2026年1月20日火曜日

Notionというアプリ

ネットで便利そうなアプリを探していた時にNotionというアプリを見つけました。

どうやら作られてから10年くらいしか経っていないこのアメリカ発のソフトは物凄い支持を受けていて、各国で採用されると共に日本の一流企業と言われるところでも最近あちこちで大量導入され始めている模様。

一体どんなアプリなんだろうかとYouTube等で見てみると何だかいろいろな事がいろいろとできる、というか出来過ぎて余りにも多機能なものの様です。

基本的に私は何とかしてiPhoneに入れているアプリ群の数を減らしていきたいというのが第一の目的。しかも、そのアプリの中で出来る事が簡単に作製できるもので得あれば尚良し!という感じでアプリ探しをしていたところに登場したのがこのNotion。

見れば見る程「おお、これは凄い!」という感じ。ただし、アプリ制作なんていう所に行く前に既に存在している既存の便利な作成済みの構成物を使って要らないソフトを捨てていって、なるべく全ての作業を少ないアプリ数で済ませたいと考えている所です。

少なくとも個人で使う範囲ではこのプリは全て無料というのが凄い。

私は昔から「優れたソフトウェアは鉛筆と消しゴムに近づく」と考える人で、特別な事を覚えなくともかなりの事はマニュアル無しで出来る様なものでなければならない、という考えです。勿論、紙も鉛筆も消しゴムも使い方次第で絵も描けるし、使う人次第で恐ろしく高度な数式が流れ出てくることにもなるんですが、基本的な使い方は使っているうちに解るというものが理想だという考え。

子供に鉛筆を持たせてあげれば字を知っている子は当然字を書き出すし、絵を描ける子は何も言わなくとも絵を描いていく。

そのうち紙を綴じて本を作る子も出て来るでしょうが、それは単にアイディアの延長線上に自然と発想できるようなもの。そういうアプリが理想と思っていましたので、このNotionがどれほどのことが出来るのか上に書いた様な使い方が出来るのか、使いまわしてどんなことが出来るのか一か月ほど頑張ってみようと思います。

2026年1月19日月曜日

昭和の男が高齢者になると…

病院に入院して来た患者さん達には本当にいろいろな人達が居ます。

驚くほど凄い技能を持っていた人、ホームレス、DV被害者、離婚した後子供達も含めて誰とも無縁になってしまった人、ヤクザ、犯罪者、認知症になっちゃった高齢者の方々等々と書いたところでこの「等々」と列記した程度のバリエーションはその等々のほんの入り口。

しかし、こと性別と年齢に関しては「ある一定の傾向」を持つ集団が見受けられます。それは昭和生まれの男性陣で生まれが昭和30年程度の人々。まあ、年齢で言えば70+の方々でしょうか。(あと10年下に年代が下ると私までが入ってきてしまいますが!)

この年代の男性陣、私は時折昭和の勘違いクソ男世代と呼んでいるのですが、既に死滅しかけているその上の90代の男性陣達は別として今の70代半ばから80代の男性陣の一部にはカッとなった時に女性看護師を見下したような発言をする輩が混ざっている事がままありますね。

勿論、統計を取った事は無いんですけど、そういう「傾向」は明確にその世代の人間には看て取れまして、カッとなった時に暴言を吐く時など「このアマ」等と言う今時、映画でしか聞かないような脅し文句を使ってきたりします。

これに対して若い看護師さん達の中には怯んだりする子も当然いるのですが、ベテランの看護師さん達の多くは然(さ)に非ず!w

平然とした顔で「だめよ~、そんな言い方したら~。怖がる子がいるでしょ~」と言って諭すようにその爺さん達を諫めます。その上で未だ爺さんが「うるせ~、言うこと聞け!聞かんかったら出ていくぞ!ゴルァ~」とかいうと、「はい、良いですよ~。どうぞどうぞ、出ていかれても困るのは私達では無くてXXさんですよ~」という感じでカキーンとマシンを捉えてヒットを返します。

その後で、寄って集って年配の看護師さん達が患者さんの周りに集合して来るとワイのワイのと患者さんにあれこれ注意をし始め、最後はお爺さんがたじたじになって言いくるめられて終了。私の方では常に「暴力をふるう患者は認知症の易怒性の発露でない限りは内科病棟では即アウト、暴言も一回説諭して収束しない様であればキックで問題ないです」という指示を出してありますので、前述の看護師さんのような対応が取れる訳です。

