2017年11月30日木曜日

古着のドネーション

今日は自分がヘッドを務める病棟において古着のドネーションを行いました。

アメリカに居た頃はそれこそ数ヶ月に一回の間隔でGoodWillに行って大量の古着をドロップしていたものですが、日本に帰ってきてからはその手のメジャーな組織が無いこともあり、家にあるもう着なくなった服は選択したあと軽く畳まれて袋の中で次の行き先を待っているような状況でした。

日本では古着のドネーションを受け付けるところはあるものの、少なくともメジャーな組織として効率的にそれが行われていることは”日常生活”の中では見るチャンスは殆どありません。逆に、古着は捨てるか売るものと言う前提で取り扱われている感じがします。

それに特化した店であればBookOffをはじめとして、私の家の周りでもたくさん見かけるんですけどね。これは組織を作るいいチャンスだと私は思ってるんですけど、ユニクロとかはそういった店ができたら本当に嫌がるでしょうな。w

今回は車の後ろに2つの満杯に膨れ上がった名古屋市の資源ゴミ袋に入れた服を病院に運び込んで取り敢えずは一旦それらの服を物品保管庫の棚に置かせてもらうことにしました。まあ、病棟責任者ですのである程度わがままを聞いてもらえるということもあるのですが、そうするのには確たる理由があります。

入院した患者さんで本当にお金がなくて、退院するにもパジャマを着て出るしか手がないような経済的困窮者もおられるのです。そういった人の為に役所が手を尽くして何とかしようというような事もあるのですが、如何せんお役所仕事。どうしても手続きに遅れが出たりして、少額の資金拠出を待つためだけに退院自体が遅れたりなんて言うこともあります。

そうなってくると本末転倒ですので、そういう事態はなるべく避けたいのが私にとっての本音でもありますし、患者さんにもプラスになるはずと考えての今回の行動でした。実際はこういうことには”継続性”と”計画性”がなければならないので、現在の行動はあくまで一時的な”シノギ”に過ぎません。

取り敢えずはこの冬の寒空のもと、震えながら病院の外を歩かなければならないような人が一人も出なければそれでまずは成功としましょうかね。

2017年11月29日水曜日

両親は喜んでくれるかな?

今日は写真館に行く用事がありました。

実はこの冬に両親を名古屋に呼んで一週間を過ごして貰う予定になっています。もともとは私の母、アメリカの次女にとっては祖母に、この冬に会いたいという次女からのリクエストがあったのですが、次女は次女でまた日本に来たいという”希望”が発せられたのでした。要するに「日本で正月にバーチャンと会いたい!」と。

私としてはほんのこの前日本に帰ってきたばかりのオマエがもう日本に帰ってくるってどういうこっちゃ!?という気持ちがあるのですが、そこはそれ、老い先短いジジババの二人が認知能力・移動能力などが保持されているうちに皆でワイワイするというのもそれはそれで大切な行事ですからね。

しかも今回は両親にとってのサプライズも付いてきます。

勿論田舎からの両親呼び寄せは、航空券を買って既に送ってあるので問題ないのですが、問題は飛行場に迎えに行った後の話。迎えに行った翌日は冒頭で記した写真館へ行って「両親の結婚式」の写真を撮ることになっているのです。

実は貧しかった両親は結婚した頃まともな式など挙げておりませんで、その手の結婚式に類する写真なども撮っていないのです。要するに婚姻届のみを出して終わった人生のスタートでした。
無論その後も四苦八苦して人生を送ってきてこの前金婚式を迎えたわけですが、その頃には我々は未だアメリカに居た為、その大きな節目を祝ってあげることも出来ておりませんでしたので、ここはその挽回という意味も含めての写真撮影です。

ただし、なんといっても彼らはもうすぐ八十になろうとする後期高齢者。
衣装選びなどで疲れられてはこちらが困りますので、我々はいろいろな衣装の中から前もってジジババ用にそれぞれ三着づつ候補を絞ってお膳立てをしておきました。こうすれば色々と選ぶことで疲労軽減の手助けは出来るかな?

その日まであと三週間弱。上手く行くことを心から願うバカ息子でした。

2017年11月28日火曜日

レクサス盗まれる!

昨日車の話を書いたのは偶然だったのでしょうか?

実は身近な人がレクサスを盗まれました。下のと同じヤツ。
話によると忘年会を終わって(酒も飲むこと無く)きちんと駐車場に停めたはずなのに、朝起きたらものの見事に無くなっていたとのこと。
新車価格は1200万以上する、エンジンのパワーの有るバージョンですので、個人として盗まれたら結構ショックは大きいと思うのですが、この車はその人の理事長としての法人の車ですので、きっと損金処理されるのでしょうね。

それにしてもこんな車でもしっかり窃盗していく連中がいるんですね。理事長が警察に話を聞いたところでは、大阪から出張ってきている窃盗団が居るんだそうです。まあ、高級車が集まりやすい高層マンションに住んでいる理事長のパーキングロットではその手の車がズラリと並んでいそうですからね。

こういった車にはレベルの高い解錠やエンジン始動のためのコーディングが組み込まれているはずなんですが、リレーアタックやられたら一発ですからね。それに、デコードのための基盤をキー作成の会社の内通者から盗難して入手している連中もいるというのを何処かのビデオで見たこともあります。
電子的解錠システムは実はいろいろと抜け穴だらけでございます。ハイ。

