2015年3月23日月曜日

学歴と実力

物理と音楽で有名な伊藤先生が書かれている論説にこんな文章があるのを見つけました。

アベノミクスとの関連は全く私にはわかりませんが、学歴ロンダリングに関する記述はもうこれ以上何も言うことがないほどきちんと私の言いたいことを言って下さっている、しかも遥かに理路整然と!という点でさすがは文章家の伊藤先生です。

テレビに良くでているイカガワシイ連中のうちXX大学大学院卒とか言っている連中のうち、かなりの連中はその出身大学はそのXX大学では無いというのは極めて良くあることですので、今度チャンスのある方は、テレビにその手のインチキ臭い連中が出ている時にその連中の経歴をネットで確かめてみるといいと思います。

この手の作業を結構やってみた私の発見は残念ながら自分の仮説を裏付けるものでした。中には経歴の中に自分の出身大学を書かずに出身大学院から書いている連中が居ます。その手の連中は特によく調べてみられると良いと思います。w
あとは世間的には有名な一部の私大卒の連中でも、学部によっては箸にも棒にも引っかからないいわゆる「中身スカスカ」の連中が驚くほど「紛れ込んでいる」と言う事実も忘れてはなりませんよね。

「そこ出身」の彼ら自身は良く知っているのですが、彼らも含めその周りのレベルの高い方の一部の私大の人間も、敢えてそのことを世間に詳らかにして自分の大学を貶める必要はありませんので、内輪でお互いが理解しあえていればいいのでしょうが、入学の時点から既に始まる「学歴をカネで買う」世界が存在しているのは公然の秘密ですし・・・。特にエレベーター式のゴニョゴニョゴニョゴニョ・・・。

本当に実力のない連中はやはり金で資格や名前を買うしかありませんからしかたのない事でしょうが、それを許し続けてきた結果がこの前の某インチキO博士の誕生という顛末を産み出し、大学全体を奈落に叩き落とすのですから何をか言わんやというところですが、「金には」なりますから大学も止められんのでしょうな〜。

日本のインチキAO入試で入った中身スカスカの連中が大手を振ってその大学に入った挙句、スーフリとか言うサークルを作って猿の乱交の如きパーティーを毎晩のごとく開いていたのですけどね。
私はやはり文系の一科目とか二科目の受験で入ってきた連中がまともな学力、ひいては高等教育を受けていくだけの基礎ができているなどとは到底思えません。
最低でも数学と国語、外国語一つ、そして理科系の一つ、社会科系の科目の一つをもって受験して来ないようであれば高卒を名乗るべきではないと思ってます。そいういう意味では共通テストによる最低限の学力審査を足切りに使って、あとは二次を筆記でガンガン大学側がテストしていくというのは良い制度だと思うのですが、如何でしょうか。

大学もいい加減に目を覚まさないと、大学自体が逝ってしまいますぞ!って、現場の友人達の声を聞く限りではもう日本の大学・大学院はかなり終了しているところが多いようですし。
国立大学・その他の有名大学は、アメリカ並みに「大学院の門戸に入るためのスタンダード」、「そこを博士として出る為のスタンダード」をもっと上げないとかなりの速度でアポトーシスを起こしていくような気がしますが。

やばいのかな、日本の近未来は・・・。
ノーベル賞が出続けたのは21世紀の初頭まででした、、、と、後世の歴史書には載るのでしょうか。

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5 件のコメント:

HJ さんのコメント...

んー。ごめんなさい、最終学歴の大学院(修士または博士)と、出身大学(学士)が違うことの何が悪いのでしょうか。。意味が分かりません。
通常、プロフィールには最終学歴を載せますよね?そして日本はよく知りませんが、アメリカでは、学士を取った大学の大学院に行かないことってかなり普通ですよね?
なぜそこに噛みつくかが分かりません…。

small G さんのコメント...

はい、どうおコメントありがとうございます。
(このような糞ブログでも読んでくださる方が・・・涙)

言葉足らずはいつものことで申し訳ないですが、私が言いたいのは出身大学と大学院が違うことが悪いということでは「全く、これっぽっちも」ありません。w

寧ろ同じすぎる人が多いのが多いというのが問題(変!)であるということはこのブログでも以前書いたんです。
例えばT卒のT院卒のT大講師、T大助教、T大准教授、T大教授なんていう日本では普通のキャリアの外から見た時の「異様さ」はrigidityの高さのみならず、流動性がない、人材の交流がないと言う意味でおかしいですよね〜。
特にアメリカに行って特にその点のおかしさには気付きました。

ただ、ここで私が言っているのは一部テレビに出ている実力なき似非学識経験者達の大学名を虎の衣として使っている連中の中に明らかに沢山のそういった輩が含まれているということです。
アメリカのように大学を点々とするのが逆に「普通」という国とは異なり、伊藤先生がおっしゃるように「これらを筆頭に、地域の知のセンターとして高い専門学術を担うとされる大学の「学部入試」は、上に記したように厳密を極め、能力的に低い人が入学することは、「変り種入試」その他で起きないことではありませんが、普通は少ない現象です。」というフィルターを通っていない人があたかもそのフィルターを通った日のように振る舞い、その権威の名のもとに誤った情報でテレビを見る人や本を読む人を誤った結論に導いていると言う厳然たる事実ではないでしょうか。
そういう意味ではAO入試で一芸で入ってくるような連中には全く「使えない」某O先生のような方が居るということで、一種のロンダリングだと思うんです。
まあ、これも伊藤先生が言及されておられますので、これ以上は書きませんが・・・。
一芸と言っても国際数学オリンピックで金や銀を摂るような一芸なら、私が選考担当者なら三顧の礼で大歓迎なんですけどね。w
殆んどの一芸は「ヾ(・∀・;)オイオイ」レベルの一芸ですから、、、。

small G さんのコメント...

あと、継ぎ足せばアメリカは実際には日本以上の学歴社会だと痛感しましたよ。いわゆる世界ランクの一流大学を二つくらい通過して学歴コレクターのような状態にして政治や経済の中でギルドを作っている人達が(無論そういった所に入学・卒業できる実力があるという前提ですが!)異様に多いという現実ですか。

gotoguy さんのコメント...

伊藤先生のブログはログインが必要なので読んでませんが(笑)、おっしゃること、私はよくわかります。
(賛同者もいる、という意味でコメントさせてもらいました、笑。)

AO入試は諸悪の根源ですね、ほんとに。
思うに我々の頃、センター入試じゃなくて共通一次の頃の方が受験生は勉強してました。いまセンター入試を取り入れている大学も、科目数は三科目とかでOKですからね。

small G さんのコメント...

学歴なんて本当に実力のある人にとってはどうでもいいんでしょうが、比較的それ相応の人はそれ相応のところに入って頑張っているという「事実」は否定できません。
だからと言ってそこに入ったからといって実力があるかといえばそこまでで人生終わっちゃってる人もいれば、そこは単なる通過点でしかない実力の持ち主も掃いて捨てるほど居るわけで。

とりあえず、名前を「洗濯」して、「私の実力はこの大学院卒でござい」と言っている程度のテレビの出演者は大したことはないってことで、小さくまとめさせて下さい。w