2025年12月30日火曜日

ベトナム旅行を終えて・前半

今回の旅行大変面白く、現地の人間達の生活に溶け込んで普通の生活をする事を狙った旅でした。

当初の狙い以上に個人的には素晴らしい体験を積み上げることが出来ました。観光地以外では英語を話す人はほとんどいないのは恐らく日本と同様だと推定できましたが、そんな事は今回全く関係ないレベルで問題ありませんでした。バイリンガルが傍にいるというのはどの援護の時でも便利ですね。

さて、今回いろいろな人と話して解ったことがいろいろありました。何といってもベトナムは社会主義の国なんですが、事ここに至る迄の長い長いベトナム戦争からの歴史というのは国民の中に深い轍(わだち)を残している事が良く解りました。

ベトナムでは今でも当然の様に兵役があって、人生のどこかの段階で3年の兵役を済ませる必要があるとの事です。この前まで2年半だったとか言ってましたが、少なくとも今は3年なんだとの事。国力を削ぎますよね…。

あと、南北に国が別れて闘っていた歴史は今でも拭い難く、少なくとも南の人間は基本的に北の人間には強い警戒心を持っているという事。どう考えても「良い印象」というのを聞くことはありませんでしたが、私が滞在した家ではいろいろな意見を聞きました。

基本的には若い世代になるほど「人間による」という感じ感箍拡がっている感じだったんですが、年配の人達はやはり戦争後の影響というのもあるんでしょうね「疑心暗鬼」という状況から抜けられないのだそうです。そりゃそうだろうと内心では思いました。日本の会津と長州みたいなもんなんでしょうか。しかも、公務とかに就く時なんかは親族の中で三代上まで遡って調べられて、親族に南ベトナム軍の関係者が居るとプロモーションに影響が…等と言う話も他の人から聞いたりもしました。

まあ、中には北の人間なんて信じないと言い切る人も居るという話を間接的に言う人もまだいるという話を間接的に聞きましたが、それは我々外国人には深い感情としては読めない世界ですよね。

日本にいる在日ベトナム人に話を聞くと「何故ベトナム本国で俺たち南側の人間がいろんな差別を受けているのに日本に来たからって言って北の人間を助けんといかんのか?」という発言もあって、個人的には南下複雑なもんだなと思うこと頻りでした。真実はどうなのか知りませんが、彼ら南の人間に言わせると実際には南の人間の方が経済的には成功している人達が多いとの事で、政治的には虐げられていても、そこの所は負けてないぞというよという様な気概を感じましたね。

ベトナムの人達に、そう言う意味での北と南の政治的な境目は地理上はどこ辺りと聞いたら「フエ辺りは未だ南だね」という事でした。なんか地名を言って、自分が思う境目はここらあたりかな等と言うのを聞いたんですが、具体的な名前は失念しました。

それでも、ベトナムは元気な国ですワ。

2025年12月29日月曜日

ベトナム旅行・(実質)九日目

という訳で今日が本当のベトナム滞在最終日になりました。

こんなに長い間アメリカ以外で過ごしたのはイスラエルに1ヶ月滞在して研究をしていた時以来ですので、もう20年ぶり以上と言って良い事になります。まだ、確かこのブログも始めていなかった頃ですね。

という訳で、年末を上手く利用させて貰った今回のべトナム旅行でしたが、鹿児島より南に行ったことが無かった自分にしては大きなジャンプとなった旅でした。(それでも未だに赤道は超えてませんけどね!)

今回の旅の最後に先ずは一旦夜に備えて市場へ行ってみる事にしました。その前にベトナムで見た車の事でちょっと書き込みを。
ベトナム特有の車。このタクシーはベトナムの財閥VINグループの電気自動車タクシー。
これはベトナムで見た同じVINFastの一番小さい奴なんですが可愛いと素直に思いました。
調べてみると、このVIN財閥が車の製造への参入表明は2017年との事で、実際の製造はイタリア人デザイナーによるデザインとアメリカの製造能力輸入などを行っているようで、ここ五年くらいでの急速な製造を行っており、かつICEからエレキへの急速な転換を行っているとの事。現地ニュースでホンダがその転換で割を食う可能性が高く、文句を言っているような事が話題になっていました。

