2025年12月23日火曜日

ベトナム旅行・(実質)三日目

今日は自分の意志で観光したい所を一か所決めました。

それはミーソン遺跡という所。ベトナムにやって来るまで全く知らなかったのですが、非常に古い遺跡で、そもそもベトナムの歴史の中では一旦は消え去っていたようなのですが、フランう統治下で再発見されたもの様です。
如何にも!のベトナムの山奥の景色です。
UNESCOにより世界遺産に管理されている所の様ですが、べトナム戦争中はB-52による大量の爆撃で相当のダメージを受けっとのこと。後に日本やインド、その他の国々の指摘、公的援助にて博物館を含めいろいろと修復が進んだようですが、実際にはまだまだ現在も掘り返し中のところがありました。
ドイツ語をしゃべる観光人が非常に多かった気がしました。
物凄くぶっ飛ばすカートに乗って凄い雨の中を進んで行くと突然現れる遺跡群。突然現れたその遺跡群は比較的コンパクトにまとまっているのですが、一体どこがどのような事に使われたのかわからないような建物たちで、一応解説はウェブやアプリなどで出来るのですが、ネットの環境が悪すぎて一苦労でした。

ワークマンの優秀なコートを着ていても、暑すぎて汗だくの内側。あきませんでしたが、ここを発って古都ホイアン(ダナンの人はホアンと呼びます)に行く途中で二か所寄り道。

先ずは炭焼きの村というあだ名の場所に運転手さんが案内してくれたのですが、そこは実際は昔日本人が瀬戸物を焼く方法を教えてくれた場所の様で、お土産物の中に沢山の日本の電話番号の入った寿司屋の湯のみがあったのには笑ってしまいました。
一時間ほどの滞在中に以下のような可愛らしい魚の焼き物の笛を1個120円で二つ買い込んでちょっとした日本へのお土産にしました。(べトナムでの初買い物!)
次に向かったのはダナンの人間には有名な郊外の春巻きのお店でした。浸けるものが滅茶苦茶辛いのですが、ロールの皮は特別製で素晴らしくエラスティックで破れることはなかなかないという優れもので、私のような人間でも巻き付けに苦労はしませんでした。

腹を満たして向かったのは古都ホアン。何と入り口には長崎から送られたというVOC(東インド会社)のマーク入り[逆さまに取り付けけられていましたが!w]の模型複製船が置いてありました。
旗が天地逆なのはこの向こう側の前のほうの旗も一緒でした。
長い日本人との歴史の中では、こんな遠くまでやって街づくりに参画していた当時の日本商人達の寄付で出来たという日本橋とその中の伝説の猿たちの彫刻を見ることが出来ました。
幾つかの説がある中の猿。二匹が向かい合っていました。
右に立っていたのはカメラマンを従えたベトナム人のモデルさん。結婚式用?
中を進んで行くと観光ガイドで有名な夜景のきれいな川が見えました。ただし、今回は昼でしたので、何というか奇麗だなというのは解りましたが、幻想的な時間ではありませんでした。ついこの前の大洪水でここらあたりは浸かってしまったようです。
数日後に再訪する予定ですが…
日本橋に行く直前にあった中華の寺の裏庭。けばけばしいのはあの国の文化かな。
取りあえず疲れ果てて帰ってきたのですが、全て込みで四人の人間が1200KVND(約7200円)で済みました。
その最終局面で見たのが以下の写真のようなバイク。ベトナムは未だまだ昭和の感覚。逞しいものです。


2025年12月22日月曜日

ベトナム旅行・(実質)二日目

今朝は比較的ゆっくり起きて行動開始しました。

朝から全くと言って良いほど解っていないベトナム語をグーグル先生の力を借りて双方向でどんどん通訳。恐ろしいほどの聞き取り能力に頭が下がります。日本語の聞き取りは私の喋りに関してはほぼ完璧。ただしベトナム語の様に抑揚等で意味が変わってしまう言葉は結構槍の死をしなければならないようです。それでも凄い聞き取り能力には変わりありませんが。

さて、今日は午後から知り合いが日本からやって来ての合流というイベントがありますが、それまでは十分に時間がありますので、フエ王朝に運転手さん付きで移動となりました。

最初は一体誰なのか判りませんでしたが、運転手さんを連れてきてくれて雨の中を家族さん達の一部と出発。物凄い雨が降ったり止んだりですが、道路事情は昭和40年代の日本そのもの。まだまだあちこちがデコボコですし、信号も正直全然未整備なレベル。しかしながら正に「阿吽の呼吸」という奴で車とバイクが抜群のタイミングで流れを縫い上げていきます。近い将来信号がきちんと整備され始めたらこうはいかないでしょう。
さて、フエ王朝は昔の「阮朝」の二重城郭都市で、「順化皇城」とも呼ばれており、200年越しの歴史があるようです。ここにやって来て種々の建築物、特に太和殿なども入りましたが、木造建築や漆喰を使った壁などは高湿・高温の中ではこれ程劣化が厳しいのかという事実を見せつけられ驚きました。
近くに寄っていくとタイルなどで美しく仕上げがされています。中はフランスの影響で様々な西洋文化とのごった煮。
奇麗な朱と黄色、城の色の調和が曇り空の下でさえ奇麗でした。
二時間ほどでここを去ると、ヤシのやバナナの木の繁る道を帰っていきましたが、実は来る途中、前日から同行してくれている在日ベトナム人のH君が余りの道のくねりに嘔吐してダウンしたので帰りは高速。

返って来る途中、もう今日は遅くなった事からホイアンに行く事は止めてダナンに直帰。家に帰り着いて一息つきました。返ってきて出てきた食べ物にちょっとギョッとする事になりましたが、それが以下の食べ物。
ヒヨコなのですが、これは何とアヒルの卵で名前はベトナム語で「トウン・ホプロウ」とか何とかいっていたのですが、まあ、良しとしましょう。
卵の中は三種類の構造に別れていて、硬くなった卵白部、未だ使われ切っていない卵黄部、そして鳥の雛が形を持っている部分の三つ。卵白部は味が無くコリコリ。卵黄は普通に美味しいのですが、雛の部分は一部は羽が出来ていて見た目はグロテスク。どうしようどうしようと思いながらもここは旅の経験と思いガブっと食べると全くなめらかで骨などを噛む感じは無く普通に美味しかったです。

だからと言って二個目を勧められても手は動きませんでしたが!w
現地の人達にとってみれば当然の如く御馳走の一種。酒を呑みながら普通にパク悪皆で食べていました。

この後、日本から一日遅れてやってきた知人の二人組と合流しましたが、今日はベトナムの色々な観光地と言える場所を巡った初日となりました。まあ、基本的に観光地巡りは計画の中では重きを占めないのが私の旅ですので、誰でも知っているようなベトナムの観光地の一つを制覇出来たのは珍しい事でした。

明日はmy Sonと書いてミ・ソンと呼ばれる古墳群とホイアンに行く予定です。

2025年12月21日日曜日

ベトナムに到着したけれど!

