日本にランディングして既に10日。
というよりもあっと言う間の10日間でした。合計で10個以上のスーツケースをアンパックして荷物をちょこっと片付けて、エアコンを3つ据え付けて、冷蔵庫をオーダーしただけなのですが、それでも嫁さんと私で服をあちこち、物をあちこち、台をあちこち・・・とやっているうちに毎日疲れているのでした。w
部屋の中の空気がドライになるだけでこれほどまでに気持ちが良くなるのか、これほど寒く感じるのかと・・・この一年半以上、夏場といえば汗ダラダラで、他の人から借りてきた扇風機を上半身裸の体に直当てしてきた私の時間は何の我慢比べだったのでしょうか。
今は家族全員が部屋の中ですやすやと眠ったりゆっくりと寛ぐ時間が増えています。まあ、私自身も例外ではないのですが、少なくとも以前のように外の天気を気にしたりする必要がなくなったのはやはり大きいですし、窓を締め切って一日中活動できるので、音が外に漏れないのもなかなか良いことですね。
しかしこうやって”弱い”人間が出来上がっていくのでしょうか?私個人は、エアコン無しでも夏場は強く生きていけるつもりですが、そんなのは21世紀の今は屁の突っ張りにもならん親父の戯言ですかね・・・。
2017年6月29日木曜日
2017年6月28日水曜日
日通から日本に荷物到着の連絡
日通から連絡がありました。
アメリカから先月半ばに送った荷物が税関に届いたとの連絡があったとのこと。携帯電話に連絡が入りました。約一ヶ月半かかったことになります。当初は最大二ヶ月ということでしたので結構早かったのかな?
取り敢えずその先のスケジュールを伺うと「素直に税関を通ったとして約一週間から10日ほどで名古屋の自宅まで到着することになると思います」とのことでした。ですから、やはりアメリカの東海岸を出てから日本に着くまでの時間は二ヶ月弱という感じで余裕を見ておけば良いことになるますね。
そういう逆算をするとなると、アメリカ東部から荷物を送り出す方は、日本到着予定の調度一ヶ月半前頃に荷出しをしておけば、日本に着いて少し余裕を持って荷物を受けることが出来ることになるますか?
我が家から嫁さんが発送した荷物は本やアメリカの種々のクラシカルなベークド・グラス達でしたので、船便で運ばれて”割れていなければバンザイ”ということになりますか・・・。
48箱もの荷物ですが、他の企業ベースで住まわれている在米の方々に比べればまだまだ少ないほうかと?特に、家具類はほぼ一切持って帰りませんでしたので、大荷物は無しという状態ですので引越し代は3000ドル位で済んだのでした。(引越し代企業持ちの方々だと総計一万ドル超は結構普通のようです!)
何はともあれ、日本での生活も、嫁さんと子供いう家族のメンバーを得て急速にその形を整えることになってきました。
アメリカから先月半ばに送った荷物が税関に届いたとの連絡があったとのこと。携帯電話に連絡が入りました。約一ヶ月半かかったことになります。当初は最大二ヶ月ということでしたので結構早かったのかな?
取り敢えずその先のスケジュールを伺うと「素直に税関を通ったとして約一週間から10日ほどで名古屋の自宅まで到着することになると思います」とのことでした。ですから、やはりアメリカの東海岸を出てから日本に着くまでの時間は二ヶ月弱という感じで余裕を見ておけば良いことになるますね。
そういう逆算をするとなると、アメリカ東部から荷物を送り出す方は、日本到着予定の調度一ヶ月半前頃に荷出しをしておけば、日本に着いて少し余裕を持って荷物を受けることが出来ることになるますか?
我が家から嫁さんが発送した荷物は本やアメリカの種々のクラシカルなベークド・グラス達でしたので、船便で運ばれて”割れていなければバンザイ”ということになりますか・・・。
48箱もの荷物ですが、他の企業ベースで住まわれている在米の方々に比べればまだまだ少ないほうかと?特に、家具類はほぼ一切持って帰りませんでしたので、大荷物は無しという状態ですので引越し代は3000ドル位で済んだのでした。(引越し代企業持ちの方々だと総計一万ドル超は結構普通のようです!)