理事長の車は今頃バラされて港に運ばれているのでしょうか?それとも??
まあ、次の車が何になるのか楽しみです。w

2017年11月27日月曜日

男は動く乗り物が好きなのだ

一体環境なんでしょうかね、それとも先天的なものなのか。

私は昔から飛行機や自動車が大好きです。ところが嫁さんと話していても、度に行くために乗り物に乗る”計画”の話は出ても、その乗り物自身に対する興味に関する話が出てきたことなど一度もありません。それは娘達に関しても同様。
長女は一度だけアメリカに居る時「マスタングがカッコイイかな〜」と言ったきり。
次女は日本に居て車に同乗していた時に向こうからやってくるマセラッティを見た時に「あの車のデザインいいね!」と言ったくらいでしょうか。

それに比べて私の息子の方は言葉は喋らないものの、乗り物に関しては鉄道、飛行機、車その三種類とも”熱い”視線を投げ続け、Youtubeでも、ビデオデッキがあった頃もず〜〜〜〜っとそればかり見ていることがしばしばでした。
これは知り合いの小さな男の子でも一緒で、五歳になるかならないかという頃からスポーツカーを街で見かけては「あの車はなんていう車?」「じゃああれはなんていうの?」「アレはXXの車と一緒だね!(XXには私の名が入ります。)」と、興奮しながら街を歩く始末。

けれどもその気持は良くわかります。私の子供時代はいわゆる「スーパーカー・ブーム真っ只中の小学生世代」を送ったものですから、我々もそういう一般とは”超絶”と言う感じでかけ離れた車は大好きなのです。
しかし、車と言うものに限定して言えば病院にも極稀に車が好きな女性も居るから、実際のところ一概には性に依拠しないってところなんでしょうけど、これはやはり比率の問題なんでしょうね。

私にとって乗りたいと思える唯一の”男の車”はただ一つ。Porsche Turboのみ。勿論、こんな高価な車は子供の教育ローンや家のローンでヒーヒー言っているおっさんにはこれまた手も足も出ない車であります。今の時点で車の値段が2000万を超えるようなものに金出せるわけがないし。w

今回「年末ジャンボで10億当たったらポルシエ買ってくれんか?」と嫁さんに言ったら「アホちゃう?」と言われて話が終わりました。隣には誰も乗せず深夜の名二環をクルージングしたいんですが・・・なんで駄目ですかね。理解出来ません。(無論、嫁さん的には理解できないという私のことを全く理解できませんが、それでいいのです。)

あと戦闘機とかも好きなんですけどF35とかだと一気200億円超えですし、維持費がかかる上にそもそも飛ばせないのでこれはちょっと乗せてもらうだけで買う意味はありませんね。

2017年11月26日日曜日

リニモ秋色ウォーキング

藤が丘を始点終点として藤が丘線にはリニモという乗り物が接続しています。

無人運行のリニアモーターカーなんですが、正式名称は長ったらしくて愛知高速交通東部丘陵線というのです。ところで、誰もこんな名前で呼んでいるのを聞いたことがありませんが。w

実はこの路線に沿うように最近ウォーキングのイベントが催されているんですね。どうやら今年が初めてでは無さそうな感じなんですが、(というのも、後で一緒に歩いた子供がソックリだけど色がかなり違ったりデザインも微妙に異なる似たような景品バッジをリュックに着けておりましたので)ほぼすべてのコースが同じような距離でゆっくり歩いても二時間ちょっとで終わるような距離でした。
実際に今回歩くに際して我が家の犬も参加させまして、一緒にこの距離を歩くことと致しました。実際は老犬なので、この距離どうかなとは思ったんですが、ビックリするほど自分から歩き続けまして、特に最初のうちは私の手を引っ張っていくような勢いでした。(後半疲れたようで、最後は私が抱えて歩いたりしましたが。)
リニモの藤が丘駅を出て一旦自分の家に戻るコースを通り、高速の脇を通り抜けて森の中を通り抜け最終的には長久手のイオンモールの前に戻ってくるコース。
最後に頂いた判子の付いた紙を見せることで、イオンモールの中で、各種のフリードリンクなどが貰えるようになっておりました。
コース上の或るお宅の軒先で見つけた小さな秋です。
家に帰る道すがら嫁さんと息子と歩きながら下らない話に花を咲かせ、心地よい疲労感に包まれて家に到着しました。

コース設定と運営をされた担当者の皆様お疲れ様でした!
全てのコースを歩き終えて、可能であればまた参加したいなと思いました。

2017年11月25日土曜日

オイオイ!俺のカードで食べ過ぎは禁止

アメリカの娘達はこの連休に彼氏や大学時代の友人と毎晩エスニック料理を食べに行っているようです。

LINEで送ってくるいろいろな写真にはその楽しそうな休暇中の写真とレストランで食べているシーフードやエスニック料理がドンドコ出てまいります。実はそのラインで写真が送ってくる前に長女から一言「XXXが来るから御飯食べる時にお父さんのカード使ってもいい?」との知らせがあったのです。(XXXは次女の名前)

本当は彼氏と遊びに行くはずの長女達のスケジュールを次女が”遊びに行く”と言って干渉しているわけですから、オヤジとしては「申し訳ないけどちょっと遊んでやってくれ」という事で”その件”に関しては「ええよ~」というしかありませんわ。w

まあ、エマージェンシー用として娘達には一枚ずつ家族カードを渡してありまして、上限を$2,000として万一の盗難などにも大丈夫なようにはしてあるんですけどね・・・。一回の使用量が$50を超えるとその一回ごとに自動で私のメールシステムにその”お知らせ”が届くことになっているんですが、今回はそのお知らせが二回届きましたね。