生まれて初めて鹿児島より南に行きました。^^

そもそも沖縄にも行ったことが無かったのですが、今回は単身ベトナムへの渡航ですからどうなる事か判りません。明日ベトナムに別便で到着する予定の知人の話では今の若い人は結構、特に観光地では英語を話す人が多いとの話でしたので、そこに期待を繋いでいます。

さて、飛行場から出国する時に大きな失敗。向こう側の知人男性に渡そうと思っていた日本のレアな酒を荷物検査直前で小さなスーツケースに入れているのに気づいて絶望。そのままスキャナーの脇に置いて来ざるを得ませんでした。orz
まあ、それは身の安全に比べればなんて言う事も無い事。取り敢えずは生まれて初めての航空会社であるVIetnam Airlinesに乗り込むことが出来ました。
微妙に日本と異なるサイン。因みに男女のトイレの色も青と赤が逆です。
時間はなかなか経たずに約6時間。中継基地であるホーチミン(サイゴン)に到着したのは良かったのですが、入国手続きが長くかかって乗り継ぎの為にどこに行けばいいのかというのをじっくり確認する時間も全く無く、トランジットのバスを必死で見つけて一緒に同行してきたベトナムの各種競技のオリンピックチームと共に移動する事になりました。
ホーチミン空港の外に出て国内線の乗り継ぎ空港にバスで向かったのですが、荷物を運んでくるお婆さんがもう入り口で立ち尽くしてバスの発車を遅らせる始末。w 自分が原因でバスが出発で居ない事がわからなくて周りのベトナム人達にやいのやいのと何かを言われて荷物を内側に押し込んで出発。出発してからも市内の交通はまさにアジアのカオス状態で、もうこんな道をどうやって走るの?という感じの我がまま運転が罷り通っていました。

取り敢えず、必死で走り続けて直前になって飛行機にダナン行きの飛行機の乗りこむことが出来ました。安心して一時間ほど飛んだ後でベトナムの知人の親族(既に俺の顔はメールで送ってある)に駐車場出口で拾ってもらったところ、大きな驚きが!

ナント、知人の弟さんである関西人のHさんがサプライズで私の事を親族と共に待っていてくれたのです。思わず「え~っ!」と驚きの声を出して絶句したところ、ビジネスの為にやって来ていたというではないですが。偶々とは言え絶妙すぎ!神に感謝です。

そのまま車に乗ってダナン市内の知人の親族宅へ!
そこは美容サロンでした。多くのお客さんがいる中で、変なおじさんが愛想笑いを浮かべながら上の写真のようなお店に入場という状況を思い浮かべていただければ結構です~。

そこから直ぐに近くのダナン名物である甲殻類屋さんへ!
左がH君
腹一杯に種々の甲殻類を腹に詰めこんで話に花を咲かせると共に、通訳が居てくれる事に居感謝した夜でした。

薄味だけど美味しいベトナムのタイガービール
なんと、知人のおじさんは大工さんでして、訪問者用に~と、私の為にわざわざ新しいベッドを作ってくださっていたのでした。心から感謝しつつ本日爆睡。時差は日本マイナス2時間です。

2025年12月20日土曜日

東横インに前泊

 今まで基本的にはそういう事はしてきませんでした。

但し、今回の旅行では10日間の日付を空かせる事、朝の便の出発が9時と早い事、泊まろうとしている東横インが宿泊者向けに10日間の連続の駐車に対して合計1000円の駐車代か請求しない事、朝も早いのに当日の朝になって万一駐車場が空いていない等と言う年末のアルアルになると目も当てられないので、それだけは絶対に避けるという目的のために前日宿泊としました。

東横インの会員としての登録を済ませた後に予約をしたことでこの女権付与が発生しますので、そこを慎重にクリア。更に物理的にアクセスしたときにいろいろとお話をしたことで少しだけ安くしてもらい一泊1万を切る価格で泊まることが出来ました。

東横インの中は実に質素で清潔、何も余計なものは無いという状態でまことに今風のホテル。エレベータでもCAさん達と擦れ違いましたが、飛行場の真ん前という事もあり多くの飛行場関係者も使っているのでしょう。

1人での使用というのは味気ないものですが、仕事を午後3時に終えた後に今年最後の歯医者の治療を終了させ直ぐに向かったのですが、家を出て来る時も「それじゃね~」と云う位の軽い感じ。特に海外に行くというものでもありませんでした。

どこにも行かず、部屋の中で淡々と過ごし9時前後には消灯。明日のベトナム出発へ向けてさっさと消灯しました。

パスポートと現金さえあれば特に何が無くとも何とかなる!というのが私にとっての旅の要諦。その通りの状況ですの出発を迎えるための通常の手続きです。

2025年12月19日金曜日

セクハラ

 今年も「あてつけ」の為に忘年会には残りませんでした。

いきなりこれを読んだ人には意味が良く解らないと思うのですが、実は昨年も忘年会には顔を出して冒頭の挨拶だけはしたものの、あとはさっさと帰ったのでした。

理由はシンプルで、昨年事務のある人間から「先生、人と接触する時に頑張れとかいった状況で肩を触ったりするのはセクハラと取られかねません。実際にそういう事に関してX病棟では苦情を言った人が居りましt」ということが申し渡されたのでした。

私自身は「下らん」よ内心思ったのですが、それをどう感じたかというのがハラスメントの定義だと言われましたし、「先生の為にこのお話をさせていただきました」等と言う様なお為ごかし話をする人間とは話が合う筈もありませんので、即座に「ああそうですか、わかりました、以後気をつけます」と言って、話を即打ち切って席を立ちました。

幹事はじめ数人は「本当に?」等と聞いてきますが、本当です。

以降はこの季節になってもこの病棟の人間とは仕事の話はするけれど、一切の個人的話等は行わず、関りは持たないとい方へ方針転換しましたので、話をシンプルにして飲み会などでの一切の接触を断つようにしました。

私自身はこういった感じでストーリーを纏めてしまう事で一切の災厄を寄せ付けないように頑張っております。w

カネは出すけど口出さず。素敵な21世紀は続きます。

2025年12月18日木曜日

ベトナムで何をしようか

ベトナムに行くにあたってもっとも謎なのは買い物の時のキャッシュの事。

聞くところによるとマダマダ小さな店ではとてもクレジットカードなど通用しないところも沢山あるとの事で、この点に関してはどうなるか良く見えてきません。所謂「発展途上国」よりかは上かと思っていましたが、未だ定義上は発展途上国であって、高い失業率や会社の解散などが問題などとネットには幾つも書いてありました。

一昔前の韓国のような感じなんでしょうかね?

