2013年1月11日金曜日

論文とレビュー・狐と狸のばかしあい

レビューの度にいろいろな国からのいろいろな投稿を読ませてもらってますが、本当に国によってその平均的な研究事情とレベルが良く解かるというのが大量のレビューをしてきての正直な感想です。
前にも書きましたけど最近は本当に中国からの論文投稿が多いんですね。しかも最近、異常に多い感じがします。この国からの論文投稿には非常に強い一定の傾向があります。無論「型」に嵌めて「全て」を一律に論じるのは間違いです。というわけで私が個人的に感じている「傾向」ということで読んでいただいて結構です。
まず一つ目は多くの提出稿に含まれるデータの量が小さいこと。もっと極端に言うと、Fig.1で実際には済んでしまうような量のデータが希釈されて3つ4つのフィギュアにされているものが本当に多いです。二つ目は既に知られていることをあたかも新しく見つけたかのように書いてくる論文の多さ。性質が悪いことに、ビブリオの中でそのオリジナルの論文に全く触れていないのです。それに近い、かつその発見に直接関与している論文を微妙に外しているものが多く散見されます。三つ目は既知の事実にちょっとした改変を加えた分子を発現させた挙句、細胞の挙動の変化に差が有ったという感じの論文の多さです。それ自体が貴重なことも当然あるのですが、仮説に基づいて検証していくという過程で最終的にもっとも大切なその現象の裏にあるメカニズムの検証が無いままに論文が終わってしまっているんですね。要するに現象の記述という一歩目は見られるものの、その次に来るべきでは何故そうなるのかということに関して突っ込んで調べていこうという姿勢が本当に希薄なのです。
こういう投稿の裏に見え隠れするのは(個人的な感想で申し訳ないのですが)投稿の数を稼ぐという基本的には好ましくない、しかし、極めて20世紀後半から普遍的になってきたアメリカ的な方法論の踏襲だと思います。我々の世界でPublish or Perishという言葉を良く使いますが、これも中国のような更に人口圧力の高いところから論文を出す人達にとっては彼らの昇進、そして存在そのものに関わってくるだけにこういった実験の希釈としか思えないようなものがたくさん来るのだと思います。その先にあるのは一体何なのか、想像したくもありませんが。間違いなく、論文の捏造があると思います。
フィギュアを詳細に検討し、整合性の問題を検討し、関連論文を精査していくと今まで見えていなかった「あれ、これオカシイよ??」という問題点が沢山浮き上がってくるのが毎回面白くはありますが、そのトラップを見破る努力は時に自分の時間をかなり削いで注入しなければならない事があります。
まあ、それが査読といえば査読なんですが、嘘は混ぜてくるなよと言いたいです、、、。科学を教える前には必ず倫理教育から始めないといけないんでしょうかね、、、。寂しいけど、現代では避けて通れない問題のようです。orz
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