2017年11月2日木曜日

ウリ二つ

やはり人は遺伝子を載せた方舟だと改めて思いました。

先日三十年ぶりに伺った家具屋の社長の家に運び込んだ高級仏壇の件で思い出したのですが、その仏壇の中に鎮座していた写真が”目の前で生きているはずの”社長の奥さん(通常我々は会長さんと呼んでおりましたが)でしたので、おそるおそる「これって、、、」と切り出したところ、笑いながら「ああ、これうちの義理の母よ〜!」と社長さん直々に応答。

会長さんも、くすくす笑いながら「驚いたろ〜!私も年取ってきたらあんまり自分に似とるけん、笑うしかなかとよ。気味悪かろ。」と言ってその写真を指差していました。

確かに、ある時点では母親に似ていたり、父親に似ていたりとか言うこともよくありますよね。そうでない時も、亡くなったおばあちゃんとか親戚の誰それの生き写しだ、なんというような話も皆さんの周りでも良くある話ではないでしょうか。

遺伝子の発現の謎が時の経過とともに次第に明らかになりつつありますが、本質的な部分ではその本当の意味での理解が深まってきたのはここ二十年位ではないかと思います。
それでも、遺伝子の持っている複雑性というものの根本的な理解はまだまだ”全く”出来ていないと思うのですが。

私も”自分ではそう思っていなくても”息子とあまりにも似ていると言っては人から指を指されるレベルで”ソックリ”と言われたことは数知れず。苦笑いし、息子や娘には「申し訳ない」とは思いつつも、遺伝子っていうのは何とも恐ろしいレベルでいろんな情報を運んでるもんだなって感心することも多いですね。

ある人とある人が似ているとき、血縁的には全く無関係のはずの人でも親が認めるほどソックリだ〜なんてことがありますが、ああいう時っていうのは遺伝子のシークエンス自体ではなくその”蛋白としての発現パターン”を調べたらかなり似ている人同士っていうのがあるのかもしれないナって思った最近の私。

似て欲しくないことも似てしまっている時、己の嫌な所ってコレかな・・・と反省することも多いのです。

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