何れにしろ先ずはキャッシュをどうやって手に入れるかですが、今回はJALGlobal WalletのJAL Net Bankを使っての現地でのキャッシュ引き出しを考えるというものです。空港などで現金を交換すると滅茶苦茶レートの良くない感じで交換されるというのが常ですので、そこのところはレートを見つめながらの作業でしょうか。

正直なところ、何も考えなくて良いという意味ではこういう国でクレジット・カードがどれほど使えるかというのが全てという感じなのですが、なかなかそうもいかんのでしょうね。

嫁さん達はお土産など買って来るな~と言ってはくれているんですが、まあ、いいものがあったらそれなりに何かは買おうというのが人情。ただし、最初からお土産を買いに行く為に旅行に行くような事はせず、まあ買っても靴とTシャツが安ければ買おうという感じです。

結局旅行の最大の醍醐味は「体験」ですから、お土産を何にしようとあんまり意味は無い訳で、何を見たのか何をしたのかという事に最大の注意を払っていこうと思います。

食べる、見る、感じる。観光というよりも現地の人達の日常の中に溶け込むことを最大の目標にして生活していくのがベストでしょうな。人が沢山入っている現地の汚い店、現地の人が買い物に行くストア。少々猥雑な場所など、現地の知り合いの知恵を使って試していこうかな?^^

2025年12月17日水曜日

衝撃に震える

ゲームで知り合ったインドネシア人と今日ネット上で会話していました。

その中で私が話したのは「今日、病院の忘年会で寂しそうにしていたインドネシア人ヘルパーの子達にインドネシア語で話しかけたらめちゃくちゃ喜んで話し始めたよ!」という話。

その後、彼とは言語の事に関していろいろと話になり、インドネシアで流行っている歌の事や日本語の歌詞が付いたインドネシアの人気の詩などが次々と出てきたのですが、当然の様にインドネシア語の歌となれば私から出てきたのはアノ歌!そうです「モスラの歌」です。
このURLを送って彼に聞かせたところ「日本語とか韓国語の様に聞こえるね」と言ってきたのは良いんですが、余り歌に関して話をしません。そこで僕が痺れを切らして聞いたのは「このインドネシア語の歌の歌詞は正しく歌えてる?」って聞いたんです。

すると彼からは驚愕の返事が…。

「これインドネシア語じゃ無いよ」とのシンプルな返事。いやいやいやいや、そればっかしは無いでしょう!と切り返したのですが「違う。そもそもインドネシア語として聞き取れない」という実に素っ気ない返事が再び返って来るだけでした。

私が今まで信じていた数十年来の私の中にあった常識が一瞬で音を立てて崩れた瞬間でした。他のモスラの歌の動画も聞かせましたが言葉は変わらず。彼は頑なに「違う」と言い続けるだけでした。

その他のモスラの歌の動画には念を押すように「インドネシア語翻訳:XX」として、対訳まで付けられているのですから、私の頭の中ではその後も「???」という状況でした。

いや、これ本当なんでしょうか。今、他のインドネシア人のゲーマーにも確かめている所ですし、明日は機会があったらインドネシア人の女の子達にも確認をとってみようと思っています。

いや、まだまだ俺はこれを最終結論だと信じないぞ!w

2025年12月16日火曜日

EV戦略頓挫

「今の時点で」絶対上手くいく訳ないと何年も前から思っていたことが現実になってきました。

この前読んだタタ・モータースが頭についているJAGUARに関する記事では、本当にこの名門ブランドはボロボロの状態で、車が全く売れない事態になっています。


2025年4月には月間販売台数49台という「驚異的」減少で、前年同期比97.5%減という恐ろしい事態に。最初に記事を読んだ時はオイオイまじか?と思ったのですが、種々の発表資料を見る限りではどうやらそのヤバさは本物の様で、2024年は1900台以上売れてジャガーランドローバーGrp.としては過去最高とか何とか謳っていたようですが、わずか一年度劇的に消滅しかける所まで落ち込んでしまいました。(サイバー攻撃による一時的工場停止があったとしてもこの大減少はそれを大幅に超えたヤバさでしょう)

VWの糞Diesel Gate事件から、何事も無かった間の様に世界一の「ちきゅうにやさしい」とかいうイメージ獲得のためのインチキブランド戦略を唱え続けたヨーロッパ勢もほぼ全社がフル・エレキをいきなり目指すなんてことは止めて先ずは非難し続けていたトヨタのハイブリッド方式を目指した車をつくって、それをEVと呼んで商売をするという方式に切り替えています。

ヨーロッパのインチキ商売人達がいつもやるゴールポストずらしですが、ホンマにどの口が言うか、というレベルの相変わらずのイカサマ商売です。

水素以外にも電池の車が大多数に変わる日が「やがて」来るのは間違いないとしても、今じゃない!というのは明白な話で、技術的な蓄積が中途半端な形で高額商品を出しても消費者が付いてくる訳でも無し。

早期に興味本位でついて来る連中は別として、その連中の購入が一巡して移転悪い点が明確になり、中古車が猛烈に値下がりしてしまう事が明白になった今、誰がそんなリスクに向き合うかという話です。

先ずは全個体電池の登場を待って、充電時間の大幅短縮と長寿命化、大容量化、レア・アース使用量の大幅低減、爆発や燃焼事故の大幅減少などを達成してから購入しても全然いいと思うのは私だけでしょうか。TOYOTAは2027年には出して来た全個体電池車を積んでくると言っておりますが、どれほどのレベルのものを出してくるのか愉しみでなりません。

現時点での絶対的な落としどころはどうみてもハイブリッドですよねと思うんですが?(そういう私はデンソ-製のディーゼル・エンジン養護派w)

何れにしても、もう暫くは車を選ぶのが難しい時期にあるのは確かなようです。

2025年12月15日月曜日

マグロの解体ショー

次女が昨日マグロを大量に持って帰ってきていました。

私が家に戻った時には既に娘自身は仕事に出ていっていたんですが、冷蔵庫の中には今日、久しぶりに手伝ったというマグロの解体ショーのお礼としてのマグロが山の様に入っていて驚きました。

思わず「おお~っ、すげ~!」と声が漏れてしまいました。

結局、このマグロは本日は予定通り外食に行く為に「今日は食べない」という事で冷蔵庫に寝かせておきました。結局、翌日である今日になって漬け丼と竜田揚げの二種類を中心に食べたのですが、これがビックリするほど美味くて「何で?」とこれまた声をあげてしまいました。

嫁さんが、贅沢にも沢山の竜田揚げを作ってくれていたので次から次へとパクパク口の中へ忙しく投げ込み舌の上と喉の奥でその食感と味を愉しみました。家に帰って来た次女に感想を聞かれたんですが、全く嘘偽りなく「有り得んほど美味かったよ!無限に食える~」と言いました。

すると娘が意外な事を…「それね、Oさんが大間の56キロのマグロって言ってたよ」と恐ろしい事を言うではないですか。

私が「ホントに?」と聞き返すと「私が大間のマグロって何ですか?って聞き返したら皆に逆に笑われた」と言いました。私が「マグロの中の宝石だよ!取引では数千万から億の値段が付く事もあるマグロじゃ」というと「私もそういう説明を受けて逆に驚いたわ」との返事がありました。

