2025年12月4日木曜日

年賀状仕舞いを考えています

今朝、嫁さんとボソッと話題になったことがありました。

それは年賀状仕舞いをどうするかという事。十年ほど前から終活の一環としてこの「年賀状」を今年を以て終わりにするというものが私のところにも混じりだしたのがそういったことを意識し始めた最初でした。

去年の年賀状の中にも若い世代から「今年で仕舞います」というメッセージが添付されたものが増え始め、特に終活などとは関係なく年賀状というシステム自体がもう終わりに近づいているんだなと強く実感した年でもありました。

ネットで年賀状の配給枚数を調べてみると2004年から2024年の20年間の変化をテーブルでま見ると以下のようになっており、2008年と2009年を除いて毎年減少、2024年は2003年のピークと比べると約3分の1にまで減少しています。
また、2025年用の年賀はがきの当初発行枚数は前年比25%減の10億7,000万枚とされ、前年からの減少率は過去最大。これは年賀状離れが加速していることを雄弁に物語る結果です。さらに別のサイトでの統計を見ると2025年の元旦に配達された年賀郵便物数は4億9100万通で、前年比66.0%の減少率となり、過去5年間で最大の減少率となっていて、時代が進めば進むほどもう年賀状というものは少なくとも紙媒体としては配られないものとなりつつある事が容易に理解できます。

こういった中でも恐らくは年賀状を出し続けるという企業等は残るでしょうし、個人のレベルでも毎年年賀状を認める筆まめな方々も当然残り続けるでしょう。

しかしながら、恐らくは年賀状を受け取ることも出すことも「当たり前」ではなくなり、電子的なやり取りでの「あけおめ」が今世紀の普通になるでしょうね。結婚式で「電報」を使うことで電報が残っているような感じになるのかな。NTTも電報を近々廃止することを去年の段階で発表していますからね。仕方ないです、これだけ種々のメッセージの交換方法が多様化していけば。

表の住所氏名のみならず、裏の文面も絵も全て印刷されたものになってしまっているような味も素っ気もない人工的な年賀状なんて特に嬉しくもなんとも無いですからね。w

2025年12月3日水曜日

忘年会のシーズン開始 

ありとあらゆるところから忘年会のお呼びがかかります。

仕事関連が多いのですが、パーソナルなものも結構引きが強い今年です。巨大なコロナ禍が過ぎ去って、こういう行事が戻ってきましたが、まだまだこの時期にはインフルや新型コロナの感染者が減る気配もない状況。それでも皆その件に関しては忘れ去ったかのように宴会を開きます。私はこの事自体は個人的には良い事だと思っています。

ただし、最近の世論調査などでは若手は仕事に関連した人間との仕事場の外での付き合いには及び腰との当然のような結果が出ているようで、1/3程度の人間しかそういうことをしたくないとのこと。逆に個人同士、気のあった仲間同士の出会いは7割の人達が行きたいという。あまりにも今風のアンケートの当然の帰結という感じで、感想は「そりゃそうだ」程度のもの。

さて、こういった忘年会に対する医師の一般的な反応なんですが、医師の参加するネットのフォーラムを読んでみると、当然のように種々雑多。呼んでもらえるだけ有り難いからなるべく参加するというものもあれば、コロナ禍以降は一切その手の宴会を断り続けてせいせいしているなんて言うのももちろんあります。そもそも歳が上がってきて友達付き合いが億劫になってきている人達の間ではそういう集まりは学会を含めて参加もしたくないなんて言う人達も多いようです。

毎年の忘年会を見ていて思うのですが、人口が減って若者も減って国の活力が失われていく中でこういった忘年会というものも確実に活気を失っていく様子が手に取るようにわかります。そもそも我々の病院でも医師だけが集まる医局忘年会はコロナ禍以降音沙汰自体がなくなりました。

病棟の看護師さんや多職種の人々が集まる忘年会も、参加した人達は若手も含めてなんだか大人しくて我々が以前見ていたような出鱈目な忘年会は無くなりました。まあ、コンプライアンス遵守の掛け声の中では平成の頃のような飲み会したら「即アウト」でしょうから仕方ないですね。

時の移り変わりに連れ、恐らくは公的な忘年会という行事自体が年賀状のように消えていくのではないかと感じるこの頃です。

2025年12月2日火曜日

治せる!だけど手術はしないという選択

ある御高齢の患者さんにあるタイプの消化器の癌が見つかりました。

具体的には明かせませんが、別の内科の先生がフォローされている時に急速に鉄欠乏性貧血が進行してきた上に黒色便が目立つという事で「これは…」という事で上部消化管にファイバースコープを挿入したところ残念な変化が直ちに発見されました。

