2024年10月16日水曜日

リトニアからの荷物

車の部品を交換しようと思い立ってディーラーに頼もうとしたところ、取り付け工賃別で¥26,000といわれました。

個人的には「え、この程度のものが?」という感覚があったので、同時に添えられていた部品番号をインターネットで検索してみたところeBAYでその部品が$100で売っている事が判明。日本円にして一万円以上安い事になります。

ネット上でこの輸出業者の事を調べてみたところ、レビューでは9割程度の人が5つ星を付けていました。「お、この業者いけるかも?」と思ったんですが、良く見るとこの会社はリトアニアの業者。何といっても地球の反対側の旧ソ連に属したバルト三国ですし、あのベラルーシの隣、ウクライナの直ぐ傍の国で、何となく、実に何となくなんですが「大丈夫かな…」というのが正直な感想。

リトアニアの方には大変失礼なのですが、そういう感じでしかこの国をかんじられませんでした。しかも、ここから日本に輸入するという時点で高い輸送量などをかけられたら遠く外国から注文する意味が消えてしまいます。ところが、この会社で注文して日本に輸入しようとしたとしても、ナント「ゼロ円」で送ってくれるのです。

ただし、10月の2日に注文して到着は12月から1月半ばごろとの予想が表示されていました。私自身は全く急ぐ必要の無い部品でしたので、タダなら良い!と思いました。ただ、もしヴゅうもんが届かなければ100ドルほどの金が消える事になるかなとも思いはしたんですが、eBAYの補償システムもあるし「ま、やってみるべい」と注文したのでした。

アメリカの時以来の注文を行おうとしたところ、eBAYのほうから「お久しぶり!」という感じのメールが入ってきました。幾つかのステップを簡単に踏んで取引終了。さあ、これで暫く待つ事に致しましょう、、、と思っていたら今日いきなりリトアニアから荷物が到着。
二週間でタダの送料の荷物が到着しちゃいました。

中身を調べたらきちんとした純正品。国際取引もこんなに簡単かつ信頼できるものになったのだと改めて感慨一入でした。

2024年10月15日火曜日

デジタル・データを残す難しさ

夕方家に帰り着いてからはアメリカで撮り溜めていたいろいろな動画、写真等の画像データやメールのデータ、その他の研究用の諸々の資料をまとめて別のメディアにトランスファーしました。

データ保護に関する危機感はこの数年ずっと持っていて、今持っている2台のHDもほぼ同じデータをそれぞれ別のディスクに分けて入れていたんですが、HDというのは所詮「磁気」に頼った記憶システムですから、何時の日にか時期の減弱にともない読みが甘くなっていくリスクというのは何時でもある訳です。

アナログの写真やイメージはソレなりにアルバムやネガフィルムなどで分散保存されているケースが多いので、何かがあったとしても「一気に・全データが」読み取れなくなり消失してしまう可能性はそこまで大きく無い訳です。無論、実家が火災で焼け落ちてしまって…等というパターンはこの限りでは無いのですが。

取り敢えずやった事はこの二つのHDのデータを全て2TBのSSDの中に落とし込む事でした。転送の速度はいろいろな要素によって規定されるのですが、今回は私のPCに二つのメディアを差し込んで一気にHDからSSDへと落とし込むというもの。

其々のHDには300ギガ以上のデータがありましたので、二つ合わせると約700GBものサイズになる訳ですが、受け入れ側は2TBもあるSSDなので、余裕でadoptできます。しかしこのサイズですから、コピーを始めるとサイズンの形式にもよるのですが、精々のところ秒速80MB程度の速度でしか出来ない感じ。途中で休憩時間も併せると3時間程度はコピーに時間を取られた印象でした。

それでも、SSDに移された画像イメージなどを見直してみると、子供達の小さかった頃の写真や動画がバッチリ出てきて、思わず嫁さんや息子とじっと眺めてしまったのでした。

さて、このコピーのコピーもまたいずれかの時点で作っておかないといけませんね。クラウドだけでは到底安心できませんので…。

2024年10月14日月曜日

全く休めない当直

今日は当直に入る為に病院の勤怠システムにカードを当てた瞬間に仕事が始まりました。

当直司令をしていた師長からいきなり電話が入り「X病棟の患者さんが腹背部痛と熱発で苦しんでいます」というお話。さっきまでいた筈の当直医は何をしていたんだ?と訝しく思いつつも取りあえず診察開始。画像を撮り診察を行いいろいろ調べると尿管結石の様でした。ブチルスコポラミンの使用であっと言う間に鎮痛効果が出て来ましたが、その間に多めの点滴を行い排尿を促しました。

