基本的には上り下りが続く中でやはり徐々に下がっていくというのがこの時期の気温。なんせ、もう10月ですから寒い日があって当たり前。今日はついに数週間使わなかった扇風機を屋根裏にあげて代わりにHeat Dishを持ちだしてきた。こっちの方が遥かに経済効率が良いので、家では滅多なことではセントラルヒーティングはONにしないのです。なんせ一、二階を暖かく保とうとしてセントラルヒーティングをオンにしておくと、月に7-800ドルを暖房費に取られる「リスク」がありますので。うちは富豪じゃありませんし、基本的に近未来の娘の進学費用に怯える貧乏人ですから。(笑)
貧乏といえば、日経でこんな記事が載っていた。全く笑えない記事で、周囲に居る年収数10万ドルを容易に越えるような家庭でも、明日は失業者というような所がアメリカらしいと言えばアメリカらしいところなんですが、貧富の差の拡大というのは別に日本だけの専権事項じゃなくて、ここあたりでも、ごく普通の世帯で見られることなんですね。自分の住んでいる周辺には黒人層やシスパニックの家庭は本当に少ないのでそういうものが視界の中に入ってくることは少ないんですが、通勤途上にリッチモンドに向かう途中などでは、朝からする事も無くただただバス停にボーッと座って話し込んでいるとか、ゴミ箱の空き缶を拾ったりしている人達が沢山居ます。こういった人たちの多くは貧困のスパイラルの中では最も底辺に置かれた人達で、教育があって、意欲さえあればやがて景気回復と共に再雇用の道が残されている人達とは根本的に立場が違ってるんですよね。
何しろ、教育がない、廻りにロールモデルがない、就職の道を探すコンピューターもない、そして最も悲惨なのはそこから脱出しようという意欲が「根本的に」無いということなんですよね。ですから、学歴も何も要らないようなマクドナルドでのクリーニングの仕事なんかが提供されていてもそこに応募しようという気さえ無い状態で、そういった「何かに挑戦しようという気持ち」が「長い間の貧困」(多くの人は生まれてこのかたずっと)と誰も示してくれない「労働による生活改善の過程・具体例」が人間を完全に磨り減らせてしまってます。あるのは暗い現実としての借金、そして多くの場合は子沢山でかつ、その子供達を進学させるようなお金も方法も知る由もないということ。
ごく一部の(本当に低い可能性)人達しか、そこから脱出することが出来ません。廻りのそのような家庭の親の話を間接的に娘の口から聞くことがありますが、一言で言って「将来に対する見通しが異常に甘い」人が多いです。楽観的にならないとこんな暮しやっていけないという人も多いんでしょうが、私は彼らに必要なのは現実に対する「具体的な現実の直視」とそれを改善するために受け容れるべき厳しい具体的な改善事項の達成計画を受け容れることではないかと考えます。
教育が無いということは、現代社会では本当にありとあらゆる意味で致命的です。それがここアメリカに来て現実をこうも見せつけられると、その思いは日々強くなるばかりです。人は或る時突然に貧困に投げ込まれる可能性が誰にでもあります。それは病気や不景気による失業だったりすることがメインなのでしょうが、そこを高いレベルで防御してくれる盾になっているのはどんな時でも教育と家族からのサポートだと思うんですよね。
そういう意味では教育の機会均等だけは国民に最後の最後まで提供され続けないといけないものなのですが、実際は(この国だけに限らないのでしょうが)そんな理想論とは反対に、金持ちの子は多少オツムに問題が有ろうと、日本円で数千万から億を超えるような親の寄付金や、全面的なプレップスクール(DCあたりの学校では大学の学費より高いプレップ校が幾らでもあります。)からのサポートで、超一流の大学にも行けたりします。(ブッシュなんかは日本でも有名ですが。)
そういう準備万端の連中を押しのけて進学するのはそうでない若者たちにとっては最初からフル装備で突撃してくる連中に素手で試合を挑むようなものですから、こちらが勝つにはカンフーの達人であるしか道はないわけです。(笑)頭脳が全ての徒手空拳チーム対フルメタルジャケット。どちらが有利かは普通は容易に理解できます。
貧困の固定と富裕層の固定。それが努力に見合ったフェアな(許容範囲にある)もののうちは未だ良いのでしょうが、それも度を越すと社会不安が増強してくること火を見るよりも明らかです。引き続く抗議もそういう現象の一端でなんだと思います。
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