グラントのリバイス進行中。
書いたグラントは近所の犬にさえ読ませるべし等と巷では言うくらいですが、インターナルのレビューボードから最終提出前に一度既にコメントが付いたものが帰ってきたので、その指摘に一々反応しつつの書き直し。こういうレビューというのは、一々腹を立てていては駄目で(笑)有り難いお言葉として注意深くその指摘点を検討していく事にこそ大変な価値があります。
要するに、自分の目では見えていなかった矛盾点、書き足りない点、若しくは他の分野の人間には理解が難しい点などは「全て」事前に取り除いておいて、スラスラと誰もが読めるものにしておかなければならないのです。難しいことを難しいままにしておいては駄目で、ハイレベルな実験で有っても、その一つ一つを分解して少なくともグラントプロポーザルを読めばその実験の進行具合が読んでいる人の頭のなかで再現できるようなものでなければなりません。
身内同士で解りあえることを期待していては何時まで経っても埒があきません。実際にはレビューボードの人達というのは事前に大量の割り当てグラントを読み込んでおいて、更に点数付けに値するものかしないものかをトリアージュという形で撥ねておきます。ここで、読むに値すると思われる上位三割くらいを審査対象として再び詳細に検討していくのが常なので、「いくら人類にとって意義がある実験でも」レビュアーが切り落としてしまったら、レビューの対象にさえならないのですから仕方がありません。
誰にでもスッと呑み込めて且つ魅力的な実験系を組まないといけないわけですから、組み上げ方にはいろいろとコツが有るわけですが、そこは夫々向き不向きとか、上手い下手が有る上に、レビューボードに誰が座るかによっても「大きく」結果が変わってしまいます。
そこまで来ると、運の要素も勿論入ってくるわけですが、そのボードメンバーの名前を見てその分野のボードにアプライするかどうか決めるというのも大原則の一つなので、誰も表立って口には出しませんが、実際には政治的な要素、コンテンツとは離れた部分での戦いも水面下では激しく行われています。
無論、ノーベル賞クラスの研究者でも、波風の高い所で戦うのは実際には非常に困難なことが有ることを講演会などでお話してくれる方も多々おられますが、そうは言ってもそのレベルの人は数億円はまあ最低握ってるというのが殆どですから下々の人間からみれば成層圏レベルでの話ではあります。(笑)
上手く回して予算獲得、論文出版のサイクルを作り続けるのが我々の世界ですが、今、多くのラボで予算不足が直撃し、田舎の駅前商店街のようになっているところがあちこちに見受けられるのが昨今のアメリカです。
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