三週間ほど経っても全然慣れないのは、通りすがりの人同士の人の「視線」です。一体それ何のこと?と思われる方が居るかもしれませんが、、、。
実は視線に違和感があるというのは実は「見られる」ことではなくて「見られないこと」に対する違和感です、「おいお前自意識過剰!w」と言われそうですので、ここは少し詳しく書いておかないといけないかなと思うんですが、アメリカで暮らし始めてすぐに気づいたことは「知らない者同士がすれ違うとき」に日本よりも遥かに多くの場面でお互いが視線を交わしたり軽い挨拶の声を出し合って会釈をするのです。
例えば"Hey!"とか"What's up?"とか”Hi”とか言う声掛けなんかはごく普通ですし、エレベーターで乗りあわせてもお互いに時候の挨拶とか仕事で疲れた後に帰るときに"Almost Friday!"等と木曜日に軽口を言ったりするのです。
では翻ってこの名古屋の街でほぼ毎日歩きまわる生活をしている歩行者視線を持つ私から見ると何故かみんな「視線を合わせない」ということに神経を使っているような気がするんですよね、、、。皆無言でそそくさというのが基本。
なんでお互いちょっとでも会釈して気持ち良い日々を送ろうとせんのかな〜等と考えたりもするんですが、やっぱリッチモンドというSouthernの堂々たる田舎の街に住んでたからなんでしょうかね?
あと、もうひとつ非常に気になるのはマスクを被っている人の異様な多さ。これは本当に異様の一言に尽きます。
これって一体何なんでしょうか?対放射能?感染予防?それともなんか異常な出っ歯でそれを隠しているとかなんでしょうか? アメリカだったらなんかの免疫力低下で特別外出中かオペ室から出てきたばかりの人ですか?と聞かれそうです。
ワタシ的にはマスクして視線を外しながらそそくさと通りすぎる老若男女のほうがよっぽど犯罪者か異常者のように思えるんですが、私のものの見方なんかオカシイですかね、、、。
これってやっぱり一種の不適応なのかな〜等と一人ぼんやり考えたりもしてしまいます。
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