何はともあれ、日本での生活も、嫁さんと子供いう家族のメンバーを得て急速にその形を整えることになってきました。
2017年6月27日火曜日
成功体験と悲惨なそのあと
何でここまでぶっ壊れてしまったのか。
東大、京大、阪大、東北大、その他諸々の偏差値の高い理系の人間たちが研究・生産をする企業群が今日本で文字通りぼろぼろになっていっていますよね。
例を上げれば枚挙に暇がないの感じで、東芝、三洋、富士フィルム、オリンパス、そして最近は三菱重工もそんな感じ。(三菱自動車はそれ以前の問題ですが。)ソニーは若干持ち直した感じも無きにしもありませんが、ハッキリ言って未だヨロヨロ。他には昔強くて今ボロボロのものとしてフジ・テレビなんかもそうでしょうか?(もとよりこの会社、私の中では時流に乗っただけのクズの集合体という気がしておりまして、やっと本来の評価を”今になって”受けているという気がしますが。)
何でここまで揃ってこれらの”元”超一流の企業達が崩れていったかということに関してニュースを集めてみると、内部の技術者にあるのではなくてどうもそれに指示を出し経営を司る経営陣の劣化とそれをさらに司る相談役とか会長という老害の連携プレーにあるような気がします。
富士フィルムなどはせっかく見事にフィルムの会社から脱皮して化学と製薬、医薬、バイオ企業に転身できたのに、外人さんの率いる外国の子会社にババを掴まされるとか・・・。三洋もクソジジイが韓国にガンガン技術を流し込み、挙げ句の果ては母屋を取られるという馬鹿な話。東芝は恐ろしい程の老害が会社を知りいた後も院政を敷いてアメリカのWHと言う自分より大きな体を飲み込もうとした挙句自分がそれを喉に詰まらせて死ぬというアナコンダも真っ青のドン抜けぶり。w(そういえば、潰れたTAKATAも創業者はぶっ壊れてますな〜。)
若い連中はそれを止めることが出来なかったのですから、老害を責めたところで後の祭り。命がけでも止められないのが上からの命令で従順に育ってきたお坊ちゃん達の弱みという奴でしょうか。結局のところ乗っていた船自体が沈む段階になってどうにかしようとしたところで、親方日の丸おらが船、不沈戦艦も今となっては老朽化した時代遅れの泥舟となり果て、外からやってきた黒船のほうがよっぽどマシな船であるということを悟った時は既に遅すぎ。今まで乗っていた船を乗り捨てるくらいの覚悟がなければ到底復活は不可能でしょう。
総じてこれらの企業は今までの量的にがむしゃらな努力と外国の技術のブラッシュアップと付加価値の追加によって他の追随を許さずに戦ってきた成功体験の持ち主達。それも時代とともに同じ戦略をコピーされ、技術者を引き抜かれ、安かろう悪かろうと言っていた相手に、量のみならず最後は質でも抜かされる始末。
競争相手を見くびり続けたツケは結局自分の乗っていた船の沈没という形で払わされることになりました。
しかし盛者必滅。今日本が沈み韓国が同様に沈み続けているように、中国もやがて同じ様に沈んでいかないとは誰が断言できましょうか。
成功体験は過去のストーリー。しがみつく類のものではありません。自体を変えるのは新しいビジョンを持って状況にフィットできるものだけです。そしてその多くは若い世代であることは世界の歴史が何度も見せているのですが・・・。
さて日本は変わるのか。変われるのか。
東大、京大、阪大、東北大、その他諸々の偏差値の高い理系の人間たちが研究・生産をする企業群が今日本で文字通りぼろぼろになっていっていますよね。
例を上げれば枚挙に暇がないの感じで、東芝、三洋、富士フィルム、オリンパス、そして最近は三菱重工もそんな感じ。(三菱自動車はそれ以前の問題ですが。)ソニーは若干持ち直した感じも無きにしもありませんが、ハッキリ言って未だヨロヨロ。他には昔強くて今ボロボロのものとしてフジ・テレビなんかもそうでしょうか?(もとよりこの会社、私の中では時流に乗っただけのクズの集合体という気がしておりまして、やっと本来の評価を”今になって”受けているという気がしますが。)
何でここまで揃ってこれらの”元”超一流の企業達が崩れていったかということに関してニュースを集めてみると、内部の技術者にあるのではなくてどうもそれに指示を出し経営を司る経営陣の劣化とそれをさらに司る相談役とか会長という老害の連携プレーにあるような気がします。
富士フィルムなどはせっかく見事にフィルムの会社から脱皮して化学と製薬、医薬、バイオ企業に転身できたのに、外人さんの率いる外国の子会社にババを掴まされるとか・・・。三洋もクソジジイが韓国にガンガン技術を流し込み、挙げ句の果ては母屋を取られるという馬鹿な話。東芝は恐ろしい程の老害が会社を知りいた後も院政を敷いてアメリカのWHと言う自分より大きな体を飲み込もうとした挙句自分がそれを喉に詰まらせて死ぬというアナコンダも真っ青のドン抜けぶり。w(そういえば、潰れたTAKATAも創業者はぶっ壊れてますな〜。)
