何度この言葉を言われたことでしょう。
日本に戻って二年半の間に患者の家族の方々から何度も何度もこの言葉を投げ返されました。そして今日も。
いろいろな状況でいろいろな処置を施した上でもどうしても助けきれない方々は残念ながら幾らでも出てきます。特に齢九十前後の人達や七十前後でも種々の複合的な疾患を長期患った方々、そして悪性腫瘍や神経変性性の疾患など数え上げたらきりが有りません。元々COPDなどがベースにあった高齢者に発症した重篤な肺炎なども”これでもか”というような治療をしても最終的には還って来ないなどというのもザラ。
例え後々に返って来た菌培養の結果などで抗生剤の使用が推測や経験通り間違いなく当たっていた時であろうとも、やはり年齢の壁というのは押し戻せない生物学的に最強のタイマーだと思います。
時計の針を見かけ上逆向きに回せても実在する時間は過去から未来に一方向に流れていくのみ・・・。
九十五歳とか九十八歳とかの患者さんの配偶者や家族でも、一部の方々は「どうにかして助けてください」と言われることもありますし、人工呼吸器を付けてでも良いから、心臓が動いているだけでも良いからと人工呼吸器を付けることを希望される兄弟の方。(何れも私の受け持ち患者さんでは有りませんが。)
私の勤めている病院の自分の受け持ち患者さんの場合、御家族とは最初のミーティングに必ず時間をかけていろいろと現時点でのデータの説明を詳しくするとともに、喩え話や似たような実例、私の家族の場合などの話も交えて、万一の場合における終末期の治療形態に関して突っ込んだ話をします。
しかも、治療期間中も何度かこういった話し合いをする機会を設けるようにしています。
こう言った行為を医師側ではムンテラと言うのですが、これは昔のドイツ医学隆盛の頃の名残の言葉の一つで、いわゆる最終的なインフォームドコンセントを得るための、そして得た後も行われる患者やその家族に対する主治医からの説明です。
こう言ったムンテラを行って、最終的には無事退院といけばよいのですが、実際のところ、家庭ではみきれないということで、病院で最後の瞬間を迎えるために入ってこられる方々もまだまだ沢山おります。(特に三次救急病院でないところは!)その説明の最後にかなりの確率で「先生にお任せいたします」という御家族の言葉が出ることが多いのです。
そんな時は、私のほうでもう一度軽く今までの話をなぞりつつ繰り返し、「XXというような万一の状況が発生した際には人工呼吸器を装着されますか?」とか、「内科的にXXまでの治療はされますか?」等と、具体的な状況や手技にまで事例を落としこんで話しをすることにしております。
しかしやはり、この「先生にお任せします」というのはこれからも続くのでしょうね。
常日頃から縁起でもない話をしない方々にとっては無理も無いのでしょうが、やはり丸投げされる医師側にとって、永遠に難しい一言ではあります。
4 件のコメント:
(前にもコメントで似たようなこと書いたような気がしますが)
一応、普段からいざというときどうするか話していても
そのいざというときに、その場に私しかいなかったら
自信無いです。
でも本人の希望通りにちゃんと言わないと駄目ですよね。
…その日が来ないで欲しい、誰も死なないで~
(やっぱりPPKが一番ですね)
PPK。
初めて知りました。ネットで調べたらピンピンコロリと出てきましたので、「オオ〜」と思った次第。
しかし、そうなんですよ。
お一人だけがムンテラに来られた時にも良くあるのが「XXにも聞いてみないとわからないです。」という返答。
ですから、そういう意味で”自信ないです”と言われるのは極あたりまえの事象ですので、御自身が特別では有りません。ご安心を。
「誰も死なないで」
人には終わりがあるからこそ人類に文学や哲学、個人レベルでは汲めども尽きぬ愛情が湧いてくるんだと思ってます。
最後の日に後悔しないように、普段からお互いをいたわる生活をしたいものです。
MMKなんていうのもありますよ。
「モテてモテて困る」です。
働いてる頃に会社のオジサンが言ってたんですが
元祖DAIGOみたいですよね。
MMK・・・一生に一度でイイから言ってみたいもんです。w
来世に期待!! orz
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