DC界隈で食事をすれば通常”それなり”の出費がありますのでそれはいわゆる”想定済み”のお知らせでした。

取り敢えずこの休みをみんな揃ってアメリカで楽しんでくれるというのですから、親としては御の字です。この程度の出費で楽しくやってくれるのを応援できるのもきっと僅かな期間。彼女達二人が仕事を始めるような歳になれば私の存在などは少なくとも経済的な面ではオマケになってくるはず。

今は私ももう少しだけ頑張って、彼女達の小さなブースターとして意味のあるオヤジとして存在感を示しましょうかね。

2017年11月24日金曜日

息子とアトピー

自閉症を持つ息子、小さい頃はきれいな肌をしておりました。

しかしながら、大きくなるに連れて何となく乾燥肌様になってきたんですね。しかもそれはバージニアに移って思春期を迎えた頃にはかなりハッキリとアトピー症状を示すようになって、単に乾燥肌とは言えないレベルにまで悪化。
アメリカの病院に連れていきましたが基本的には効かない感じの薬の処方ばかりで症状は悪化したり回復したりを繰り返していました。

今回日本に帰国してもその状況は変わらず、私は数種類の抗原が「疑わしい」と感じていましたが、それを調べる機会は今回の帰国までなしでした。最近になって一旦良くなっていた症状がまた悪くなってきたので、いよいよ時が来たという感じで近所の評判の良い皮膚科に嫁さんに頼んで連れて行ってもらいました。

チェックした結果はズバリ予想通り。アレルゲンはハウスダストとネコでした。それ以外は完全に陰性でこの2つは強陽性。犬はネガティブ。我々としてはこの結果を予想してはいたものの床に大量に毛を降り注ぐネコの対応には限界があります。

基本的にはネコを何処かに連れて行って息子の住む我が家から離すのがベストですが、現時点では娘がアメリカで受け入れる余裕もなく物理的にも無理。ここは何とかしないといけませんが・・・。取り敢えずはベッドルームには絶対入れずに抗原を減らすことで少なくとも寝ている間には症状を軽減させることと、ハウスダストを減らすことでしょうが、ハウスダストは我が家にはほぼ無いと考えています。

全てがハード・フロアですし、常にダイソンできれいにしている上にコロコロでも汚れを取っています。それでもやはり猫の毛は雪の様に降り続けますのでこれが主犯と考えて良いでしょう。

という訳で今回考えたのは・・・九州の親父の家に引越しさせるというもの!w
未だ両親には何も言っていないのですが、これは息子の窮状を訴えることでなんとか解決しようと思っております。しかし、娘のワガママが長男のアトピーに繋がってしまって、親としては大反省です。なんとかこの条件を娘に呑ませて解決策としたいと思います。(他人にこのネコを渡すと自由に見に行けなかったりいろいろあった時に悲しむでしょうから、その折衷案としての提案を呑ませようと思っております。)

さてさて、どうなることやら。

それにしても皮膚科から貰ってきた薬、2日しか使っていないのに既に効き始めているみたいです。乞うご期待というやつでしょうか。

2017年11月23日木曜日

東芝は潰れるべくして潰れたんだな・・・

非常識が常識へ。

世の中の変化というものは常にそんなものですが、最初に世の中に無いこと、無いものを始める人は常に殆ど”常識豊かな人々”から「そんなの出来る訳無いでしょう!」と言われるのが恒例の洗礼。ところがそれを屁ともせずに前進していくのが本当の能力を持った天才達。

内側で一緒に働いて居る人達にさえ”見えていないもの”を既に当たり前のようにその先の当然の帰結として見ることの出来る人達。我々はそんな人達を我々はただ理解できない変人として排除してはいないでしょうか?

当時のフラッシュメモリーを発想し、原理と基礎を作った人々はほぼ全員東芝からは消えてしまいました。出ていった先はソニー、インテル、その他国内や海外の大学へと・・・。東芝という会社はこんな人達に正当な資金とポジションと栄誉を与えきれないわけですから、能力のある人達は当然のようにそこから去って正しい待遇を与えてくれる所に移っていくのは水が上から下へと流れるようなものでしょう。

こんな例は別に東芝に限らず今も昔も日本中どこにでも有ることだと思うんですが、アメリカと比較して大きく違うのは大きな器から出た後の受け皿の数の差でしょう。無論、技術的能力に対して正当に評価されることの確実に多いアメリカという極端な国と比べることは難しい一面もあるのでしょうが、昨日のドキュメンタリーをみていて思ったのは、日本という国は本当にスターを育てるのが出来ない国だなって思いましたね。

Forbesの描いたフラッシュメモリーの発明家である桝岡さんに対するUnsung Heroという表現はまさに日本の経営陣・社会全体に対する強烈な皮肉。
東芝の経営陣のフシアナっぷりにおきましては御同慶の至りですが、それでもこのフラッシュメモリが東芝の収益の殆どの部分。しかし、そこを切り出して売りに出さざるを得ない東芝というのはそもそももう終わっております。orz

小さくなってしまった東芝の今と先の見えないこれからに合掌。

今回のお話に関してご興味の有る方は以下のリンクをご覧ください。

桝岡富士雄・Wikipedia
フラッシュメモリは東芝が発明したと胸を張って言えるか?

