2014年7月1日火曜日

人は突然亡くなる事も当然あるのだという事実、、、

昨日の朝は驚くようなことで朝の一日が始まりました。

朝ナースステーションで仕事をしていると、何となく病棟が落ち着いていません。あちらこちらウロウロしながら何だか涙を拭っている人達がちらほら、、、。
一体全体どうしたんだろうと思いつつも、自分の仕事をしていましたがあまりに涙を拭う人の姿が目立ったので看護師長さんに「何かあったんですか?」と手短に伺った所「XXさんが突然亡くなられました、、、。」という驚愕の一言でした。

それを聞いた私も顎が落ちるような驚きに襲われました。

XXさんというのは病棟に先週末まで元気に来られていた看護師さんの事で、癌で闘病されていた方なのですが、治療の甲斐あって癌は大幅縮小し毎週のように嬉しそうに私に検査数値を見せては子供のように喜ばれていたのでした。
ただ、血圧だけはなかなかコントロールが上手く行かず苦労されていたのですが、どうやら彼女の命を奪ったのはもともと心配された癌ではなく血圧による突然の循環器系統への打撃のようでした。

看護師さんのお通夜に今日の夕方から参加させていただいたのですが、大勢の方が詰めかけて、亡くなられた彼女の死を悲しんでいました。祭壇にはデジタル写真のフレームに彼女の生前の写真が映し出されており喪主である御主人がその横に立ち尽くされておりました。

五歳前後の彼女のお孫さんと思われる男の子が、喪主であるお爺さんに抱かれて声もあげず泣いていたのを見て胸にグッと迫るものが有りました。

人間何時かは死ぬ。そして必ずやってくる。
何時やってくるかは誰も知らないし判らない。まさに神のみぞ知る。それが突然であることも本当に良くあることで。
大酒を飲み、タバコを吸いまくり出鱈目な生活をしていても百歳過ぎまで生きる人間もいれば、健康そのもので食生活にも運動にも気を配り、節制して生活していた人間が朝起きたらぽっくりとか癌に襲われる等ということもごくふつうの日常的な出来事です。

私は死は特段悪いことだとは全く思っていませんし、やがては誰にも平等に訪れることだと「頭では」解っています。
しかし、その死は苦しみなく平穏であるものが最もあらまほしいものであり、かつまた生まれた順に亡くなっていくのが理想でしょう。

子が親より早く亡くなる、親が子の小さいうちに亡くなってしまう等ということは出来る限り、出来る限り、本当に出来る限りこの世からは無くなって欲しいと思います。
そうなってしまった方のために社会や人がどれだけ手助けしてあげられるのか、個人で準備できるもの以上に社会の側が残された方々に対してケアできることの選択肢の多さこそが文明の成熟度と思いたいのですが、そう簡単なものでもないのは皆が感じている通りで、、、。

難しいものです。
俺もいつの日か家族の体温を感じて死ぬことが出来るのかな、それとも、、、等と考えてしまった夜でした。

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2 件のコメント:

CHICHI さんのコメント...

突然の死
75歳の知り合い、31年前当時48歳のご主人を単身赴任先で亡くされました
午前5時過ぎに、単身寮内で同僚と言葉を交わしたのが最後の姿
いつもより出勤が遅いからと
午前8時に部屋を見に行ったときには、既に息絶えていたそうです
子供は私大に通う娘が2人、中学3年の娘が1人、小学6年の息子が1人
転勤先(東京)からの単身赴任(広島)という少し特殊な形だった為、
大学生2人を東京に残し、名古屋へ戻り、
節約のためご主人のご両親と同居
一人っ子の息子に先立たれ、両親は嘆き悲しみ
妻である知り合いは「あんたが○○君を殺した!!」と姑に何度も叫ばれたそうです

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある(伝道者の書3:1-2)
神のみぞ知る定められた時があるということですね

亡くなられた看護師さんのご冥福をお祈りいたします

small G さんのコメント...

CHCHIさん、

コメント有りがとうございます。
人の生き死には本当に医療行為と表裏一体、誠に密接に繋がっていることも有り私のような人間にとっては日々悩むことばかりです。

哲学、倫理学、神学と古来より生老病死が人の世界の思考を深めてきたわけですが、こうやって示される聖書の言葉というのは既にはるか昔に人は答えを得ていたのだと考えざるを得ませんね、、、。

宗教を奉じる人の愚かさは度し難く神の名のもとに愚行を繰り返す人間の多さ故に宗教とは距離を置く私ですが、洋の東西を問わず宗教の教典の多くには「ウーン」と唸るような言葉が散りばめられているのも事実。

ためになります。

亡くなられたご主人のことに関して姑さんから言われた言葉は決して発せられてはならない言葉だと思います。
私が亡くなられた御主人で、もしこの世に戻ってその様子を見たら多分怒りと絶望に打ち沈んだことでしょう。

四人のお子さんを育て上げる仕事を託された奥さんにそういった言葉は決して投げてはいけない。
子を思う盲目から発せられた言葉でしょうが究極の形を取ったエゴだと思います。もし私がその姑さんの御主人だったら横っ面を張ってましたね。

人の世は難しいものです。