2013年12月12日木曜日

ベセスダで日本食

昨日書いたようにUJAのサイト立ち上げで非常にお世話になっているM嬢の本格的なお礼の場ということで、今日は昨日の夜遅く辞した日本食店で食事会を開きました。

まず今朝に至るまで、良く眠れませんでした。というのも硬い床に寝袋で寝たというのが第一の理由。そして更にアメリカのマンション、アパートに有りがちな異常に乾燥した熱い空気が一晩中吹き出してきて、ただでさえ痛い腫れ気味の喉にワンモアパンチを加えてきました。
それに暑い事自体も大変なもので、外は厳寒、中は熱帯というアメリカによくある一晩になってしまいました。

朝は5時過ぎくらいには目が覚めてしまい、寝袋の上で胡座をかいてじっと朝焼けが色づいていくのを眺めている状態でしたがやがて家の主達も起きてきて一緒にコーヒーやパンを齧っての談義となりました。

Yさんから聞いた話は、韓国の実家の甘やかされて育てられてしまった弟と、その嫁たる義妹が利己的であるためにいろいろと起きてくる問題のことでした。切々と語られたそれらの話は一時間ほどのものでしたが、私的に最善の助言を行いどのような解決策を出すのが良いのか一緒になって考えを色々と話し合いました。
また、同じような話の流れで、Vのすぐ下の弟で、イギリスに居る馬鹿タレ男の困った行動に振り回される話も出てきました。

しかし、そういった話を通じていつも感じるのは「こういった話」というのは洋の東西や世代を超えて、何処であっても似たようなパターンしか無いもんだと思いました。時代を越えて語り尽くされてきたであろういろいろな家族親族間の問題が場所と時を越えてこれからも何百億回も出ては消えを繰り返し、それを解決する為の答えの探索は皆、それぞれがそれぞれの個別の事情を勘案しながら解決するしか無いのだろうなと考えた朝の一時間でした。

さて、この後はお昼一時くらいからUJAの昨日書いたメンバーで三々五々集まってきて、M嬢に感謝を表するためのお昼御飯の饗応が行われましたが、彼女の胃袋の小ささゆえに、お寿司と焼き肉をチョコチョコっと出した時点でもう彼女自身がギブアップ。w
私としてはギャル曽根位食べて頂く腹づもりだったのですが、、、。まあ、二回目の計画もしなければなりませんね!

さて、彼らと別れた後Vともう一度会って年末にリッチモンドで再会する約束を取り付けた後、I-95を南下したのですが、Culpeperへ至るまでの自然渋滞が酷くて、通常は2時間半もかからないところを3時間半以上かかって家に帰り着いたのでした、、、。

ああいうのを見ると、Culpeperって結構DCの通勤圏なのかな~?Wikiを調べたらどうやらそうみたいですね。

勘弁してください。w

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