2024年11月5日火曜日

運動会:競争には晒す?それとも晒さない?

小学生の子持ちのお母さんから聞いた話でちょっと呆れてしまいました。

それは運動会の「かけっこ」のシステム。平成の頃から皆が差が付かないように手を繋いでゴールするというような所もあるという「競争」という概念を抜き取ったような何かをしているという話がある事は話としては有名でした。

しかし、私がここ数年近所の公立小学校で見かけた運動会はどう見てもただシンプルにごちゃ混ぜの集団を順不同で走らせている感じ。激速の子もいれば鈍足の子もいて、まあこれが私の知っている何時もの運動会でしたので、伝え聞いたタイプの運動会は必ずしも通常のものじゃないんだろうなと思っていました。まあ、伝聞は所詮伝聞です…というのがこれまでの私の認識。

と思っていたら…やっぱりこのお母さんの子供さんが行っている小学校のかけっこでは速さの同じような子達を層別に寄せての競争という話をしていたのでした。だから身近にも有ることは有るんだろうなという程度の話に認識を改めました。

小、中学校の頃は運動会のヒーロー=学校のヒーローでした。正直あんまり勉強は関係なし。学年リレーや全校リレーに出場して、後ろから一気に全員をゴボウ抜きにするような奴は超人扱いで、スーパー・ヒーローとしてヒーローの中でも別格扱いでした。

そういうのを見ていると、幼いながら十分に解る事が一つあります。それは「何かの分野において突出した天賦の才と言えるもの」を与えられた人物が存在するという事。しかし、それが悪い経験なのかというと長い目で見れば逆だと思うんですけどね。個人的には。

詰まるところ、だからこそ己はココではない別の何かで頑張るしかないという話。ベストでなくともベターな何かを探しながら前に進む旅。

しかもコレは大人になれば個人個人の種々の得意分野はあちらこちらに枝分かれしていくのが常で、そこにどういう磨きをかけていくかで人生のバリエーションが生じていくというものじゃないかなと。勿論、得手不得手なんてなかなか判るもんじゃないし、得手に帆揚げて等という状況で人生を謳歌できる人は極々僅かでしょう。それでもみんなえっちらおっちら頑張って生きているし。^^

しかし、話を運動会に戻せば運動会なんちゅうのはそもそも日本人が当たり前と思っているだけの季節の行事で、アメリカは勿論、その他の国もほぼ無くて旧日本軍が一時占領した国々に残っているくらいじゃないんでしょうか。そういう意味では運動会云々という事をあんまり大げさに考えなくてもいいんでしょうね。

とは言え運動会は例えの一つであって、子供達をどういう形であれ競争に晒さなくとも何れは強制的に人生という競争社会の中に自動的に押し出されていき、好むと好まざるとに関係なくその荒波の乗り切り方でいろいろと人生が変わっていく訳なんですが。

時計の針は止められず、結局は自分を取り巻く現実には何時かは向き合わなければならない子供達。大きくなる過程で耐えきれない時は家に引き籠るのでしょうか?私の子供時代には不登校の子供というのは知る限り前項に1人もいなかったもんですが、学校に行かない事情も今の時代とても複雑なんでしょうね。

2024年11月4日月曜日

iOS18の日本語変換オカシイよね?

ここ最近強いフラストレーションが溜まっているのがiPhone15で日本語を入力する際の仮名変換です。

どう考えても今回のiOS18にアップデートしてからは日本語入力の変換表示候補がメタメタ。今までの学習分は何となくは出て来ますが、余計な変換候補がズラリと出て来るし、殆ど「なんじゃこれ?」状態。

英語の予測変換は何時使っても常に猛烈に優秀やな~と思うんですけど、日本語入力に関しては出すべき感じの候補も、誤入力に対する変換予測も、文章の区切りに見合った正しい漢字やカタカナへの変換等の何れをとっても本当にダメダメが多いと思うんですが、このiOS18アップデート後は特にぶっ壊れた?というレベルで駄目だと思います。

これに対しては変換学習のリセットや日本語キーボードの削除と再インストールをすることで解決する「場合も有る」とのネット情報ですが、どうやら毎回それで全てが解決する訳でもないようで、結局は全面的なOSレベルでの改善しかないというのが最終的な回答の様です。

それにしても、昔から日本語OSの変換能力ってあんまり劇的に良くなっていないような気がするんですけどね…気の所為でしょうか?

逆に最近になって驚いているのはGoogle経由の音声変換の精度の異様な高さです。2000年ぐらいの頃はまだまだIBMとかでそういうシステムが結構な値段で別売りソフトという感じで売っていたんですが、まだまだポンコツという感じでとてもじゃないけど金は出せんよというレベル。

しかし!技術の進歩は凄いもんです。最近はかなりとんでもない難しさの文章を口述しても全くのリアルタイムでゴンゴン変換していくのでこっちが驚くのでした。太古のムカシを知るこちらにしてみれば「マジかよ…」という精度なのですが、今の人はこれが当然と思っているんでしょうね。時代は変わりました。orz

それにしてもアップルよ、いい加減日本語の変換システムを大改良してくれ!

