2025年7月4日金曜日

高齢親父との旅行二日目

今朝は男組三人で朝風呂に入って朝食となりました。

朝食は朝食で腹一杯になるもので、ダイエットとは反対方向に向かっております。旅の醍醐味は料理と風呂と景色というのが日本には多いと思うんですが、いろいろな体験も増えているのが今風なんでしょう。オジサンはあんあり関係ありませんが。

さて、実は我々はここに連泊するのでは無くてそれぞれ異なった宿に泊まるという当初の計画通りの動きをしました。初日は三峯園でしたが二日目は寿亭という湯の山温泉では老舗の中でもかなり有名な所でした。(後で知ったのですが115年目!)

開湯1300年のタオルを配っている湯の山温泉郷の旅館群ですが、寿亭の方は生き残ってやってきた老舗で周囲には廃業した同業者達の死屍累々の状態が容易に看て取れます。やはり生き残ってナンボですが、あのコロナの波を生き延びてきたというのもなかなかのもの。あちらこちらで斃れていった同業者達のあとに残存者利益というのがあるのかというレベルのものでしょうが、少なくとも私達が泊った旅館・ホテルは木曜、金曜の夜にはほぼ満室状態でしたので、厳しい時を乗り越えて足腰が鍛えられているのでしょう。

さて、今日の寿亭に行く前には5時間ほどのインターバルが出来ましたので、関のお宿に行ってみようかとなったのですが、その前に亀山という名前から思い出した「亀山ロウソク」の工場見学をしてみる事にしました。
暑かった・・・

工場に着くと直ぐに案内されて家族だけで工場見学が出来ましたが、こんな風に大量の蝋燭を作るのかと改めて感心した次第です。工場内の写真撮影は禁止でしたが、最後の検品行程で見た、ジッとロウソクを眺めている小顔で色白の女の子が大変気になりました。「一日中こうしているのだろうかと…」

最後にショップを抜けてTシャツを買い込んでその後にワークショップで1000円の手作りキャンドルを作ってここは終わりとなりました。
明るい雰囲気をもつ素敵な工房でした。

次に我々は近くにある東海道53次に出て来る関の街並みに向かいました。
下がこんな素材で無ければ江戸時代そのものです!
多くの人達の苦労の下にこのエリアは保たれています。

足湯のある観光客用の無料バス停に車を停めて歩き始めたのですが、親父は至って健脚。内心では驚きながらも傍を歩きながらの行動です。
当時この辺りで最高の旅館だった玉屋の一室に敷いてあったデモ用の布団。まるで時代劇です。実際はもっと大量に敷いてあって、廊下まで埋まるほど人が寝泊まりしていたとか。

ところが街並の1/3程度を歩いたところでゲリラ豪雨に襲われて軒下を借りる事態に。ここから大事が始まりました。我々の前を歩いていたおやじが我々の方を振り返りつつもズンズン先に歩いて行って視界から消えてしまったのです。私は親父に傘を貸してびしょ濡れでしたし、嫁さんも小さな傘一本で息子と二人で歩いていたのでもう前へ進めません。

何よりも何度もこちらを振り返りながらも100mほど先にいながら全く止まろうとしない親父に私は切れてしまって前に行くのを止めました。どういう思考回路でそういう動きを続けたのか後で説教してやろうかと思ったのですが、電話をして「こっちに帰って来て」と言って20分ほどしても全く戻ってきません。

後で聞いたら「先に行って木の根っこのところで待っとったらお前が来ると思った」とか何とか訳の分らぬ事を呟いていましたがそこはもうガン無視。呼び戻したところで先に待ってピザを少し食べいた嫁さんと息子の居た店に親父を連れ込んで親父に水と栄養の補給を行いました。精神的に疲れましたが、親父にはもう何も言いませんでした。^^

さて、この後は濡れた体を乾かしながらの移動でしたが、何とか寿亭まで戻ってすぐに入浴しました。着替えは幾らでも持ってきていたので衣服に関する問題は無かったのですが、先ずはホテルの浴衣に着替えて大浴場へ行って露天風呂でリラックス。これもなかなかでした。

夕食は別室で中居さんが大変な働きをして下さって非常に贅沢な時間を過ごせました。料理の味と量自体は昨日の三峯園の方が上かも?と思いましたが、中居さんの質は寿亭の方が上でしたね。この方御自身の本質的な良さもあったとは思います。

それから後も湯に浸かり更に今度は(本当は7000円近い入湯量を取る筈の)家族風呂がじゃらんの特約でタダになっておりましたので、有難く使わせて頂きました。おやっじは疲れて寝てしまっていたので、嫁さんと息子と俺とで40分ほど地上階にある高級な風呂に浸からせて頂きました。

坂を上り下りしなければ到着しない場所でしたので、親父は最初からこの風呂には来なくて正解でした。(結果論ですが)途中変った鳴き声のカエル?が居たのですが、フロントの方は天然記念物という事だけ解っていて、名前が思い出せませんでした。

嫁さんと息子は直ぐに部屋で沈没し、私は夜にブログを書いて1日を終えました。地上よりははるかに気温が低かったのですが、なかなか暑い夜でした。

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