2015年3月22日日曜日

宗教と洗脳

チュニジアのテロ事件は大変痛ましいものでした。

中東で起きた日本人が殺された事件として1997年のルクソール事件が私にとって記憶にあたらしいものです。あの時の殺害事件も大量の人々が無差別に殺され続けたという異様な事件でしたが、今回の事件も狂信的宗教者の集団によって起こされたという点で本質的には同じものと考えています。

襲われた人々の恐怖と無念、そしてその家族と友人達の悲痛さは想像を絶するものと思います。遠い異国の地で楽しい観光をしている時に、突然始まる銃の乱射や叫び声の中でバタバタと倒れていくのはどれほど恐ろしいものかは誰も想像はできないと思います。

こういったことを起こす狂信者の集団といえば、まず代表的なものとして日本ではオウム真理教の地下鉄サリン事件がありますが、一体全体こういったことを起こす連中というのはどうやってこんな「インチキ臭満タン」の教義に洗脳されていくのかいつも不思議に思います。

オウムの例を見ていてよく判るのはいわゆる「学力」での上下でそういったインチキ教義に対する免疫が強化されているわけでは無いという事でしょうか。非常に主観的な感想で申し訳ないのですが、やはりこの手の神秘主義や原理主義のもつ「おかしさ」にナイーブである人達というのは、大きくなるまでに当然自分の中に育っているべき「社会の中での人同士との関係の大切さ」を本質的に理解する機会を持たぬままで大きくなってしまっているのでしょう。

「神様」と本人達が呼ぶものが「罪もない人々を殺す」ということに対して、いかなる理由でもゴー・サインを出すはずがないという想像力の欠如はこれからも多くの人の命を奪い続けるのでしょう。

やはり最も恐ろしいのは、「狂った教義」の宗教の輪の真ん中で育てられた子供たちの存在でしょうね。相対的に外の世界の物事を見るチャンスのない子供たちは、その生活の中の本質的な「おかしさ」を知らぬまま大きく育っていくという不幸。誰もが人であるかぎり、好きか嫌いにかかわらず一生の中で関係してくる「宗教」は私にとっては常にできるだけ避けている存在です。

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