まあ、稀に患者さんのそういう発言シーンに私が立ち会うチャンスもありますが、その様な時にはほぼ100%収束させる自信があります。通常こういう「女性蔑視系」の爺さん達は女医や女性看護師に対しては勘違い上から目線で言葉で襲い掛かっても、男性且つオッサンである私には何も出来ないという人が殆ど。

私の方で物理的に距離を詰めて淡々と例え話をしながら短期で行動を起こすとどういう事後が待っているのかを多角的に解りやすい事例を挙げて説明するとしゅ~んとなってしまいます。

やっぱり時代の教育なんでしょうね「女性蔑視」というのは。

今の時代、そんな思考回路を持っているとそのような考え方を持つ人間自体が少数派になってきている状態では自分自身を窮地に追い込むだけの話です。爺さん達を余り不利にしないように軟着陸させるのにはそれなりの技芸が必要というお話でした。

2026年1月18日日曜日

トランプのアホさに苦笑い

「自分が見えていない」というのはこういう人を指すんだなと良く解る、グリーンランドを巡る耳を疑う様な発言が続く最近のトランプ。

以前にも増して漫画レベルでその愚かさが目立つようになってきました。戦争を8つも止めたのにノルウェイは俺にノーベル平和賞を授与しないとか、もう本当に病気。そしてもっと悪いのはこの心と頭が病気のお爺さんを誰も周りが止めない事。

普通は「システム」としてのサポート役達の筈ですが、現実にはこの病気のお爺さんを利用しようとする連中ばかりですから質が悪い事この上なしという感じ。本当に連中は同じ穴の狢ですわ。

こういう連中はそのキャリアの上昇中に入り口から結構な確率でトンデモ・システムを使います。所謂有名大学のレガシー・システムという奴。親がその大学の卒業生だとクレジットがデカくついて能力が無くとも有利な下駄を履かせられ大学に入れるのです。ブッシュもクリントンの娘もケネディ一族もトランプも例に違わず。

勿論、数多い一族の中には比較的大学の実力に近いレベルの人間も混じって入るのでしょうが、上に書いた人間達の若い頃の色々な醜聞や伝聞を海外のネットで見ると、本当にいろいろとその「愚か」なスキャンダルがザクザクレベルで出て来ます。

まあ、結果としての彼らを見れば「アア、やっぱりね…」というのは良く判るんですが、恥を知らない連中というのはとても強いですよ。最強。

金を持ってる連中がつるんで互いに利益供与を繰り返しサークルを作る。そしてその連中が国家の中心に居座って金とコネの力でやりたい放題。そしてそれがファミリー・ビジネスとして何代も続くという世界。別にアメリカだけの話ではなく全世界で似たような話ばかり。どこかの国でも同じですよね。世襲世襲の繰り返しで、どこかの私立大学に金を使って教育して脳味噌が足りなくとも下駄を履かせて押し込む。

本人の資質なんて関係なし。成〇大学、成〇大学、K応大学の一部の学部とか脳力は無いけど金は有るでよ~とかいう御子息、御息女様達達がわんさか入って来られてますよね?w

某衛大臣とか、元総理大臣とかも含めそんなのがうじゃうじゃ。日本のみならず、世界に閉塞感が漂うのはそう言った事の連鎖が国家の発展の延長線上にドッカリ蓋をしているのが皆感覚的に判っているからなんでしょうね。

次の直近の選挙。そういう視点で世襲の馬鹿達には入れないというのもアリなのかもしれません。

2026年1月17日土曜日

親をどうする?

今回、弟が急に亡くなって哀しみに沈んだ我が家でしたが、実は話はここで終わりません。

勿論、弟亡き後の書類上の種々の整理を親父が開始して口座などの残金整理なども行い始めている訳ですが、それらの整理は僅かな時間経過の後には自ずと終了してしまう事です。弟自身に何らかの資産がある訳でも無く、いわば本をパタンと閉じるように「書類上」の人生は幕を下ろす事になるでしょう。

長女が我が家の家族向けに弟を中心に写された写真を使って何らかのメモリアル・ブックレットを作成しているようですので、その意味では物理的なメモリーとしては家族内で共有されるものは逆に増えるのですが…。

さて、終わらないものは何かと云うと我々遺された「生きていかなければならない」人達の人生。親父達二人は現在ともに寅年の87歳で、今年中に米寿になるような高齢者です。実は以前から先ず母親に「名古屋の方に住むところを準備したら来るかい?」という質問をそれとなく投げかけた事があるんですが、母親の答えはシンプルに「ノー」でした。