若い連中はそれを止めることが出来なかったのですから、老害を責めたところで後の祭り。命がけでも止められないのが上からの命令で従順に育ってきたお坊ちゃん達の弱みという奴でしょうか。結局のところ乗っていた船自体が沈む段階になってどうにかしようとしたところで、親方日の丸おらが船、不沈戦艦も今となっては老朽化した時代遅れの泥舟となり果て、外からやってきた黒船のほうがよっぽどマシな船であるということを悟った時は既に遅すぎ。今まで乗っていた船を乗り捨てるくらいの覚悟がなければ到底復活は不可能でしょう。
総じてこれらの企業は今までの量的にがむしゃらな努力と外国の技術のブラッシュアップと付加価値の追加によって他の追随を許さずに戦ってきた成功体験の持ち主達。それも時代とともに同じ戦略をコピーされ、技術者を引き抜かれ、安かろう悪かろうと言っていた相手に、量のみならず最後は質でも抜かされる始末。
競争相手を見くびり続けたツケは結局自分の乗っていた船の沈没という形で払わされることになりました。
しかし盛者必滅。今日本が沈み韓国が同様に沈み続けているように、中国もやがて同じ様に沈んでいかないとは誰が断言できましょうか。
成功体験は過去のストーリー。しがみつく類のものではありません。自体を変えるのは新しいビジョンを持って状況にフィットできるものだけです。そしてその多くは若い世代であることは世界の歴史が何度も見せているのですが・・・。
さて日本は変わるのか。変われるのか。
2017年6月26日月曜日
勉強と先生
今回帰国してきた次女は高校の頃、第二外国語にロシア語を選択していました。
今回の帰国に際してもちょっと私と小競り合いになるほど大量のロシア語の学習用プリントや本を日本に持ち込んできております。一体何が彼女をそれほどまでにロシア語学習を使用というモチベーションを維持させるのか、そのドライブの推進力は何なのかということをちょこっと尋ねてみたのですが、いまいちハッキリしません。
よく聞くと世界中を旅してみたいというのがその根幹にはあるようなのですが、実際にその際に役立つ語学学習をする道のりはそう平坦ではないことは英語やドイツ語を学習したことのある日本の方なら理解していただけるのではないかと思います。
そこでもう少し娘に話を聞いてみるとどうやらロシア語を教えてくれていたホワイト先生というのが大変に面白い人物で、授業の中に勉強のみならずジョークありロシアの生活習慣の説明ありの授業が展開されるとのこと。まあ、いろいろと脱線しすぎてどうでも良いようなことも微細を穿って説明しすぎるきらいがあるようなのですが、そこはそれでまた先生の魅力の一部なのでしょう。
私自身の英語の学習を振り返ればやはり先生次第だったなという気がします。特に最初の入りがけ。
私の場合は、今でもネガティブな意味で名前も忘れませんが、Nという先生が大嫌いで全く勉強しませんでした。中学一年生にもよく解る”エコヒイキをする先生”でしたが、いろんな意味で当時に自分から見ると糞のようなことを言ったりしたりする先生でしたね〜。今だったら英語で滝のように罵り返してやることも出来るのですが、大人げないですなあ。w
しかし、そんな私も高校の頃に登場したとんでもない先生によって英語の学習に俄然火が着きました。この先生なんと若い頃は高校卒業後に数年間にわたってホームレスをしていた先生で、飯場仕事で土方として日雇い労働をしながら日々食いつなぎ、道端で寝起きしてはいろいろなことを考えていたらしいです。それでもある時期に「このままではいかん」と一念発起。日雇いの仕事の日々の中で勉強をし大学受験。ある大学に入学後は英語の教員になるべく猛勉強をしたのだそうです。
その先生はまたまた”強烈”な光を放つ先生だったのですが、この先生何時もムスッとしていたのですが時々ギラリと光る抜き身の刀から発せられる様な言葉で生徒を撫で斬りにしては怠け者の私達を挑発するかのように鼓舞していたのでした。
この先生には都合三年間習い続けたわけですが、最後は中学の時にあれだけ嫌だった英語が大学受験では得点源になっていましたし、その英語を使った生活をアメリカで長きにわたって送るなどとはその時はこれまた露程にも考えては居ませんでした。
言葉というのは世界を拡げ、チャンスを増やし、運命を変えます。今もし言葉の学習や数学や物理の学習で悩んでいる人が居たら、学ぶ相手を変えてみる(塾以外では難しいのでしょうが)のも一つの手立てかもしれませんね。
今回の帰国に際してもちょっと私と小競り合いになるほど大量のロシア語の学習用プリントや本を日本に持ち込んできております。一体何が彼女をそれほどまでにロシア語学習を使用というモチベーションを維持させるのか、そのドライブの推進力は何なのかということをちょこっと尋ねてみたのですが、いまいちハッキリしません。
よく聞くと世界中を旅してみたいというのがその根幹にはあるようなのですが、実際にその際に役立つ語学学習をする道のりはそう平坦ではないことは英語やドイツ語を学習したことのある日本の方なら理解していただけるのではないかと思います。
