2016年6月26日日曜日

複雑な家庭事情

世の中は思ったように単純にはいかない”と言葉として吐くのは”行為”としては容易ですが、日常としてその難しさを味わっている人達には、このフレーズが耐え難いほど重い事実の連鎖として存在している場合がある事を、その”枠の外”にある人々はどうしても忘れがちです。

今日、早い時間帯に病院の夜間外来で当院のヘルパーの女の子の診察をしました。家族歴を聴取している時、アシスタントの当直師長が居なくなった瞬間、問わず語りで私に背中の痛みの本当の原因を淡々と話し始めた女の子の話はきっと一生忘れないだろうと思います。

自分の辿ってきた人生も、幼少時代はハッキリ言って結構みじめで容易でなかったものだった事は間違いないと思うのですが、彼女の話を聞いた後は比較的悲惨だったよなと思っていた自分のそんな幼少時代の境遇が”蜜とミルクの流れる天国”のように思えるレベルのものであったことを嫌でも認識させられました。

誰も語らないだけで、大小様々な多くの悩み事や問題を個人レベルや家庭内に持っているというのは、人間、歳を経れば誰でも理解している極ありふれた事ですが、それは家族を持ったり年齢が上がって職場や親族内で責任が重くなったりしたために背負わされる悩みということが大部分であって、生まれつき重たい運命がその個人に宿命のように背負わされているという事態は通常私の目の届く範囲では余り起きていないものだと感じていました。(身体や精神の障害と言う意味ではなく、今回の話は家族間の複雑な関係性によるもの。)

しかし、”家族内の破滅的関係崩壊”がもたらす子供への破壊的なイベントやインシデントの発生と、子供に対する精神面でのその影響を想像すると、今日の診察中すっかり自分自身が暗い気持ちになってしまいました。此の世に生まれてまだ18年しか経っていない彼女でしたが、いろいろな状況を経て中学卒業後は児童相談所の助けを借りて必死に自立している様子を見たら何だか涙が出そうになってしまって・・・。

世の中は平等ではありません。それは十分承知の上なのですが、生まれ持った背景が違いすぎるのを可能な限りフラットに是正していくシステム、子供達が助け求めれば五歳の子供でも容易に手に入れられる手段の存在というものは何にもまして大切だと心の底から思います。児童相談所、学童保育、給食補助、そして可能であれば暴力的な親、ネグレクトをする親からの避難所の設置等まだまだ未来を作る子供達のために金を使うべき場所は幾らでもあると。

飯が食えずに勉強できるか、飯が食えずに脳や体が育つか、毎日親の暴力の影に怯える生活の中でまともに暮らせるか、親が服も買ってあげないような子供達が惨めな思いをせずに育つか、逃げ場のない小さな子供達の精神が蝕まれずにそんな馬鹿親のもとでまともに育つのか、、、。考えるまでもないことではないでしょうか。

せめて18歳になるまでは、子供達が今日のご飯、明日のご飯を心配しなくても学校には清潔な服を着て通えるようにしてあげられるようにしなくてはとてもとても先進国などとは名乗れないのではないかと思った夜でした。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

自分のSOSを受け止めて聞いてくれる人がいるだけで
少し救われたような気持ちになれますよね。
ヘルパーの女の子はsmallGさんに診てもらいたいというより
聞いてもらいたかったのかも。

>子供達が助け求めれば五歳の子供でも容易に手に入れられる手段の存在

五歳でそういう手段があると気付けるかどうか…も重要ですよね。

small G さんのコメント...

実際のところ、彼女は少なくとも診察中の観察した様子では充分に立派でした。
これが、我が娘がもし彼女と同じような酷いDVをする親に育てられたら、どういう反応をしてどういう大人になっていただろうと思うと複雑でした。

余計なことだとは思いましたが、「苦しい時には悩みを抱え込まず、信頼できる人にいろいろと相談するのも一つ。それと心が壊れるまで頑張りすぎんことも一つの方法。」と、小さなアイデアは述べましたが・・・。

実際はキャンペーンを通して、そのような幼児や保育システムにも相談員が巡回して身体的、精神的に問題の有りそうな子をスクリーニングしてあげるというのも大切な予防手段だと思います。
その上で、子供に様々なことを語らせる事ができるような環境を準備し、充分に調べた上でさらに個別に”法の力を用いて”その家庭の観察を開始するというようなセットアップがスムースに出来るようにしたいんですよね。個人的には。

今日も何も言えずに怯えている子供達は確実に日本中に居ます。