2011年10月31日月曜日

東電・ゼロ連結会社ってなんだ?

東電は不思議な会社かと経済学部出でも無い自分が言っても説得力ないんですが、これって電気に限らず多くの公共サービス施設で一般的なんでしょうね。きっと。
ゼロ連結という言葉は初めて聞いたんですけど、記事によると東京電力と緊密な関係にあるが資本関係はないため、表向きは東電のグループ企業と認定されていない」会社なんだそうですが、素人考えでも此等の会社は簡単にいえば東電から金を吸い取ることによって成り立つ東電OBや関係者が巣食う低効率の東電経営会社ですわな。
記事では46社と書いてありますけど、東電発注の9割以上を独占し、随意契約を行いかつ総括原価方式というコストの下がりづらい方式を使用していることなんか東電らしくてイイな~と感じてしまいます。実際にはチウ電に限らず他の電力会社でも間違いなくこれやってるはずですよ。記者たちの取材能力の問題なんでしょうね、全国的にはどうなんだというようなことは一言も出てきていません。w
実際にどういうせこいことをしているのかという事は書いてあり、「電気料金は燃料費や人件費、設備修繕費などの原価に一定の利益を上乗せして算定する「総括原価方式」で決まる。利益が約束されるだけに、原価はぎりぎりまで削減することが求められる。委員会の調査では、原価の中に電気事業連合会など各種団体への会費やオール電化の広告費、福利厚生費などが含まれていた実態が判明した。」という、案の定と言うか、ふざけるなと言うか「絶対に会社が損をせず、まるごとすべての費用を消費者に転嫁する」という見事な一本技なのでした。
こういうのって本当は洗いざらい全ての秘密を剥ぎ取られた上で校正な競争のもとに戻されるべきシステムなのでしょうが、悪党とその寄生虫達のカネ集めの手段は腐り果ててとどまるところを知らない恥知らずなスキームを作り上げているようです。ここには他の方が更に詳しくそのカラクリを説明されております。やっぱ東電は一回確実に潰さな懲りんようですな。

2011年10月30日日曜日

グラント校正

ここ数日グラントの校正が続いている。
細かい部分の校正は英文の単なるケアレスミスにとどまらず、言い回しの好みなどもあるのが難しい。実際には、文体という点まで詰められたら最高なのだろうが、どうしても「何が自然か」ということになってくるとそれはもう文法を超えた領域に入ってくるので、所詮限界がある。ひたすら「正しい」英語と、こなれた言い回しに気を使うことに集中することになる。
日本語を書く時でさえ、文体の問題は非常に難しい問題なので、ましてや自分にとっての第二言語でこれを論じるのは難しいのだ。以前聞いた笑い話で、ある日本人が英語の論文を仕上げてアメリカ人ボスの所に持って行って校正してもらった後、イギリス人の同僚に見せた所「」こんな酷い英文は見たことがない、俺が直してやる」といって手を入れられ、その校正文を見たオーストラリア人に「これは酷い」と再訂正され、それを元のボスの所に持っていった所、ケチョンケチョンに言われたという。
コレなんかは笑い話として捉えられていますが、現実の論文の構成に関する話では似たような話は枚挙に暇がないほどです。これはたとえプロの校正に頼んでも、実際に実験の中身を知らない人が校正した人物のものは重大な間違いを内包している場合などがあり、その手の話もあちこちで見聞きします。ですから結局は自分が納得の行くバージョンをどこで止めるかという問題になります。
今回のグラントは全米でたったの14件しか採択されないグラントなので、殆ど魚の居ない釣り堀に数千本投げ込まれた釣竿の間でそれを取り合うような話ですが、まあ竿は投げ込まなければ魚を釣る可能性はぜろなのでこうして頑張るしかありません。(溜息)

2011年10月29日土曜日

落合はプロだ

中日が落合を首にした。
もう確定して大分経つが、中日はこれから球団として厳しい日々を送ること間違いなし。名古屋にニ年ほど住んだ居た時は時々球場に行って応援してましたが、こんなコトしたらアカンでしょ。
解任するのはお客さんが来ないから?球団による営業努力はどこまでされていたんでしょうか。アメリカみたいに本当に球場に来ること自体が楽しみになるようなシステムを作り上げていたのでしょうか。アトラクションやサービスはどんなものがあったのでしょうか、、、。もう日本を離れて長いのし、中日に関してはもう昔々の話になってしまったのでコメントすることも出来ませんが、落合を首にしたはしたで「ああいうやりかた」は無いと思います。
落合は本当にプロの中のプロ、勝つためには万策を尽くす男ですから外野の雑音なんぞはそれこそどこ吹く風。意地でも勝って優勝に持っていく男。球団の上のジジイももっとうまいやり方があったろうに、高木監督ですか。コーチ陣は間違いなく集まらんでしょう。馬鹿ジジイ社長の事がすっぱ抜かれてる記事がありましたが、舞台裏というか、球団と周りのOBの糞っぷりときたら、、、。
身内とOBで固めてつまらん弱小球団になればいいですよ。これも東海の雄(笑)大中日新聞様が球団を持つ弊害でしょうな。間違いなく。どこまでも落ちてもらって結構。中部地方の人間にまで嫌われるような糞球団は底辺で喘ぐのが最も相応しいです。ファンも離れ、金も入らず。「プロが勝つことの意味」を10年後くらいたてばどんな馬鹿でも理解するんじゃなかろうか?
その時に「最下位じゃダメなんですか?」と蓮舫ばりのギャグでも言ってくれたら許してやろうかな。(笑)

2011年10月28日金曜日

お悔やみ申し上げます

利根川先生の18歳の息子さんがMITの寮で亡くなられているのが見つかったという報道を今朝のウェブで知った。
利根川先生が57歳の時の息子さんだろうから、普通の親御さんが思う以上に眼の中に入れても痛くない子供さんだったろう。素晴らしい音楽、科学の才能に恵まれていたようで、お金も時間も十分にかけて手塩にかけて育てられたのであろうことは全く想像に難くない。ミルトン・アカデミーに行っていたというだけでも、親がどれほどこの息子さんの教育にお金と手間をかけていたのか推測できる。それにしても、本当に痛ましい出来事です。才能ある息子さんの早過ぎる死。
心よりお悔やみ申し上げます。

2011年10月27日木曜日

マックを食べなくなった

McDonald・マック・マクドナルド、言い方は色いろあるでしょうけど、最近は本当にマックに行ってマックのメニューからなにか選んで食べるということが無くなりました。
無論、こんなジャンクフードなどというものには一切手を付けない人は昔から沢山居るとは思うんですが、長旅の途中とかではついつい疲れた時なんかにふらりと店に入ってちょっとセットメニューを、、、というパターンがほとんどでした。無論、この手のジャンクフードの調理法というのがどれほど酷いかというのは知識としては持っていたんです、持ってはいたんです。(でも実行には移していなかった。)
しかし遂に、その材料がどのように準備され、その準備された材料が調理された挙句に「食品として」どのようなものであるかを見せつけられた写真を見た時に「ちょっと食えんな」と思いました。
その写真というのは四ヶ月と七ヶ月経った二種類の違った日付のマックのセットメニューが並べて置いてある写真でして、その何れもがカビたり腐っていないというものでした。それをみて「これは危険な食物だ」(笑)と遅まきながら感じた次第でした。アジ化ナトリウムかなんか、防腐剤がてんこ盛りなんですかね。まあ、あれだけいい加減な調理法で(調理と言うか作業ですけど)準備されていても全米で食中毒事件がマクドナルド発で聞こえてこないのはこういったからくりなんでしょうかね。
なんか昔、もう長年にわたって一日三食マックを食ってるおじさんというのがYoutubeに出てましたけど、この人墓に埋められても、体が腐らんのじゃないんでしょうかね。(笑)もうこういう食い物が小さな子供の頃から口に入り続けているのかと思うと、人間のアトピーとか変な病気とかが増えているのも何となくこういうものの影響も過小評価できないんだろうなとちょっと考えてしまいました。

2011年10月26日水曜日

これは(・∀・)イイ!!