そこでもう少し娘に話を聞いてみるとどうやらロシア語を教えてくれていたホワイト先生というのが大変に面白い人物で、授業の中に勉強のみならずジョークありロシアの生活習慣の説明ありの授業が展開されるとのこと。まあ、いろいろと脱線しすぎてどうでも良いようなことも微細を穿って説明しすぎるきらいがあるようなのですが、そこはそれでまた先生の魅力の一部なのでしょう。
私自身の英語の学習を振り返ればやはり先生次第だったなという気がします。特に最初の入りがけ。
私の場合は、今でもネガティブな意味で名前も忘れませんが、Nという先生が大嫌いで全く勉強しませんでした。中学一年生にもよく解る”エコヒイキをする先生”でしたが、いろんな意味で当時に自分から見ると糞のようなことを言ったりしたりする先生でしたね〜。今だったら英語で滝のように罵り返してやることも出来るのですが、大人げないですなあ。w
しかし、そんな私も高校の頃に登場したとんでもない先生によって英語の学習に俄然火が着きました。この先生なんと若い頃は高校卒業後に数年間にわたってホームレスをしていた先生で、飯場仕事で土方として日雇い労働をしながら日々食いつなぎ、道端で寝起きしてはいろいろなことを考えていたらしいです。それでもある時期に「このままではいかん」と一念発起。日雇いの仕事の日々の中で勉強をし大学受験。ある大学に入学後は英語の教員になるべく猛勉強をしたのだそうです。
その先生はまたまた”強烈”な光を放つ先生だったのですが、この先生何時もムスッとしていたのですが時々ギラリと光る抜き身の刀から発せられる様な言葉で生徒を撫で斬りにしては怠け者の私達を挑発するかのように鼓舞していたのでした。
この先生には都合三年間習い続けたわけですが、最後は中学の時にあれだけ嫌だった英語が大学受験では得点源になっていましたし、その英語を使った生活をアメリカで長きにわたって送るなどとはその時はこれまた露程にも考えては居ませんでした。
言葉というのは世界を拡げ、チャンスを増やし、運命を変えます。今もし言葉の学習や数学や物理の学習で悩んでいる人が居たら、学ぶ相手を変えてみる(塾以外では難しいのでしょうが)のも一つの手立てかもしれませんね。
2017年6月25日日曜日
遂に購入(させられる)
家電量販店に行って参りました。
まず購入するべきものは急速に迫っている”暑い時期”を乗り切るための基本アイテムであるエアコン。そして食料品をクールに貯蔵する冷蔵庫です。私自身はエアコンは今でも要らないし、今ある単身赴任者用の小さな小さな冷蔵庫でも全然かまわないのですが、家族が増えるとそうもいきません。
というわけで近所にあるK's電気とEDIONに行ってカタログやウェブで比較検討した物品を実際にこの目で見て嫁さんと検討することに致しました。時期的にある程度スピードが要求されますし、保証や身近にある店ということを考えますとウェブで激安商品を買って別に取り付け代金を払ってなどという方法は取らず、それぞれの店のウェブでの税抜き価格を調べ、それに値段をマッチさせた上でそれを”税込価格”として再設定してもらい購入!と言う手順を踏みました。
最初にK's電気に行くと三菱電機の人が冷蔵庫コーナーにおられました。嫁さんはカタログその他の調査で、購入予定の冷蔵庫を三菱電機の機種と決めておりましたので、願ったり叶ったり。その上でカラーマッチングを実物を見て行い、値段交渉開始。
実際に買ったのは600Lのもので、家にやってくる前に家の通路やエレベーターの幅を測って搬入してくれるそうです。機種は下の写真のものでした。
あとはエアコン。霧ヶ峰の23畳用と6畳と7畳用の三台。取り敢えず冷蔵庫も買うという前提で値段交渉。一台目のみならず二台目も当然値引き、三台目は半額という事で計算。その見積もり票持ってEDIONへ行くとここでもまた三菱電気の人がおられました。ということでK'sの値段をチラチラとお見せしながらの交渉ですが、K'sの値段を打ち負かすのは冷蔵庫のみということでとりあえずその冷蔵庫の値段を持ってK'sへ行くと「その値段で税込みで行きます!」ということでしたので即決。まあ、こんなことで時間を潰すのももったいなかったので、ここはお店の人とこれ以上はゴチャゴチャ交渉せずに買うことに致しました。
取り敢えず数日でどちらも取り付けと据え付けをしてくれるとのことでしたので、こちらとしては家の電源を50Aにして待つということだけで、支払いを終えて店を出ました。
その後は金城学院大学のお嬢様方にも人気の定食屋”ごはんや金沢”へ向かい娘達と舌鼓を打ちました。嫁さんは特に久しぶりの焼き魚に感激しておりました。w
それにしても家族が帰ってきて新生活をセットアップするのも、解ってはいたことですがカネがかかって大変ですな。orz
まず購入するべきものは急速に迫っている”暑い時期”を乗り切るための基本アイテムであるエアコン。そして食料品をクールに貯蔵する冷蔵庫です。私自身はエアコンは今でも要らないし、今ある単身赴任者用の小さな小さな冷蔵庫でも全然かまわないのですが、家族が増えるとそうもいきません。