幸いにしてこの方、この後は一日中症状は出現する事は無くけろっとした感じで翌朝を迎えてくれました。画像では比較的大量の尿管結石が下のほうに降りてきてましたので、今後も何度も同じ症状を出す可能性があります。実際、この一か月でも同じような症状で三度ほど数時間だけ疼痛を訴えていたようですが、その度に数時間でけろりとしていたとの事。もう少し早く内科に連絡しなさいというのが本音です。対応の方法はいろいろありますし…。

さて、このインシデントと前後して実は別の病棟でも熱発者が発生していました。熱はそれほど高くないのですが、それでもこの方は右側腹部痛がありまして、虫垂炎で有名な幾つかの圧痛点が奇麗に反応してくれます。これはこれは…という事でコレも直ちにCTを撮るとこのお婆さんは胃が既に切除された形跡がありましたが、虫垂の腫脹などは無く代わりに胆嚢が大きく膨れ上がっていてやや捻転気味でした。

腫瘍などは存在せず、肝内胆管も正常だったのですが、これだけ腫大化した胆嚢で高齢者である事を考えれば抗生剤を使用して様子を見ている時にポスッと破裂したらあっと言う間に汎発性腹膜炎になってしまって命にかかわる事が充分有り得ますので、私の病院では外科が無いのでやるのは「ここまで」。

近隣の大学病院にお願いしたところ、当番日の肝胆膵内科の先生が外科と相談しながらサクッと受け付けて頂けました。救急車で送った後でお話を伺ったところ、最終的にはPTGBDというものを設置して下さることになったとの事。

午前中は休む間もなく働きましたが、その後は「やっと」休めるかと思ったのにそれは甘い考えでした。w

午後もあちらこちらからお声がかかり、あっちでコソコソ、こっちでコソコソという感じで仕事が続き、それらが一段落したのは本当に5時前。これでは何時もの仕事と全く変わりません。orz 

という訳で夕方にはいったん泥のように眠ったのでした。ジャンジャン。

2024年10月13日日曜日

第10師団 創立62周年・守山駐屯地 創設65周年記念行事

今日は嫁さんからいきなりの提案がありました。

それは自衛隊のお祭りがあるみたいだからソコ行かん?というもの。名古屋に住んで、アメリカに行く前の二年間も入れるとトータルでは十年以上住んでいる事になりますが、守屋に陸上自衛隊の駐屯地がある事は知っていていて始終その脇を通ってはいても中に入った事など一度もありません。

そう云う訳で「行ってみよう!」と二つ返事で行くことを決めました。お昼時だったので、もし行ったら人、人、人で入るのさえ大変な状況じゃないだろうかと恐れていたのですが、予めそのあたりは周到に準備されているのが自衛隊。^^
少し離れた所にある訓練場(昔で云う所の練兵場ですかね)に大量の車を溜めてそこからはバスを使ってのシャトル運行という効率よい方法で入場させて貰えました。

中に入ると、お腹が減っていた事もあって先ずは腹拵え。沢山の屋台が導入されていて選び放題なのですが、如何せん昼時でその前にはそれぞれ長蛇の列が!それでも嫁さんと手分けしていろいろなものを結構沢山購入。ショップで売っていたいろいろなTシャツやタグなどを購入してイソイソ状態。w
普段見る事の出来ないものを間近で見れるというのは良いものです。
この飾り気のない内装!実用一点張り!これを売れば良いのに。
どっちが本物かわからないレベルですが、ミリオタのオジサンと思われる人はいきなり専門用語で濃い話をしていました。w
こんなもん生まれて初めて近くで見ました。
一家に一台ミサイル打てます。w
砲塔の所はまんま戦車!
実際に回転させてくれて私はそのカッコ良さに痺れました。コレも一台欲しかった。w
ウクライナで兵士を乗せて戦場で大量に走ってそうな車両です。
その後は各種の展示物を順繰りと廻って感心するやら感動するやら。それでも私の目を実際に惹いたのは一番端っこで静かに飾られていた災害派遣の展示でした。私は個人的にはこの展示こそを一番目立つところに置くべきではと思ったのですが、そうでは無かったところが少し残念。

