですが、実際には401Kとして終了させた後はどうすべきかまだまだ悩むところです。何にしろ、円安の進行が比較的一方的とはいえ、今後はある程度の時間をかけてドル自身も安くなっていく可能性が高いと私は考えているんですが、この点はトランプが作り出すアメリカの地獄の扉が実際にどの程度のインパクトを生み出すのかが見えて来ません。

    トランプの気まぐれな脅しに基づいた出鱈目な設定の関税率が日本を含む世界各国に種々の影響を及ぼすでしょうが、製造業というものの骨格がすっかり無くなってしまっているアメリカという国はより高次のソフト・パワーで成り立っているというのに、この稀代のポピュリストの見ている世界はルサンチマンに塗れたunder dog(負け犬)の有権者達ばかり。

    2010年以降は企業から賄賂を献金として貰えるように変えて来たアメリカの政治家共は既に恥というものはとうの昔に捨て去っていますので何も考えていません。奴らは「この瞬間、自分の為に、金になれば」何でもやる下種野郎のサイコばかりになっていますから何も期待できません。

    これは共和も民主も大差なしと私は思っています。

    401kの事考えていたら、アメリカの政治家の悪口になってしまいました。w 

    2025年7月10日木曜日

    夏季臨時賞与!

    ずーっと前、アメリカでも「一度だけ」プロフェッサー達に何か大学が名目を付けてボーナスなるものを出してくれたことがありました。

    しかし、日本に住んでいる間は研修医になった頃から今になっても一度もそんなものを頂いたことはありませんでした。残念というか何というか、医者の給料っていうのは公務員でもない限りは通常「年俸制」である事が多いのです。

    私もそれに漏れず年俸制でした。ですから毎年二回、周りの看護師さんや職員さん達が今年のボーナスはXか月分で、それに評価項目がついて微調整されるような事を何時も話しているのを横で聞いて「楽しそうだな~」と感じていました。

    そんなこんなで還暦直前までその手のものとは無縁だったのですが、今回生まれて初めて「夏季臨時賞与」という名目のお金を理事長名で頂きました。

    それが何で出たんだろう?と正直解らなかったのですが、基本的に日頃の努力への慰労、今後始まる療養病棟や施設への対応、当直の遂行、時間外対応の事などを感謝する文章が綴られていました。

    何だか生まれて初めて頂いたものでしたので、ちょこっと嬉しかったです。額に関係なく!w

    ところがですね、今回一つだけガックリしたことがありました。それは仮に額面を100とすると、ありとあらゆるものを引き抜かれて最終的に頂けた実質分はギリギリ50だという事…。orz 何というか、サラリーマンは本当に税金天引きの素晴らしいターゲットだなーと改めて感じた次第でした。

    2025年7月9日水曜日

    選挙公報なるものが来ました

    ポストを開けたところ、愛知県選挙管理委員会なる所から「選挙公報」というものが入っていました。

    恐らくこれまでも選挙の度に確実に来ていたのでしょうが、今回初めて認識致しました。^^

    今回の選挙で私が最も困っているのは以前にも増して「一体どこの誰に投票すればよいのか」という一点。高校の生徒会員を選ぶのとは訳の違う話の筈なんですが、実際は残念ながら高校の生徒会員レベルの人間よりも程度が下の輩達から人選をしなければならないという辛い選択しかありません。

    最近はSNSが発達したせいで、政治家の為人(ひととなり)それが無かった頃に比べて遥かに露出した状態で感じられるようになってきているのです。その分、おかしな輩は自分を隠し切れずにその地金を露出させてしまう事も度々。選挙前にそうやって勝手に消えていく奴も居ますからね、中には。

    さて、今回その選挙公報なるものを手に取ってみましたが、今回は各政党の全てを載せて都合12ページに及ぶものでした。ほぼ全ての政党の全ての立候補者達は決まった形式で、公約とその説明に費やしているんですが、どうやってその公約を実現しそれが実現された暁の国家の収支バランスがどうなるのかというような経済学的、若しくは統計学的解説は皆無。

    まさに「巧言令色鮮し仁」を地で行くが如き文言のオンパレード。ちょっと読んだだけで頭痛がしそうな文章ばかりです。w

    お前らときたら…と言いたい所ですが、こいつらの実現しない公約というのは毎度のこと過ぎてそもそも真面目に相手にする気もありません。おかしな連中とクズ世襲共の連なるゴミの山からどうやって使えるレベルのゴミを探し出せばよいのでしょうか?

