2025年4月3日木曜日

退職される若い皆さん

「モームリ」という退職代行サービスの事がネットやその他のメディアで話題になっています。

他にも幾つもそれに類似したサービスが展開されている様で、我々の20台の頃には想像もつかなかったような特殊なサービスというものが今の世の中では普通にある事を解らせてくれる良い例ですね。

「退職代行サービス」という単語は、まさに読んで字の如くという事で」という退職代行サービスの事がネットやその他のメディアで話題になっています。

他にも幾つもそれに類似したサービスが展開されている様で、我々の20台の頃には想像もつかなかったような特殊なサービスというものが今の世の中では普通にある事を解らせてくれる良い例ですね。

「退職代行サービス」という単語はまさに読んで字の如くというもので、一読でその内容は理解できるものの、最初の頃はホンマにそんなもん実在するんかいなと思うくらいでしたが、報道の内容を見てみると「アア成程ね~」というもの。

要するに、自分の就職した企業に馴染めない、ブラックだった、ブラックではなくとも休日の条件などが後付けされて(いわゆる聞いてないよ)いるもの等に対するNO!という拒否反応の最終形態としての退職、離職という行為なんでしょうね。

こういうのって会社・職場に無断で行かなくなれば勝手に首切られるもんなんかと思っていたんですが、そういう会社の一部には鬼の様に電話やメールを送って来るところもあるとの事ですから、気の弱い人や面倒を避けたい方々と言うのはこういった(私から見ると不思議な、しかし時代のニーズを汲んだ?)サービスを利用するのでしょう。

しかし、私思うんですけど…昔からブラック企業やトンデモ企業と言うのはゴロゴロあった訳で、今の時代コンプライアンスとハラスメントが声高に叫ばれてますけど、もしそういった事を言い始めたら墓が立つか家が建つか等と言われる超高給企業ゴールドマン・サックスとかどうなるのよ?という話もチラホラ。w

そういう「上澄み」に近い特別な上の企業で働く挑戦者達の退職は伝説とか語り草とか言っておいて、一般的な(おそらく)下の方の企業というか、そういうレベルの組織でやられたと感じて退職を選ばれる方々というのは、そういう結末に陥ったのは純粋にその企業だけの問題かというのが私の純粋な疑問です。

お前も入って経験してみろ!と言われそうですが、そういった企業を選んだ経緯が先ず知りたいし、そういった組織を選んでしまうまでにどれほど情報を集めきれていたのかという事も知りたいし、そもそもそんな所しか選べなかった程の大学その他の準備段階での成績しかなかったのではないか?等という疑問も大きく膨らんできます。

医者の世界でも、今では新人の研修先のマッチングという事でいろいろな病院が「選ばれる側」になっていますが、一流の病院、人気の病院はあくまで意欲も能力もある良い研修医を選び放題。成績が低かったり人として問題のある人、そして情報収集を怠った研修医候補はそれこそ「評判の悪い、人気の無い」研修先を最後の最後でピックアップせざるを得ないのが新人医師の世界のスタートアップの現実です。

まさに現実の様々な職業選択の世界と一緒なんですが、じゃあだからと言って良いと言われる研修先を選んだ人達が最良の結果を得て、評判の悪かった研修先を選んだ諸君が悲惨な研修後を迎えるのかと言えば然にあらず。漫画の様にそうシンプルではありません。

もう一つ知りたいのは、そういう代行サービスを使って折角の人生のスタートをこけた形でスタートさせてしまった諸君のその後のリカバリー。

果たして上手くいったのかいかなかったのか。二日や三日で自分の選んだシステムを去るというのは何だか…という気もするんですが「人間万事塞翁が馬」というもの。去った人達の中からきっと成功に至る道筋を探し出せる人が出て来るであろうことを遠くから祈っているオジサンです。

2025年4月2日水曜日

親と似ている

病院で診る人達が本当に実の私の親と同じような年齢の方々が増えてきました。

患者さんのお話をするのも自分の親の話をするのも本当に身に積まされる様な状況、どこかで聞いたような話、明日は自分の親かも知れないという様な話ばかりで、目の前に居る患者さんに迫る「もしかして」というその日が自分の親になるかもという感覚。

患者さんの病状に関して説明する相手である患者さんの息子さんや娘さん達も本当に私とほぼ同年代で、会社や組織をリタイアした直後とか、リタイアする直前とか。

そういう方々と話をしていると実は気付く事があるのです。寝たきりになっている患者さんをお見舞いに来た息子さんや娘さんは本当にベッド上の患者さんと瓜二つで、ドラえもんの小道具であるタイム風呂敷を掛けただけの息子さん、娘さんのような印象。

こういうのを見せられると、逆に医師である「私」も患者さんの御家族がもし私の親父が私の真横に立っているのを見たら多分吹き出してしまうのではないかと思うんです。それとも、遺伝子の為す神秘の複製能力に腰を抜かすのか?