こういうアイデアを出すスマートな人が居るんですね、世の中には。
でも良く考えてみればタバコに対する容赦ない増税と同じ方向性を持ったものだというのが理解できます。要するに考えの中心にあるのは肥満を構成する全てのものを害悪と看做して、それに課税を行うことで消費を減らすもしくは税収を増やすという考え方ですね。
しかし、問題はこれが本当に国民の減量と健康増進に資するか否かという基本的問題。結局ここの部分が効かなければ、特に貧困層に対する狙い撃ちのような増税になる可能性があるわけなんですが、もう少しこの税収で得たお金を肥満教育に再度投資する、砂糖と油を作る会社に対して更なる締め付け措置をとるなんて言うのは良いかも知れませんが、それが再度値上げの理由になるかも?
実際米国民なんかは既に平均して国際的な砂糖価格の三倍の値段で政府が国民に砂糖を購入させるようなセッティングになっているという恐ろしい話になってます。殆ど、砂糖産業というのは政府とつるんで国民から金を巻き上げているという状態なんですが、リボルビングドアと言われるように、アメリカの場合、実業界から政界へ、そして大学からも実業界と政界へのドアがクルクルクルクルと回りっぱなしで、権益を持った連中が一部の司法と行政を巻き込んでやりたい放題やってますからこの状況はなかなか改善しないんですよね。
製薬業界なんて言うのはその最たるもので、治験絡みのスキャンダルや腐った話は枚挙に暇がない状態です。人の命も結局は「患者のために」という美名のもとにマウスと同じレベルの人体実験が毎日どこかで行われています。実際、治験の準備のハードルを低くして死にゆく人々を一刻でも速く助けようというと聞こえはいいのですが、その裏では巨大製薬会社が政府の人間を巻き込んで新薬認可に血眼になるという世界があります。実際、沢山の認可役が長期使用に伴う副作用で発売中止になった挙句、信じられない巨額の賠償金を弁護士と患者に払うような集団訴訟が相次いでいます。(この手の呼びかけがテレビやラジオでもよくあります。)
話は元に戻って「脂肪税」。これってアメリカでは実現するかかなり怪しいなとみてますが、これからどうなるでしょう。

2011年10月25日火曜日

カレッジ・アプリケーション

遂に娘がカレッジのアプリケーションをファイルし始めた。無論この時代は全てウェブ経由だ。
アーリーデシジョンとして出す大学、次にこのカレッジと言うようにして完全に自分で決めていっているようだ。無論私からは一言も言葉を発する必要はないと思っている。彼女の手足や耳になることはあっても、眼と頭脳は彼女自身のものを使って選択してもらうのが最善だと固く信じているから。
幸いにして多くの大学は非常に奨学金に関して寛容なシステムを持っていて、物凄い額のお金をお金のない学生に対して準備してくれている。
例えばこの前はコロンビアユニバーシティーから追加の手紙が送られてきて、そこに一言。「いかなる場合であろうとも、金銭の問題でコロンビアを諦めるようなことはあってはならないと我々は信じます。我々は全米で最高額の個人寄付をその為だけの資金として別途用意しており、その額は400ミリオンダラー(300億円!)です。アメリカ市民、永住権保有者、外国人であることなどは何ら受給資格として条件となっておりません。親の収入が5万ドル以下なら完全に、それ以上例えば十万ドルの収入がある場合でも何らかの補助を考慮することもあります。」と書いてきていた。
例え、娘がコロンビアに願書を出すかどうかは判らないないにしても、これこそがアメリカの競争的パワーの根源なのだということがよく理解できる。優秀な人間を少しでも多く集めその人間が卒業した後の将来的パワーの還元を期待し、それが実際にワークしかつそれを再投資に回すという(えげつないほど)正直で優れたシステム。しかもその集める人間は世界中からというのだからまさしくアメリカ的オリンピック状態です。
日本がいくら優れた人材を持っているとは言え、この「世界から集める」というシステム、そして金銭的な負担を下げて入学の動機をあげるというシステムにどこまで対抗できるのか。
日本にとってますます厳しい時代だと思います。

2011年10月24日月曜日

撃ち殺さないんですね

日本の犯罪者はアメリカの犯罪者に比べてラッキーだ。
ただ一点、銃殺されるリスクが格段に少ないという点において。他の事は知らない。ニュースを読んでいて次のような事件があったと記述されていた
群馬県桐生市で、職務質問を受けた車が警察官をはねて逃走しようとしました。別の警察官が車に向けて発砲し、2人の男が殺人未遂の疑いなどで逮捕されました。
逮捕されたのは、いずれも無職の津久井望容疑者(24)ら2人です。津久井容疑者らは23日午前1時ごろ、桐生市の駐車場で職務質問をした警察官を振り切ろうとして、車ではねた疑いが持たれています。警察官は、左足を骨折する重傷を負いました。警察によりますと、車が警察官をはねて20メートルから30メートルバックしたところで、別の警察官が車のフロントガラスに向けて拳銃を一発発砲し、車を制止して2人を逮捕しました。拳銃の発砲について、群馬県警は「適切な処置だった」とコメントしています。
こんな場合、日本と違いアメリカだったら激しい銃撃戦、もしくは警察官による一方的な射撃で幕を閉じることだろう。
とにかく常識の違いは銃の取り扱い。警察官に向かって車を飛ばしてくるような連中は蜂の巣にされてもこっちでは「馬鹿かギャングか」どちらかの人間だったのだろうと言われて誰の同情もひかずに終わりというパターンが最も普通で、悪の消滅という形で捉えられて幕引きがなされると思う。運良く銃撃戦で生き延びても、警官に対する殺人未遂という罪などで禁錮250年とか、終身刑5回とか、仮釈放なしの終身刑とかいうような間違っても二度とシャバの光を拝めないようなサヨウナラを言い渡されることになるわけだ。
日本でもこの手の馬鹿に対する警察官による防衛手段の行使がニュースになることがあるが、もうそろそろ警察による「公式見解」発表は止めたらそうだろう。警察が正義の味方だなんて大人は誰も信じては居ないけど、社会のシステムの中で「毒には毒を」という意味で警察が必要だということは誰でも解っている訳ですから、自称社会の木鐸「マスゴミ」に対する言い訳を垂れ流すまでもなく、社会は理解しているでしょう。
暴走族然り、この手の粗暴犯然り、もっと強烈に締め付ける「手段」の行使をオプションとしてもっておくべき時なのかもしれません。職務に忠実な警官がチンピラに殺されないためにも。(ワシもアメリカ暮らしが長くなったかな。w)

2011年10月23日日曜日

いよいよシーズンに突入するカレッジバスケット

カレッジバスケットのシーズンが近づいてきた。
今年の監督同士の下馬評ではVCUは三位にランクされているがどうなるかは勿論始まってみないとわからない。昨年はNCAAのファイナル4に残ったとはいっても昨年の優勝に貢献した中心メンバーは一人を除けば全員卒業し、プロリーグなどに散ってしまった。そういう訳で今年のリーグ戦は実質的に新メンバーでの新規巻き直しと考えて間違いではない。結局、ココからが我らが若手監督の腕の見せ所で、大きな額の給料に見合った素晴らしい成果を今後も出し続けて、アメリカンドリームというものの存在を再度我々に見せてもらいたいと心から願う。
新しくやって来た若い選手達の中にも素晴らしい素質を持った選手達が幾人も居る。彼らが着実に力を付けさえすれば再びNCAAトーナメントに行ける日も来るでしょう。(今年も行ければそれはそれで素晴らしいのですが!)彼らの中から再びスポットライトを浴びる青年たちも再び出てくるのではないかと密かに期待している。また声を枯らして(汚い言葉を吐きながらw)友人達とシーゲルセンターに毎週通うことになるのかと思うと本当に待ち切れない。