    今回の選挙もまた悩ましいものになりそうです。

    今回ちょっと危ういなと思っているのは右翼色の強い政党の登場。外国人排斥を強く訴えながら、日本は神の作った云々等とどっかのヤバいオジサンが昔言っていたような事をまた繰り返し言っています。w

    そりゃ外国人参政権は私も「ないわ~」と思いますが、だからと言ってもう日本は外国人無しで国が成り立つような国ではありません。節度ある融和と共に犯罪は厳しく取り締まる!という程度で十分だと思います。

    今後の日本の形を変えていく毎度の選挙。少しづつでも影響を考えて選んでいきたいものです。

    2025年7月8日火曜日

    何故夫婦で腹が緩かったのか?

    今日は午前中の仕事が終了した時点で急にお腹が鳴り始めました。

    当然の事ですが、トイレに行って用を済ませようとしたところ(尾籠な話で申し訳ありませんが)立派なモノが久しぶりに出現してくれまして「旅に出るとウXチが出にくくなる」と云うような子供のような体質を持つ私にとっては久しぶりの祝砲となりました。

    その後も、一回だけ追加の放出と相成りまして「本日は快適なり!」と、気持ちお腹迄少し凹んだ気分になったのでした。^^

    そんなこんなで気持ち良く仕事を終えて家に帰って参りました。夕食も食べ終えてソファでリラックスしていたところ、隣に座っていた嫁さんの腹が今まで聞いた事も無い様な巨大な音を出して鳴って居ました。「ギュ~ッ、グルグル~、ゴゴゴ」という感じ。w

    思わず「どしたん?」と尋ねると何だか頂き物の京菓子「西湖」を消費期限前に一生懸命三個食べたら急にお腹が鳴りだしたとの事。そう言われてみると私も二個ほど朝食べたなという事を思い出しました。彼女によると西湖はレンコンがベースとなったお菓子で、それに高級な和三盆が使われているものだからもしかしてその影響?等と言っていましたのでその言葉を受けて直ちに調べてみると以下のような事実が。

    「不溶性食物繊維が豊富 れんこんには不溶性食物繊維が多く含まれており、腸の動きを促進して便通を整える効果が期待されます。ただし、摂りすぎると胃腸に負担をかけて腹痛や下痢の原因になることもあります。適量(1日100g程度)であれば、腸内環境の改善や便秘予防に役立ちます。消化器系が敏感な方は、加熱して柔らかくした蓮根をよく噛んで食べることで、胃への負担を軽減できます。また、擦り下ろした蓮根は昔から「胃にやさしい食材」として知られ、胃炎や風邪のときの民間療法としても使われてきました。加熱してとろみをつけたスープなどは、消化にもやさしいですよ。」

    要するに食物繊維が豊富で腸の蠕動を促進するけれども、食べ過ぎると却って消化が追い付かない事による下痢の出現の可能性があるという事。もう少し調べてみると、タンニンが入っている為本来は寧ろ収斂剤として止痢作用を持つというものなのでした。所謂下痢止めのタンナルビンと同じものですね。

