最近は本当に亡くなられる方が増えているようです。
自然増といいますか、高齢多死時代を迎え、多くの火葬場では”待ち”の指示が出て遺体を焼くために遺体の保存を行わなければならないところが増えているということですが、実際に私の勤める病院でも、葬儀社の人達と親族無縁の患者さんの死後の手続きをする際に実際の火葬を”お待ちいただく”というような事が数回にわたって起きております。
私の叔母の葬儀に九州の田舎に帰って火葬場に行ったときも確かに8つあった火葬用の償却装置のうち、7つまでがスイッチが入っている状態でした。何でもない普通の日であったにも関わらずそのような状態であるということは、あくまで推測ではありますが、いわゆる”忙しい時期”には大変な混み様で焼却の釜の前で遺族が列をなしたりするような事態になるんでしょうかね。
後々お話に来られる御遺族のお話を伺っても、多くの方々は特に経済的事情に関係なく”簡素なお葬式”を御親族内のみで終わらせるというパターンが多いようです。100万にも届かないようなお葬式。中には本当に焼いて終わりと言うような50万もしないような感じのもの。
ハッキリ言えば、私も焼いてくれればそれで結構という感じです。w
私にとって大切なのは生きている家族と私を覚えてくれているちょっとした友人達が時たまふとしたことで私の事を思い出してくれる、いわゆる”心の中”の想い出として残してくれていればもう十二分で、それ以上でもそれ以下でもありません。
愛する家族の中での想い出が家族が次の世代に移って大きな記憶が途切れれば、そこで私の存在など無くなってしまっても全然問題ないと思います。人の想い出なんてそんなもんではないでしょうか。
金は墓の中にもっていけませんし、行為や業績は次の世代がそれで助かればそれでおしまい。良かった良かった!ってことで。
0 件のコメント:
コメントを投稿