さて、それはさて置いて最後のハン市場訪問。
向こうに見えるのが市場ですが、手前にGrabのバイク・ドライバーが見えてます。
ここに来てシャツ等を追加で買い足すものありそうな気がしたので入って行きました。コーヒーとかも買いたかったし!
仲良くなった市場のオバちゃんの所に最後に食べに行きました。
食べに行くと「あ!また来てくれたん!」みたいな感じで満面の笑みを浮かべて迎えてくれた上でこの市場の歴史などを話してくれました。実際このオバちゃんは30年以上ここで仕事をしていて、何度も洪水で使ったりしてるとの事。このハン市場も昔はサイズ的に半分くらいの感じで、もっと庶民向けの市場だったとの事。今の様に観光客がわさわさやって来るような場所ではなかった言います。^^
このようなちょっとした店が幾つも軒を並べています。

これがメニューの片面。右上のボー(アボカド)やマンゴーのスムージーが美味しかったですね。
スターフルーツ、ドラゴンフルーツ、ライチ、ドリアン、スターアップル、サワーソップやモンキーバナナ等、日本では高い金を出さないと手に入らない果物群が「自生している国」ならではの国の値段で売られています。
美味しい!一日延びた価値があるだけの味です。
最後にこの辺りのTシャツやで数枚買い込みました。
最後の最後で日本人の家族がこのマーケットでいろいろと買い込んでいるのを見つけたのですが、そのまま放っておいたところそこの娘さんと息子さんに話しかけられました。「どれくらいで買うてはるんですか?」そこで、平均的な購入価格等を教えた後、私の同行女性がベトナム語でジャンジャン捲し立ててグッと値下げをつかみ取りました。

御家族からは感謝されましたが、横で遠巻きに眺めていた私はその恐ろしいほどの値段の下げ方に背筋が寒くなるのを覚えました。w

終わった後で外に出て歩いていたら偶然ピンクの教会で有名なダナン大聖堂に遭遇。中に入ってちょっと写真だけ撮りましたが、扉自体は閉められていて中に入れるようにはなっていませんでしたね。礼拝以外には入る必要も無いからかな?ヨーロッパの教会とはちょい違う感じでした。
奇麗なんですけど、後ろの高層ビルはただただ邪魔でしたね。
そして最後は「もう一度」家族の皆さんに本当にお別れを告げて飛行場へ向かいました。家にいる2歳にもならない息子さんには相当気に入られていたので、別れる時はチューしあって長い抱擁を交わしましたが、最後は本当にサヨウナラ。何時また戻ってくるのかな…。

ダナンの飛行場ではギリギリ荷物の重さの問題もクリアできて何とかなりました。
中に入るとべトナムらしい飾り付けがありました。
首が動くのです!良く出来ていました。
最後はベトナム・エアラインに乗る直前に飛行場で写真を撮ってベトナムにサヨウナラ。最後部の座席に乗ることが出来てゆっくりと眠りました。
さらばダナンよ!
夜の12時過ぎに出発した飛行機は「台湾包囲演習中」の台湾の傍を飛んで名古屋へと戻って行きました。この時間帯の飛行はアメリカからイスラエルへ飛んだ時以来でしたね。

ベトナム。また行きたい国です!(特に食べ物w)

2025年12月28日日曜日

ベトナム旅行・(実質)八日目

さて、ベトナム旅行も実質8日目になって最「終盤」です。

全部で9日の行程と思って旅のイメージを抱いていたのですが、チケットをセットアップしてくれていた同行者が「今日の夜には帰るから荷物をきちんと詰めておかんと…」とか言って準備を始めたので、何も考えずに「それもそうかな」という感じでお手伝い。

私自身の荷物は家に買って帰るTシャツと路上でゲットしたりした先日記録した家族用のちょっとしたサンダル程度。ところが、私のスーツケースはそれ以外のもので埋め尽くされる事になりました。

それらの大量の御土産はベトナムの知人の親族が三々五々持ち寄って準備してくれていた大量の食品群でした。特にスルメや貝、魚肉、牛、豆などの加工品が特別に数日前から注文されていて、本日に合わせて溜まりに溜まっていたものをスーツケースその他のものに分散させて持って帰らせるようにセットアップしてくれていたのです。