    要するに、我々夫婦は焦るあまり標準量を超えた摂取を一度に起こしてしまったという事。夫婦揃ってアレですな。全く。orz

    2025年7月7日月曜日

    選挙の恥は掻き捨て

    伊東市市長の田久保というおばちゃん、アカン。

    申し訳ないけど、あんたの年齢周辺の東洋大学というのは正直大学としてのランクは残念レベルだったという記憶があります。今の時代は私が大学受験をしていた頃とは違うでしょうから東洋大学も週刊誌で言われるほどのある程度の学力を必要とする大学になり上がったのでしょうが、私が高校の頃に現国の先生だった東洋大卒の先生は自分の大学を語る時に駅伝と書道の話ばかりされていたのが印象的な方でした。学力の事は何時も自虐的な話をされていましたが…。

    さて、この人の罪は自分が卒業したと言って政治家になった筈の大学を実は卒業していなかったという落ちで、その大学の偏差値などというものは特に問題ではありません。いわゆる経歴詐称という奴でこれは十分に立派な犯罪。

    特に市長などという職業に就くにあたっての経歴詐称は大バッシングどころかアッという間に後ろに手が回るようなものです。人の上に立つものが、その為の道具として使う「学歴」というものを偽って報告して成り上がり金を貰う訳ですからこれは立派な詐欺ですわな。

    ところがどっこい!このオバハンは面の皮の厚さが常人とは違っていました。

    ナント!辞職をするといった舌の根が乾かぬうちに市長選に出馬するというのですから。面の皮の厚さ1メートルというか、骨の髄まで面の皮という感じの鉄面皮です。そもそも恥という概念が無く、自己の立場を客観視出来ない…。あ、これって政治家一般か。^^

    こういう話をすると兵庫県知事のアノ斎藤も同じ流れ。恥を知らなければワンチャン「現状を曲解してくれる馬鹿共」が投票をしてくれる可能性がある訳ですから。

    ほんま、こういう輩というのは恥という概念を持たないという政治家特有の強みが肥大化している化け物達。この田久保というおばさんの前の市長が良い市長だったかどうかという事はどうでも良い事で、兎にも角にも犯罪者は市民の税金を更に使い込んで市長選で再選を狙うような更なる犯罪行為は重ねたらアカンよ!と思うのでした。

    2025年7月6日日曜日

    馬鹿は死ななきゃ治らない

    なんか一部の人達の間では昨日は日本に大地震が来て大津波でいろいろな都市が呑み込まれる予定だったみたいです。

    私からすればどこの馬の骨ともわからない漫画家が20世紀に書いた「私の見た未来?」とかいうコンビニの棚に並べられて売り出され、最後は表紙も何もかも取れて精々床屋の棚で朽ち果てる類の漫画を「真に受けて」噂を囁く馬鹿者達がネットの上のエコー・チャンバーで騒いでいたようです。

    ご丁寧にもこの愚か者の戯言をいろいろと分析してくれているサイトがありましたが、この人自身は真面目を装っているのか、それとも真面目なのかは判りません。恐らくは真面目。w

    その上で、地質学的にはその通りだろうという事も書いているのですが、もうね、お前ら絶対物理とか数学苦手やったろう?という感想しか持ちません。なんか香港辺りからのインバウンドも大幅に減ってるというのですが、そんな連中別に来なくても日本は今インバウンドで結構苦しんでいますから良い感じの間引きになってるんでは無いでしょうか。

    何時の時代でもどこの国でも、定期的に「破滅や週末の到来」を告げる末法思想が現れては外れて消え、現れては外れて消えという状況ですが、これだけ何度も・誰かが・何かを言っていれば当たりそうなもんですが、歴史に記録されるような大当たりは終ぞ見えません。

    大まかで、どうとでも解釈できるような不明瞭な記述で未来に関して語り(騙り)、人々を不安に陥れる多くの偽預言者共。地質学的な動きは確率論的に記述されれば、人類はある程度定期的に必ずどこかで大災害に遭遇するようにできていますし、遠い未来には生命が絶滅しかねないような出来事も充分起き得る話。この事自体は非科学やおかしな予言でも何でもなくて、単純に確率論的なイベントのお話であって、どこかの時点で確実に老いるであろう話。

