2014年12月24日水曜日

拳(こぶし)をあげるのは易しいけれど・・・

病院に入院してくる人の中にはいろんな背景を背負った人達が居ます。

皆が皆キレイな過去ばかりだけではなく、余り大っぴらに語ることの出来ない過去を背負っていたり、全身が日本の代表的な非カタギの人がつけている紋々で覆われていたり、、、等というのも当然普通です。
病気は人を選びませんから、外の世界にそういう人が居れば、当然病院の中もそういう人達が居る。実に考えるまでもない「当たり前」のことなのですが、なかなか日常診療の中ではインパクトが大きいことも有ります。w

やはり聴診や触診の時に、上着を脱いだり脚を見せたりする機会にその紋々が見えたりすると、一瞬看護サイドも「!?」と言う空気を発することがあるのを感じること”も”有るのです。特に、その患者さんが物腰の柔らかい柔和な顔をした方だったりすると尚更で、いわゆるその「落差」というものを「違和感」としてその場の空気に微妙に出してしまうことが有るんです。無理もないのですが。w 

特に若い看護師さん達の場合にはそれが顕著で、倶利伽羅紋々や男性の局部に入れた歯ブラシのタマなどを見る事もある訳で、そういった時にはやはり若い女性看護師さん達はどうやら「少しだけ」気後れしています。

問題は、その後です。
そういった人達でもまるで憑き物が落ちたように全くの気質になって既にウン十年という人もいれば、まだまだ極道だった過去が抜けない人も居て「覚せい剤をやっていて云々」とか、「パケを捌いて云々」とか、大声で自慢するような爺さんやオジサンも居るのです。

そして、その中のある割合の人達はどうしても所謂「威勢のいい言葉」で怒りをぶち撒けてしまう人もいるのでした。カタギの人間、特に女性の看護師さん達の中には萎縮してしまうことが多くなります。勿論、ベテランの女性看護師の中にはそのような「こけ脅し」には知らぬ顔で石の如く平然としている人も沢山居ますが、医師としてはこの手の人の我儘を病棟内で放っておくことは出来ません。何しろ病棟の秩序を乱すことになりますし、こういった人の挑発に相乗りして碌でもない言いがかりを付け出す人が居ないとも限らないからです。

きちんと事情を説明して、丁寧に話をしたうえで、「これ以上、大声を出し他の方々に迷惑をかける用なことをされるようであれば退院しか有りませんがよろしいですか?」と一応尋ねます。w
大概は興奮の余り「おう、こんなとこ何時でも出て行ったるわ!」と、大声で廊下や部屋で喚くのですが、怒りで拳を振り上げたまでは良いものの、その降ろし方まで考えている人などほぼ皆無
では、そういった方がその後どうなるかというと、そのような自らの愚かしい行為によって病院を蹴りだされた患者さんは直ぐに病院間のネットワークと、社会福祉課などのシステムによってレーダーサイトに映しだされますから、蹴りだされた病院は勿論、その他の近隣病院でも体の良い理由を見つけては引き取りを拒まれる確率がググっと上がってしまうのです。

無論、正当な事由がないときは患者さんの治療を拒否することは出来無いし、通常は最大限の考慮をしてあげて、こういった「困った人々」でも「成る可く」受け容れるようにはしているのですが、このような人の多くは若い頃から無茶をして、親族はもとより親兄弟からも縁を切られている事が多々あって、羽振りや威勢の良かった若いころとは「正反対」の経済的、人的ネットワークの”困窮状態”に陥っていることも多いのが残念ながら厳しい現実なのです。

ベッドサイドでゆっくり時間をかけてこれらの人から話を聞くと多くの人は「早く死にたい、、、」とか「生きている意味が無い」等と呟いたりします。
孤独感をその老いた体一杯に表して小さくなっている人を見ると、やっぱり「短気は損気」という黄金の言葉をついつい思い浮かべてしまうのでした。他人の振り見て我が振り直せ、というのはこういった時のためにあるものだと我ながら強く強く思ってしまいます。

アメリカの旅先で見たトマス・ジェファーソンの有名な怒りに関する考察の言葉を思い出しながら、怒りの矛先を収める修行を今日も定期メンテナンスのように行っている愚かな私ですが、皆様も「拳をあげた後の下ろし場所を見つけることの難しさ」に思いを致して頂いて、この雑文を読んだことが時間の無駄にならなかったことを祈念いたしております。

何時まで経っても闘争本能が表に牙を剥きそうになる愚か者の反省文でした。

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