2017年11月22日水曜日

グリル鍋とトースター

名古屋も寒くなっています。

北海道や日本海側では雪が普通に降っていると友達からは聞きましたが、名古屋は今のところ雪は降らないものの風が吹くと充分震える寒さでして、パーカーではなくウインドブレーカーやSkyliner等の厚手のブルゾンでなければやり過ごせない事が殆どです。

この季節になると家で食べたくなるのは鍋物。そして我が家には未だ鍋のセットが復活していないのです。アメリカには持っていったものの、二期にわたって持って帰った鍋のセットは一回目のものは何だか理由不明でスイッチが壊れ、次に持ち帰ったものも鍋を落とした時に接続部を少し痛めてしまい何となく万全ではなくなったため日本には持って帰らなかったのです。

という訳で日本ではどの会社の何を買うかといいうことでいろいろと”ヒマな”嫁さんがリサーチしたんですが、グリル鍋とトースターに関して次々とアイデアを出してくるものの最終的に絞られて来たのはある一定の傾向をもっていました。
それはBRUNOとAlladinという会社。

私は流行りのBalmudaとかなのかな?等と考えていたので、この奇妙な色合いのマシンを見ていると彼女の言う「かわいい」と言うのはどういったことなんでしょうね。




さて、最後はどれが我が家に来る事になるのか、それともどれも来ないのか?
私はお金を出すだけです。w

2017年11月21日火曜日

25周年・銀婚式でした!

恐ろしいことにもう嫁さんと結婚して25年が経ちました。四半世紀!

何とも不思議な気持ちですが、あの日の結婚式から「もう」25年が経過したということが信じられません。
あの日の寒かった天気も覚えていますし、当日のことも鮮明に覚えていますが、その時点で嫁さんとは既に3年程付き合っておりまして、私自身が医師免許をとったことを確認できてから義父に結婚の許諾を受けに行ったことを覚えております。

結婚した後、個性豊かな三人の子供に恵まれ、とりあえずは両家の両親とも未だ健在です。これほどの幸せが当たり前とはとても思えません。結婚してからは私が大学院生活から研究者としての生活を開始、おまけにアメリカに行って16年弱、嫁さんに至ってはほぼ20年にもわたるアメリカ暮らしをする等とは誰が想像したでしょう。

長い間の貧乏と言葉の不自由な中での生活を強いてきた結婚生活でしたが、「ご飯が食べられて寝る場所がある健康的な生活があればいい」という嫁さんのシンプルですが強い言葉に支えられて生き伸びてきたのはこの私の方でした。
己の駄目さを顧みず、嫁さんには子供じみた怒りを何度もぶつけてその度に呆れられた私ですが、嫁さんからは幸い捨てられることはありませんでした。w

銀婚式のお祝いということで藤が丘にあるPANCO-YAというお店で串揚げを食べました。

この店、嫁さんに言わせるとアメリカに居た頃から行ってみたくてたまらなかったそうで、遂に今回の銀婚式を記念するこの日にその夢がかなったとのことで、何よりでした。長崎に居た頃、結構気に入った串揚げ屋さんがあったのですが、アメリカに渡って以降はそういった店に行く機会もなく、本当に嬉しそうに串揚げを食べている嫁さんを見ている私自身が嬉しくなってしまいました。(^^)

本当はこの後、更に焼き鳥屋に行く予定だったという恐ろしいほど食い物に拘る嫁さんですが、さすがにそれほどのスペースは胃袋に無くなっており、「また次回!」ということで息子の手を引いて三人で歩いて家まで帰りました。

今度は50年目の金婚式?果たして私は生きているのでしょうか。(とか書くと嫁さんは何時も「あんた、そう簡単には死なせへんよ!」と言って怒ります。w)

また嫁さんと幸せな記念のスナップを撮りたいな!

2017年11月20日月曜日

アメリカの長女・素晴らしき出会い

昨夜はアメリカで働く長女に素敵な出会いがありました。

実は私のブログを通じてお知り合いになったDCで働くある女性とこの秋に或る事件で連絡をし合う必要があったのですが、その事が御縁となって、同じくDCで働く長女と今度一度会って食事をしましょう!という事になっておりました。

その事を我が娘に伝えましたところ、ありえないほどの大喜び!
この手の事に昔は比較的ネガティブな反応を示していた怠け者の高校生だったのですが、社会人になって仕事を始めた頃から何だかぜんぜん違うパーソナリティーになってしまいました。
大学で一人暮らしを始め、猛烈に勉強をする三年半を経て、時間に厳しく、仕事に厳しい大人の女性になっていました。

その娘に、今回私とこの女性がどうしてブログを通じて知り合い、その後種々の出来事があって今回のお前との食事会になったと言うことを筋道立ててきちんと説明した後、この女性に関するバックグラウンドを説明し、一度この女性にお会いしてみなさい!というのが今回の食事会だったのですが、昨晩実際にThe White Houseからそれほど遠くないお店でこの女性が娘を食事に誘ってくださり、大変楽しい時間を過ごしたことがLINEで伝わってきました。

この女性のバックグラウンドは大変綺羅びやかで、キャリアを目指す女性なら皆が誰でも素直に感心するようなお仕事を今現在も”激しく”されておられます。その女性に社会人として仕事を始めたばかりの長女を会わせることは、日本に住む父親として娘にしてあげられる最大の贈り物になったかな等と今回考えました。

この女性からも、私にその食事会の様子を伝えてくださるメールが入ってきたのですが、姉のように優しい目線で我が家の新・社会人を見つめてくれた事が伝わるような内容で、親としては何とも表現しようがない程、感謝の気持で一杯でした。昼の仕事の合間を縫って何度も読み返してしまいました。w