    東海や四国、九州を襲う大震災がやって来るのはかなり定期的である事もまことに確かで、地質学的暦年で眺めれば、本当に頻繁にこの2000年間に限っても日本で幾つもの大地震が起き続けている訳です。しかし、それはあくまで地質学的推測に基づくものであって、毎年上がる地震発生の確率論的推測によってしか語れないモノ。

    漫画で云々という次元の「噴飯物」とは全く異なるのです。

    お前が信じるのは勝手。しかしそれを実しやかに隣人に語るなって事ですよ。頭おかしいって言われるよ?w





    2025年7月5日土曜日

    高齢親父との旅行三日目・最終日

    親父との旅行三日目です。

    基本的には心配のし過ぎで親父に煙たがられています。w

    しかし、やっぱりこの旅行期間中に私としては決して親父に怪我をさせるような事はさせたくない、ましてや事故などで命の危険が等という事が起きてしまっては私自身が自分を一生許せないでしょうから、例え親父が如何に煙たがっても「絶対」のレベルでそのようなインシデントは起こしたくないのです。ま、子の心親知らず?でしょうか。^^

    今朝は朝食を食べる前にまず朝風呂、そして8時半にホテルの三階に降りてからの大食堂での食事となりました。

    朝食自体はまあ可もなく不可も無くというくらいの感じで、旅の最後を締めくくるという意味では普通でした。その後、寿亭に隣接する旧館の一つである登録有形文化財の水雲閣を一人で見学させて頂きました。昭和天皇や皇族方、そして現天皇皇后両陛下が滞在されたこともあるこの一室を見学させて頂きました。

    本因坊戦や名人戦等もこの一室で執り行われたことがあり、歴史的にも由緒正しい部屋でありますが、私のような下々の人間にはちょっと高級感が別格過ぎてそれを味わえない残念さがありました。
    左側のガラスは貴重な大正ガラス。よっぽどの旧家にしか残っていません。
    ココに陛下が来られたり、何回も重要な盤上の闘いが行われたりしております。
    武宮先生、石田本因坊、林海峰先生、
    中原、米長、森、谷川先生等全員がその歴史に名を刻むような方々ばかりです。
    最後に支払いを行って荷物を抱えて石段を下りて記念写真を撮ってここを発ちました。

    次に向かったのは一昨日のアクアイグニスの少し離れた道の向こうにある「湯の花せんべい」を作っている日の出屋製菓でした。工場はお休みでしたが、その脇にあるショップでお土産を買い込んだり、新しく出来た離れの甘味工房みたいなところでアイス・パフェを食べて暑い中で一瞬寛ぎを得ました。

    後は名古屋に向かうだけでしたが、ここから僅か30分弱しか離れていないヒモノ食堂の本店に向かって何時もの様にマホッケや金目を食べて最後の締めといたしました。

    それにしても旅の全工程で本当に大量の水分を補給しましたね。おかげで熱中症等とは縁の無い状態を保てましたが、少々疲れました。それにしてもこの三日間親父のイビキは酷いもんだという事が良く解りました。睡眠時無呼吸絶対ありますな。あれは。

    親父は帰りの車の中でずっと口を開けて寝ていたのが忘れられません。^^
    来年は親父が未だ移動できる状態なら草津温泉にでも行こうかと話して旅の終わりといたしました。

    2025年7月4日金曜日

    高齢親父との旅行二日目

    今朝は男組三人で朝風呂に入って朝食となりました。

    朝食は朝食で腹一杯になるもので、ダイエットとは反対方向に向かっております。旅の醍醐味は料理と風呂と景色というのが日本には多いと思うんですが、いろいろな体験も増えているのが今風なんでしょう。オジサンはあんあり関係ありませんが。

    さて、実は我々はここに連泊するのでは無くてそれぞれ異なった宿に泊まるという当初の計画通りの動きをしました。初日は三峯園でしたが二日目は寿亭という湯の山温泉では老舗の中でもかなり有名な所でした。(後で知ったのですが115年目!)