親戚や友人達が居るところ、自分の記憶が詰まっている所で余生を過ごしたいというのがありありとわかるような状況で、その様な反応が返ってきたのですが、当時はまだ今から10年以上前の事で、実際に母親の兄弟はまだ生きている人間が殆どという状況でした。ところが、それから十年経つ間にまさに櫛の歯が抜け落ちるように高齢の親族は癌や事故、その他の疾病で逝去していきました。

今遺されているのは母の妹と弟のみ。しかし母親の記憶の中ではまだまだ姉や他の親族も「生きている」事になっている様で、認知症のある母が時に「最近XXが家に来んけどどうしたっちゃろかい?」等と惚けた事を言って親父を苦笑いさせたりしているようです。

という訳で母は移動したくない派だったのですが、車いす暮らしになって認知も進んでくるとどこに住んでもあんまり変わらんのじゃ無いかなという気がしてきています。

親父の方はというと同じ質問に対して「俺はどこでもいいよ、来月からでも名古屋に住める」等と言うような腰の軽さを見せつけます。しかし、同僚の先生ともちょっと話したのですが、家で「する事がある」親父を無理に宮崎の家から名古屋に連れてきて「老人の家」に住まわせて暇させると却って認知症なんかが出て来るんじゃないか?というような予想も出て来ますので、それもむべなるかなという話。

何れにしても危なっかしくてとても宮崎の住み慣れた施設から動かす事の出来なかった弟が亡くなってしまった今、いくつかの選択肢が新たに許される状態で残ったまま宙ぶらりんとなっているのが一週間経った我が家の姿です。

嫁さんとも話したのですが、風呂場で孤独死したりしないような状況などを作りたければやはり施設かな~等とも考えるのですが、意外と一筋縄ではいかないものですね。ここ暫くはもう少し考えないといけない状況です。

2026年1月16日金曜日

宮崎を離れる日

木曜は朝の7時45分の飛行機で名古屋に帰ることになっていましたので、朝は早めに起きて準備をしました。

すっかり部屋を片付け、弟の遺影となった写真に向かってお鈴を鳴らし暫しの別れの挨拶。6時少し過ぎには家を出て少しだけ冷えている未だ薄暗い朝の中で親父と短い挨拶を交わしましたが、親父は少し涙ぐみながらも明るく気丈に振る舞ってくれました。

暫くは弟の種々の手続きの事で気が紛れるはずです。実際、宮崎は田舎なのに地方都市としては異例なほど「死後の諸々」に関する種々の手続きは窓口が一本化されているようで、ありとあらゆる事が役所の窓口で済むように設計されているとのことで安心しました。あの書類でこっちの課へ、この書類でこちらの部署へ等ということが無いそうです。きっと決断力とスマートさを持った人物が意を決して制度設計をしてくださったのでしょう。役所でも出来る人は出来るのです。

さて、親父と別れてから暗闇の中を飛行場に向かって走ること20分弱で飛行場に到着。しおさいレンタカーの愛想の良い素敵なお姉さんに車を返し、いろいろと骨を折ってくださったことを感謝しました。

ブーゲンビリア空港という名のついた可愛い飛行場では暫し時間を使って名古屋へ持って帰るお土産選びを愉しみました。マンゴー関連の商品が多彩、漬物や牛肉関連の食べ物も豊富、そして何よりも多いのは信じられない種類の焼酎関連の品揃え。流石は芋焼酎の本場です!

飛行機に乗るとやはり乗り物好きの息子は顔が満面の笑み状態。実は息子は顔が弟と瓜二つであたかも傍らに弟が生きて座っているような感覚を覚えるのでした。そう言えば、弟は車に乗っていた時はいつも嬉しそうに外をじっと見ていたな~。

名古屋に着いてからは家まであっという間でしたが、やはり我が家は落ち着きますね。実家とは違う勝手の良さというのでしょうか。  

家に帰り着いて座って今回一番思ったことは実は葬儀に関与してくれた長女のことでした。遠く離れて自分の見えないところで大学生として育ち、自分で仕事を選んで、自分でアートの仕事へとスピンアウトしながらも生活費は自分で大きく稼いでいる長女の成長。

親の自分がこういうことを言うのも実際変変なのですが、他人として見ても実にいろいろな事を手早くスマートにフィニッシュさせるその能力ともう一つ存在する創造性に「俺の子じゃないな」という感想を持ったことでした。

正直、俺の生物学的役割は「患者さんを助けることに集中して良い」という事を確認した5日間になったと思いました。もう、子供のことは子供に任せよう、嫁さんの老後も俺が死んだあとのことも心配は要らん…と思った2026年の年頭所感でした。