というわけで近所にあるK's電気とEDIONに行ってカタログやウェブで比較検討した物品を実際にこの目で見て嫁さんと検討することに致しました。時期的にある程度スピードが要求されますし、保証や身近にある店ということを考えますとウェブで激安商品を買って別に取り付け代金を払ってなどという方法は取らず、それぞれの店のウェブでの税抜き価格を調べ、それに値段をマッチさせた上でそれを”税込価格”として再設定してもらい購入!と言う手順を踏みました。
最初にK's電気に行くと三菱電機の人が冷蔵庫コーナーにおられました。嫁さんはカタログその他の調査で、購入予定の冷蔵庫を三菱電機の機種と決めておりましたので、願ったり叶ったり。その上でカラーマッチングを実物を見て行い、値段交渉開始。
実際に買ったのは600Lのもので、家にやってくる前に家の通路やエレベーターの幅を測って搬入してくれるそうです。機種は下の写真のものでした。
取り敢えず数日でどちらも取り付けと据え付けをしてくれるとのことでしたので、こちらとしては家の電源を50Aにして待つということだけで、支払いを終えて店を出ました。
その後は金城学院大学のお嬢様方にも人気の定食屋”ごはんや金沢”へ向かい娘達と舌鼓を打ちました。嫁さんは特に久しぶりの焼き魚に感激しておりました。w
それにしても家族が帰ってきて新生活をセットアップするのも、解ってはいたことですがカネがかかって大変ですな。orz
2017年6月24日土曜日
東山動物園へ
私は病院で看護師になるべく頑張っているヘルパーさんや学生さん達を数名教えております。
そんな中であるアジアの国からやってきてシングルマザーとして頑張って居るある女性の子供達が私のことをポケモン大先生として慕ってくれていたのですが、その子達が帰国してきた私の娘と一緒に動物園で遊びたいというのでした。
私としてはそのオファー自体が驚きでしたが、娘にそのことを話すと何と大乗り気でしたので、アイデアを実行しようということで、動物園前の駐車場へ集合。
それまでも、何度か嫁さんにはこの女性の身の上と子供達のことをアメリカに居る嫁さんに話していましたので、嫁さんにとっては実物に初めて会ったという感じだったことでしょう。
子供達は始めこそはにかんでいたものの、すぐに次女に慣れて後は案の定ベッタリ。w
熱中症の警報も出ている名古屋に有る東山動物園の中を娘と子供達が汗ダクで走り回っていました。我々はそんな元気はどこにも残っておりませんが、チビ助の息子さんの方を肩車で運んであげるくらい。8歳の娘さんの方は次女の背中に一時間ほど張り付いています。
皆が汗だくになって遊んだ後は腹が減ってまいりましたので、今晩の夕食を食べに皆で安くて美味い”焼肉屋のハちゃん”へと行って大量の美味しい焼肉に舌鼓を打ったのでした。
その後は散開してそれぞれの家路についたわけですが、我々の家族も美味しく食べた肉のせいか疲れも吹き飛びそのまま結構夜遅くまで起きていたのでした。(それでも床についたらスコ寝でしたが!)
下の娘は何のかんの言ってやっぱり子供達と遊ぶのは大変楽しかったみたいです。すぐにアメリカに戻っていってしまいますが・・・。チビちゃんがアメリカに来たら?という仮定の話になったところ、下の娘は大乗り気でした。まあ、実際に生活を始めたらそう簡単でないことは子育てをしたことの無い娘だからこそ言えるのでしょうが・・・。
何はともあれ、疲れるけど楽しい一日でした。
そんな中であるアジアの国からやってきてシングルマザーとして頑張って居るある女性の子供達が私のことをポケモン大先生として慕ってくれていたのですが、その子達が帰国してきた私の娘と一緒に動物園で遊びたいというのでした。
私としてはそのオファー自体が驚きでしたが、娘にそのことを話すと何と大乗り気でしたので、アイデアを実行しようということで、動物園前の駐車場へ集合。
それまでも、何度か嫁さんにはこの女性の身の上と子供達のことをアメリカに居る嫁さんに話していましたので、嫁さんにとっては実物に初めて会ったという感じだったことでしょう。
子供達は始めこそはにかんでいたものの、すぐに次女に慣れて後は案の定ベッタリ。w
熱中症の警報も出ている名古屋に有る東山動物園の中を娘と子供達が汗ダクで走り回っていました。我々はそんな元気はどこにも残っておりませんが、チビ助の息子さんの方を肩車で運んであげるくらい。8歳の娘さんの方は次女の背中に一時間ほど張り付いています。
皆が汗だくになって遊んだ後は腹が減ってまいりましたので、今晩の夕食を食べに皆で安くて美味い”焼肉屋のハちゃん”へと行って大量の美味しい焼肉に舌鼓を打ったのでした。
その後は散開してそれぞれの家路についたわけですが、我々の家族も美味しく食べた肉のせいか疲れも吹き飛びそのまま結構夜遅くまで起きていたのでした。(それでも床についたらスコ寝でしたが!)