    開湯1300年のタオルを配っている湯の山温泉郷の旅館群ですが、寿亭の方は生き残ってやってきた老舗で周囲には廃業した同業者達の死屍累々の状態が容易に看て取れます。やはり生き残ってナンボですが、あのコロナの波を生き延びてきたというのもなかなかのもの。あちらこちらで斃れていった同業者達のあとに残存者利益というのがあるのかというレベルのものでしょうが、少なくとも私達が泊った旅館・ホテルは木曜、金曜の夜にはほぼ満室状態でしたので、厳しい時を乗り越えて足腰が鍛えられているのでしょう。

    さて、今日の寿亭に行く前には5時間ほどのインターバルが出来ましたので、関のお宿に行ってみようかとなったのですが、その前に亀山という名前から思い出した「亀山ロウソク」の工場見学をしてみる事にしました。
    暑かった・・・

    工場に着くと直ぐに案内されて家族だけで工場見学が出来ましたが、こんな風に大量の蝋燭を作るのかと改めて感心した次第です。工場内の写真撮影は禁止でしたが、最後の検品行程で見た、ジッとロウソクを眺めている小顔で色白の女の子が大変気になりました。「一日中こうしているのだろうかと…」

    最後にショップを抜けてTシャツを買い込んでその後にワークショップで1000円の手作りキャンドルを作ってここは終わりとなりました。
    明るい雰囲気をもつ素敵な工房でした。

    次に我々は近くにある東海道53次に出て来る関の街並みに向かいました。
    下がこんな素材で無ければ江戸時代そのものです!
    多くの人達の苦労の下にこのエリアは保たれています。

    足湯のある観光客用の無料バス停に車を停めて歩き始めたのですが、親父は至って健脚。内心では驚きながらも傍を歩きながらの行動です。
    当時この辺りで最高の旅館だった玉屋の一室に敷いてあったデモ用の布団。まるで時代劇です。実際はもっと大量に敷いてあって、廊下まで埋まるほど人が寝泊まりしていたとか。

    ところが街並の1/3程度を歩いたところでゲリラ豪雨に襲われて軒下を借りる事態に。ここから大事が始まりました。我々の前を歩いていたおやじが我々の方を振り返りつつもズンズン先に歩いて行って視界から消えてしまったのです。私は親父に傘を貸してびしょ濡れでしたし、嫁さんも小さな傘一本で息子と二人で歩いていたのでもう前へ進めません。

    何よりも何度もこちらを振り返りながらも100mほど先にいながら全く止まろうとしない親父に私は切れてしまって前に行くのを止めました。どういう思考回路でそういう動きを続けたのか後で説教してやろうかと思ったのですが、電話をして「こっちに帰って来て」と言って20分ほどしても全く戻ってきません。

    後で聞いたら「先に行って木の根っこのところで待っとったらお前が来ると思った」とか何とか訳の分らぬ事を呟いていましたがそこはもうガン無視。呼び戻したところで先に待ってピザを少し食べいた嫁さんと息子の居た店に親父を連れ込んで親父に水と栄養の補給を行いました。精神的に疲れましたが、親父にはもう何も言いませんでした。^^

    さて、この後は濡れた体を乾かしながらの移動でしたが、何とか寿亭まで戻ってすぐに入浴しました。着替えは幾らでも持ってきていたので衣服に関する問題は無かったのですが、先ずはホテルの浴衣に着替えて大浴場へ行って露天風呂でリラックス。これもなかなかでした。

    夕食は別室で中居さんが大変な働きをして下さって非常に贅沢な時間を過ごせました。料理の味と量自体は昨日の三峯園の方が上かも?と思いましたが、中居さんの質は寿亭の方が上でしたね。この方御自身の本質的な良さもあったとは思います。