2024年11月3日日曜日

ジブリ・パークじゃ無くてモリコロ・パーク

息子と嫁さんと私の三人でグリーン・ロード沿いの長距離歩行にチャレンジしました。

散歩というよりも最近肥えてきた私と油断するとこれまた直ぐに太る傾向を持つ長男、そして三人目は嫁さん。この方に関しては説明は省きますが、ちょっと聞いたところによると最近次女に藤が丘近辺のスポーツ・クラブの会員権をプレゼントしてもらったそうです。知りませんでしたが、それなら恐らくは私の知らないうちに体力はついて体型も保たれているのでしょう。きっと。知りませんが。

さて、出発は軽いブランチを食べてから。息子と私は首の周りに白いタオルを巻いて日焼けと汗の流れ止めとして使用。更にはお互いのバック・パックにそれぞれハイドロ・フラスクを麦茶で満タンにして出発しました。

凡そのターゲット時間は出発してから一時間半程度を目途にして出発。何時もは私一人で歩いてトヨタの八草まで歩いてまた戻ってくるというのがパターンなのですが、これだと片道だけでも二時間はかかるので、モリコロパーク迄なら一時間半というのがいつもの予定時間。

ところが、今回はてんかんを発症する事もある「運動とは通常縁の無い息子」が一緒に付いて行きますし、最近は運動をしていると呟く嫁さんの体力も未知数ですので、慎重に行くというのも大事。それなりのゆっくりスピードで出発しましたが、手を繋いで歩く息子もそれなりに元気でしたのでサクサク歩きながら短めの大休止を一回入れる等をしつつ水の補給やお菓子をちょこっとだけ食べさせる等の工夫をして息子のテンションが下がらないようにしながらモリコロ・パークに到着しました。(地元民はジブリ・パークとは決して呼びません!)

何時もは使わない公園西口から入っていきました。息子への御褒美でもあるモスバーガーのお店へと直行。ドーム・テントの下で三人でそれぞれが異なるハンバーガーのセットをゆっくりと食べました。ここには良く犬を連れてきて散歩をしていたのですが、その事を想いだした嫁さんが目を真っ赤にして泣いておりました。俺が死んでもこんなには泣きはしないだろうなという感じ。w

一息ついたところで嫁さんが知らない・・・と言った愛・地球博記念公園駅のほうへとわざと移動してその目に新しい姿を焼き付けて貰いました。

それからは直ぐに家へ戻る下りの道をサクサクと歩いて行きました。流石に戻り路は息子のテンションも下がり気味でしたが、軽く手を握ってラスト・スパート!幸いにも最近は疲れてもてんかん発作を起こす事無く頑張れている息子ですが、今日もしっかり往復三時間以上の歩行を頑張ってくれました。^^

帰り着いた息子は夜の床では流石に泥の様に寝ていたのが何とも微笑ましい光景でした。私はと言えばちょうど一キロの体重減でしたが、まあまた直ぐに戻る事でしょう。w
 

2024年11月2日土曜日

長女の趣味に付き合わされる

今日は昼から長女の趣味の為に運転手として動員されました。

長女の好きな古着、カメラ、フィギュアその他のアニメ関連のグッズ探索の為にブックオフ・バザールという結構巨大なブックオフに行きました。

名古屋にはブックオフのみならず中古の様々なものを売る店が大量に点在しています。知らない人にしてみれば「そこにそんなものがあったの?」という様な感じなんでしょうが、ググるのとは別に頭の中にあそこにあるのはこんなモノ、ここにあるのはあんなモノというラフなデータベースが存在しています。

服が中心でバッグや靴は余りないところ、服はそこまで沢山は無いけれど本やCDやカードは大量に置いているところ等、その展示物に個性があるという事でしょう。

ビレバンではそこに居る店長とそれぞれのコーナー担当者の裁量が全てで、それに合わせてモノを揃えていくと言いますが、こう云ったセコハンを揃える店というのもそういった裁量権が大きいのでしょうかね?一度話すチャンスがあったら話し込んででも知りたいものです。

高針の方の店に到着して娘と嫁さんとは別々に行動したのですが、二階のフロアが全てそのバザールでした。私達は到着して直ぐに三人ともバラけてそれぞれの気になる所へ散っていきました。

結局、私が落ち着いたのは長女の趣味の為に運転手として動員されました。

長女の好きな古着、カメラ、フィギュアその他のアニメ関連のグッズ探索の為にブックオフ・バザールという結構巨大なブックオフに行きました。

名古屋にはブックオフのみならず中古の様々なものを売る店が大量に点在しています。知らない人にしてみれば「そこにそんなものがあったの?」という様な感じなんでしょうが、ググるのとは別に頭の中にあそこにあるのはこんなモノ、ここにあるのはあんなモノというラフなデータベースが存在しています。