私自身はベトナムの食い物は大変美味しくて、殆どのものを幾らでも食べられるという人なのですが、帰国する三人の日本人に合わせて大きいスーツケース3つと小さなスーツケースを3つ、そしてバックパックも埋めてしまう程の量の加工食品の群れをパッケージングするのは実際には大変な事でした。

何度も何度もそれぞれのパック単位の重さを計量し直しながら表面に書き込みを行い、頭の中で凡その推定を行いながら詰め込み開始。極僅かの計量オーバー(3%程度)は通常見逃して貰えますので、そこを目指しながらセットアップ。

大きなスーツケースは基本的にエコノミー・クラスは23キロ。それぞれに計量してみると22.9キロ、23.2キロ、23キロと上手くまとまりました。更に小ケースは10キロでしたので、それも計算。更に背中のバックパックも10キロとのことで、それらを念頭に置いた上で種々の微調整を行い終了。

家族の皆さんと最後のお別れをして写真を撮りながら家族とお別れしてGrabで車を呼んでダナンの飛行場に向かいました。周りの車やバイクの流れを眺めながら早かった旅の終わりを懐かしみつつ飛行場へと向かったのですが、カウンターにチケットを持って近づいて行った女性がベトナム語でカウンターにいる受付の人間と話をしながら驚きの顔をしています。

何か怪訝な顔をしているその女性のところに近づいて行って英語で質問をしたところ「このチケットは明日の出発になってるよ!」とう御返答。orz

紙の上に目を落としてみると確かに出発は29と書いてありました。上に書いた様に感覚的にはもう一日あった筈なのに何だか早めに終わったなというのは間違いではなかったのです。w

後ろで待ってくれていた見送りの男女二人のその事を話すとゲラゲラと大笑い。今日という出発日の間違いを犯したその女性は目を白黒させながら申し訳ないを連発。まあ、いろいろと無駄になりましたが葉や絵に荷物のセットアップを終えたと思えばいい訳です。

LINE で嫁さんに一日帰国が遅れることを手短に事情を説明して送ると「何それ?」と言って後はお休みなさいのお返事が帰ってきました。^^

その後は今やって来た道を別のGrabに乗って出て来たばかりの家へ帰宅。ついさっき僕らを見送った家族さんも大笑いして出迎えてくれました。(私は心が疲れましたが!)直ぐに気を取り直して、ダナンで一番美味しいと言われるバインセオのお店にバイクで直行。

これが実際に激ウマ!
折角出来た一日のEXTRAを利用しない手はありません。疲れて家に残ってしまった男性一人を除いて、四人の人間でバイクに分乗してダナンで一番美味しいと現地の人間が言うお店「Bà Dưỡng(バーユン)」に直行。ココは確かに美味かった!腹がそれほど減ってもいないのにパクパクと口にしては腹に降りていきます。何か聞くところではミシュランガイドにも載ったんだとか。

自分では注文できないけど、ベストのコンビである上の写真のような組み合わせでさっさと注文して食べさせてくれました。
ここで食べ終わった後は女性三人とオッサンの私の四人でダナンのドラゴンブリッジのたもとを再探索。余計に貰った一日を使ってゆっくりと歩き回っては沢山の写真を撮りました。
なんかAPEC広場とか書かれていましたね。なんか会合があった時の記念広場なのかな。
大きなベトナム国旗が掲示されていて、夜風にたなびき「映え」ていました。
更に気持ちの良い夜風の中をゆっくりと歩きながら進んで行くと本当に奇麗な夜景が飛び込んできます。
ドラゴン・ブリッジを遠景としてパチリ。
いろいろなタイプの光のトンネルが準備されていたのですが、これはそのうちの一つ。馬鹿話をしながら歩いていきます。
最後に、もう一度だけ夜店に立ち寄りチラッと幾つかのモノだけを眺めて家路につきました。まあ、これが本当の意味での今回最後のダナンの夜散歩になりました。

2025年12月27日土曜日

ベトナム旅行・(実質)七日目

今朝一番にしたのは一昨日購入したベトナムの宝くじの確認でした。

飲み屋で買った少数枚数のべトナムの宝くじの結果について家で働いているサロンのマスターに朝食時に尋ねてみたところ既に結果を知っていました。当然の如く「ハズレ」でした。実は昨夜のうちに、仏様を祭ってある祭壇にこのくじを置いておき、私より年下のこの家のお爺さんに「これで当たるかも!」と冗談半分で言っていたのですが、その主曰く「俺は今まで一回も当たったためしがない」との返答を貰っていたのでした。
今朝のサーチでハズレが確定したことを知った時、家の主に「これで厄が落ちましたよ!」と言った所、ニヤリと笑っていました。一等は確か日本円で一千万円くらいだとか言っていたような?