    それから後も湯に浸かり更に今度は(本当は7000円近い入湯量を取る筈の)家族風呂がじゃらんの特約でタダになっておりましたので、有難く使わせて頂きました。おやっじは疲れて寝てしまっていたので、嫁さんと息子と俺とで40分ほど地上階にある高級な風呂に浸からせて頂きました。

    坂を上り下りしなければ到着しない場所でしたので、親父は最初からこの風呂には来なくて正解でした。(結果論ですが)途中変った鳴き声のカエル?が居たのですが、フロントの方は天然記念物という事だけ解っていて、名前が思い出せませんでした。

    嫁さんと息子は直ぐに部屋で沈没し、私は夜にブログを書いて1日を終えました。地上よりははるかに気温が低かったのですが、なかなか暑い夜でした。

    2025年7月3日木曜日

    高齢親父との旅行一日目

    今日は十時ちょっと過ぎに家を出て三重の湯の山温泉に向かいました。

    湯の山温泉に向かった理由はシンプルで、ネットフリックスで視た男はつらいよ・フーテンの寅で鄙びた温泉街として出ていたのが忘れられなかったからです。そもそもその当時の温泉街として撮影された湯の山は1969年当時の情景。(映画は1970年の正月)私がまだ3歳かそこらの頃の湯の山温泉ですから全く変わっていて居ても何の驚きもありません。

    さて、先ずは桑名の焼き蛤で有名なお店の一つに行きました。「歌行灯の桑名本店」というところでしたが、流石に蛤料理は美味い。直ぐ傍には「日の出」というところもありましたが、嫁さんが選んだこの店でも全く美味しい昼飯を頂けました。何と言っても名古屋から高速であっと言う間に着きますので、これはこれで何度でも食べに来れますね。

    そこを発つ頃には既に滅茶苦茶暑くなっていて、異様に暑い六月の空の下で湯の山温泉の三峯園という旅館に初日は泊る事にしていたのですが、途中荷物を預けて周囲の観光をと思ったのですが、旅館入り口の階段がきつくてそれは断念し3時ごろまでの時間を他の事に使う事にしました。

    まず最初は有名な御在所岳にかかる日本一の鉄塔を持ったロープウェイ。山頂に着くまでに15分もかかる片道2.2キロの凄いロープ・ウェイです。後で頂上の博物館で知ったのですが、長さ4400mのリング状の太い鋼鉄の輪っかを70トン!の重しを付けて張りを調整しているとの事。何とも凄いもんです。途中の白色の日本一のケーブル塔にも驚きましたが、人間ってすごいもん作るなってひたすら驚きました。正直高すぎて怖かったです。w

    そこを後にして向かったのは新しく出来たスパ兼レストランのアクアイグニスというところに寄ってお土産の大量の湯センベイを買い込みました。気が早かったのですが、後悔するよりましなので。^^

    それからもとの三峯園に戻って直ぐに部屋の外にある風呂に入浴。親父も息子も大喜びでした。その後は更に大浴場の露天風呂に入って体を洗い更に入湯。湯あたりする直前くらいで部屋に戻って夕食を食べ始めたのですが、「これでもか」と出て来る大量の料理に腹がはち切れそうになってしまいました。

    まあ、書くとやっているのはこの程度の事なのですが、全ての行程で高齢の親父の傍を付きっ切りで移動しなければならないのでなかなか大変でしたね。階段では前に先に立って歩き浴場では傍で手を掛けるか掛けないか位で歩き…という感じ。なかなか気疲れしました。それにしても、爺さんなかなか聞き分けが悪くて。w

    明日も頑張りたいと思います。

    2025年7月2日水曜日

    爺さん大暴走

    親父を見ているとやっぱり耳が良く聞こえないというのは周囲からの情報取得という意味では大きなハンディだと思います。

    今日も昼から親父を連れて家族で蕎麦を食べに行ったのですが、いろいろとこちらが親父に話しかけたり、親父から話しかけたりしても話がイマイチ嚙み合いません。理由は言わずもがなの聴力低下いよるもの。大きな声で話しかけるとなるほど淀み無くいろいろな話が出て来るし応答も出来るのですが、如何せんあまりに聞こえが悪い。