そう考えるとこの美味さもむべなるかなという感じしかしませんでした。まあ、それもこれもブランド名から来るヘイロー効果なのかな?という気がしないでも無いのですが、それを娘から聞く前にメチャウマと感じていましたからやっぱりヘイロー効果以前に実際に美味いという事実は確かなのだという事です。

言いはしませんでしたが「次はいつ解体ショーするんだろ?」と心の中で期待してしまったのは事実でございます。w

2025年12月14日日曜日

パンダ外交とかw

最近、よくニュースの中でパンダ外交の話を聞きます。

特にOld Mediaの方では中国が用いるワタクシ的には「どうでも良い動物」を用いて日本に対してパンダを返還しなさいとか言っているという話をニュースとして繰り返し言っていますが、お前はどっちの国のメディアやねん?という話。

パンダを返還した後は現首相の高市さんが総理を務める間は日本には返還親愛だろうとか言うお話を繰り返し繰り返し流しているようですが、そもそもこのパンダは借り物であって、そもそも大変な額の金を中国政府に借りて借りている上にこちらで繁殖させてそれも返さなければならないという訳のわからない動物。

この白黒の熊の為に理不尽な赤い独裁国家に首を垂れる必要はそもそも「どこにも」ありません。どこまでも国家間の駆け引きは理詰めで攻めておいて裏を操りながら表ではニコついていればいい話。繰り返しになりますが、こんな動物の為に国家の背筋を曲げる必要はありません。^^

テレビを視ていると体中にパンダの模様の入った服や靴下を付けた偏執的な暇人オバちゃんが、涙を流してヒステリックに悲しんでいる様子をニュースの時間に流している様子を眺めるにつけ、多くの人がテレビで流されるコンテンツなどというものがテレビ業界の人間が「確実な意図を持って」視聴者をある一定の方向に向かせようというのが透けて見えているのを認識している時代になっているなんですよね。

ネットではそういう噓がありとあらゆる方向から叩かれてしまっていて、検証をされた挙句、過去の発言もテザリングされて「紛い物」だという事をこれでもかこれでもかとつつきまわされる日常。これではネット世代がOld Mediaを信じる筈も無く、テレビというものをますます人が視なくなっていく訳です。

その手の古い媒体に今でも騙されているのは、ネットに殆ど触らない75から上くらいの人達でしょうかね。

これから更に10年単位でOld Mediaはその広告主を失っていく事でしょう。その業界に集まる人達のクオリティでその業界の勢いが判ると言いますが、そういう意味ではこれから益々テレビ業界等と言うのは劣化が急速に進んで行くのでしょう。

2025年12月13日土曜日

知らない国へ行く前の準備

 取り敢えず、一週間後には行った事の無い海外へ出発するにあたって「何か」を準備するかな~っていう気持ちになってきました。

何時も嫁さんに呆れられるのですが、アメリカに行く時も出発前日にパスポートの期限が切れていない事を再確認するのと、チケットがある事を確認。あとは下着と服を数着入れていくのが全ての作業になります。

基本的にはリュックで十分なんですが、家族用のお土産購入という目的の為だけにスーツケースを持って行って使うような感じです。実際、飛行場のカウンターでもスーツケースを受け取る時に必ず質問されるほどすっからかんのケースです。w

今回は頭の中でいろいろとシミュレートしてみて出したものは以下の感じ。

  • パスポート
  • 常備薬
  • 下着とちょっとした服
  • キャッシュ
  • タオル
  • PC
  • 保険の確認
  • ベトナムでのデータ通信
  • バッテリー
  • 電源タップ
  • お土産(消えもの)
  • レインコート
なんか良く解らんのですが、金とパスポートさえあれば死にはしません…という程度の認識。一番大変かつ大事なのは病気や事故になった時にどう対応するか等と言う事になりますが、基本的にはアメリカン・エクスプレスでチケットを購入したので、それでいろいろとカバーされています。後は個別の交通傷害の保険が運転時に必要かどうかですが、これは明日にでもアメックスに聞いておこうと思います。

服なんかは、結局のところ足りなければ現地で購入すれば良いだけの事。現地は雨季の可能性が高いのでそこは最後に書いたコートで問題ないハズ。

あとは現地でのデータ通信。ドコモはそもそもオリジナルでahamoには海外でのデータ使用がある程度付帯している筈ですが、詳細に関してはもう一段深めに調べて間違った対応をしないようにしていこうと思います。

2025年12月12日金曜日

ベトナム旅行が近づいてきました

何年も前から行こう行こうと思っていたタイやベトナム旅行などの計画を遂に実行する時期が近づいてきました。

今回はベトナム。

今年の年末は当直を入れず、年休を集中的に使うことでこの希望を叶える事にしました。思っているばかりでは何も進まないのは現実の種々の出来事と同じですからここは一つ迷いなく前進しましょうという事でベトナム旅行を企画しました。

とは言っても、行くのは到着がホーチミンですが、その後はダナンと古都ホイアンがメイン。帰りはハノイからの移動です。

そもそも現地では知り合いのベトナム人の御親族にお世話になる予定で、現地で同行してくれるベトナム人とその知り合いの日本人との三人(恐らくは)+現地のベトナム人女性によるガイドで旅をする事になると思います。若い人達は英語もそれなりに通じるという噂ですのであまり心配はしていません。

それに、飯を食べて水分を補給出来てトイレを見つけられて二本足で移動さえできれば特に大きな問題は無い筈。現地についてしまえばバイクに乗って移動するらしいので、先ずはヘルメットを購入して行動しましょうとの事です。とは言えYouTubeで見る限りは路上の交通動態はほぼカオスの様ですので、慣れるのはちょっとコツが要りそうですね。何時もの様に郷に入っては郷に従え方式で行きたいと思います。

基本的に鹿児島よりも南には行った事の無い私なので「どうなる事やら」という感じですが、現地は到着時前後で25℃程度。雨がちの季節でしょうから、この前ワークマンで購入したレインコートを購入して移動したいと思います。

ちょっと気になったのはマラリアの存在ですが、観光客が普通に行くような所ではマラリアは気にしなくて良いという情報でしたので、取り敢えずは安心しています。あとは水の心配ですけど、これはどうなんでしょうね。出発までにいろいろと調べることはありそうです。

行ったら行ったで朝から晩まで美味いものを喰い尽くそうと思っていますが、現地ではキャッシュがまだまだ優勢らしいので現金の持ち歩きは大事なんでしょうね。近づく旅に備えていろいろと情報を入力していこうと思います。

2025年12月11日木曜日

納税者意識を高めるような税制を

今年も終わりが近づいてきました。

今年もふるさと納税を通して年末を実感できるかなと思っていたのですが、10月でポイントを意識して色々なものを既にオーダーし尽くしているので今年のふるさと納税は個人的にはもう終了しています。

こういう時に思い出すのはアメリカにいた時の納税の事。日頃からGoodWillとかにチョコチョコ寄付していた物品を納税前に集計していたりしていた事。実際こういう行為が納税者としての意識を醸成してくれます。

