2017年11月13日月曜日

教え子の高密度人生

他人の人生を生きるということは出来ませんが、聞くことは出来ます。

昨日私が聞いた他人の人生は私の昔の教え子のものでした。
彼はライブドア・ショックが起きた時にまさにライブドアの傘下の会社で働いていましたが、その後も転職を繰り返しながらその度に成長していくという、変身する蝶々のような、いや、しぶとさという意味では脱皮を永遠に繰り返す蛇のような成長ぶり、久しぶりに会って彼から聞く彼の経験した人生はとてもとても40年ちょっとで経験できるようなものとは思えませんでした。

話の密度の濃さと言ったら思わずずっと身を乗り出し続けてしまうほどのもの。すでに3つの会社を経営し上場を目指して走り続ける男。
僅かな期間の人生なのにそれぞれ数年ごとに結構分厚い各章の経済小説が間違いなく書け、気付いたら上下二巻の単行本が書けるほどの内容でしたよ、冗談抜きで。

以前ここにも書いたことですが、私がいろいろな背景の人生経験を持った患者さんからいろいろな話を聞くのが好きだというのは今回の彼の人生に関する話の場合も同様で、しかも今まで聞いてきたどんな話よりもエキサイティング。二時間半の間ほぼずーっと聞き役に徹して一緒に栄の街で飲んでいました。

更に河岸を変えてコーヒーを頂きながらの一時間の話でも思わず「え~~~~~~っ」と何度も声を出してしまうようなコンテンツが繰り返し出てくる始末。表には出てこない世の中の複雑な成り立ちをいろいろと想像せざるを得ませんでした。

驚くべき表と裏の世界はときに交錯し、時には全く表には出てくる事無くあたかも”表面的には”合法的に構成されていく世の中の流れというのは、法に守られた医師として、当然のように合法の”枠”の中だけで生きてきた私のような人間にはひたすら「驚き」の話でした。

人生いろいろとはどこかの元総理が言った名言ですが、レールを走らない人生というのは自分でタイヤに空気を入れて自分で”自由に”走ることが出来ますが、いつどこで釘を踏むかいつどこで穴ぼこや谷に落ちるか、そしていつエンジンが止まるのか・・・Risk Takerのみが選べる人生というのはチャンスとリスクを自分の背中に背負って走り回れる男でなければなりませんね。

教え子とは言えそれは勉強のみ。その先の世界は私のほうが学ぶことが多そうでした。

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