その後、数日前に行っていた遠縁の優しい親戚の叔母さんの働いている市場へ行って前回目を付けていたクロックス「風」のサンダル類を購入しに行きました。一側が大体80KVNDで現時点の価格は500円弱と言った所。下のような感じで結構可愛らしいものもあるのですが、路上の叩き売りなどは更に激しく3つで100KVND等と言うヤバい安値で売られたりしています。
これらは未だ市場の中のもので一足120KVND前後程度です。
しかも、堂々とCROCS等と書いてあるので、思わずにやり。頭の中で「パチックス」等と呼んでしまいました。当然、そんな言葉が書かれたものなどは税関で見つかったりした時などには没収に決まってますので、それには手を出さず。それでも安くて良いものは幾つか娘や家族のために写メを送って希望を聞いた後に購入しました。

路上という言葉で思い出しましたが、実はベトナムの路上には下の写真のように車に帯状おプロテクタのようなものを巻いて停めてある車が多数見つかります。
最初は何なのか意味が解りませんでしたが、基本的に車庫の無い家ばかりが多いダナンの街中で、車を購入してもある程度のらない時にはこうやってモノを巻いてバイクや人からの擦り傷などに備えているのだそうです。車庫が無いとか凄いなと思うのですが、まだまだ車に手を出すなんて言うのは多くの庶民にとっては遠い感じの事実であるこの国では昭和50年くらいの日本という感じで「今から」爆発的に車が普及するのではないかと思われます。

更に市場の外を歩いていると、ワイルドな感じで肉の販売をしているお姉さん達が下の写真の様に居たりもします。日本にはない景色というか、こういう感じで剥き出しで肉を売り捌く状況はもう今の日本では消えましたよね。
結構可愛い若い感じのお姉さん方が一生懸命働いていました。
その先をバイクでちょっと移動していた時にふと目に飛び込んできたのが下のような変圧器?でしょうか。
こんなに低い「誰でも手の届くところ」に重要インフラっぽいモノを造って大丈夫なのか?そもそもダナンを含めベトナムは雨季の洪水などで頻繁に街が水に浸かるようなイベントが繰り返されているのですが!

この後、ダナンの港で漁師の叔父さんの投げ網漁見学をしていたときに気づいた遠くにあるダナンの大仏の存在に気づいていましたのでそれを観に行く事にしました。
丘を昇っていく途上で見かけた美しいダナンの景色。そして、その手前には可愛いサル達が屯しているのを見つけました。この後、子のサル達にやられるとは露知らず。
最終的にリンウン寺の67メートルある大仏に辿り着きました。中は登れるらしいのですが、エレベーターでは無いと聞いて直ぐ断念。w 次回体力が余っていれば登ろうと思います。
大量の観光客が来ていて、いろいろな国の言葉が耳に飛び込んできました。
中はこんな感じで、手前には布袋さんみたいな感じの像が置いてありました。
この後、庭園風のお寺の中を歩き回ったのですが、それを終えて自分の乗ってきたバイクのところに戻ってみると…。市場で買っておいてバイクの運転席のところに引っ掛けておいたライチの束が下のような感じになってもぬけの殻。周りにはライチの皮が撒き散らされていました。
ハッとして上を見るとどこかで見たような輩のケツが見えておりました。orz そうです。やられたのでした。w
お前以外に犯人は居らんわナ!w
自分の間抜けさに大笑いしながら家に帰って夜に備えました。何かというと、遠縁の親戚の新築祝いのパーティーに呼ばれたからでした。
ちょっとしたお祝いを入れた封筒を手に訪問すると200人程度の人間の招待されたテントが新築された家の路地を埋めて居ます。こんな事を公共の道路で出来るのがベトナムのアバウトなところです。近所の人達や親族たちが集まっており、料理や酒が次々に運ばれ、眼の前の小ステージではプロの司会者らしい人がパーティーを仕切っていました。