更には納税の季節になるとありとあらゆる機関から「是非我が施設へ」という感じのアピールがありますので、それらを意識しながら一か月程度選ぶ事になります。自分の子供の行っている学校、お世話になっている施設、頑張ってほしい機関などを見定めながらの納税時のdeduction先を選択。

自分の税金がより目標(ターゲット)を絞って使われるという納税者にとっての「あるべき納税システム」だといつも思っていました。自分の税金の全てを地方や国家の行政システムにかっさらわれた挙句、文句も言えずに使われてしまうよりも、本来全部抜き取られるところを取り返して自分の意志でそれを振り分けるという素晴らしさ。

ふるさと納税も悪くないシステムだとは思うんですけど、持ってるお金があるのなら、社会のなかの「より充実して欲しい」と思えるところに自分のお金を注ぎ込めるというのはより納税者としての参画感が大きいですよね。

何だか良く解らないままに国や地方自治体に税金を吸い取られて役人やバカ議員達が利権絡みで策定した種々のハコモノやゴミに金を使わずに済むというだけでも響きが素敵なのですが、実際はインフラ維持などにも税金は必要ですから、まあ全額云々等と言うのはよっぽどの篤志家の指定した寄付くらいしか無理なんでしょうが。

もっともっと国民を税金の使い方に目覚めさせ、納税者意識を醸成するために更なる税制改革を行っていきたい所なんですけど、納税の壁がたったの103万から一気に160までは来ましたけど、正直もっとベースを上げてやれ!って思います。

金持ちは金持ちで沢山儲ければ良いし、それを大量に「困っているところ」に篤志家として金を落とすシステムを作れば社会的にも尊敬もされて満足も得られ、その困っている人達にも感謝されその生活が改善される訳ですから素晴らしい事だと思うんですけどね。

皆を均等に貧乏に導くような税制では無くて、もっと納税者としての意識を覚醒させるようなシステムの新設どうなんでしょうか?

政府としては納税者意識を高めるような税制改革は出鱈目出来なくなるから不味いかな?w

2025年12月10日水曜日

妄想の世界で生きる患者さん

私が以前から糖尿病でケアを続けている50代男性の患者さんが居ます。

この人はなかなか頑固なところがあって、名古屋市役所の生活保護課の人のアシストも、ケアマネージャーも、病院の支援員も、私自身もケアを差し出す手を跳ね除けられています。私の病院のソーシャル・ワーカーも必死でリーチしているのですが、各種の妄想と独自の判断で各種のアシストから逃れ続けています。

糖尿のコントロールも入院中はバッチリで容易にコントロールできていたのですが、一人暮らしに戻ると非常に不潔な生活で、家はゴミ屋敷かつ風呂には一か月以上入らない等と言うのはごく普通の様です。

しかも、家に行って手助けをしてくれている訪問看護師の女性に対しては良い仲になって婚約したというような妄想に憑りつかれてしまっておりまして、修正のしようもありません。また、自分の糖尿病は既に治っており、これは他の友達に聞いて貰えばわかる事!等と言う様なお話をワーカーさん相手に電話越しにされるようです。

また、深刻なのは薬をのむことによってかえって悪くなるので糖尿のお薬も精神科の処方薬も要りません!と服薬拒否。orz

これに対して、私は精神科医からのアプローチを求めて種々相談をするのですが、実はこの患者さんの担当者になっている精神科医が正真正銘のデモシカ精神科医で、院内の評判は最悪。素人の私からみても、この処方は無いでしょうよ…というような処方を出してくるんで治るもんも治らないと私は思っています。そういう意味では患者さんの言っている事も半分は当たっているのかもしれませんが、糖尿の治療に関しては少なくとも当たっておりません。

主治医のスイッチを心の底から願っているのですが、病院に勤めているとそれは実際容易な事ではありません。それでも何とかしてこれを達成していかなければなりません。

でなければ、この患者さんは一年持たないと思っています。絶対に何とかしないといけません。

2025年12月9日火曜日

軽トラがアメリカに?

最近のYouTubeを視ているとアメリカに輸入された軽トラのビデオが沢山出て来ます。

一部のマニアには熱狂的に支持されていたのは周知の事実だったのですが、25年ルールという環境規制に合致しない車でもいわゆるクラシック・カーとしてそれらを保護するという名目で輸入しても良いと良いものです。

それを使って日本から軽トラの古いのを輸入したり、登録はせずに自分の農場や牧場内だけで走らせているような人も居るようです。

ところが今回日本を訪れたトランプが「とても小さくて、とてもキュートだ」と訪問時の軽自動車目撃談を語り、アメリカ国内でのとても小さな車の生産を承認したいと発言、低価格で燃費効率に優れるとして、「まさに驚異的だ。 すぐに生産を開始せよ」と言ったみたいなんですね。

もしこれが本当だとすると、日本の軽自動車製作を行っている会社がアメリカに行って「本当に作製し始めたら」大変な市場になると思います。しかし、問題はそんなに簡単では無いと思います。

まず初めにあのデカいトラックが高速で走り回る国で軽自動車は物理法則的に「危なすぎる」ということ。更にそういう状況であちらの国の保険会社がそういう危険性を帯びた車に対して喜んで保険をかける事を是とするでしょうか?そして実際に軽自動車、軽トラがアメリカで事故を起こす事で人が死に始めるような事が起きてきたら…。

製造会社がどこであろうと、集団訴訟になりそうな気がするんですよね。そうなると、得られた利益を一気に吹き飛ばすような「懲罰的罰金」みたいなものが科されるような気がします。

というわけで、恐らくはコッソリ~という感じで今後も日本から古い軽自動車は輸入され続けるのでしょうが、大きな市場にはならないと思うんですよね。

と言いながらも、私自身はキャンプ場に行く時の標準車として古いダイハツあたりの軽トラックって凄く魅力的に見えるんですよね。でも衝突したら命が危ないし…。選択肢としてはね~(^^;)

妄想の時間は楽しいものです。w

2025年12月8日月曜日

NTTドコモのアプリはホンマにいつも最低w  

毎回思うのですが、ドコモのウェブ・サービスは本当にレベルが低いです。

電話でのサポートの人は基本的に丁寧かつ親切でいろいろな事に細かく対応してくれますが、それもサポートの人の知識量に依ります。

前回もちょろっと書きましたが、今回は自分が契約しているahamoの回線の契約の事で大変な目に遭いました。以下のお話は一時間に亘る戦いの一部を掻い摘んで書いてみたものですが、何というかね…もう、これだけの事で大変ですよ~という実例です。

先ず大きな問題は、長女の電話回線を新規契約した時に始まりました。実は全ての回線は新規に契約した長女のものを入れると、田舎の親父の分もありますので5回線。それを全部私が払っているんですが、何故か私がその全回線の代表者として登録されていないというお話。以前は私が登録代表者となっていたのですが、どこかで誰かが変えたみたいで、何も出来ないようになっていました。何故か代表者はうちの嫁さん。w

そこでドコモに長い時間かけて電話をしてその事を話すと、チャットを使えという指示。先ずは嫁さん自身がアクションをとってウェブで作業してくださいとチャットで作業を進めてそこが先ず解決。