何よりも大切な人と人との繋がり。
学ぶ事の多い若い時代に多くを吸収できるような素敵なロール・モデルに出会えた娘は幸せです。

2017年11月19日日曜日

IDとクレジットカード

日本に帰ってきて随分とキャッシュを使う機会も増えましたが、それでも日本を発った20年前に比べると格段にクレジットカードを使える場面が増えてきました。

最近のニュースで”マクドナルドでクレジットカードを使える様になりました”なんていうのがありましたが、私にしてみれば逆の意味で「マジすか?未だ使えなかったの??」という驚きのニュースでした。正直なところ「日本ってまだまだクレジットカードが使えない国だったんだ」という感想しか無し。

日本のマクドナルドがアメリカとは違う資本で動いているというのは知ってはいるものの、それにしてもね〜。アメリカはキャッシュ無しでもほぼ何の問題も無く一ヶ月生活できる世界でしたので、逆に現金で大きいのを出されたりしたら店によっては”We don't accept BIG one”なんて言われて終わりなんていうことが実際ある世界でしたからね。

日常のレベルではよく出し入れするのは精々$20のアンドリュー・ジャクソンくらいまでで、$50や$100のグラント将軍やベンジャミン・フランクリンに至ってはシゲシゲと札を眺めて「Long time no see!」等と言われ互いに笑ってしまうこともしばしば。最後は「まあ、お前を信じよう」等と言われて釣り銭を貰ったりすることもありましたが。

とは言え、基本的に我々の住む日本におけるクレジットカードの使用は高齢者を中心に”まだまだ”普通になってない人達が沢山おりますし、私の両親などもいわゆる”現金信奉者”ですからね。家の購入以外にはローンは組まず、可能な限り眼で確認できる現金で物を購入する。まあ、それはそれで破産と距離を取るための防衛策の一つではありますが、お金の使用の流れを全てのステップで残すという意味では、帳簿をつけるという面倒な作業を避けて、可能な限り楽をしようとする私にとってはカードは必須。まあ、考え方が全く違います。

しかし、カードを使わずコンピュータを使わない両親達はある意味では現代の情報化社会におけるID秘匿者の中のチャンピオンに近い人達でもあります。ガスや水道の料金も集金人に現金を渡すようなことは流石になくなりましたが、キャッシュで全てを済ませることで、日常の行動が秘匿されてしまうことかなり大です。

コンピュータでサーチできるものはIDをもとにいろいろ有るでしょうが、今の世の中、彼らクレカもコンピュータも使わない人達に関して判ることは、セキュリティ機関が私に関して調べ上げて容易に判る恐ろしいほどの情報量の100分の1にも満たないのではないでしょうか。

多分、全力を尽くしてハッカーが調べ出せる私の両親に関して判明する情報と言えば、ガス、電気、水道の使用量とATMにおける年金の振込と現金の出し入れの記録、後は地方自治体のデータベースに入っている不動産の登記情報と納税記録、免許更新の履歴、戸籍くらいではないでしょうか。

考え方や発言、その他諸々の情報まで画像つきで判る丸裸の私とは比べ物にならないほど”謎多き老夫婦”ですな。w
彼らのようなアナログの人達こそ間諜の候補生としては良いのかもしれません。まあ、年寄りすぎているせいで役には立たんでしょうが。

2017年11月18日土曜日

やっぱり良く効くアメリカの市販薬

アメリカから結構いろいろな薬を持って帰っています。

ロックビルやリッチモンドに住んでいた頃は、例え風邪をひいても熱発や咳程度では普通まず医者にはかかりませんでした。医療保険はNIHや大学の支えてくれる大変良い保険に入っていたのですが、それでも当時の収入レベルからすると、数回行くと結構な額の出費になってしまいますので、”本当に”必要なときだけ私の判断で家族を病院に連れて行っていました。

実際のところ、アメリカでは多くの人が病気になってもドラッグ・ストアやグロサリ・ストアに行って”自分の症状”にあった薬を勝手に飲んで治そうとします。それは内科系の疾患に限らず怪我においても同じです。

ところがですね、多くの風邪は自然放置でも期間は少し長くなれどもやっぱり治るのです。そこをどうやってアシストするかが処方薬の力なのですがアメリカの市販薬はとりあえずsymptom別にきちんとターゲットを絞って、かつその有効成分のドーズが半端ではなく多いのです。

もう、普通の日本の内科薬処方量からしたら”マジすか?”と言うほどの濃さを持ったものが多くて笑ってしまいます。w
特に鎮痛解熱薬として売っているアセトアミノフェンであるタイレノルなどはextra strength等となると日本の平均的使用量の2.5倍のものも売っております。

アメリカの娘達は日本で私が通常量の薬を出してあげても「効かな〜い!」と言っては拒否反応を示します。生理痛などの問は特にそうで、日本を訪れている時は当然のようにアメリカの薬を日本まで持ってきています。
恐ろしいのはアメリカの薬の説明書きに「この薬を使って一週間経っても症状が軽快しないときには病院へ言って下さい」なんていう感じの文章があるのです。

それだけ使っても収まらない症状の源って・・・そりゃ病院行かんとマズイですわな。orz
幸いにも私の今回の風邪、あっという間に症状の全てが抑え込まれてしまいました。内科医の好きな市販薬、なんか変ですかね。w

