最近では自動運転のことがよく記事になっています。
基本的にはテスラの昨年の事故で再び大きく取り上げられましたが、あの自動運転レベルにしても四段階ある自動運転レベルのレベル2というのですから凄いもんです。実際にはiSchoolなどでその説明がされています。
レベル2まではドライバーが責任を取り、その次のレベル3からは自動運転システム側が責任をとるということらしいのですが、レベル2からレベル3への変化は保険料その他のことも絡んできますし、人身事故がおきた時には自動車会社が責任を負うの?ってことにもなりかねませんからこの2から3への変化は私には大跳躍に等しい革命的な変化に思えます。
テスラのレベル2でさえ少なくとも私の娘が運転するレベルよりも随分と安全で慎重なものに見えます。(実際これでも普通の運転者の運転よりも2倍安全なのだとか・・・。)勿論、自分の意志で行う運転というものも永遠に無くなることはないでしょうが、その時にはそういった車には保険料がどうかかってくるのか大変気になります。
今私が運転している車も高速道路上では異常に楽チンですし、普通の路上でも車間距離や障害物に対する反応が半端なく明敏で、そういった車から病院が支給している、そういったギミック無しの”いわゆる普通の車”に乗り換えると、自分のいつもの車の調子で乗ってしまうところがあるのがよく判り、かえって用心して運転していますね。
まずは危険への告知機能と回避機能の先進性が競われている2015年以降ですが、Uberの会長が言っているように、あと五年も経つと全自動運転の車というものが”ごくごく普通の乗り物として比較的安価に提供される時代になるのかもしれません。
今こう書くと「早すぎないか?」と多くの人は思うのかもしれませんし、私自身も5年で?と感じる所はあるのですが、じゃあ今ほどのスピードでAIともども技術開発が進んでいてあと十年かかるかと言われれば、それは遅すぎるよな〜って気も確かにします。
結局のところは法整備と保険料の問題という極めてヒューマン側の文化系的問題に収束するのかもしれませんね。さて、五年後にこの日記を読んでみてみたらどうなっているのか。
2 件のコメント:
ペーパードライバーからやっと復帰した頃、何日か運転しない日が続くと
次に運転するときにものすごく緊張して余計にぎこちない運転になったりしたのですが
自動運転が普通になって自力で運転することが少なくなると運転が下手になっちゃうかも!
・・・と若干心配になったりします。
だけど、ほとんど全てを自動運転にまかせることが出来たら
高齢になっても車の運転を諦めることなく楽しめていいかも知れないですね。
年金生活者の手の届く価格の自動運転車があるのか?という問題がありますが。
・・・子供に買って貰おうかしらね?笑
運転というのは本当に慣れ、推理・認知能力、自己統率能力等の総合的な力ですよね。
どれが欠けてもやはり危ない。
心配しているうちはマダマダ大丈夫だと思います。
臆病さを失って「大丈夫!」と思った瞬間から自己はこちらに近づいて来ると思っています。
自分が良くても飛び込んでくる子供や自転車はいくらでもいるし、こちらが止まっていてさえも相手はやってくることがあるのですから、事故に遭わないというのは慎重さとともに運もあるのだろうなと。
高齢者になった時の完全自動運転の実現はそれこそ”革命”となるでしょう。
その時は自分が車を持たなくてもcar shareで呼び出した所に車が来る時代になっていると思いますよ。必ず。
とすると、自分で車を持たないで済む時代が来るのかもしれません。(若い世代は特にその傾向大で、アメリカでは大学生のカーシェアは普通になってしまっています。)
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