展示用のテントの中に立って今回の能登での災害派遣に実際に行った時の展示写真等の説明をされていた若い隊員さんに話を伺うと、実際この方自身は金沢出身の方で「全く他人事ではない」立場の方だったとの事。お風呂の設営では第十師団のものは「守山の湯」か「尾張の湯」だったか忘れましたけど、凄く喜ばれたそうです。また、いろいろな孤立地域に物品を届けた際のエピソードも伺いましたが、やっぱり悲惨なのはトイレだったとの事で、自衛隊が素早くいろいろと揃えていっても、現地の公衆トイレなどはそれこそ「悲惨」な状態が最初の一週間くらいはあったそうで、公衆衛生の維持には大変な気を使ったようですね。

それにもかかわらず、こうやって現地の災害に派遣されても特に追加の給金などは出なそうで、それを聞いて私自身は「は~?」となりました。いやいや、それはオカシイやろうと…。こういう時は特別に追加の給金を少しでも乗っけてあげるべきではという俺の考え方間違ってるかな?それ自体が業務の一環と言われればそれまでなんですが…。

医師として気を惹いた展示は災害時(有事?)の緊急用テントの展示とその中にあった一冊のタグ。下の写真を見て頂ければ説明は要らないと思います。
テントとその中の処置台。
本当に必要最小限の情報ですが、現場ではこのミドリの紐で体に情報が付けられていくのでしょう。
今日の今日まで知らなかったのですが、ここは正式には第十師団・偵察戦闘大隊というみたいで「大隊」なんですね。師団のマークとしては名古屋らしく金鯱!しかも所属する下の部隊には偵察という名前が入っている事もあってフクロウのマーク入りのものでした。

腹も一杯になって目も肥えて愉しませて貰った記念行事。自衛隊とはまさに抜かない剣を磨き続ける組織なんだなと感じた次第でした。災害派遣以外にその力を使わないで良い日がずっと続く事を祈ると共に、有事への即応体制は常に保ち続けて欲しいと思いながらずっと駐屯地を眺めていた半日でした。

2024年10月12日土曜日

キャンプの下見に行きました

ゆっくりした午前中でしたが、昼を大分過ぎてからキャンプ場に行くことを決心しました。

今回の場合「行く」というのは「キャンプをする」という意味で無いのでした。前回の巨大キャンプサイトである木曾駒冷水でさえも三連休の初日のような日には大量のキャンパーで埋まっている状態でしたから、今回のような三河湖周辺のキャンプサイトであればとっくに予約で埋まっている筈。

そうは思いつつも一片の望みを託してキャン道具を何時もの様に病院に取りに行きました。何時もキャンプ道具を入れた箱を二段重ねにして置いているのですが、最近は一箱にまとめているので比較的簡単にスタートできます。^^

前回の反省から、米を一合だけ突っ込んでカレーのレトルトを1パックだけ持ってのスタート。向かったのは豊田の向こうにある三河湖でした。

ここはマップ上でキャンプ・サイトをつらつらとチェックしている時に見つけたところでして、レビューを見てもかなりいい評判でしたので「泊り甲斐」がありそうな場所に見えました。

午後の山の中を走っていると「松平発祥の地」等という書き込みと共に立派なスギ林が見えてきました。最終的には道幅もかなり狭くなり、ゆっくりと慎重に走らなければならない道を行き違う車に注意しながら走っていきました。

最後に到着したのが「やまびこ」という小さな食堂兼キャンプ管理をしておられる方の家。
いわゆる「映え」写真用の文字ですかね。
私が撮ると映えません。w
実に気持ちのいい風が吹いていましたが、実際の所きょうはもう全てのサイトが埋まっているという当然の結果でした。
キャンプサイトの配置図です。
これが知りたかった!
インターネットは運営していないとの事で、予約したければ電話を掛けてちょ!と言う事でした。気持ちの良い話し方をされるお姉さんの運営されるやまびこでした。
お店の真横から見たパノラマですね。
19サイトの宿泊サイトがある事が理解出来ましたので、今後はこのマップを見ながらの電話する事となりますね。
トイレ側から見た湖の眺め。
この人造湖の美しい長めの周りに既に沢山のテントが張られており、オジサン達や家族連れが薪をぴしぴし割ったりしているのが見えました。

到着してから15分程度でしたが、場所の検分は十分できたと思えたので、そのまま踵を返す感じで名古屋へ戻って行きました。まあ、少々残念ではあったのですが、これは最初からかなり高い確率で解っていた事なので従容として従うしかありません。

さて、準備は「それなりに」OK。あとテントをどうしましょうか…。