2011年10月22日土曜日

事故死

毎年毎年、家の近くにある幾つかの近隣の高校で、免許をとったばかりの子供達が事故死でこの世界に別れを告げている。
大きなニュースになただけでも、数年前は三人乗りのトラックで全員死亡、昨年もある高校で一人死亡。そしてその同じ高校で本当に一週間ほど前にまた男の子が死んだ。然し、さもありなんと思う。朝な夕なの通勤時間、帰宅時間に遭遇する若い運転手達の様子を見ていると、実に周りの人間達が避けてくれているからこそ事故が起きないのだというような運転をしている。帽子を目深に被り、マスタングに乗って急発進とテールゲーティング、車の間を縫うように走っているのだからそのリスクたるや、、、。
実はこの前亡くなった子は娘の友人も知っている子だったのだそうだ。学校全体がショックに覆われているという、それもそうだろう、去年そして今年と立て続けに仲の良い友人が車の事故で死んでいくのだ。彼らの仲間内では「この学校は呪われている」等と実しやかに話し合っているそうだが、間違ってもそんなことは無い。単純な遵法意識と運転技術の欠如だろう。
年上の我々に出来るのは嫌われようが疎まれようがしつこく繰り返す交通安全教育しかない。友達を悲しませず、親兄弟を悲嘆のドン底に落とさないためにも安全教育を繰り返していくのは永遠に年上のものの責務だと思う。

2011年10月21日金曜日

年齢とスポーツ

毎日トレーニングをしていることは以前書きましたが、最近は週に一、二回程度、同じコンプレックス内で行われているバドミントン・クラブでのミニゲームも楽しんでいる。
期間ごとに10ドルの会費を集めてみんなで三々五々楽しむ集まりで、経験者と言うか物凄く上手い人からルールを知っているかどうかさえも極めて怪しい僕のような底辺スキルの人間まで完全にごちゃ混ぜです。ただ唯一確かに言えるのはこの自分が最年長者だということ。ちょっと前までは、この手の集まりで自分が最年長者と確信を持って言えるような状況を経験するようになるとは夢にも思っていませんでしたが、まあ、来ている諸君はどう見ても殆どが自分の教え子たちとほぼ同年齢の学生さん達がほぼ9割で、残りは看護師の人達くらいか。おまけにfaculty memberは自分だけときてるので、自分の出自はなるべく隠すようにしているのですが、研究のプレゼンや授業などで自分の顔を知っている人間もどうしても中に入るので、そういう彼らとするときはチョイと気まずい感じです。何故なんでしょうかね。
相手がオッサンに対してハンディをくれれば良いのですが、実際は逆で、容赦なく打ち込んできます。ココぞとばかりに、親の敵のように!(笑)バドミントンのような競技は特に動体視力と瞬間の判断、そして一瞬の飛び出しが勝負を決めるので若さに対抗するのは「ヒジョーーーーーーーーーーに」厳しいです。
今日で既に合計五、六回参加したことになり、誰が巧いのか誰が巧くないのか、というのが判って来ましたので後はジジイとしての老獪さで、「オレ流」に狡(こす)く試合をススメるしかないのでしょうか。まあ、そんな小手先技が通じるわけないわな。w

2011年10月20日木曜日

激怒

今日やっと月曜日から続いた一連の事件が自分の手を離れた。
例えよそのラボの人間であっても、人の生死が関与する事となると、それに関与する人間は皆神経をすり減らしながら対応することになる。今朝まで彼女の友人に付き添われていた女の子が、昨日見つけておいたメンタルヘルス・アシストシステムを経由して、最終的に今朝の九時から精神科のドクターとの面談と最終診断、投薬治療の開始となった。
精神科のドクターによる診断でも完全にうつ病と決定され、オハイオ州立大学のP科の先生との連携も確認された。昼からは彼女をリッチモンド国際空港まで連れていきしっかりとセキュリティーチェックのところまで見送って御主人の待つオハイオへと送り出した。彼女も心の拠り所を戻して御主人に甘えることが出来るだろうか。
今回のことで実は頭に来たことがあった。昨日も書いたのだが、僕の同僚であるディビジョンチーフと、彼が信頼するNAVY出身の口の堅い秘書、そしてうつ病の彼女の直接の上司と三人で決めた約束「彼女自身には決して彼らが彼女の異変を知っているという事を告げない」という大前提があったのだ。つまり前面に出て全面的にサポートする僕をシークレットサービスとして下から支えてくれるという約束だったのに、、、。しかし、それを彼女の上司は「何だか先週からオカシイと思っていたんだけど、、、」等という切り口で、彼女に直接電話をしていろいろと聞き出していたのだった。彼女自身は現在NIHのスタディセクションに行っているから全くサポートなんぞ月曜までは物理的にも精神的にも出来はしないと判っているこそそういう取り決めをしたというのにこのザマ。彼女が対応を全面的に依拠している僕自身に信頼をおかなくなる自体が来たらどうするつもりだったんだ。
馬鹿か!
ホント、こんなこったからお前のところの人間は次から次に涙を流すような事態になるというのが解からんのか?ていうか解からんからこそそんな馬鹿な事するんだろうよ、、、。秘密と言ったことは子供との約束であっても、墓場まで持っていくつもりで対応しろと言いたい。軽々しく人と人の信頼に基づく約束を反古にするな!ホント久しぶりに頭に血が昇った。ディビジョンチーフもこの事態が明らかになった時には本当に信じられんという感じで天を仰いでいた。そりゃそうだろう。
男だろうが女だろうが、若かろうが年寄りだろうが、口の軽い奴は「決して」信じてはいけない。

2011年10月19日水曜日

今朝は驚かされた

昨日の今日でいろいろあったが、今朝はほんとうに驚いた。
いるはずのない彼女がラボに居るではないか!
昨日オハイオから飛んできていたはずの彼女の御主人が何と飛行場から折り返し帰ってしまって彼女の元へ来ていなかったのだ。私にとっては何とも驚愕の話で、彼女に話を聞いてみると、「期待していたのに来てはくれなかった。来るのは金曜日の朝です。」と言うではないか。orz
旦那の方は事の深刻さがどうやら解っていないようなので、こちらでケアをせざるを得ない。先ずはディビジョン全体のsupervisorである僕の同僚に事の次第を話して善後策を練ることにした。彼女の直接の上司を会議室に呼び成り行きを説明し、現在の状況を簡潔に説明した後、これから数日に亘る対応策を練ることにした。
直接の上司はかなり衝撃を受けたようであったが、取りあえずは何も知らなかったという状態を装い僕だけが対応をしていき他の上司たちは僕のサポートをするという形式になった。先ずはプロフェッショナルのカウンセリングによる相談をさせ、次にドクターへのブリッジングを行った。帰りには必ず友達の家で寝泊まりし、ともに夜を明かすことを約束させてから帰宅させた。
やっぱり皆がこういう状況には慣れていないので精神的に疲れます。それにしても「何故」御主人は万難を排して彼女を迎えに来なかったのか、、、。それが私には大いなる疑問です。
夕方からは我々自身も落ち着いて行動することが出来ました。共同研究者のH先生がCSHのミーティングからリッチモンドへ連れて帰った日本のPhDの先生とIrish Pubでご飯を食べ、楽しい時間を過ごすことが出来たのでした。

