あまり物覚えが良い方ではありません。
というよりも正直かなり悪いです。w
この記憶力の低さ故に膨大な量の医学・生理学的知識の記憶をリクエストされる医学部という場所においては「大変な苦労」を強いられました。
まあ、そういった話はまた別の機会に譲るとして、この私の貧弱な記憶力の網の中にもずっと残り続ける人達と残らない人達がいます。
何故そういった差がうまれるのかということに関しては私自身も?というところが有るのですが、単に個性が強いから覚えるというようなものでは無い感じで、私の記憶に引っかかりやすい一定のパターンが有るようです。記憶の底から汲み出されてくる「覚えている」患者さん方は、治療に手間がかかったから覚えているというものでもなく、暴れる患者さんだったから覚えているというものでもなく、どちらかと言うと大人しい優しいお婆ちゃん達と言うパターンが多いようです。
病院に入ってくるお年寄りの方々の中にはそこが終の宿となる方も居るわけですが、老いた人の中に残された貴重な体験談がその口から包み隠さず語られる時にはやっぱり立ち止まって思わず話に聞き入ってしまうことが多々あります。
やっぱりそういう人達が記憶の中に積み重なっていっているようで。
私の人生の最期にもそういったことを語る第三者と言えるような人って現れるんでしょうかね。
今のところは、人生の最後で嫁さんと「第三者にとっては聞いたところで意味もわからないような由無し事を」長々と語らえたらそれで大満足というのが私の個人的夢想ですので、第三者が登場というのはアクシデント以外の何物でもありませんが・・・。(嫁さんは迷惑かな?w)
0 件のコメント:
コメントを投稿