下の娘は何のかんの言ってやっぱり子供達と遊ぶのは大変楽しかったみたいです。すぐにアメリカに戻っていってしまいますが・・・。チビちゃんがアメリカに来たら?という仮定の話になったところ、下の娘は大乗り気でした。まあ、実際に生活を始めたらそう簡単でないことは子育てをしたことの無い娘だからこそ言えるのでしょうが・・・。
何はともあれ、疲れるけど楽しい一日でした。
2017年6月23日金曜日
長女も一時帰国
ちょこっとだけこの前ここでも書いたのですが、実は長女も帰国しています。
しかも彼氏と一緒!
私としては男親として「・・・・・・・・・・・・」と言う感じなのですが、大学出て仕事までしている二十歳すぎの娘に野暮なことを言うのも何ですし、私自身も嫁さんの親父さんから見れば当時は結婚するかどうかもわからんままで付き合っていた誰やらようわからん馬のホネでしたので、世代は巡り巡って今度は私がじっとしている番ですな。w
さてその娘ですが、BWIを出発して日本に彼氏と到着したあとはJHUで知り合った女友達のお父さんの所有される”恐ろしいほど巨大な”コンドミニアム風の千葉?のお家に滞在させてもらって東京をエンジョイしているようです。
何しろこのお家、テレビや雑誌で紹介されるほどの豪邸とかで、娘がその写真を送ってきてくれたのですが冗談抜きで「これ日本の家ですか?」と言う感じ。ハリウッドに有る家の中って感じです。
お父さんは有名な研究者の方らしいのですが、ある特許によって巨額の対価を得られたようです。アメリカの研究者ですので、当然のようにカンパニーを持っておられるのかもしれませんが。やっぱり素晴らしい特許には素晴らしい対価が準備されてしかるべき。
こういうのは研究者を目指す理由にはなり難いのでしょうが、結果としてそういうことになってしまう事があって良いと思います。
しかしまあ、数日はお世話になるのでしょうが、名古屋の我が家にやってきたらそのギャップに驚くことでしょうな〜。orz
しかも彼氏と一緒!
私としては男親として「・・・・・・・・・・・・」と言う感じなのですが、大学出て仕事までしている二十歳すぎの娘に野暮なことを言うのも何ですし、私自身も嫁さんの親父さんから見れば当時は結婚するかどうかもわからんままで付き合っていた誰やらようわからん馬のホネでしたので、世代は巡り巡って今度は私がじっとしている番ですな。w
さてその娘ですが、BWIを出発して日本に彼氏と到着したあとはJHUで知り合った女友達のお父さんの所有される”恐ろしいほど巨大な”コンドミニアム風の千葉?のお家に滞在させてもらって東京をエンジョイしているようです。
何しろこのお家、テレビや雑誌で紹介されるほどの豪邸とかで、娘がその写真を送ってきてくれたのですが冗談抜きで「これ日本の家ですか?」と言う感じ。ハリウッドに有る家の中って感じです。
お父さんは有名な研究者の方らしいのですが、ある特許によって巨額の対価を得られたようです。アメリカの研究者ですので、当然のようにカンパニーを持っておられるのかもしれませんが。やっぱり素晴らしい特許には素晴らしい対価が準備されてしかるべき。
こういうのは研究者を目指す理由にはなり難いのでしょうが、結果としてそういうことになってしまう事があって良いと思います。
しかしまあ、数日はお世話になるのでしょうが、名古屋の我が家にやってきたらそのギャップに驚くことでしょうな〜。orz
2017年6月22日木曜日
帰国後の初仕事
毎度のことなのですが、アメリカから帰ってきて仕事に戻る第一日目というのはなかなか緊張するものです。
大体何時も2週間ほどの期間を帰米のための時間として頂いて種々の活動を行ってから日本に帰ってくるわけですが、その間に色々と病棟には御迷惑をかけるわけで、ちょこっと控えめにして病棟に入っていきます。
するとステーションでは大体において主任さんか師長さんが「あら〜、お久しぶり〜、元気でしたか〜」風の会話を振ってきて帰朝報告を手短にするわけです。w
同じような感じの応答が数病棟に渡って続くわけですので、少し’恥ずかしがりやさん’の私としては内心ちょっと赤面状態。誰もどうとも思っていないのにいい歳こいて自意識過剰ですわな・・・。
病棟では処方を山のように書いて、私が居なかったあいだの患者さん達のレポートを立て続けに読んで、溜まっていた医療要否意見書を書きまくって・・・と言う感じの種々の書類の処理の山が押し寄せてきます。
当然のように全患者さんへの診察と挨拶も行っていきますので、時間はアッと言う間に飛んでいきます。