    どこかで見たような景色だなと思ったら、結局己の病院での日常でした。w

    真綿で耳を塞がれ、ゴムバンドの足枷を嵌められ、全身に筋弛緩剤を薄く打たれたような感じになってしまうのが「老い」というものなのか。やがて自分も行く道とは解っていても、あんなに横暴で人のいう事を聞かなかった柔道黒帯のおやじでもこんなになってしまうんだなっていうのが実感です。

    爺さんになっている証拠の一つになるお話を一つ。今回靴を履く時に新品の靴を選んで名古屋に来たんですが、我が家で靴を履く時に体が硬すぎて前屈みになるのが難しい状態らしく、靴を履くのに難儀してる事を嫁さんに聞いていました。そこで、蕎麦を食べ終わった後に今流行りのスリップ・イン形式のスケッチャーズのシューズを買いにアピタに行ったのです。甲高幅広の足を持つ親父のシューズ・サイズは爺さんなのに28!それでも、スリップ・イン形式のシューズを選んで履かせてみたところ、余りの着脱の容易さに大喜びして即決で気に入り、その場で買う事になったのでした。

    それからいろいろと店内を回ったのですが、あちこち移動しては杖をトイレに置き忘れたり、スマホを車内に置き忘れたり…。もう、爺さん丸出しで嫁さんも苦笑い。^^

    おまけに危ないから階段のステップ前では俺が来るのを待ってくれと云うのも聞かずサッサと行ってしまい、その後でポツンと「エスカレーター乗るの怖じ~じ(宮崎弁で「怖いよ」)」等という始末。トホホでした。w

    明日からの三重観光がどうなる事やら先が思いやられる不肖の息子でした。orz

    2025年7月1日火曜日

    おやじ名古屋に到着

    今日は夕方7時過ぎに親父をセントレア空港でピックアップしました。

    出口で待っていると出て来る子供達は赤ちゃんを含めてもごく少数で、本当に年寄りばっかり。眺めて感じるのは「少子高齢化」っていうのは目の前のリアルだなって事でした。俺も含めて食事の摂れなくなった年寄りの長生きに大量の金を注ぎ込んで、若い世代の未来への投資の原資を使いこんでいくというのはもう本当に止めないと国が持たんなと親父を待ちながら改めて感じた次第でした。

    さて、親父が出てきたのは飛行機の到着から30分程度経ってからの事でした。歩く様子を見ている限りではヨタヨタする感じも無く一見元気そう。私から言われた通り杖は確かに持っていましたが、何というか使っている感じは無くどちらかと云うと振り回している感じで役に立っているようには見えませんでした。

    しかし、歩き出して直ぐに気付いたのは毎年の様に親父の耳が遠くなっている事です。以前もちょこっとココには書いたんですが、若い頃の海の事故で鼓膜を痛めてオペをして以来そもそも耳は聞こえが悪かったのですが、70過ぎてからはそれも相当のものになっていきました。今では耳元に近づいてきちんと大きめの声で話さないと聞こえていないのは間違いないという状態。

    それでも、内容はきちんと理解できているので問題はマア無いと言えば無いのですが。本人曰く「俺も忘れ散らかしていかんが~」と宮崎弁で苦笑い。私からすれば「何を忘れたかを覚えているうちは大丈夫!」という個人的な定義を持っていますので、日常生活にはそれほど支障は無さそうです。

    実際の所、いろいろと細かな日常の出来事を時系列で話してくれるので、そういう意味でも大ボケとは未だ縁が無いようで安心しました。^^

    家に到着して久しぶりに私の息子とゆったりとハグ。これからの数日はいろんな意味で親父のケアをする時間になるでしょう。事故の無いようにしっかりケアしていかなければなりません。