2017年11月17日金曜日

ボトル・キープ

昨夜一緒に飲んだ先生と行った焼き鳥屋では日本酒をキープしました。

(外で飲むという行為自体が少ないため)基本的にボトルをキープすると言う行為はほとんどしない私ですが、今回は違います。この店であれば何度でも間違いなく行きますので、これで問題なし。

ところで私の場合はこのボトルキープにはちょっとした過去の笑い話があります。
以前、千種(ちくさ)駅の傍に隠れたように建っている小さな小さなバーが有るんですが、そこの鹿児島出身のオバサンがこれまた呑助(のみすけ)でして、いつ行っても酔っ払ってるんですね。お互いに話をしていても”呂律”も回らないし、カウンターの向こうに居るお客さんと話をしていてもどれほど話の筋を理解しているのか怪しいのが常です。w

このオバサンの小さな店は実際はバーと言うほどおしゃれなもんでは無くて、簡単な手料理プラス近所のおっさんのちょい飲み酒場位のものなんですが、ここはオバサンの出身地である鹿児島の焼酎が沢山置いてあり、そこには名前が書き込まれた沢山のボトルがキープされていました。

ところがこのオバサン、私が一ヶ月前にキープしたボトルを飲み干しちゃってるんですね〜。「あら〜、XXさん、ボトルが見つからないわ〜」と、酔っ払って言う始末。他のお客さん達がそれを見咎めて「ママ、そんなことしたらあかんわ!」と言うんですが、私は事の成り行きを見て内心”ゲラゲラ”笑っている感じ。もっとも余り顔には出さずにニヤリとした位でしたが。

オバサンに「困ったなあ。まあ良いわ。次のボトル入れて下さい。」と言って事は一件落着。私にとっては、面白い店に行かなくなるようになるよりも、少しくらいのお金を使おうと面白いオバサンを観察する機会を持つほうが、私の人生にとってよっぽど金の使い勝手としては意味があるわけです。一種の"珍獣"観察のようなものでしょうか?

世の中レールを外れてる人のほうが(沢山の困った人達も含めて)かなり面白いのは、今まで生きてきた中の経験でとっくに周知の事実になっておりますが、隣人としてはなかなか一緒に暮らすのは大変なんですよね。w

それでも世の中に必要なのは四角四面の銀行員・公務員だけでないことも確かですな。(私生活は意外と別人でしょうが。)
変なのも普通なのも、馬鹿も天才も、ちびものっぽも、男も女も、いろいろ居るから世の中は愉しいのです。

2017年11月16日木曜日

アメリカの頃の研究仲間と地元で一杯

今日はリッチモンドでリサーチをしていた頃、一緒に働いた仲間と藤が丘で美味しくいろいろ飲食しました。

もともと優秀な外科の先生で、実験をすると丁寧で”手がきれい”な人物でした。いわゆる「再現性の有る」美しい実験をする人物で、私の心の中に以前からある「外科系の先生は手がきれい」という根拠なき確信をエンハンスしてくれた人物の一人でした。

神戸で行われたある学会から関東の有る都市へ戻る途中で名古屋の私の家へと寄ってくれたのでした。東山線をターミナルの藤が丘で降りてきた先生には一年半振りに再会したのですが、本当に昨日別れたくらいの感じ。海外で苦しかった頃に苦楽を共にした仲間というのはどんなときにも信頼できます。

一旦近くにある私の家へ来て頂き、着替えてもらった後は一緒に歩いて藤が丘のガード下にあるいつもの寿司屋へ行きました。
家族の近況を聞きながら、大学を辞めた後のいろいろな状況を聞きながら盃を傾け寿司を食べました。かなりの速度で二人で出されたものを平らげた後、次の焼き鳥屋に入りましたが、そこでも話は止まらず楽しく趣味の話。特に今後やろうかと思っているバイク・ライドの話は大いに盛り上がり、微細を穿った様々な話に更に盛り上がりました。

打ち上げたあとはまた家に戻って嫁さんの簡単な酒盛り用手料理を食べながら眠くなるまでお話をしてお開き。
風邪でヨロヨロになりながらもこう言った尊敬できる友人と楽しい時間を過ごす素晴らしさは男性でも女性でも全く変わりませんね〜。

今度は彼のホームタウンに行ってカーボンで出来たバイクに跨って海岸線を走りたいものです!

2017年11月15日水曜日

風邪ひいたか?

連日のお仕事プラス夜の映画鑑賞による軽度の疲労の蓄積でしょうか?
ちょこっと鼻水が出ております。

とにかく心の中に油断という隙間ができるとそこに風邪が入り込んで来るというのが私の個人的持論。家族の中を見回しても自分の場合でも、なにかが一旦終了してホッとしたりした時がもっとも風邪に罹りやすいんじゃないかと感じています。

とは言え、今年は寒くなるのが急だったせいか多くの人達が病棟でも風邪を引いている状況で、インフルエンザになる前にまずは皆が風邪にかかってしまうんじゃないの?と言うような状況です。

訪問診療で訪れた家庭でも結構多くの家々でコホコホされていたので、もしかしたらそういう診療時にアクシデントが発生したのかもしれませんね。でもそれを患者さんや患者さんお家族のせいにするのは医者としては大間違いで、例えマスクをしていても、気合が抜けているようであればこんな事になってしまうのです。

要するに私が悪い。体調管理が出来ないようでは医者としてはね・・・。熱が出ないことを祈るばかりです。
これが大事なオペ前の外科医だったらなどと置き換えるとダメさがわかると思います。

人に言う前にお前は自分の体調管理を何とかせい!と言うことですね。w

2017年11月14日火曜日

なんで君達の電話はよく壊れるんだ?