親族一同に紹介されてはお話とビール攻勢。なんだか連日の接待攻勢で腹が小さくなる暇がありません。

これが終わると、夜のドラゴンブリッジの火炎放射・水噴射と周りにある市場への買い物見学に行きました。市場を覗くと前回は無かった店に変わった生き物の肉が並べられていました。、先ずは下のようなカエルの肉。食べると鶏肉のささみのような味がすると聞いたことはありますが、私自身に喰う気は無し。
血だまりが生々しすぎて…。
この鳥も形が生々しすぎて…。
木が邪魔で良く見えていませんが、土日にはこうやって火を噴いてくれるショーがあり、これを見る為に沢山の観光客が集まります。
更に橋の上に向かって歩くと、数十秒単位でライティングが変わるドラゴンの姿が橋の上でも眺められました。なかなか充実した一日となりました。
青や緑、黄色や赤といろいろな色を見せてくれました。水の放出もすさまじく、かなり遠くの人たちも逃げられなくてびしょ濡れの様でした。

2025年12月26日金曜日

ベトナム旅行・(実質)六日目

今日はダナン中心部に向かう事にしました。
朝出て来た紫色のご飯に牛の粉末がかかった飯。これが実に美味いのです!
この親族の「ある叔母さん」の家に行ってお祈りを捧げるというのですが、最初は何の事か意味が解りませんでした。
上の写真のような如何にもダナンの路地裏を入って行ったのですが、最初は教わった住所表示が間違っていて電話をしながら最終的にそのおばさんの家に到着。鍵付きの想い鉄扉を開けるとそこには普通の部屋があったのですが、話を良く聞くとこの人有名なシャーマンなんだそうで、政府の首相や大臣なんかがいろいろ話を聞きに来るんだとか。

実際に壁にはそれらの写真も飾ってあったのですが、内心「統合失調の気(け)でも…」と思って話を同行した通訳話者を介して聞いてみると25歳くらいからそういう天の声が聞こえるようになってきたという事でこれまた再び「う~~~~~~~ん」とは思ったのですが、そこは質問には出さず放置。w
ベトナム語ではない何かの言葉を筆記した紙。
コレを財布に入れて持ち歩けとの事でしたが?
取り敢えず、手のひらにも何か書きつけてもらいましたが、それはそれ。丁寧に礼を言って家を辞しました。その後はマーブル・マウンテンという所の傍にある女性が集まるというQuan The Am Pagodaという所へ向かいました。
沢山の女性で賑わっていましたが、ここは所謂「水子供養」や授かりを希望する人達がやって来る寺の様です。
ここを出て一旦家に戻ると夕方までは暫く待機して今度は親戚のある女性の誕生会へのお呼ばれとなりました。外国でこんな時に誕生パーティ?と思いましたが、好奇心につられて先ずは体験すべしと行ってみました。
出てきた料理の数々の1シーン。
この会場となったのがベトナムなら街角のどこにでもある普通の食事を摂れる普通の店。ビールを飲めて、魚介類やバンミー、バンセオを食べられる店と言えば良いのでしょうか。ただ、一角に別の大きな個室がありそこに十人以上が集合。

1000K程度のVND(凡そ6000円程度?)を持って集合です。
主役の登場後にケーキの灯を消しておくとベトナム人歌手によるいろいろなバージョンの誕生日おめでとうの歌が流れました。彼女は42歳になったそうです。私が蝋燭の42をゆっくり24と差し替えるとけらけら笑って大喜びしてくれました。

Tigerビールの厳しい乾杯攻めに遭いましたが、ここは日本人の男として負ける訳にもいかず全てを受けきって最後に散会。店の外で写真を何枚も撮ってお開きとなりました。

ベトナムにやって来ていろいろと「日本とは違う」いろいろな出来事に遭遇していますが、やはり自分の知っている世界とは違うものと出会う事の貴重さを実感しています。自分の持つ常識と異なる世界に曝される事の大切さを今回の久し振りの海外旅行で再び思い起こしました。

結局、違う環境に自分を置くというのはまさに実験そのもので「自分」が何が出来る人間なのかを試す機会そのものなのだと思います。