今日一年半以上ケアをしてきた高齢のおばあさんが病棟で亡くなりました。
お婆さんは心疾患がある上に慢性閉塞性肺疾患(COPD)も持ち合わせもともと身体的に厳しい状況の方だったのですが、加齢に伴うアルツハイマー型認知症が加わり、誤嚥も増えて食事を摂ることが出来なくなっておりました。
最終的には中心静脈栄養で栄養と水分を補給することで命脈を繋いでいたのですが、肺炎を併発されたことで亡くなられました。
実はこの方、認知症が進んでもある一点だけでは私には大変申し訳無いほど辞儀正しく応接してくださる方で、そのことに関してこの方の”元気だった頃”の様子を推測すること度々でした。
それは私に対してだけいつもしてくださった大変言葉遣いの丁寧な挨拶でした。朝周りの回診に行く度に「あら先生来て下さったの〜」とか「何時もありがとね〜」とか、酸素マスク越しに心遣いの言葉を何時も私に投げかけてくるのでした。
それを脇で見ているヘルパーさんや看護師さん達は「え〜〜!この方お話されるんですか!!」と驚かれることしきり。何も話さない人だと思っていたようです。実際のところ話しかけると”私にだけ”いろいろと今の心情や調子を話してくれておりました。この点は私の密かな誇りとするところでした。
この方の調子が優れなくなる以前から娘さんとその御主人を病院にお招きして、状態の説明等をさせていただいていたのですが、この数日レベルががくんと落ちてきたこと、また御高齢でもあることから「万一の場合が有り得るので、お話のできるうちにお顔を見に来てあげて下さい」とお願いしておりました。
お亡くなりになる三日目からは朝な夕なにお婆さんのお孫さん共々ご家族で面会に来られておりました。
実際にお亡くなりになられた時にその娘さんも御主人もお孫さんも、みな大粒の涙を流されお母様の死を悲しんでおられました。実は、この娘さんは養子として受け容れられた娘さんで遺伝的な血の繋がりはない方でしたが、その別れの時の様子を見ていた私も師長さんも眼に涙が溜まり、声がかすれてしまうのを抑えることが出来ませんでした。
実の親子や兄弟でさえ、何十年も合わない家族や、こちらがそのご家族を見つけ出して連絡を取ったら逆に「迷惑だ!なんで連絡を取った!」と逆ギレされるような実の親子や兄弟も散見される中で、このようなお別れを見ると亡くなられたお婆さんがこの娘さんをどうやって育てたのか、本当に透けて見えたような気がしました。
血は水よりも濃しと言う言葉が改めて心の中に浮き上がってきた今日の出来事でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