2011年10月18日火曜日

うつ病

今日は夕方から「あること」への対応で仕事になりませんでした。
4時過ぎにいつものように秘書室の方にM&Mのチョコレートをとりにちょこっと休憩を取っていこうとした所で、別のラボに居るインド人の女の子がぼんやりと立っているのが見えた。ここも更に「いつものように」おっさんの軽口を叩いて横を通り過ぎようとするとどうも顔色が冴えないの変です。そういえば最近なんか声が小さいし元気が無いよなと思っては居たんですが、気になっのでもう少しばかり話をして見ることにしました。
すると、、、彼女の口からでてくるのは次から次へと色々と違う仕事を与えられて仕事が進まない事への不満や、お金を使って頑張って勉強してステイしているのに卒業できないこと、旦那さんと離れて暮らしているのにこのままでは時間とお金と愛情が消えて行くことなどを下を向いて切々と話し始めたのでした。
どうもいつもと違う胸騒ぎがしてラボに他の人が居る所ではなく自分のオフィスにおいでと言って話を聴き始めると、さっきまでは全く言わなかったような話が次々に出てくる出てくる。端的に言って教科書に出てくるような「典型的な」うつ病の症状の羅列でした。話しの中に明らかに自殺念慮があったことがイベントとして理解できたので、とてもじゃないけどこのまま家に返したらマズイと思って、彼女を説得して、一旦仕事を切り上げることを納得させ、私自身がオハイオのIntelに勤めている旦那さんに直接電話をさせて貰って、御主人に彼女のここ数日の話を細かく伝えました。
実はご主人と話す前の彼女自身から聞いた話の中でもあったのですが、最近段々と自暴自棄になって来ていて、こんなのは自分じゃないと解っていても、他の人に優しく接することが出来なくなったこと、親やご主人にもただただか細い声で電話越しで泣くことしかできない等と話してくれました。既にご主人はそのような最近一週間の様子から、彼女の状況が尋常ではないことを理解してくれているようで、リクエストに応えて今晩のうちにオハイオから彼女を迎えに来てくれることになりました。
彼女の近所に住む友人に御主人から電話連絡をさせて、私が居なくても人の目が離れないように設定し、彼女を家まで送っていくことにすることにしました。その途中で更に話してくれたのはもっと具体的な自殺念慮の話で、聞いていて上を見上げたくなるようなものでした。彼女の部屋は20階建てのアパートの5階。
ここで彼女を一人にしては俺は御主人にとっては人殺しも同然と思い、彼女に誘われて部屋で来るべき女友達を待ちながら、一緒に1時間ほどさらに色々と気を紛らわすような話をした後、やはり友人の彼女が現れないのが判ったので、今度は17階の他のインド人の女の子達の住む部屋へと彼女を預けて帰って来ました。
途中の細かいことは全部省略してしまってここには書きませんでしたが、こういうふうに彼女がなるまで彼女のPIは何をしていたのだと呆れてしまいました。
「以て他山の石とすべし」と大いに自戒するものです。

2011年10月17日月曜日

まんが日本昔ばなし

今日は週末のいつもの料理を作りながら息子がiMacで見ていた「まんが日本昔ばなし」に思わず魅入ってしまった。最初は横目で見ていたのですが、料理を食べ終わった後は本格的に。w
昔から機会があればよく見ていたのですが、今回は思わずあれこれと渉猟してしまいました。前から不思議に思っていたんですけど、著作権にうるさいテレビ局なり出版社なりがこのyoutube経由で流される日本昔ばなしの膨大な数のストーリーをそのままにしているのだろうか?それとも日本オリジナルの昔話が大元だから著作権は消失しているのでしょうか。裏でどういうふうに話がもたれているかは判らないんですけど、視聴者側としてはこれほど秀逸な番組がYoutubeのような太い信頼のできるライン経由でキャストされるているのは素晴らしいことだと素直に思います。
ニコニコ動画なんかもかなり安定してかなりの速度で画像を流してくれるサーバを持っているのは間違いなんですけど、さすがにYoutubeの持つサーバの送り出し速度にはまだまだ勝てていないですしね。頭の古い著作権亡者の連中に著作権が操られている限りは日本のネットの発展は自死を待つのみかなという気もするんですが、、、。この手の話は本に関しても音楽に関しても、本質的には同じような話だと思います。
ちょっと脱線してしまいましたが、とりあえず「まんが日本昔ばなし」のあれこれを見ていて思ったことは、こういう昔の日本の話にはなんと貧乏バチ当たり怪異との絡みが多いのだろうということでした。基本路線は勧善懲悪。働き者は報われてやがて苦難を乗り越えることが多く、無理無体なことをしているとやがては神や仏によるバチ(罰)が当たるというものがかなりの割合でしょう。それに話の中では怪異や神仏と人間との絡みというのは互いの関係が同じ高さの目線で語られる事が多く、互いの交流が実に自然な感じで有ることが特徴なんでしょうかね。
こう言った話は大人も子どもも自然に楽しめる話ばかりです。これからもこのまんが日本昔ばなしがずっとネットの上の共有財産として残っていくことを心から切望します。

2011年10月16日日曜日

ダンスのお誘い

全然知らなかったのだが、ここアメリカでは普通の事らしい。
上の娘がクラスメート達と学校のダンスパーティーに参加した。通常、この手の”非”強制参加の学校行事には余り関心を示さない人間なので、そういうところは父親に似ているのかも知れない。こういう事は結構頻繁に学校主催で行われているらしく、今まで単に娘がそういう会に行かなかっただけだというのが嫁さんの口から改めて出てきて知った次第だ。
夕刻が近づくと娘が友達から借りたらしいブルーのドレスを着てそわそわしているのが判った。一体誰が迎えに来るのかちょこっと尋ねてみたら「XXという男の子」だというので男親としてはちょっと気持ちにさざ波が立ったのだが、こういうのは誰であれとにかく男の子が迎えに来るようになっているんだそうでござる。(又聞き)
外で写真を撮ってくれというのでちょこっと撮っていると、向こうから車が来るのが見えたので、親父が外に居ると娘も気まずかろうと思い家の中から嫁さんと二人でくすくす笑いながら見ていた。
思わず嫁さんに「アメリカの映画みたいだな」と、訳の判らないことを呟いてしまった。
黒の4ドアのゴルフで迎えに来た男の子はきちんと三つ揃いのスーツを着こなし、娘が車に乗り込む前にスッと助手席に回りこんで来てドアを開けてくれていた。思わず、また「映画みたいじゃの~」と、心のなかで呟いてしまった。娘に、「実に」ダサいとは思ったのですが、恥ずかしさを堪えて「変なことしてきたら顔の真ん中にパンチを捩じ込むように」と言ったら、「そんな事を絶対にする子じゃないし、あの子は多分ゲイだよ」と言ってきた。何だか娘の男友達にはそう言われているという男友達がやたら居るなと思うには私だけか。しかもほぼ例外なくそいつらはイケメン。
イタリア料理を男女四人で食べに行った後、学校主催のダンスパーティーに行き、11時過ぎに修了した後は帰りがけにアイスを食べにまた友達と外に出て、そのまま帰ってくるというコースだったようで、11時半過ぎに帰って来ました。途中電話での連絡もきちんとあり、取り敢えず親としては一安心でした。
自分でお小遣いからやりくりしてお金のリクエストが全くなかったところは、いかにもこの子らしいなと嫁さんと話し合ったのでした。