ところがこの方には著しい認知機能の低下があって、娘さんにお話しした時も「もしかするとオペ自体は出来ても外科の先生のご判断は患者さんはオペには向かないと言われる可能性が高いです」というネガティブに判断される可能性にはじめから言及していたんですが、大学の消化器外科先生の判断はやはりその通りでした。

クラスもまだIIで、5年生存率は状況にもよりますが7割弱程度はある筈です。しかしながら、この「オペ適応」を判断する一覧表があって、それによるとやはりオペは行わない方向に妥当性があるという判断が示されたとの事で、娘さんも最終的には完全に納得されて放射線照射による緩和ケアのみ行って帰院して来られました。

今回はこのような状況でしたが、今後は恐らくこのような判断で認知症の高齢患者さんは「積極的な治療」は行わないという事が一次的なコンセンサスとなる時が来たのでしょうね。

親父や母親と話しても「こんなに長生きするとは思っとらんかった!w」という様な感じの話が多く、充分生きたからもう余計な事は絶対するなよ!と念を押される始末。

まあ、厚労省も実際に保険点数の誘導で国家の医療をこちらへこちらへと寄せて行っています。恐らくこれからは民間病院はオペをやってもまともな点数は取れず、外科医は更に大幅に減り、緊急のオペが出来る人はずっと絞られ、更に大きな負担が個人にかかって来るのでしょうが、実際はそれが保険点数で報われないどころか労働基準法でそういうオペの時間は存在してはいけないみたいな世界が「必ず」やってくると感じています。

そしてますます外科医は淡々と高齢化し減っていくという様になるのでしょう。危なかったらすぐにオペを検討して貰える時代はもうこれからは消えていく事必定、というかただの現実になる時代です。

民間医療保険を契約できる層とそうでない層には医療格差が登場してくる事でしょう。

2025年12月1日月曜日

人生初の体験を幾つかしました(後編)

 そういった部屋を見せて貰った後でいよいよ山へ入って行きました。

何をするかと云うと、いわゆる「お婆さんは川へ洗濯に、お爺さんは山へ芝刈りに~」の死ばかりという奴。結局薪の原料になる木々の枝打ちとその掃除です。

私達三人のオッサン達はログハウスの裏山にチェーン・ソーを二つ持って上がりました。急な山の斜面には既に切り倒した三本の杉の木が寝転がっていたのですが、その幹には大量の枝が未だ緑色の葉を蓄えたままでドサッとついています。

これはほぼ枝打ちを終えた後です
結局、上の写真の様に枝を幹から外したのですが、その時にチェーン・ソーの使い方をみっちり習ってしつこく安全講習を受けました。やっぱりチェーン・ソーを上手く使う事で恐ろしいほどに作業効率が上昇し結構な速度で三人で仕事を終了。

チェーン・ソーの種類やメンテの方法、ガソリンの注入とオイルの性質なども細かく教えて頂きました。そして作業には必ず二台のチェーン・ソーを持って行かないとドツボに嵌まるという事。要するに幹に噛み込んだ時に刃が取れなくなるのをレスキューするのはもう一台のチェーン・ソーなのだという事でした。

作業の中で最も体力を使ったのは枝打ち自身ではなくて、枝を持っての斜面の移動でした。これを繰り返すと脚がヘロヘロ。w それでも工夫を凝らして結局この斜面の上下動を「可能な限り」しないで済むように作業は上から行って下へ進行するという事に最大の注力を行いました。

最終的には作業に慣れて結構な速度で奇麗になり社長さんにも満足して頂けたようでした。

その後、どんぐりの里という道の駅の麓にある稲武の道沿いにある小さなお寿司屋にご招待いただきトンカツとビールを頂きました。更に近くの「昭和感100%」のお店で、名物のコロッケとミンチ・カツを家族分お土産に購入。

更に戻ったログ・ハウスでは薪割りの講習を受けて己が持ってきた小型の斧では全く歯が立たない巨大な薪をどのような斧でどうやって割っていくのか、注意とコツを学びました。

なんだか今日一日で野で生きていく上での知恵が大きく前進したと感じたのは私が未だ素人だからなんでしょうね。w

結局、夕方までいろいろと人生初の体験をさせて貰いましたが、本当にいろいろと話が弾み馬鹿話でゲラゲラと笑って一日が過ぎていきました。

最後はアルコールが入った事もあり、今日私自身が運転してきた車を知人に運転してもらいその知人の専門分野に関するいろいろな専門性の高い話に耳を傾け質問し、また耳を傾け質問しを繰り返しながら秋の美しい山道を家路につきました。

また近々の再会を約して今日の行動を終わりましたが、意外にも私は体が痛くなったりすることはありませんでした。謎ですが。^^