2015年8月11日火曜日

もうええわ〜という爺さん達

病院で治療をしている高齢者の爺ちゃん婆ちゃんのなかには一種のオーラを持った人達がいます。

あたかも「悟り」をひらいたかのような病と老いの中の明るさに、若輩者の私には打ちのめされるほどのめまいを覚えることがあります。眼の前にいる爺さん婆さんが自分の眼の前で語るその話には聞いている私が「・・・」となってしまうようなお話をされる方がいます。

ベッド上で動けなくなっている老人が、若い頃の純粋な思考やロジックだけでは得られない到達点に来たような「短いけど心の底から達観したような話」は時間と経験がなければ磨き上げられなかったような重みがあります。

命がもう残り少ない事が明らかだからこそ、そしてそれをお互いが知っている話し手と聴き手だからこそ話してくるような今まで誰にも話さなかったような人生最後の話を切り出してくる爺さん婆さんの話は、病院での業務をその話を聴くという行為に割いて十二分に意味のあるものです。

2・26事件の頃に青春まっただ中だったようなお婆ちゃんの強烈な人生訓や、大東亜戦争の厳しい統制の中でも全くそんなことなどお構いなく男と女の愛の物語を紡いできたような爺さん、すっかり今はおとなしくなってしまったのに、戦後一貫して悪い商売に身を捧げてきた爺さんの懺悔話。女をとっかえひっかえ生活し、最後は病を得て誰にも相手にされなくなった時に戻ってきて面倒を見てくれたのは若い頃には歯牙にもかけなかった「昔からそばにいた」女性だったというような話など、事実とフィクションがどこまで混じっているのかもわかりませんが、少なくとも話は抜群に面白い。

「もう充分長生きした、注射とか薬とかもうええわ(笑)」とか言う爺さんたちが話すこれらの話には下手な小説など脇に押し退けられるようなものが多いことに正直戸惑うほどです。
だからと言ってそういったプライベートな話をそれが誰が話したのか解るような形で私が他人に話すことも有りませんので、こういった話は私の中で時間をかけて養分として発酵していってくれるのでしょうか。

いずれ娘達のために話すことができるような時期が来ればいいな、と日々臨床の医師をしながら感じる事もあるオッサンでした。

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