2011年10月15日土曜日

iPhone5

今回はiPhone4Sという形で出されてきたiPhoneでしたが、個人的には次はどのようになり、それが何時出るのかという点に次の興味が移ってきました。
実際には今回の新しいiPhoneは名前こそSが付いただけでしたが、中身は全くの別物と言って良いのではないかという変化を遂げましたし。プロセッサの速度は単純に2倍だし、画像の描画速度が最大七7倍、カメラもハード的には画素やフォーカシングのシステムその他ソフトも含めて大きな変化が導入されました。なんといっても音声認識システムの導入も劇的に進化したものが載っかってますよね。ところが実際にこのバージョンで最も大事だと私自身が考えているのはiCloudを使ったデータのシンクロシステムだと思ってます。
二年ほど前からノースカロライナ辺りともう一つのところ?に信じられない規模のデータセンタをこそこそ作っていたのはこの時の為だったんですね。これで、データの置き場所を気にせず、かつ、その紛失を気にせずに何時でもネット経由で自分の持つありとあらゆるマシンにデータが呼び出せる時代が更にクッキリと近づいて来たことになります。まあ、ネットの回線容量などの問題で理想の世界からはマダマダ遠い状態ですが、やがてはアルバムなどというものは写真であれ音楽であれ本であれ、皆クラウドに置いてあるという事が「当たり前」になってしまうのでしょう。
そこに到るまでの過程はかなりいろいろな投資が必要なのは明らかなのですが、まずは我々が次に待つ単純明快なiPhoneの次期バージョンの姿を予想すると、retina displayレベルの4インチ表示の達成、この点は次期バージョンではシャープの最新の有機ディスプレイが載っかり大幅に待受時間が伸びるとの予想もありますが、、、。更に受話部分が半導体素子に代わって穴が無くなる。電池の改良で、それ自体でも待受時間が伸びる。(今回は300から200時間に落ちたので、次回は戻してくると思います。)
デザインの変更はどうなるのでしょう。カラーバリエーションがどうなるかは気になるところですが、これは慎重に慎重を期すでしょうからそうそうは無いでしょう。アンテナのさらなる改良はデザインにも影響されますが、これは更に必死にやってくれると思います。毎回受信感度も少しずつ変わってくるか。もう少し薄くなるとかいう可能性はあるのかな?
3Dを導入するかどうか、、、これもアップルはしないんではないかと思います。基本的にはハードウェアの「スペック」的にはあまり斬新なことをせず他陣営の動向をじっくり見て美味しいところを更に磨きをかけて出してくるのがアップルですから。
後一つはタッチパッドの触覚の変更は出してくれると良いんですけどね。マックに付いているmagic trackpadの不思議感があのディスプレイで再現されれば最高です。ソフトに関しては予想するだけ無駄というか、またまた相当iOS5とOSXを融合させる度合いが深まっていくことでしょうし、改良版のsiriの多言語版化とか?
前回のiPad2の予想でも半分以上は当たったので、ま、今回も希望的観測込みで上に書いたことのうち、3つ当たればよしか?
まあ、秋の夜長のいい加減な夢想でした。一個でも当たればよしとしましょう。(笑)

2011年10月14日金曜日

iPhone4S

いよいよアメリカでもiPhone4Sが明日から発売になる。実際にはヨーロッパとかではもう数日前から家に実物が届いている人達が出始めて、アメリカもそういう状態らしいんですが、プレ・オーダーの段階でもう二日目にサイトに見に行った時には一、二週間待ちとか出ていたのですぐに諦めました。w
何と言ってもこちらでは音声認識が大絶賛されているようで、その認識率と、それに対応した電話からの正しい情報返答率は大したもののようです。何と言ってもアンドロイドの音声認識と合成音とはレベルが一段以上違うようで、あちこちのサイトでその素晴らしさゆえだけでもこの電話は買いだということになっているようです。しかし、それは未だ英語バージョンに限ってのことで、そこに辿りつくのは一体何時のことなんでしょうかね。大体これがこちらでは大きな売りなのに、その機能が無くてハードウェア的な機能アップはあるにしても、日本ではiCloudでも音楽ストリーミングの制限がかかっていて、普通の状態では使えないというのであれば、やはり著作権亡者のお陰様でまた日本だけ置いてけぼりを食らうんでしょうかね、、、。
明日の朝から近くのアップルストアでも販売ですが、週末にアジアンマーケットに行ったついでに電話自体を見に行ってみようかなとも思ってます。それにしても、このiPhone4Sの売れ具合はちょっと凄まじい物がありますね。一年半近く待たされた人達が旧iPhone例えば、3、3GS、更にはこの一つ前のバージョンの4まで取り替えて手に入れようとしているという話ですから、こういう異常事態になるんでしょうか。
それにしても、これでまた独り言を言いながら(実際は電話に話しかけて)道を歩いている人が沢山出てくるのかと思うと精神科のドクター達にとってはチョイとヤバイ世界の出現でしょうか。(笑)
まあ、きっと直ぐに誰か学生が買ってくると思うので、それを見て供給が十分になってから買いに行っても何も問題ないですな。

2011年10月13日木曜日

いろんな意味で感動したみたいです

先日NYで上の娘がミュージカルを観て感動の余り大興奮。
延々と母親にその感動を話していたんですが、何とその後ミュージカルに主役の代役として出ていた男性に送ったTwitterのメッセージに返事が来たということでずっとニタニタニタニタしっぱなしでした。さすがは21世紀、双方向の簡易コミュニケーションシステムがそんなNYのショービズの「本当は」自分から遠いはずの人が自分の傍らに寄り添ってくれるような感覚をもたらしてくれたのでしょうか。17歳の高校生にはきっと信じられないような幸せな一瞬だったのでしょう。
ミュージカルの名前はMEMPHIS。
内容に関してはここが本ページココに日本語の解説なんかがあります。日本語の解説に載っている翻訳された文章は非常に辛口ですが、魂のことを語りだすと難しいものですね、、、。まあ、少なくとも娘はこのミュージカルにKOされたみたいなんで彼女の今後の「観劇」観に余計な口を突っ込まないようにしたいと思います。それにしても、自分自身は本格的なミュージカルを見る機会は今までの一生で未だに一度もまだ有りません。年末くらいにリッチモンドに何か来ないかな。

2011年10月11日火曜日

文才

世の中には文才を持った人が確実に居る。
しかもその人達の殆どは別に売文で生業を立てているわけではない。それを最も感じさせるのが、ウェブに書かれたブログや2chでのスレッド内での反応とかの文章だろうか。自分に関して言えば、人を愉しませる様な文章はもうテンでダメで、比較的得意な文章はと言えば、ガチガチに堅い文言で繋げられた取説や実験プロトコールのような文章、つまり練習すれば誰でもある程度は書ける様になれる文章でしかない。こういう法律の判例説明みたいな文章では無くて、「軽妙洒脱」とか、「流れだすような」とか、「読めば言葉が一人で立ち上がってくるような」とか言うような文章は逆立ちしても自分には書けない。
現代国語では良い点を取ってましたけど、そんなのは文才の有無などというモノとは「」程も関係ないことは自明の事でして、面白い文章を書ける人、人を惹きつける文章をサラリと書ける人が本当に羨ましいです。無論、文筆業、売文で身を立てようとする人間であれば死ぬほど苦労して才能の大小に拘わらず、それに己の努力を形として粘土の様にくっつけて行って一代を成すような人も多くいるのでしょうが、それでもやはり文才が元からある人というのは少なからず有る訳です。
個人的にそうだなと思えるのは、向田邦子、宮部みゆきなんかもそうだと思います。自分自身、小説は余り読まず、読み物はノンフィクション系が多いので人より小説家を知っている訳ではないのですが、それでもこの人達の人を惹きつける文章というのは努力を超えたところにあるような気がします。(無論このような人達が他の人の知らないところでどのような努力をしているのかは我々の窺い知る所ではありませんが、、、。)
日本語を忘れないようにするのが目的とは言え今日もまた駄文を書き連ねてしまった。才能の欠片も無し、、、嗚呼。