今日も実際に時間は飛んでいってアッと言う間に5時近く、、、と思ったら外の散歩から戻ってきた患者さんが熱中症用の症状だということでその病棟に飛んでいって処置開始。採血や輸液をしながら経過観察。暫くしたら全身状態も落ち着き、意識も戻り安定しました。
初日から忙しい復帰の第一日でした。
大体何時も2週間ほどの期間を帰米のための時間として頂いて種々の活動を行ってから日本に帰ってくるわけですが、その間に色々と病棟には御迷惑をかけるわけで、ちょこっと控えめにして病棟に入っていきます。
するとステーションでは大体において主任さんか師長さんが「あら〜、お久しぶり〜、元気でしたか〜」風の会話を振ってきて帰朝報告を手短にするわけです。w
同じような感じの応答が数病棟に渡って続くわけですので、少し’恥ずかしがりやさん’の私としては内心ちょっと赤面状態。誰もどうとも思っていないのにいい歳こいて自意識過剰ですわな・・・。
病棟では処方を山のように書いて、私が居なかったあいだの患者さん達のレポートを立て続けに読んで、溜まっていた医療要否意見書を書きまくって・・・と言う感じの種々の書類の処理の山が押し寄せてきます。
当然のように全患者さんへの診察と挨拶も行っていきますので、時間はアッと言う間に飛んでいきます。
今日も実際に時間は飛んでいってアッと言う間に5時近く、、、と思ったら外の散歩から戻ってきた患者さんが熱中症用の症状だということでその病棟に飛んでいって処置開始。採血や輸液をしながら経過観察。暫くしたら全身状態も落ち着き、意識も戻り安定しました。
初日から忙しい復帰の第一日でした。
日本の家に帰り着いて
家に帰り着くと部屋の中には7つの大きなスーツケースと3つの小さなスーツケース、それにポスターやその他の手荷物が地面に置かれ雑然としています。
嫁さんが帰るまでは収納棚も家具も何も買わないと決めていたこの名古屋の家にはものを入れる棚というものが最初の有る収納用の納戸や戸棚以外ありません。ですから、嫁さんとしてはどこかに何かを収納するためには今まで私が使っていた収納部分を一から出して入れ直すなどの大仕事をこなさなければなりません。
取り敢えず次女のリクエストで外食にて近所の「べこや」に肉を食べに行き、日本の食事の旨さを堪能してもらいました。次から次に食事をする上に次女は日本でアルコールを試してみたかったようですが、この部分はちょっと家族の秘密に。w
さて外出後に家に帰り着いた私達を待ち受けていたのは家の犬の”外道の所業”でした・・・。うんこは一箇所で済んだのですが、玄関口や廊下に数カ所の非常に濃いオシッコをジャージャーかけているではありませんか!
私はムッとしたのですが、嫁さんと娘は可愛いばかりで何とも思っていないようで、サッサと拭いては何事もなかったかのように犬の頭を撫でております・・・。orz
自分の子供達のうんこやオシッコは私にとっても何ともなかったのですが、それほど思い入れのない我が家のヨーキーに対しては正直な所、「このアホ〜!」と言う気持ちしか湧いてまいりません。w
やっぱり女性の持つ母性というのは男よりも随分とスペクトルの広いものなんでしょうかね?
何はともあれ、アンパックした荷物を出してはこれはここ、あれはここと配置を決めていくのはまだまだこれからも暫くはづきそうです。特に暫くはずっと家にいる嫁さんにとっては賽の河原のようなものか。こればかりは共に頑張ってやるしか無いよです。
嫁さんが帰るまでは収納棚も家具も何も買わないと決めていたこの名古屋の家にはものを入れる棚というものが最初の有る収納用の納戸や戸棚以外ありません。ですから、嫁さんとしてはどこかに何かを収納するためには今まで私が使っていた収納部分を一から出して入れ直すなどの大仕事をこなさなければなりません。
取り敢えず次女のリクエストで外食にて近所の「べこや」に肉を食べに行き、日本の食事の旨さを堪能してもらいました。次から次に食事をする上に次女は日本でアルコールを試してみたかったようですが、この部分はちょっと家族の秘密に。w
さて外出後に家に帰り着いた私達を待ち受けていたのは家の犬の”外道の所業”でした・・・。うんこは一箇所で済んだのですが、玄関口や廊下に数カ所の非常に濃いオシッコをジャージャーかけているではありませんか!
私はムッとしたのですが、嫁さんと娘は可愛いばかりで何とも思っていないようで、サッサと拭いては何事もなかったかのように犬の頭を撫でております・・・。orz
自分の子供達のうんこやオシッコは私にとっても何ともなかったのですが、それほど思い入れのない我が家のヨーキーに対しては正直な所、「このアホ〜!」と言う気持ちしか湧いてまいりません。w
やっぱり女性の持つ母性というのは男よりも随分とスペクトルの広いものなんでしょうかね?