更に娘の初期契約は最初から私の持っているアハモには出来ませんでしたので、そこを解決するために今度はウェブ内で何とか解決しようとしましたが、どこにも回線を寄せて私の傘下に娘の契約番号を寄せる方法はありませんでした。とりあえず、まあこれに前後して私のサイトからもう一度全体を眺め直したところ今度は娘の番号も私の傘下に。何だかもう謎の塊です。^^

最後の仕事として。娘の番号をアハモに変えようというところで電話を151に掛けると「奇跡的に」繋がりました。そこにあらわれた親切な担当者の男性と傍にいた長女と三人で50分以上格闘し、一歩一歩最終回答に近づこうとしたのですが、これが鬼のように長いステップで担当の方も平謝りしながら進めていきますし、私は私で申し訳ないと感じること頻り。

結局、娘が3種類の新しいドコモのソフトをインストールしながら、PCのブラウザとiPhoneのアプリの間を行ったり来たりする事50分。結局明日、長女自身がインストールしたアプリ側からアクセスして全てをやり直す事で「できそう」という所まできて担当の方に謝意を表して一旦終了となりました。

それにしても、NTTのインターフェースに対する取り組みは昭和かよ?というレベル。何をどうしたらこんな全く理解できないような低レベル・マニュアルのようになるんでしょうか。w まあ、日本の企業は昔からマニュアル作成が下手と言われていますが、その伝統は令和の現在も変わっていないようです。

最後にお兄さんが一言「いえ、実は私も自分の電話をahamoに変更する時に地獄を見ましたので、お客様のお気持ちは良く解ります。ドコモのアプリを14種類入れていろいろと勉強もしないといけないんです」と言って慰めて下さったのが唯一の救いでした。

親方日の丸の電電公社体質は変わってませんね。orz

2025年12月7日日曜日

実験的キャンピングを行ってきました

結局、昨日の気象庁の降雪予測を見直す度に雪は降りそうもないという事が理解できたので、設楽町の方へ突入する事としました。

リヤゲートにガッチリと荷物を積み込み済の自分の車を転がして設楽の方へとグリーンロードを一直線に東へ!移動途中の殆どで雪は見当たりませんでしたが、山の中へ入ってくねくねとした道を昇るころになると山の斜面の陰の部分には3日前の水曜日に積もった雪の名残りが見え始めました

道の上もほとんど雪などは観測されず、あるとしても影の多い道の橋のかかった部分のコンクリート程度に雪が見えるだけでした。

目的地に着くと、別荘のオーナーが待って下さっており今日は山の裏は雪がたくさん残っているから薪関連の仕事に集中しましょう。後は焚火で遊びましょうと言われました。裏山に行ってみると写真のような感じで雪で化粧されていました。
これらは針葉樹の薪ですね

これはキャンプした側の山を越えた反対側の写真です
結局、今回はデカい電動チェインソーを使った直径1メートル弱の丸太切りトライアルなどをしながら学び直しをさせて頂きました。やはり小型のものとは使い方も使い勝手もちょっと違っていて、このサイズ位なると1メートルくらいまでは慣れれば切れる事を学びました。

元来たロッジの場所に戻ってこれらの巨大薪?(丸太)を使っての焚火開始。その後に道具置き場の見学やテントの設営などをしました。整然と並べられた小屋の中には種々のマシンや小道具が整然と並べられ、ロッジの持ち主の性格がわかるような整えられ方がされていました。
5台のチェインソー持ちです
ブッシュクラフトが出来る未来に向けて準備したナイフ群
更にはマシンでのデッカイ丸太の薪割りも体験できました。なんかマシンの力、油圧の力の物凄さを体験できる個人的には大きな驚きのイベントでした。メリメリッという音をたてながらめり込んでいく大きな鋼鉄の刃が、節があろうとなかろうと、大きな丸太に割れ目を入れていく様はシンプルにPOWER!という言葉が浮かび上がりました。
夕方も5時になるくらいにはとっぷりと日が暮れるという感じになって来て、山の闇の到来の速さに改めて驚くばかりです。わかっていても速く、暗い。暗くなる頃にロッジの持ち主も帰宅され、いよいよ私も一人きりです。周囲数キロ周りは誰も居らず、というのは実際にはキャンプ場でもなかなか無いことであって、ここには家が周囲にあっても人は住んでいない限界超え集落ですから何が起きても私が一人で対応せざるを得ないわけです。 

そういう意味でもいろいろと楽しいわけですが、ロッジの中にあるものは一切使わず淡々と生活するというのはなかなか良いものです。(いざというときは逃げ込める場所にも早変わりしますので!)
ロッジの端っこに実験的に立てた自分のワンポール・テント。
一人でゴソゴソといろいろな準備をしつつ焚き火を絶やさないように燃やし続けました。明るかったときには余り気が付かなかった丸太の爆ぜる音が漆黒の闇の中に響きます。体が熱くならない位置に座ってじっと炎の揺らぎを見つめている時間は不思議で幸せな時間です。

家族や嫁さんには大変申し訳ないけれど、一人の時間は本当に貴重ですね。    
幻想的な「どでかい」ファイヤ
さて、この闇の中の一人キャンプサイトに、ここの持ち主を紹介してくれたゲーム仲間がやって来てくれました。闇から浮かび上がって近づいてくる車のライトが停まったところでおもむろに出てきたその友人は「キャンプメシは今日はやめてラーメン食いに行きましょう」との一言。

まあ、私もスパゲティを茹でて食べて終わりくらいの心づもりでしたから、ここは二つ返事で了承。山道を走っているとカモシカが飛び出してきたあとそのまま走り去っていきました。

どんぐりの里の脇にあるラーメン屋に入ってにんにくチャーハンとラーメンを食べている時に友人がそこの女将さんに「ここら辺は熊出ますか?」というド直球の質問をしたところ、「出るって聞きますね」というシンプルな回答。私と友人は苦笑いしながら「ほー」と言って相づちをうちました。w

「おたくさん達この辺り?」と聞かれましたので、ちょっと北の方でキャンプしていることを話すと、微妙な顔をされました。ま、当然ですが。

店を出て帰り道に二人でそのことに関していろいろと話しをしながら戻っていきましたが、やっぱり熊を見たら部屋に一目散かな…なんていう話をしながらログハウスに到着。

その後も彼は仕事の後で疲れているはずなのに、数時間も私と一緒に焚き火の前でいろいろな話をしてくれて宵闇の時間を付き合ってくれました。何だか人間として一段落別の世界に入るアップグレードができたように感じたのは私の思い過ごしだったのでしょうか。そして彼も10時頃には闇の中を帰宅していきました。