2011年10月10日月曜日

人に死の近づく時

今朝は本当に驚かされた。そして親として考えさせられた。
朝一番に飛び込んできたgraduate schoolの女の子が、「酷い週末だった」と顔を曇らせて話してくるので「どした?」と聞くと、昨日、自分の直ぐ上のお姉さんが高速道路で事故に遭い既(すんで)の所で死ぬところだったと言う。車は側溝のコンクリートを飛び越えて数回転して森の木の中に突っ込み、乗っていた2009年のCIVICは大破したが、エアバッグとシートベルトと衝撃吸収構造が命を守ったと言う。
シートベルトをしていた胸から首にかけては抑えつけられた衝撃で皮下出血をし、首を抑えたところはそのベルトで少し首の皮まで切れてしまったというほどの衝撃に強さなのだそうだ。本当に木との当たり所が悪かったら絶対に死んでいたとその事故現場を見た警官と救急隊員に言われたそうで、こういうのを不幸中の幸いと表現して良いのだろうか。
事故の原因は70マイルほどで突然割り込んできた男性の運転する乗用車を避けるために切った急ハンドルだったようだ。このアホはそのまま逃げていったらしい。日本だったら本人のドライブレコーダーか後続車両のドライブレコーダーなんかでその危険車両の割り出しなんかも出来た可能性があったのだろうが、ココアメリカではドライブレコーダーは極一部の車両しかまだ積んでいない。
このお姉さんは二週間くらい前に、ラボで働く妹の為に私のオフィスまで弁当を届けに来て、挨拶がてらいろいろと立ち話をした顔を良く知っている(妹そっくりの美人姉妹)女の子だったので、「まさか」という気持ちが強く、御両親が当初、半狂乱で本当に心配されたという話を聞いて、同じように子供を持つ親としてその気持が痛いほど良く解った。親になって初めて解る気持ち。逆に言えば、子を持つ親にならないと決して理解出来ない気持ちだと思う。
そういう自分も、もう少しで車を運転し始める娘を持つ親として「本当に」こういう話は聞きたくないし、身近な人で起こって欲しくないのだ。加害者になるのは真っ平御免だし、被害者にも本当になりたくない。
車の免許を取り立ての世間知らずの子供顔した男の子や女の子がビュンビュン道を飛ばしていくのを見ていると、「ああ、これを知らぬは親ばかり」と思ってしまう。加害者や被害者になってからでは遅いのだよ、若い諸君、、、。といっても、車という偽の「チカラ」を持った勘違い学生達が、今日も一人、明日も一人と親兄弟に別れを告げ、または若くして、一生後悔してもしきれない人殺しになっている現実は辛いです。どんなに慎重に運転していても、被害者になったり加害者になたリする可能性があるのが車の運転。皆さんスピード出すのはサーキットとラリーのスペシャルステージだけにしましょう。もし近くに若いドライバーがいたら嫌われてもいいから口を酸っぱくしてそれが動く凶器であることを繰り返し教えましょう。

本日の手料理

今日は恒例の週末手料理の日ということでちょっとした手料理に再び挑戦。
揚げ物が中心で、エビと牡蠣のフライ、もう一つはたらこスパゲッティでした。フライの準備で時間をかけているうちに横で嫁さんが痺れを切らしてスパゲッティを茹でて作って仕上げてしまいました。(笑)やっぱり新人は遅いですね。
今日気づいたんですが、パン粉の種類によって最後の味までが左右されるという事実に気づきました。今回使ったのはどちらも日本製のものだったのですが、粉のキメが細かいパン粉のほうが子供の下には好評のようでした。見かけという点ではいわゆるキツネ色の揚がりでキメの粗いパン粉のほうが美味しそうに見えるんですが。
そういえば今日夕御飯作ってる時に嫁さんと話になったのですが、東京オリンピックで世界の人を相手に料理を作った伝説の料理人・帝国ホテルシェフ料理長の故・村上信夫氏のような「神様」のような料理人は家庭にいるときは奥様の料理を食べたのだろうかとふと疑問に思ってしまいました。
きっとどこかにその文献があるはずなのですが、、、。興味深いです。探さねば。

2011年10月9日日曜日

今日は久しぶりの列車・Jobsの影響力

今日は我が家の年中行事である季節ごとの列車乗りイベントに行ってきた。
今日の小旅行は息子と二人だけで、再び「男だけ」の二人旅。昼前に嫁さんに弁当を詰めてもらい、リュックの隙間にちょっとしたお菓子を間に挟んでもらっての一時間ほどの田舎道のドライブをして最終目的地であるいつもの始発及び終着駅であるDillwynに到着。45分前なのに既に20人程の行列が出来ている光景はいつもと同じでした。
今日はシーズナルに行われる西部劇風の催し物もあり楽しませてもらった。悪党は常に銃でヤラレかつその悪党は常にヒスパニック風の男という設定。このあたりが平均的なアメリカ人のもつガンマンとか西部劇というものに対する平均的な認識なんでしょうね。
さて、四時間近いいつもの乗車も、読書と外の景色を眺めるのに忙しい上に手弁当とお菓子も美味しかったため、感覚的にはあっという間に始発駅へ戻って来てしまいました。秋の空気も気持ち良く、汗もかかずかと言って寒い日でもない最高の行楽日和というやつでした。
さて、NYに行っている娘からアップルストア・五番街店のスナップが送られてきました。
最初見た時「あれ?」と思ったのはガラス張りであるべきはずのこのストアがなんだか板のようなものでぐるりと囲まれているということです。もしかして改装中なのか?それともその他のことなのかはわかりませんが、とにかくいつものストアではないということ。もうひとつ気づいたのは壁に沢山のPost It!がメッセージと共に貼りまくられていることでした。詳しいことは娘が明日帰ってきた時に聞こうと思いますが、壁の下には多分沢山の献花もされていたんだろうと思います。
Jobsって単なる経営者では無かったことが時間が経つほど明らかになりますね、、、。この感覚はジョン・レノンが射殺された時の世界の空気に似ていると思うのは私だけか。

2011年10月8日土曜日

NYへ修学旅行

今日は少々家が静かだ。
というのも、上の娘が今朝早くから学校の修学旅行でNYに出発した為。ミュージカルやMoMAなんかを見学するらしい。二泊三日の旅行はコミコミで475ドルということで、実際にはクラスの中で行けない子も居るらしい。積立なんかを全く呼びかけないところがアメリカらしい。イキナリというかなんというか、一部ではこういう日が来ることはわかっていたのだろうが、実際にお金が払えないような家庭も実際にあるわけで、2クラス40人の中で、実際に3人程は行けないということで辛い思いをしたというように娘から聞いている。
実際に進学に際してもお金の有無がその進学実績の差をもたらしたりするのだから世の中はなかなか不公平に出来てます。まあ、その差をぶち壊してでも階段を駆け登っていくだけの力を持っていれば、その才能に対しては引く手数多(あまた)なのがここアメリカですから、飛び抜けた力があれば問題はないのですが、女の子の思い出つくりのようなものに参加できないのはやはり聞いていて辛いですね。
この手の同情をし始めたら限がないということもわかってはいても、17歳の女の子の気持ちを思うとやっぱり、、、ですね。

2011年10月7日金曜日

やっぱインチキだぜ!w

娘がこの夏にTOEFLをどういう風の吹き回しか知らないが受けた事を以前、このブログで書いた
最近その結果が帰って来ていたのに俺に話していなかったらしい。何でかとこっそり嫁さんに聞いたら、「満点じゃなかったから怒られると思った」らしい。 orz 
古典的で申し訳ないのだが、、、ズコーーーーーーーーーーーッとコケてしまった。(笑)満点って馬鹿か?まあ、そりゃ取る人も居るだろうけど、何の準備もなしで行って、趣味の延長上で受けたテストが満点取れたらお前、勉強自体が不要ということです。
という訳で点数を聞いたら654/677点だったと言う。親としてのコメントは「充分」。以上。
やっぱ、これはどう考えてもネイティブが受けてはいけないテストでしょ。(笑)これはズルです。日本の高校生が、日本に来て住んでいる日本語が母国語でない人のための日本語テスト受けて97%取りました!と言っても、まあ自慢にはなりませんわな。
でも、まあ日本で就職する機会があったり、日系企業で将来働くチャンスが有ったらこんなテストも役立つかもね。取り敢えずネットの情報によると、外国人でアメリカの大学院に入ろうとする人は600点取れていれば良いそうですのでまあ、大学院の授業くらいならついていけるかも?(但し、中身がどうのこうのではなくて、英語の部分だけかな。)
まあ、若いうちは特にいろんな事にチャレンジしておくのも大いに結構!アンマリ金のかからんこういう事なら応援「出来」ます。(金銭的に、したくても出来ないものが沢山ありますが、、、。それは笑って許して!)

