当直室でテレビを観ていて連続して切り替えたチャンネルが2つとも同じことをしていました。
放映コンテンツはネットで流されている映像の再サマリーです。
テレビ側の中身の流し方はカウントダウン方式で「5・4・3・2・1はいどうぞ」という感じで、その前後で間延びした(間抜けな)イントロでやたらと引っ張るというコレまた同じ方式。
これを作ってる連中って頭の中身は全くネット前の世界の時と製作方法が変わっとらんの〜、ということしかわかりませんでしたが、何でこういう二次的にまとめた一次コンテンツの集合体みたいなことを恥も外聞も無く放送してるのかと思うんですが、これにはアイデアが無いのは勿論、かける金も無いんだろうなあ、なんて親切に救いようのない相手の立場を考えてみたり。w
「日本の」新聞はまずもって速報性を標榜するメディアとしては終わったコンテンツであることは明白なのですが、テレビも既にtwitterやvineその他のネットコンテンツとの競争ではそのスピードにおいてボロ負け状態ですし。
多くのテレビがtwitterのタグでニュースを追いかけているのは公然の秘密ですし、こんなことをしているようではメインの収入源である広告コンテンツが「相当量」テレビから逃げ出すのは無理からぬ事でしょう。
テレビ業界という物がなくなることはないでしょうが、インテリジェントな形で双方向に内容を切り替えられる形でネットの一形態としてネット内の巨大企業に額突く(ぬかづく)形で生き残るというような未来しか私には想像できません。
テレビ屋というのは、結局は即時性では一次目撃者の直接投稿には勝てず、その現場にカメラを運んで簡単な解説を加える仕事と、綿密に仕上げられ金もかけられた「流石と言われるような」コンテンツを作れる所くらいしか残らないでしょうね。そのうち芸人たちも「ネットの会社」所属になったりして。
世の中に「欠けたる望月」などどこにも無いということでしょう。
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