ピッツバーグの次女からメッセージ。

電話の画面がタップに反応しなくて使いものにならないというメッセージ。
最初のうちは嫁さんのスマホの方に彼女のnote bookからメッセージが入ってきていたようですが、「お父さんに聞いてみたら?」という言葉の後くらいから私の方に直接メッセージが入るようになってきました。

文面に曰く「パパ、スマホがワークしない。タップしても全然駄目。このメッセージは自分のコンピュータから打ってる。云々。」要するに買っていいかと聞いとるわけですな。w
私が常にsugar daddyになっている状況なので、ここは一つ厳しく「自分でバイトして何とかせい!」と一喝してやりたいところですが、友人とのやり取りのみならず大学でのありとあらゆる情報のやり取りや登録などはほぼスマホで行われる時代です。

やはりそういうことまで考えると送金では授業料以外ほぼ何も送っていない彼女に対しては「これくらいは良いかな」っていう甘い考えが浮かんでは消え〜を繰り返してしまいました。(^o^)
まあ、このあたりが嫁さんから「あんたは最後は結局ゲ・キ・ア・マ」等と揶揄される理由になっておるわけですが・・・。

それにしても長女も次女もよく電話が壊れるのです。殆どの場合は落下によるひび割れとかみたいなんですね。割れていようとそのひび割れ画面で極限まで粘っているのはよく知っているんですけれど、そもそもそんなんだったら落とすことを見越して”少々無骨でも頑丈”なケースを買えよ!っていうのが私のsuggestionなんですけど見栄え重視の若年者諸君はなかなか親父の云うことを聞きません。

iPhone6s PLUSからiPhone7 PLUSへと移行したいらしいんですけれど、最後は娘の喜ぶ反応が見たくてgo signを出してしまった馬鹿な親父でした。あああ〜馬鹿馬鹿。orz

2017年11月13日月曜日

教え子の高密度人生

他人の人生を生きるということは出来ませんが、聞くことは出来ます。

昨日私が聞いた他人の人生は私の昔の教え子のものでした。
彼はライブドア・ショックが起きた時にまさにライブドアの傘下の会社で働いていましたが、その後も転職を繰り返しながらその度に成長していくという、変身する蝶々のような、いや、しぶとさという意味では脱皮を永遠に繰り返す蛇のような成長ぶり、久しぶりに会って彼から聞く彼の経験した人生はとてもとても40年ちょっとで経験できるようなものとは思えませんでした。

話の密度の濃さと言ったら思わずずっと身を乗り出し続けてしまうほどのもの。すでに3つの会社を経営し上場を目指して走り続ける男。
僅かな期間の人生なのにそれぞれ数年ごとに結構分厚い各章の経済小説が間違いなく書け、気付いたら上下二巻の単行本が書けるほどの内容でしたよ、冗談抜きで。

以前ここにも書いたことですが、私がいろいろな背景の人生経験を持った患者さんからいろいろな話を聞くのが好きだというのは今回の彼の人生に関する話の場合も同様で、しかも今まで聞いてきたどんな話よりもエキサイティング。二時間半の間ほぼずーっと聞き役に徹して一緒に栄の街で飲んでいました。

更に河岸を変えてコーヒーを頂きながらの一時間の話でも思わず「え~~~~~~っ」と何度も声を出してしまうようなコンテンツが繰り返し出てくる始末。表には出てこない世の中の複雑な成り立ちをいろいろと想像せざるを得ませんでした。

驚くべき表と裏の世界はときに交錯し、時には全く表には出てくる事無くあたかも”表面的には”合法的に構成されていく世の中の流れというのは、法に守られた医師として、当然のように合法の”枠”の中だけで生きてきた私のような人間にはひたすら「驚き」の話でした。

人生いろいろとはどこかの元総理が言った名言ですが、レールを走らない人生というのは自分でタイヤに空気を入れて自分で”自由に”走ることが出来ますが、いつどこで釘を踏むかいつどこで穴ぼこや谷に落ちるか、そしていつエンジンが止まるのか・・・Risk Takerのみが選べる人生というのはチャンスとリスクを自分の背中に背負って走り回れる男でなければなりませんね。

教え子とは言えそれは勉強のみ。その先の世界は私のほうが学ぶことが多そうでした。

2017年11月12日日曜日

こんな日も有るんかい・・・orz

ほぼ一睡もできない一晩でした。

基本的には静かな夜を過ごすことが多い”ハズ”の当直の”ハズ”なんですが、今日の当直はちょっと尋常な忙しさではありませんでした。

一晩中ずっとどこかの病棟に呼ばれ続けて、殆んど一睡もできない状態で次の朝を迎え、朝は朝でまた急変の患者が出てCTでチェックを入れたところ急性肺炎からARDSを発生した患者さんで、当病院に有る人工呼吸器は全て埋まっており使えない状態、かつ内科病棟も全部エマージェンシーの患者さんで埋まっている状態でしたので、どうしようもなくなって、近くの大学病院の呼吸器の内科の先生に直接お願いしてER経由で患者さんを受け容れていただくことになりました。