2011年10月6日木曜日

Jobs死去

遂にその日がやってきた。
その日が来ると解ってはいても、現実にそれが報道を通して近づいている事をを感じてはいても、やはりそれを見たくない気持ちというものが心のどこかにあった。PCを触っていたら、上の娘がreddit経由で読んだAPのtwitter速報で「お父さん、Jobsが死んだって言ってるけど本当かな?」と聞いてきたので思わず「エーーー!」と大声で反応してしまい娘が飛び上がってしまった。
彼のようなカリスマ性を持った経営者というのは本当に滅多なことでは現れるものではないだろう。今、facebookのZuckerbergが次あたりに来る可能性があるくらいだろうが、これほどコンピューターとネットの歴史の中で、リアルタイムにすべての重要な節目で激しく時代とぶつかり続けてきた人物などというのは多分次の一世紀は現れないんじゃないか、というのが個人的な想いです。
少なくとも20世紀から21世紀の初頭にかけて生きる我々にとってはこの手の強烈な個性を持った人間を認めざるを得ないでしょう。実際に内輪の話をいろいろと読んでみると、様々なものを「彼自身」が発想、発案した訳ではなくて、多くは部下や周囲の人間が考え持ち寄ったものを彼の功績として祀り上げたものであることが判りますが、それを取捨選択して実際に形や製品として嵌めこんでいくのは最高責任者の彼なのだから「企業としては」彼の功績としたほうが手っ取り早いし、、、。しかしカリスマをでかくしすぎた代償もついて回るだろうな、、、。(逆に言えばアップルという会社は未だ暫くは大丈夫ということでしょうが。)
何れにせよ、一つの大きな時代が終わったことには間違いない。PCの時代というものもここ十年で随分と違った形に変わったし、携帯がその仕事の多くを肩代わりするようになって仕事内容の分業化がかなり進んだと思う。これからの10年で更に携帯の役割は重みを増していくのだろうが、どこまで変わっていくのかは未知数だ。間違いなく言えるのは技術的進歩に関しては想像できる限りの全ての事は現実に起こるだろうということくらいだろうか。
もうこれでJobsも病と闘わなくて良くなった。十分にいろいろなものと戦った一生だったと思う。安らかに眠ってもらいたい。心よりご冥福をお祈りいたします。

2011年10月4日火曜日

渋滞が酷い

他のエリアでも色々と特定の地域で酷い渋滞が起きているのはよく見聞きしますが、リッチモンドの場合は朝夕のターンパイクが酷いです。特に夕方の渋滞は目も当てられない感じで、責任者出てこい!と言いたくなることもあるので、「よっぽど」の事がない限り、ココは夕方は特に走らないように気をつけています。
DCの渋滞なんかも自分が居た頃もひどかったんですけど、NIHを去る直前なんかはもう五年前とは比較にならないほど酷くなってました。しかし友人に聞いた所では、最近はもっとひどい事になっていて、Geithersbergの辺りは昔単なるど田舎だったのがここ数年は朝なんか車が動かないこともよくあるといっていました。どう見ても住宅開発のスピードに比べて公共交通機関が貧弱なままだったり、道の拡幅が大幅に遅かったりするので、こんな悲惨なことになるんですよね。
アメリカに来て一番不満なのは公共交通機関、特にコミューターとして最適化されたバスや電車が全然無いことです。最近でこそ相乗りを奨励するZIM・RIDEなんて言うのが大学単位であったりするんですが、、、今ん所マダマダ焼け石に水状態です。何と言っても帰宅時間なんかは自由でないと、到底研究職なんか務まりませんから仕方ない面が強いです。その点看護師さん達はきっちりしてるから良いかも知れませんね。
税金を公共交通機関に投入してくれ~!

2011年10月3日月曜日

マスコミからマスゴミへ

もともと新聞記者なんて言うのは一昔前は「羽織ゴロ」等と呼ばれておりました。つまり、金銭を貰って記事を書いたり書かなかったりということです。質の悪いのは「脅し、すかし」て人を揺さぶるわけで、それに対する対抗手段を持たない市井の人間はよっぽど意思の強い者でも無い限りは通常泣き寝入るしか無かった時代が延々と続いてきた訳です。しかし、ネットの出現で取材「する側」と「される側」の力学が決定的に変わった時代が来た事に「未だに」気付かずこれに抗う勢力も居るわけで、もう殆ど非・有視界飛行状態にあるマスコミ人も大量に発生してる現実が今の21世紀初頭の姿。まあそれは放っておいても絶滅するので、時間と言う極上のソースが彼らの存在をゴミ箱の中へ淘汰するのを待ちましょう。(質が悪いといえばあご足つきで企業取材をする提灯記者達。恥を知れ!って、、、無理です!(笑))
最近、ネットに出てくる「マスゴミ」の売文を読んでいて気づくんですが、何かこれホントにチェック受けて記事出してるの?と言いたくなるような誤字脱字のオンパレードが、年々歳々酷くなっているのを強く意識せざるを得ません。
何と言っても売文で生計を立てている輩が誤字脱字に、訂正後の単語再追加の欠落、敬語や丁寧語の間違いの連発とくれば、それを指導している上の連中のクオリティーも推測するに「当然」高くない訳で、それが続けばその下の世代の文章錬成力は更に低下することは間違いない事でしょう。
最近テレビではオバカ美人アナという訳のわからないカテゴリーで採用されている「舌噛みまくり」「漢字も読めない」アナウンサーが頻繁に登場し、各局の唱導するところの「報道?」レベルの低さを嘲笑されているのもそういった末期症状の一つなんでしょうね。若手は上を見て育つとは言いますが、、、。
最後にこの記事をここに貼っておきたいと思います。

取材に行かない若手

「あいつら、1日中編集部にいるんだよな」――。
これは某大手週刊誌の編集幹部の弁だ。あいつら、とは若手の編集者や記者を指している。電話やメールでの取材が中心で、「人と直接会ってネタを引いてくるという作業をとにかく嫌がる」というのだ。
筆者にも同じ様な経験がある。古巣で毎年新人記者が入社するたび、記者クラブで決まりものの原稿ばかり処理し、外に出たがらない若手が急増したのだ。中には、ネット上の掲示板からネタを「コピペ」し、無断で原稿に引用するような輩も現れ、社内で大問題に発展する様なケースすらあった。
筆者は、週刊誌の編集者・記者、あるいは契約ライター諸氏の大半が誠実に取材を続け、俎上(そじょう)に上る相手と日々ギリギリの駆け引きを行っていることを熟知している。ただ、先に触れたように、相手と直接接触し、感触を確かめるという基本作業を怠っている向きも確実に存在するのだ。
筆者は若手だけを指弾しているのではなく、こうした危ない記事作りを容認、あるいは黙認してしまっている編集部の体質にも少なからず問題があると考える。広告の減少と部数の減少を食い止めるため、刺激の強い記事を書く。こうした方針で各社の週刊誌は懸命に歯を食いしばっている最中だ。だが、刺激の強い記事をお手軽に濫造したとしたら、それは一層の読者離れ、ひいては購買部数の落ち込み、最終的には広告の枯渇、休刊(廃刊)という負のサイクルを転げ落ちることを意味する。
筆者は現役記者時代、取材経費を捻出するためにアルバイト原稿で各社の週刊誌には散々お世話になってきた。いまさら最上段に構えて批判めいたことを書く資格がないことは重々承知しているのだが、最近の取材の稚拙さには正直、危うい一面を感じた。週刊誌は新聞やテレビが掘り下げない告発記事、調査報道が使命だ。作り手内部の劣化は、最小限に食い止めるべき時期にきているのではないだろうか。

