2016年5月8日日曜日

人はやがて食事がとれなくなる

これはきっと自分自身にとっても間違いなく将来直面するシリアスな問題なのですが、病気になったり高齢者になると物をうまく飲み込めないということが比較的”普通”になってきます。

勿論、若くても脳血管障害などが原因でそうなることも有りますしその他の種々の要因で、咀嚼や嚥下という人が食事や飲み物をとるときの基本的な行為が出来なくなることもまたあります。
よく「ムセ」が原因で食物や自分の唾液が肺の中に入っていくことによって誤嚥性肺炎というものが問題になるのですが、たちが悪い事にムセも発生せずに不顕性と言う形でドンドン呑み込んでしまうような症例もまた多いのです。

臨床に戻り、高齢者の皆さんの終末期を診ていると、本当に「食べる」という動物としての基本的な機能の障害が人の余命に大きく影を落としていることが非常に強く実感できます。
逆に言えば、脳血管障害、進行した認知症、加齢などに随伴して発生している嚥下機能障害が、如何に人の臨終を早めているかという現実に起きている事象に対する対応が必然的に日常の高齢者に対する診療行為での中心的課題の一つになってくるわけです。

より自然なレベルでの免疫機能の維持のためには、どうしても食物を消化管を通らせてあげることが大切なのですが、嚥下が出来ない時の手段として経鼻チューブ、胃瘻設置などが日本では多用されます。しかし、そういった手段を使っても、実際にはかなりの患者さんで逆流が発生してくることに起因する誤嚥性肺炎が観察されますので、次の手段として中心静脈栄養を用いた高カロリー輸液などが行われることが多いのです。しかし、こうなってくると人によっては本人の意志とは関係なしにただ「生かされている」という状態である人も正直なところ臨床の現場では非常に多いのです。

欧米諸国では自力で摂食できなくなったことをもって、延命治療は行わないということを基本に据えているというような話を巷間聞きますが、間接的な話なので、今度また海外諸国の友人たちに聞いてみようと思っています。

こういった種々の栄養補給をめぐっては”可能である”方法論と宗教的・哲学的・倫理的な考察との間に大きな溝があります。ウェブ上の医師専用のクローズドなフォーラムにおいても、これら嚥下機能障害、終末期の人工栄養に関するディスカッションは本当に言葉による殴り合いの様相を示すことさえあります。

私個人としては、私自身が己の親に対してはどういった選択をするかということは既に自分の親とも話していますし、自分の嫁さんにも「万が一」のときには週に三本くらいの緩い点滴をしてもらって、ゆっくりと二、三週間で死を迎える様な最後が良いなと言う類の話をしているのですが、現実にそうなった時にしてもらえますかね?このページがあとあと良い意味の証拠になるかな?w

産まれて数時間の理不尽な死も死、百歳で多くの親族に看取られての大往生も死、しかし死だけは誰にでも確実にかつ公平に訪れます。
最後の瞬間のみならず、その瞬間を迎えるまでのしばらくの期間をどうしてもらいたいか。それを家族で話すのは「良い死」を迎えるための本当は非常に大切な家族の時間だと考えます。

今の日本においては死んだ人をみたことがない人が増えているそうです。しかし、幾ら遠ざけたつもりでも己の最後を考えると言う行為は少なくとも家族を持った人間には必ず必要な大事な瞬間だと私は考えます。
十年に一度でいいからそういうことを配偶者と何気なく話してみるのも良い人生を送る秘訣なのかもしれません。

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「いざというときは延命治療しない」ということを確認しあっていても
その「いざというとき」に、相手の命の長さを自分が決めていいのか
迷ってしまうような気がします。
優柔不断なので、医師に「本当にそれでいいんですね?では誓約書を書いてください。」
とかなんとか言われたら、絶対ぐらつきます!

small G さんのコメント...

日本であれば”ぐらつく”と言う反応や心の葛藤が寧ろ極めて正常だと思います。

ブログの様な内容書いといてそんなこと言うの?と、問われそうですがそれが真実です。
超高齢者であっても御家族の方は(年金、その他のカネ絡みなど関係なしに)少しでも長く生きていて欲しいと言われる方々も極普通ですしね。
命に関してはひとりひとりの生き方考え方が深く反映されますから難しいです。

特に、患者さん御自身ががまだ若い方(見送る若い家族の方も含めて)などはそういった決断は崖から飛び降りるほど難しいのが当然だと思います。

宗教観の彼我の差も大きいのだと思います。
日常生活の次にネクスト・ライフを強く信じておられる方々にとっては来世は次へのトランジションですからより一層、死という事象への親和性が高いのかもしれません。

難しい話です。それだからこそ医師の間でも未だにこの問題への対処法に関しては喧々諤々なのです。