親と私の半世紀以上の時間の流れを振り返ってみると、それはまさに親との相克の歴史。親、特に母親が私を認める事はまず無くて、父親は私の勉強には全く不干渉という状態でした。親父の不干渉は私にとっては大変有難く、両親ともワイワイという様な最悪の状況ではありませんでした。

親父に成人になった後でその理由を聞いてみると、「俺はお前の勉強の事はわからん。わからん事には口は出さん」とのシンプルな答え。小学校の頃から私が家でシコシコやっている宿題などにも教えてくれる事も無ければ、余計な口も出すことは有りませんでした。母親は私がやっている勉強の内容は解りませんでしたが、定期テストの点数の余りの悪さにいつも激怒していたのは確かです。w

その点に関して母親は父親に恐らくいろいろと言っていたようです。というのも、極マレに「お前勉強大丈夫か?」とボソッと聞いてきて来たことがありましたので、流石に母親の話から息子の定期テストの点数が酷い事を聞かされていたのだと推測されます。

私は暢気なもので、親父に一言「帳尻は合せるから」と言っていました。親父も親父で、それを聞いて「わかった」と言うだけ。まあ、二人とものんびりしてますな。

そんな両親も今年の誕生日を無事に迎えればもう87歳。ビックリですが、既にそんな高齢者です。親の老いてゆく様を見るといつも思うことは「俺も無事にあと25年生きるとしたらこんな風に老けるんかいな?」という事。

良いところも嫌なところもこの親に遺伝子を分けて貰い、この親達に育てて貰ったからには似てしまうんですよね。^^

お互い100年も無い一生。患者さん達の御家族を診る事で、己の両親も大切にしたいと思う今日この頃でした。

2025年4月1日火曜日

ヤバい事された…

バイト先でヤバい事をされました。

一体全体、それがどういう経緯で為されたのか全く理解に苦しむのですが、事の簡単な解説をさせていただきますと…。

バイト先で長い間診ていた在宅のお爺さんが最終的に超高齢となって殆ど何も記憶することが出来なくなった上に、排尿・排便が自分で出来なくなったことで家族さんが「そろそろ施設入所を」となって、5年ほどにわたった自宅でのケアを遂に今回終了する事になったのです。

その最後の日に自宅に居た御高齢の奥様が私と付き添いで来てくれていた看護師さんに高級な京菓子を下さったのでした。私は恐縮したのですが、こういう食べ物の時には(金品で無い限りは)御厚意を有り難く受け取る事にしていますので、お爺さんとの別れを惜しみながら笑って別れました。

その後、我が家からは長崎のカステラを送らせて頂きましたが、それでメデタシ!という感じだったのです。しかし、そこは折り目正しい御高齢の御婦人。私に対してバイト先の住所宛にお礼の手紙を重ねて返してこられたのでした。

ところが、朝わたしがこの手紙が置いてあるのに気づいて自分の連絡物入れからこの手紙を拾い上げた時に「おや?」と思ったのは手紙が既に開封されていた事…。
思わず「えっ?」と思ったのですが、取り敢えず中身を覗いてみると二枚の便箋に美しい崩し字でぎっちりと御礼の言葉が書き連ねてあったのです。読んでいてこちらの身が引き締まるほど。

しかし、私はこの手紙が「勝手に開封されていた」という事実に強い衝撃を受けました。

憲法では21条2項に、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない、と定めています。この条項は、一般的には国家からのプライバシーの保障であり、また、憲法21条に保障されていることから直接的なプライバシーの保障を通して、国民の知る権利に委縮が及ばないことを狙いとするものだという事は先の大戦で特高警察その他の下種達が国民に何をしたのかという事を思い起こせばその制定理由は容易に理解できる事でしょう。

そして、その文言は我々の日常にも敷衍されていて当然の様に「人の手紙を開けてはいけない」という事になっています。これをcopilotに尋ねてみると以下の通り。

日本では、他人の手紙を勝手に開封して読む行為は「信書開封罪」に該当します。この罪は刑法第133条に規定されており、正当な理由がないのに封をしてある信書を開けた場合に成立します。罰則としては、1年以下の懲役または20万円以下の罰金が科される可能性があります。 さらに、この罪は「親告罪」とされており、被害者が告訴しなければ起訴されない仕組みになっています。

との事。明確に私の宛名向けに送られてきた親書を「病院の事務員等の誰か」が開封したという事はまさにコレ。誰が何の目的でやったかは別として実に薄気味悪い人間若しくは何かの力が働いている事になります。

実はこの手紙を読んでいる時に脇を通った若い先生に「この手紙気付いたら開封されてました」って話したんですが「実は僕の所に来た手紙も二回開けられていた事あるんです…」と即答され、お互いに無言で顔を見合わせてしまいました。

もしかしたらヤバい人が居るのか?まさに薄気味悪いです。エイプリルフールネタと言いたいところですが、ガチでリアルネタでした。

2025年3月31日月曜日

中居君とフジテレビの報告書

私はそれを読んだ、聞いたという人からの間接情報でしか聞いていないのですが、第三者委員会の報告書900ページもあるとか?