上の記事驚きませんか?まるで他人事。(笑)
一切の妥協を排して下を正しく・厳しく育てられない組織を待っているのは「確実な自滅」です。

2011年10月2日日曜日

失業は恐ろしい

ここ数日、清々しい朝が続いてきていたが、一雨毎に段々と気温が下がってきているのを感じる。
基本的には上り下りが続く中でやはり徐々に下がっていくというのがこの時期の気温。なんせ、もう10月ですから寒い日があって当たり前。今日はついに数週間使わなかった扇風機を屋根裏にあげて代わりにHeat Dishを持ちだしてきた。こっちの方が遥かに経済効率が良いので、家では滅多なことではセントラルヒーティングはONにしないのです。なんせ一、二階を暖かく保とうとしてセントラルヒーティングをオンにしておくと、月に7-800ドルを暖房費に取られる「リスク」がありますので。うちは富豪じゃありませんし、基本的に近未来の娘の進学費用に怯える貧乏人ですから。(笑)
貧乏といえば、日経でこんな記事が載っていた。全く笑えない記事で、周囲に居る年収数10万ドルを容易に越えるような家庭でも、明日は失業者というような所がアメリカらしいと言えばアメリカらしいところなんですが、貧富の差の拡大というのは別に日本だけの専権事項じゃなくて、ここあたりでも、ごく普通の世帯で見られることなんですね。自分の住んでいる周辺には黒人層やシスパニックの家庭は本当に少ないのでそういうものが視界の中に入ってくることは少ないんですが、通勤途上にリッチモンドに向かう途中などでは、朝からする事も無くただただバス停にボーッと座って話し込んでいるとか、ゴミ箱の空き缶を拾ったりしている人達が沢山居ます。こういった人たちの多くは貧困のスパイラルの中では最も底辺に置かれた人達で、教育があって、意欲さえあればやがて景気回復と共に再雇用の道が残されている人達とは根本的に立場が違ってるんですよね。
何しろ、教育がない、廻りにロールモデルがない、就職の道を探すコンピューターもない、そして最も悲惨なのはそこから脱出しようという意欲が「根本的に」無いということなんですよね。ですから、学歴も何も要らないようなマクドナルドでのクリーニングの仕事なんかが提供されていてもそこに応募しようという気さえ無い状態で、そういった「何かに挑戦しようという気持ち」が「長い間の貧困」(多くの人は生まれてこのかたずっと)と誰も示してくれない「労働による生活改善の過程・具体例」が人間を完全に磨り減らせてしまってます。あるのは暗い現実としての借金、そして多くの場合は子沢山でかつ、その子供達を進学させるようなお金も方法も知る由もないということ。
ごく一部の(本当に低い可能性)人達しか、そこから脱出することが出来ません。廻りのそのような家庭の親の話を間接的に娘の口から聞くことがありますが、一言で言って「将来に対する見通しが異常に甘い」人が多いです。楽観的にならないとこんな暮しやっていけないという人も多いんでしょうが、私は彼らに必要なのは現実に対する「具体的な現実の直視」とそれを改善するために受け容れるべき厳しい具体的な改善事項の達成計画を受け容れることではないかと考えます。
教育が無いということは、現代社会では本当にありとあらゆる意味で致命的です。それがここアメリカに来て現実をこうも見せつけられると、その思いは日々強くなるばかりです。人は或る時突然に貧困に投げ込まれる可能性が誰にでもあります。それは病気や不景気による失業だったりすることがメインなのでしょうが、そこを高いレベルで防御してくれる盾になっているのはどんな時でも教育と家族からのサポートだと思うんですよね。
そういう意味では教育の機会均等だけは国民に最後の最後まで提供され続けないといけないものなのですが、実際は(この国だけに限らないのでしょうが)そんな理想論とは反対に、金持ちの子は多少オツムに問題が有ろうと、日本円で数千万から億を超えるような親の寄付金や、全面的なプレップスクール(DCあたりの学校では大学の学費より高いプレップ校が幾らでもあります。)からのサポートで、超一流の大学にも行けたりします。(ブッシュなんかは日本でも有名ですが。)
そういう準備万端の連中を押しのけて進学するのはそうでない若者たちにとっては最初からフル装備で突撃してくる連中に素手で試合を挑むようなものですから、こちらが勝つにはカンフーの達人であるしか道はないわけです。(笑)頭脳が全ての徒手空拳チーム対フルメタルジャケット。どちらが有利かは普通は容易に理解できます。
貧困の固定と富裕層の固定。それが努力に見合ったフェアな(許容範囲にある)もののうちは未だ良いのでしょうが、それも度を越すと社会不安が増強してくること火を見るよりも明らかです。引き続く抗議もそういう現象の一端でなんだと思います。

2011年10月1日土曜日

Forever 21

今日は下の娘が友達の家に遊びに行きそのままKing's Dominionに行ってしまったので、その間隙を縫って上の娘と他の家族と共にForever21に服を買いに行った。
ほんの少し前までForever 21とは一体何なのかよく理解していなかったのだが、いわゆる「年頃の」娘さん達が比較的安価に自分たちのちょっとした服を沢山買いに来ているところだ。日本でもForever 21がもう出来たのかな?よく知らないんですけど、日本でも同じような感じでみんなが買いに来てるのかな。安くておしゃれな服を求めるのはどの国でも間違いなく共通ですからこんなふうに沢山の若い女性が集まってくるんだと思う。
しかし、こういうオシャレな所に居るオヤジというのは人種を問わず毎回共通で、どこに居ても「浮いて」居るし、居場所というものがそもそも無い。しょうが無いので、息子の手をひいてモールの中をうろうろするのだがそれでもやっぱり居場所はない。(笑)そう、ショッピングセンターは「そもそも」おやじの来る所ではないのです。ただ、お金を払いに来てあげるためだけに来るのでした。嫁さんには「お前の場合は2XForever 21だな~。」というとそれに怒りもせず同意してくれた。四十過ぎると達観してくれるか。(笑)
今日の買い物は来週娘がNYへの「修学旅行」に行くための準備。アメリカにも任意で(とは言っても殆ど行くのですが)行く修学旅行があって、シニアの学年で行くことが多いみたいです。他の州や学校ではどうかは知りませんが、周りはそんなセットアップが多いようです。
親が監督者として最初から大量に募集されているところもアメリカ的です。一緒に旅行についていってその安全の補佐をするところなんか実際に親がよく関与するこちらの通常の学校教育そのもので、修学旅行に関して言えばここらあたりが日本とは全く違います。親としてはただ良い思い出を作って安全に戻ってきてくれればそれで幸せです。

短所を長所に、そして収入の糧に

やっぱり世の中は広い。
今日は本当に「たまたま」ある人の動画をYoutubeで見た。ご本人には失礼だろうが久しぶりに心の底から呵々大笑してしまった。
私個人としてはアニメの声優さんが誰かなんてほぼ「ドラえもん」の大山のぶ代以外は知りもしないんですけど、この人の声は確かに相当特異。この人物は金田朋子という人で、まあ、ある種の人達には非常に有名な人らしいんですが。Wikiを調べてみると、なるほど~なというようなエピソードが満載。まあ、この人が自分の隣で生活していたら多分確実に「イラッ」とすると思うのですが、、、(笑)。見かけは実に若々しいと言うか「幼い」。
これでは確かにWikiにあるような色々と笑えるエピソードに包まれた生き方をすることになる訳で、こういった母集団の「99%」から外れるような特徴を持つ人は、その使い方、使う場所さえ間違えなければそれが逆に「実に得難い」長所に変わる劇的な例なんでしょうね。
これで38歳なのだから凄いもんです。何時までこの幼さを保つことが出来るのか、それとも可愛いおばあちゃんになるのか。まあ、興味はないんですけどwどうなるのでしょう。