服が中心でバッグや靴は余りないところ、服はそこまで沢山は無いけれど本やCDやカードは大量に置いているところ等、その展示物に個性があるという事でしょう。

ビレバンではそこに居る店長とそれぞれのコーナー担当者の裁量が全てで、それに合わせてモノを揃えていくと言いますが、こう云ったセコハンを揃える店というのもそういった裁量権が大きいのでしょうかね?一度話すチャンスがあったら話し込んででも知りたいものです。

高針の方の店に到着して娘と嫁さんとは別々に行動したのですが、二階のフロアが全てそのバザールでした。私達は到着して直ぐに三人ともバラけてそれぞれの気になる所へ散っていきました。

結局、私が落ち着いたのは古書のコーナー。岩波文庫で「回想の明治維新」と「ラ・ロシュフーコー箴言集」の二冊を買い込んで後はする事も無く店内をウロウロ。私自身には何かを買おうという欲求は何もありませんし、店内に私の購買意欲をそそる様なモノは何も有りませんでしたので、時間だけが過ぎていく感じ。

暫くすると娘も品定めを全て終えた様でやっと帰る事になりました。言いませんでしたが疲れました。しかし良い本が手に入ってそこは満足。w

家に娘を降ろした後で今度はいつも病院でお世話になっていたお婆ちゃんの定期買い物への連れ出し。重い物や嵩張るものはお婆ちゃんにはとても無理なので、それを定期的に手伝う事にしていますが、取り敢えずはしのつく雨の中をカネスエというディスカウント・ストアに連れて行っての一時間弱のショッピングを終えて家へ送り届けて一日の仕事を終了させました。

2024年11月1日金曜日

比例代表制は衆議院の奴はかなりあかん

今回の解散総選挙の後で国民新党が何だかチヤホヤされています。

今回の選挙戦において国民新党というのは「非自民」というカテゴリーにおいてさえも私の視野の中には全く入って来ていない政党だったのですが、結果を見て気づいた時点でいつの間にか政局のキャスティング・ボードを握っているという状況になっていました。

まあ、こういう事もあるんでしょうが国民新党や大量得票をした事や立憲民主党の躍進も実際には「選挙にはいくけれども自民党は懲らしめる」という暫く前の日本で自民党がボロボロに負けた時と同じ現象だとしか思っていません。

恐らく、次の選挙までの間に政権運営という意味で実績を残せなければ再度弱小政党へと落ちていくだけでしょう。しかし、今回の選挙で少なくとも一つは良い事もありました。それは公明党が明確な退潮傾向を見せ始めた第一回の国政選挙になったという事でしょう。

別名「集票マシン」と言われ、コンスタントに800万票前後の集票力を誇ったこの池田犬作を頭と仰いだ新興宗教団体も、教祖の死と信者の高齢化と死去の進行に伴って年々歳々弱まっていると思われます。
Nikkeiより
30年ほど前には病院の中にまで「創価学会の人間」がやって来て、病床の判断力の無い人間の片手を取って期限前投票をしているのを見たことがありましたが、さすがに最近はそんな事はせんくなったなと思っていましたが、恐らくは人手不足なんでしょうね。

宗教二世問題の事もあり、親が学会員だからと言って子がそうならないパターンも自然に増えてきているでしょうし、犬作亡きあともう学会には…という人達も恐らく少しは居るでしょうから、新聞の購読者数と同じで確実に減ってくれる事でしょう。このミニ自民党と化していた集票マシンも力が無くなってきたら最後は共産党みたいに「居るけどただ五月蠅いだけ」の党になっちゃうのか、それとも消えていくPL教団の様になって社民党のように消えるのか?どっちかというと理想は後者ですが。w

しかし、今回の選挙結果を見て思ったのは比例代表制の悪いところばかり。少なくとも参議院のような非拘束式名簿にしないと、小選挙区で箸にも棒にもかからなかったような輩がその小選挙区で3位であったにもかかわらず、2位は落選、3位は当選で国会議員へなんていう事になります。どうしようもない輩、例えば今回は絶対敗戦と決まっていたずる賢い杉田水脈のような連中でさえもし安倍ちゃんが生きていて名簿順位が上なら通ってたわけです。(とは言え、来年の参議院選で戻ってこようという不穏な動きがありますので、当選絶対阻止の為にもこいつが出るならそれだけで再び自民党に入れませんが!)

批判票が「れいわ」のようなクズ集団に零れ落ちた事も痛いのですが、野田さんは信じても他の金魚の糞達には…と思っていた投票者達の受け皿が立民しかないというのもな…というのが大方の投票者達の本音でしょうね。

だから、本当は立民なんかに居てはいけない野田さんはそこが見えているからこそ、他の浮かれ当選者達とは異なり「笑っている場合ではない」という事実をしっかり認識できていたのでしょう。

野田さんって見識は有ってもそれを囲む人間の選択を間違っているんでアカンのですわな。