2015年3月14日土曜日

ブラタモリを観て

当直室でブラタモリをネットで観ていました。(ネット経由で過去のものですが、、、。)

田舎の友人がFBに書き込んでいた情報によって、タモリが再開するブラタモリの最初の訪問地が長崎だということを知りました。正直なところ、日本に居なかった時間がかなり長かったために「ブラタモリ」ってなんだろうと最初は良くわかっていませんでした。

ブラタモリの中のナレータのセリフに「景色の中に閉じ込められた人々の記憶」と言う台詞がありましたが、このセリフは本当に心に響きましたね。いつも何気なく通り過ぎている街角の一角にちょこっと埋まっている石垣一つとっても、実際にはそこに数百年前から置かれている石だったり、ほんの数メートルだけ残っている構造物が二百年前からあるものだったり。

それを作ったり設置した人自身でさえもまさか自分が何気なく今日設置したものが数百年経って、遥かに下った世代の子孫たちにああだこうだとテレビなるもので論評されようとはまさか思ってもみなかったでしょうし。
そう考えると、いま我々の身の回りにあるちょっとした構造物でも、ほんのちょっとした偶然によってかなり後々まで生き残るもの、そしてこれまた偶然によって壊され撤去されるものとが出てくるんでしょうね。

そう言えばこの前、このブラタモリとは直接関係ないのですが、ネット上にある古地図で東山線の藤が丘駅周辺を眺めていたらちょっと驚く事実を知りました。なんと駅及び駅の周辺は思いっきり池か沼、要するに湖沼だったようなのです。それほど規模は大きくないのですが、あのバスターミナルの辺りは昔は虫や鳥が囀り羽ばたく場所だったんでしょうね。

時間は人が住んでようが住んでまいが刻々とそのエリアの表情を変えていきますが、人様がこのエリアに大挙して押し寄せてきたのはせいぜい高々30年なんですよね、、、。やっぱり人間の暮らしの長さなんて自然が造り出すサイクルに比べれば本当に刹那でさえありませんな〜。

無常とはまさにこのことなんでしょうね。

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