この件に関して実は東京にいる歌舞伎の熱烈なファンである方から、当時自分が慶応に行っていた頃の慶応の学生達の実態とその後の就職先としてのフジテレビ、電通、博報堂などを選んだ連中のその後の様子などを、バブル前後からその後の「付き合った頃」も含めていろいろと裏話を教えて頂いてからは、今回のようなフジテレビの体質に関連した事件を聞いても驚く事は有りませんでした。

実際の所、皆さんの想像を超えて性接待というのは酷いとの話で、フジテレビなんて就活生も含めてほぼみんな手を付けられるような世界だというのです。他人の領収書を異常に欲しがり、下司な宴会芸もごく普通。自分達が楽しめばればそれで良いという様な人種に弱い人の痛みが解る筈が無いからあんな人を痛めてそれを嗤うような番組を作り続けるんですよ、と言っていました。

彼女からいろんな裏の話を聞く限りでは本当に「チャラい、ふざけた」世界というのがあの連中の世界という感じだと感じました。

兎に角、下請けに制作の責任を押し付けて、己らにはモノづくりの才覚なんて一切無い連中だというのが彼女の連中に対する「見立て」。そんな連中の日常というのは己の下半身を愉しませることに一所懸命。何時までも居座り続ける白髪のお爺さんの顔色を窺いながら”日々の無聊”は下半身を追い続ける事で紛らわせていたという事なのでしょう。

お前らときたら…と言いたい所ですが、今回は遂にそういう事がいよいよ隠せない時代になって来たという事だと私は思っています。被害に遭われた女性の治らない心の傷の事を考えると、もしその女性の親だったらと考えると芸能人だろうと何だろうと殺してやりたいだろうなと考えるのですけどね。

天罰覿面。天網恢恢疎にして漏らさず。いい気味でござんす。どこまでもフリーフォール状態で落下し続けて頂きたいものです。

別にテレビ局が一つ減ったくらいで日本は何も変わりませんし、善人面をした真反対の人間が社会の木鐸とか嘯いて嘘をばら撒くことに対して成敗が入るのは素敵な事。どうせ連中は不動産業とかの方が儲かってるでしょうから。頑張れホールディングス!w

2025年3月30日日曜日

久しぶりに名大へ

今日は以前アメリカで知り合った日本人研究者と名古屋で落ち合いました。

鶴舞駅で待ち合わせ、更にそこには昔私が所属していた研究室の教授にお越しいただき車で拾い上げて貰いました。そのまま私が以前所属していた名大のラボに向かい三人である領域の研究に関してコラボレーションの可能性を検討する事になりました。

私から見ると其々の研究者に久しぶりに会う訳ですが、私の友人と教授は初見です。

教授は現時点でのこのエリアの研究の進捗状況を未解決の分野と進展した分野、そして予算の配分状況あ現在の日本でどうなっているのか、更には世界との戦いにおける今の日本のこの分野での立場などを3時間ほどテーブルを差しで挟んで伺いました。

今の時代のサイエンスはシステマティックになっている反面、研究資金を持つ者と持たない者の研究「可能」なエリアと内容の差が非常に大きくなってきている事を感じていたのですが、その点を素直に質問としてぶつけると納得させられるような返答が返ってきました。

更に驚いたのは私が基礎科学の現場を去って10年経っている間に研究内容の出版を巡る環境が激変している事に衝撃を受けました。それは「論文の内容が最終的に受け付けられても、それをpublishする為の額」が非常にデカくなっていたのでした。以前は数百ドル程度の感覚だった出版の為の課金が平気で30万、50万、ものによっては100万という様な感じの金を要求されるというものでした。orz

以前、インターネット黎明期から研究を始めた頃にまさに熱い時間を過ごした私にとって、ネットの登場によって出版に掛かる費用は大きく削減され、誰もが容易に安価な出版が可能になり、更にはそれらの出版物自体も自由にアクセスして己の学問の為に読むことが出来る時代の到来をワクワクしながら待っていたのですが…。

21世紀も1/4を過ぎた今、時代は期待とは真逆の方向に進んでいるではありませんか。一体全体このままで本当に良いの?という話。科学に食い込んでくる商業主義の蔓延はimpact factor至上主義の成れの果てにしか思えません。

それにしても、3時間の豊かな討論の中では沢山の研究提携すべき内容が登場し、今まで持っている遺伝子発現やチャートの再解析が必要だという事が理解出来ました。異分野の交流というのはこれほどのインパクトを持つものかという事を改めて理解した今日の午後でした。

教授と別れて私達二人は鶴舞高架下の「世界の山ちゃん」へ入り、更に二時間の研究に関する熱い議論を行いました。やっぱり研究は面白いですわ!金の事を気にさえしなければ一生研究だけやって生きていくのは夢の世界だな~と感じた次第でした。

いろんな意味で私には出来なかった事ですが、この若い後輩が人類の為に何か成し遂げてくれるのであれば喜んで手伝いたいと思いながら彼と別れたさくら祭り真っ最中の鶴舞公園でした。