他のドクターと看護師さんに救急車に同乗して頂き緊急搬送。どうにか事なきを得ましたが、一晩で三回も気管挿管をしなければならないところでした。

なんとかかんとかやりくりしたのは良いのですが、そのまま日常勤務に入らなければならないところが辛いところ。
精神科の先生の方は当直が終われば通常そのまま少なくともお昼前には家に帰っていきますが、患者さんは多いのに石の数は少ない内科はそんなことも言っておられません。何かと辛いものです。

やっぱり日本の医療というのは基本的に医師の犠牲の上に成り立っているんだなというのを日本に帰ってきてから痛感しました。アメリカの医者はこんなこと無いですもん。

勿論、ごく一部の猛烈に働く(働かされる)人達はおりますが、そういった人達は少なくともhalf millionとかone millionとか貰ってますもんね。その上でさっさとearly retirementなんていう道を選択して命を削って働き続ける前半戦の後はゆっくりと・・・と言う感じでしょうか。

ところが日本の医者は、ほぼ一生何らかの形で仕事を続けないと食ってはいけませんね。w
実際寿命も短めなんですが。皆様の想像とはかなり異なる医師の日常です。

2017年11月11日土曜日

ポッキーの日・J Soul Brothers

家族でナゴヤドーム脇の大曽根のイオンモールに行ったのですが、何だかやけに駐車場が混んでおりました・・・。

何だと思って近づいてみてもイオンモール自体の駐車場が混んでいるわけではありません。もしかしてナゴヤドームでイベント?と思いながらも、比較的空いている屋外の駐車スペースに車を停めてモールに入ると中の方は大混雑でした。

女性用のトイレに至っては全ての女性用トイレの前に長蛇の列が出来ておりますが、何らかのイベントがナゴヤドームで行われることに間違いはありません。以前にもこんな事を経験していたのですが、今回はやたらと女性が多いことから男性のアイドルグループやスター何かが来ているのだろうと思って中を暫く歩いていると、ポッキーの巨大ビニール・バーを持って歩いている若い女性の群れに何度も遭遇。

11月11日はその字面からIIIIということになり、ポッキーがそれに一口乗っかって今回のJ SOUL BROTHERSのコンサートがここ名古屋で行われていた模様です。

このグループがEXILEの何らかのユニットなのだろうというのは何となく知っていたのですがそれ以上の何も知りません。(まあ、そもそも知ろうという気もないのですが・・・。)女の子達からの人気というのはやはり凄まじいようで、あのドームを埋め尽くす形で人が集まりやはり中に入りきれなかったチケットレスの子達もたくさんいたようです。

そうこうしているうちに開演時間と思われる6時が刻々と近づいてくると本当に”潮が引くように”モールの中の混雑が収まっていきました。

我々ファミリーはと言えば、その人の群れを掻き分けつつ、あちこちまわったモールの中でやっと空いたフードコートの椅子に座り、ピザ、チキン、パスタ等を食べてやっと生き返った感覚に包まれたのでした。低血糖はやっぱつらいですな。

とにかく女の子達の元気の良さに嫁さんも私も驚いた一日でした。若いっていろんな意味で凄いもんです。

2017年11月10日金曜日

面倒くさい書類の季節

日本では、外が寒い時期になってくると毎年”私の嫌いな書類”を準備する季節がやって参ります。

その書類は「給与所得者の保険料控除申告書 兼 給与所得者の配偶者特別控除申告書」です。
私はこの手の準備・申請書面を書くのが”大大大嫌い”でして、基本的には何時も誰かの書式の真似や丸投げをしてお願いをするのが通例となっておりました。

しかし、今年からは必要な書類の検索などはするものの、書き込みに関しては家で嫁さんが空いた時間に積極的に行なってくれるので大変助かっております。

サイエンスの論文の準備と違って、税務関係者によって準備された租税の体系と言うものは本当に歪みまくって矛盾が積み重なって居る上に、理屈もボロボロで、もし税務署の人間に「何故この徴税のこの部分はこういうふうになってるのか?」と尋ねれば多分”本質的に理屈通りの説明”は全く出来ないものと私は想像します。だって、税金って集めるための理屈がそれこそギトギトにヒューマン・ファクターそのものですから・・・。

しかも、徴税の理屈なんて言うのはほぼ全面的に為政者側の都合のみによって成り立つもので、税金を支払う側の人間の「私の税金はこうやってここに使って欲しい」などという要望は普通1ミリも通りません。ただし、きつすぎる徴税は政府崩壊と社会の衰退を招きますので、慎重なコントロールを”常に”求められるわけです。

税金の使い道を考える役所の脳みその中は「どうやれば効率よく毟り取れるか?」ということで頭が一杯で、そもそもそういう様に設置されているのが税務署ですから無理もありませんが!
この毟り取り方には”公平に”と言う行為の難しさが入っているわけですが、そこの難しさはまた格別。とても人間が純粋な思考の産物を社会に当てはめられるとは思えません。w(だから不公平感というものが残ろうのは当然なのでしょうが。)

しかも、実際は本来それと同様に大切なはずの「徴税後の使途」という仕事が彼らには割り振られておりませんし、そこを考えるのはこれまた国会の無能ヒマ人軍団と省益代表者の権化たる能吏の皆様なので、納税者としては基本的にその手の人達に関わって勝てるはずもないのです。

国会の無能軍団は選挙でなんとか配り方を考えられますが、それも実際には省益との鬩ぎ合い、利益誘導や優先順位をめぐる色々なしがらみが大きすぎて、実際には自分達の頭脳を使って考えたところでそれがワークする訳でもありませんし。

それにしても我々庶民にとっては”税金と死”だけは確実に公平にやってきますな。orz