2013年1月20日日曜日

体罰の思い出

小田島さんのコラムを読んでいたら今回は体罰の話が載っていました。
実際自分のころを思い出してみると体罰というのはほぼ小学生の中・高学年以降はずっと「日常」だったというところか。特に五年生の道徳(笑)の先生になってからは本当にビンタや拳骨はもうほぼ毎日、給食の皿は乱れ飛ぶという日常でした。当時その先生の御父上が癌で闘病中で、その介護のストレスで物凄く疲れているのを皆知っていたので子供心にその荒れた様子を受け入れるしかなかったのです。
中学になると体育教師を中心にビンタ、足払いその他の体罰はほぼ日常でした。(笑)では高校になればそういうことが無くなったかというと、やっぱり無くなりませんでしたね~。県立高校でしたが、体育教師は言うに及ばず、担任の阪大卒の数学の教師もやっぱり何かあるとバシッときてましたね。
まあ、親父からも直ぐに拳骨や蹴りが来る日常でしたから私自身がそのような体罰というものにもともと耐性があったので殴られようが蹴られようが「いて~」の一言で済んだのですが、そういう経験が無い人にとってはああいう状況というのは、多分「恐怖」以外の何物でもないのではないかなと思います。「俺」にとって何でも無い話でも、他の人にとってはそうではない話というのは掃いて捨てるほど有る訳で、自分が問題ないからそれが他人でも問題ないと考えるのはやはり決定的に他人の立場に対する配慮というものの欠如というものでしょう。
大阪の高校の体育科の生徒が自殺した話を多くのリンクを辿って読んでみてみると、やっぱり熱血の延長線上にある日本の普通の体罰の一種なんだろうか?という気もします。が、しかし、実際にはその本当のところはこの生徒の心の中に永遠に閉じ込められたまま本当の答えは出てきません。
いろいろと多感な時期のこの学生達には、体罰だけでなく、他にも外からは決して窺い知れない無数の葛藤が渦巻いた挙句の最悪の選択になったのかと思うのです。指導する側にとってもされた側にとっても、自死という本当に最悪の悔やんでも悔やみきれない選択が選ばれてしまった結果を省みたとき、「少なくとも」その原因の一つであったであろう生徒を逃げ場無く追い込むという指導をしてしまったことをこそ反省するべきではないのでしょうか。そういう意味では体罰よりもそういった指導法自体が問題だったのでしょう。
人に何かを指導する時には必ずその相手を良く見て、その人がどこかに逃げることの出来る精神的、物理的な選択肢を残しておかなければならないと思います。特にそれが成長途中の子供達には、、、。
無論、激しく強く立ち向かう人も居るでしょうが、その指導を受け止めて返し切る人間だけでこの世が出来ているのでは無いと言う事に思いを致すだけの知性が指導する側には欲しい物です。自分自身はと言えば、子供が大きく育ってそういうことを反省点として思い返すことも多い頭の悪い親父です。
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