大量の新規ギヤも確かめられたし、使っている道具も何度も使ううちにその「使用時のコツ」が飲み込めてきました。今回も収穫の多いキャンプでした。

明日の朝から始まる当直に備えて、時折交じる野生動物の声と焚き火の爆ぜる音以外は何もない場所でなるべく早く寝ることにしました。

2025年12月6日土曜日

今年最初の病院の忘年会

昨夜は当院のある病棟の忘年会でした。

こういった病棟での飲み会というのは基本的にパターンがあって、まずは部長挨拶、次に乾杯の音頭をだしたあとで少しばかり食事出しが始まって一旦寒暖。それからクイズやミニゲームをしたらビンゴ大会。その勝ち順によって、準備されている景品を一つずつ選んで持って行くという感じでしょうか。

なんだかこの感じの流れが鉄板で、毎年どこの病棟でも多かれ少なかれこの流れに沿って時間が過ぎていきます。まあ、バリエーションはありますが。

私は何故か知らんのですが、ビンゴゲームは良く一番になってしまいます。こんなことで運を使いたくも無いんですが、去年なんかは6回くらい番号を呼ばれただけでビンゴに勝ってしまい、周りの人間から疑惑の目で見られてしまいました。w

では今年はというと今年も勝ってしまいました。望まないんですけど、無欲の勝利とでも言うべきでしょうか?今回も結構手数はかかったんですが、周りでリーチ、リーチという声がかかり続ける中私のはそれほど順調に穴が空くわけでもなく、私自身も周りの人間と駄弁りながらつらつらと眺めつつという感じでやっているうちにあれよあれよとリーチからビンゴ。

周囲から「えーっ」という再びの疑惑とやっかみの声を背にプレゼント選びへ。プレゼントの山の中から選んだのは箱の形と重さから「これはウイスキーだ!」と思えた箱を1つ掴んで自分の席へと戻りました。(家に帰って開けて判明したのはこれは48個入りの)

最後に副院長からのシンプルな散会の言葉があって家路につきましたが一人頼まれて一人の放射線科の人間を一社の地下鉄入口まで送ってあげたあと、もう一度病院に戻っていつも置いているキャンプ用品を全て見直して荷物をミニマイズした状況で「明日行う可能性のある」キャンプへの準備を終了させ、車のリヤゲートにすべてを積み込んでから家路につきました。

家に着いて先ずしたことは気象庁の発表する降雪情報。夕方の時点で見たキャンプサイトは降雪の可能性が高くしかも5センチ程度は積もるかも?というものでした。その時は明日はアカンな!と思っていたんですが、忘年会の途中でチェックをしていたら夕方までとは情報が変わりギリギリ降らなさそう!となっていましたので、これは準備だけはしておこうという事で詰め込むだけは詰め込んだのでした。

明日の朝の予報を最終的に確認して全てを決断しようと思います。

2025年12月5日金曜日

有名人がコッソリやって来るお店

昨夜、再びゲームの仲間で「あのお店」に集いました。

基本的に次から次に有名人が来ているお店なのですが、あんまり言ってはいけない雰囲気だったので、今回も誰が来たていたかを掲示している大量の色紙をカメラで収めてきたんですけど、ビッグネームが綺羅星の様に並んでいるのを見て改めて驚きました。

問わず語りでお話を伺っていたところ、やはり超がつくような有名人が名古屋にコンサートで来るような時には店のオーナーにさえ誰が来るのか告知はないらしく、やって来て初めてそのタレントが誰だか判るという話でした。

さて、今回は横浜から来てくださったある女性ゲーマーが混ざってくださってのミニ忘年会となりました。大学生の息子さんをお持ちとのことでしたが、その息子さんがお母さんを悩ませるような面白い人生の中での希望を持たれているとのことでしたが、その内容を聞いて我々二人は腹を抱えて笑ってしまいました。曰く「どうすればヒモとして生きていけるのか」という話を真剣に悩んでいるとの事。

我々はそれを聞いてコメントのしようもなく、ただただ大笑い。お母さんは息子さんのそういう発言に「育て方を間違えた」みたいなことを言われていたんですが、我々としてはそんなことは全く心配していないということをお話ししました。w

その後、その女性には「お肌に良い」とぃう噂のタテガミの部分を食べていただき、美味しいお酒を飲みながらいろんな話に花が咲きました。

私はというと「十四代本丸秘伝玉返し」という有名な日本酒を頂きました。眼の前で封を切られたそのお酒は一合で7,000円!恐る恐るですが、勧められるままに三杯も頂きました。毎度飲んで思うのが日本酒と言いながらも味は本当に芳醇なワインそのもの。こんな日本酒があるんだという感覚が頭から離れません。

兎にも角にも寒空のもと集まった三人の成人達でゲームを通じた集合に感謝でした。彼女の仕事もこれまたインターナショナルなお仕事だったのですが、このゲームしてる日本人ってなんか「おーっ」というような仕事してる人が多い印象ですね。

最後はまた別の人間達も含めた再開を約束してお別れしました。それにしても寒かった…。



2025年12月4日木曜日

年賀状仕舞いを考えています

今朝、嫁さんとボソッと話題になったことがありました。

それは年賀状仕舞いをどうするかという事。十年ほど前から終活の一環としてこの「年賀状」を今年を以て終わりにするというものが私のところにも混じりだしたのがそういったことを意識し始めた最初でした。

去年の年賀状の中にも若い世代から「今年で仕舞います」というメッセージが添付されたものが増え始め、特に終活などとは関係なく年賀状というシステム自体がもう終わりに近づいているんだなと強く実感した年でもありました。

ネットで年賀状の配給枚数を調べてみると2004年から2024年の20年間の変化をテーブルでま見ると以下のようになっており、2008年と2009年を除いて毎年減少、2024年は2003年のピークと比べると約3分の1にまで減少しています。
また、2025年用の年賀はがきの当初発行枚数は前年比25%減の10億7,000万枚とされ、前年からの減少率は過去最大。これは年賀状離れが加速していることを雄弁に物語る結果です。さらに別のサイトでの統計を見ると2025年の元旦に配達された年賀郵便物数は4億9100万通で、前年比66.0%の減少率となり、過去5年間で最大の減少率となっていて、時代が進めば進むほどもう年賀状というものは少なくとも紙媒体としては配られないものとなりつつある事が容易に理解できます。

こういった中でも恐らくは年賀状を出し続けるという企業等は残るでしょうし、個人のレベルでも毎年年賀状を認める筆まめな方々も当然残り続けるでしょう。

しかしながら、恐らくは年賀状を受け取ることも出すことも「当たり前」ではなくなり、電子的なやり取りでの「あけおめ」が今世紀の普通になるでしょうね。結婚式で「電報」を使うことで電報が残っているような感じになるのかな。NTTも電報を近々廃止することを去年の段階で発表していますからね。仕方ないです、これだけ種々のメッセージの交換方法が多様化していけば。

表の住所氏名のみならず、裏の文面も絵も全て印刷されたものになってしまっているような味も素っ気もない人工的な年賀状なんて特に嬉しくもなんとも無いですからね。w

2025年12月3日水曜日

忘年会のシーズン開始 

ありとあらゆるところから忘年会のお呼びがかかります。

仕事関連が多いのですが、パーソナルなものも結構引きが強い今年です。巨大なコロナ禍が過ぎ去って、こういう行事が戻ってきましたが、まだまだこの時期にはインフルや新型コロナの感染者が減る気配もない状況。それでも皆その件に関しては忘れ去ったかのように宴会を開きます。私はこの事自体は個人的には良い事だと思っています。

ただし、最近の世論調査などでは若手は仕事に関連した人間との仕事場の外での付き合いには及び腰との当然のような結果が出ているようで、1/3程度の人間しかそういうことをしたくないとのこと。逆に個人同士、気のあった仲間同士の出会いは7割の人達が行きたいという。あまりにも今風のアンケートの当然の帰結という感じで、感想は「そりゃそうだ」程度のもの。

さて、こういった忘年会に対する医師の一般的な反応なんですが、医師の参加するネットのフォーラムを読んでみると、当然のように種々雑多。呼んでもらえるだけ有り難いからなるべく参加するというものもあれば、コロナ禍以降は一切その手の宴会を断り続けてせいせいしているなんて言うのももちろんあります。そもそも歳が上がってきて友達付き合いが億劫になってきている人達の間ではそういう集まりは学会を含めて参加もしたくないなんて言う人達も多いようです。

毎年の忘年会を見ていて思うのですが、人口が減って若者も減って国の活力が失われていく中でこういった忘年会というものも確実に活気を失っていく様子が手に取るようにわかります。そもそも我々の病院でも医師だけが集まる医局忘年会はコロナ禍以降音沙汰自体がなくなりました。

病棟の看護師さんや多職種の人々が集まる忘年会も、参加した人達は若手も含めてなんだか大人しくて我々が以前見ていたような出鱈目な忘年会は無くなりました。まあ、コンプライアンス遵守の掛け声の中では平成の頃のような飲み会したら「即アウト」でしょうから仕方ないですね。

時の移り変わりに連れ、恐らくは公的な忘年会という行事自体が年賀状のように消えていくのではないかと感じるこの頃です。

2025年12月2日火曜日

治せる!だけど手術はしないという選択

ある御高齢の患者さんにあるタイプの消化器の癌が見つかりました。

具体的には明かせませんが、別の内科の先生がフォローされている時に急速に鉄欠乏性貧血が進行してきた上に黒色便が目立つという事で「これは…」という事で上部消化管にファイバースコープを挿入したところ残念な変化が直ちに発見されました。

ところがこの方には著しい認知機能の低下があって、娘さんにお話しした時も「もしかするとオペ自体は出来ても外科の先生のご判断は患者さんはオペには向かないと言われる可能性が高いです」というネガティブに判断される可能性にはじめから言及していたんですが、大学の消化器外科先生の判断はやはりその通りでした。

クラスもまだIIで、5年生存率は状況にもよりますが7割弱程度はある筈です。しかしながら、この「オペ適応」を判断する一覧表があって、それによるとやはりオペは行わない方向に妥当性があるという判断が示されたとの事で、娘さんも最終的には完全に納得されて放射線照射による緩和ケアのみ行って帰院して来られました。

今回はこのような状況でしたが、今後は恐らくこのような判断で認知症の高齢患者さんは「積極的な治療」は行わないという事が一次的なコンセンサスとなる時が来たのでしょうね。

親父や母親と話しても「こんなに長生きするとは思っとらんかった!w」という様な感じの話が多く、充分生きたからもう余計な事は絶対するなよ!と念を押される始末。

まあ、厚労省も実際に保険点数の誘導で国家の医療をこちらへこちらへと寄せて行っています。恐らくこれからは民間病院はオペをやってもまともな点数は取れず、外科医は更に大幅に減り、緊急のオペが出来る人はずっと絞られ、更に大きな負担が個人にかかって来るのでしょうが、実際はそれが保険点数で報われないどころか労働基準法でそういうオペの時間は存在してはいけないみたいな世界が「必ず」やってくると感じています。

そしてますます外科医は淡々と高齢化し減っていくという様になるのでしょう。危なかったらすぐにオペを検討して貰える時代はもうこれからは消えていく事必定、というかただの現実になる時代です。

民間医療保険を契約できる層とそうでない層には医療格差が登場してくる事でしょう。

2025年12月1日月曜日

人生初の体験を幾つかしました(後編)

 そういった部屋を見せて貰った後でいよいよ山へ入って行きました。

何をするかと云うと、いわゆる「お婆さんは川へ洗濯に、お爺さんは山へ芝刈りに~」の死ばかりという奴。結局薪の原料になる木々の枝打ちとその掃除です。

私達三人のオッサン達はログハウスの裏山にチェーン・ソーを二つ持って上がりました。急な山の斜面には既に切り倒した三本の杉の木が寝転がっていたのですが、その幹には大量の枝が未だ緑色の葉を蓄えたままでドサッとついています。

これはほぼ枝打ちを終えた後です
結局、上の写真の様に枝を幹から外したのですが、その時にチェーン・ソーの使い方をみっちり習ってしつこく安全講習を受けました。やっぱりチェーン・ソーを上手く使う事で恐ろしいほどに作業効率が上昇し結構な速度で三人で仕事を終了。

チェーン・ソーの種類やメンテの方法、ガソリンの注入とオイルの性質なども細かく教えて頂きました。そして作業には必ず二台のチェーン・ソーを持って行かないとドツボに嵌まるという事。要するに幹に噛み込んだ時に刃が取れなくなるのをレスキューするのはもう一台のチェーン・ソーなのだという事でした。

作業の中で最も体力を使ったのは枝打ち自身ではなくて、枝を持っての斜面の移動でした。これを繰り返すと脚がヘロヘロ。w それでも工夫を凝らして結局この斜面の上下動を「可能な限り」しないで済むように作業は上から行って下へ進行するという事に最大の注力を行いました。

最終的には作業に慣れて結構な速度で奇麗になり社長さんにも満足して頂けたようでした。

その後、どんぐりの里という道の駅の麓にある稲武の道沿いにある小さなお寿司屋にご招待いただきトンカツとビールを頂きました。更に近くの「昭和感100%」のお店で、名物のコロッケとミンチ・カツを家族分お土産に購入。

更に戻ったログ・ハウスでは薪割りの講習を受けて己が持ってきた小型の斧では全く歯が立たない巨大な薪をどのような斧でどうやって割っていくのか、注意とコツを学びました。

なんだか今日一日で野で生きていく上での知恵が大きく前進したと感じたのは私が未だ素人だからなんでしょうね。w

結局、夕方までいろいろと人生初の体験をさせて貰いましたが、本当にいろいろと話が弾み馬鹿話でゲラゲラと笑って一日が過ぎていきました。

最後はアルコールが入った事もあり、今日私自身が運転してきた車を知人に運転してもらいその知人の専門分野に関するいろいろな専門性の高い話に耳を傾け質問し、また耳を傾け質問しを繰り返しながら秋の美しい山道を家路につきました。

また近々の再会を約して今日の行動を終わりましたが、意外にも私は体が痛くなったりすることはありませんでした。謎ですが。^^