何はともあれ、アンパックした荷物を出してはこれはここ、あれはここと配置を決めていくのはまだまだこれからも暫くはづきそうです。特に暫くはずっと家にいる嫁さんにとっては賽の河原のようなものか。こればかりは共に頑張ってやるしか無いよです。
2017年6月21日水曜日
そして帰国の便に乗る
Labels:
日常
上の娘の家から出発して約30分ちょっとでIADに到着。
途中では実にクッキリハッキリした巨大で美しい虹が空港の傍で立ち上がっておりまして「これは幸先がいい!」等と家族で話し合っていたのですが、実はこのあととんでもない目に遭うとは露知らず・・・。
飛行場に着いてからは前々回も書いたようにカウンターのオープンを待っていました。開いたあとは真っ先にペットの預入について質問すると、他の列を作って待っていた人々を係の人達が全然無視して我々のペットの通関組を相手にしてくれました。他の方々に申し無いなとは感じつつも、確かに通関の為の手続きのステップが多い我々が優先されるのも解るような気がしました。
実際の所、荷物が多いだけでなく、ペットをカウンターの向こうに連れて行ったあともかなり長い間誰も戻ってきませんでした。実際はTSAのオフィサーがやってきて、ペットのかごの底や蓋のところに何か隠したりしているものがないかなどを調べたりしているのでした。
また、カウンターはカウンターで預ける8つのスーツケースの検量にちょっとドキドキ。実際の所、家では頑張って入れてきたもののスーツケースによっては22.5キロでは収まらず、23キロだったり、23.2キロだったりというのもあったのです。w
しかし、カウンターの荷物運びのオジサンは優しくて、ちょこっとの重さに関してはお目こぼしをしてくれて明らかにちょっとずつ重いのに”OK,OK,OK”と言いながら一つずつ許可を出してくれました。家長としては大変助かりました。まあ、それでも1キロを超えることはなかったのですが・・・。(<言い訳)
ボーダーコントロールのオフィサーの場所を抜けた後は身体検査。息子は自閉症がありますので人の支持がわからないところが多い。そこで、予めコントロールの係官のおじさんに「息子は自閉症のためにオフィサーの指示が通りませんので私が一緒に身体検査に同行してよろしいですか?」と伺った所、係官は息子と私に二人共、検査用の透視装置の脇にあるドアをパカっと開けることで「ヨカヨカ!通れw」と言う感じで通してくれました。
こういう時は障害を持っている子の親としては大変心強い・・・。私はこれを”優しさと良識”と呼びたいなと思いました。
その後はスムース。構内の移動用トラムに乗っていつものゲートでFive Guysのハンバーガーで最後のアメリカを家族で食べ尽しました。w
その後はいよいよ機内へと移動。ところがここからがミニドラマの始まり。先程虹が立ち上がっていたのは実はラッキーの印というよりも、雨関係の前触れだったようです。なんと、我々の出発便が最後の最後で管制塔から足止めを喰らいまして、何と3時間もの間機内で待ちぼうけ。
機長さんは何度も何度も謝罪しておられましたが、こればかしはお天道様が相手ですので如何ともしがたいということで、機長さんが気の毒に感じました。しかしそれよりも心配だったのは犬と猫。余計に3時間もかかることで健康状態にどういう影響が出るのかと嫁さんと心配しました。
それでも3時半頃に出発した飛行機はほとんど揺れることもなくスムースに飛行を続けやがて日本へ到着。私も二本ほどしか映画は観ませんでしたが、横に座っていた息子はほとんどパンチドランカーのようにウトウトし続けしているのが笑えました。
やがて飛行機はベーリング海、北海道上空、千葉上空と飛んでいき車の動きが見えるほどの高さで成田上空へ・・・。
入国して結構すぐに動物たちは出てきましたが、意外や意外、猫はおしっこもせず犬もウンチもせずに元気に到着したのでした。ここからは時間との戦い。検疫官の方は非常にゆっくり丁寧に仕事を正確に進めてくださるのですが、三時間の遅れのために名古屋までの乗継便は物理的にギリギリ!あと五分遅れていたらもう絶対に飛行機に乗れなくなるというギリギリの状態でした。
兎にも角にもなんとかそれにも間に合って、セントレアへは定刻に到着。眼下に富士山を眺めながらの飛行はやはり格別でした。最終的には夜の10時前後。家族が外での夜食も食べ終わって家へ戻ってきたのは12時ちょっと前くらいという大変遅いものでした。しかし、荷物の家への搬入はとても!疲れました。(セントレアには二週間駐車して障害者割引で3750円で済みました。)息子と共に自分の車に犬猫込みで連れて帰って実質的に一人で10ケース以上を搬入。息子は横でぴょんぴょん跳ねておりましたが・・・。w
家へ帰ったあとは風呂入ってしばらくして私は寝ましたが、嫁さんは眠らず娘とともに何か夜遅くまで起きていたようです。何れにせよ日本へは安全に家族で戻れてめでたしめでたしでした。
途中では実にクッキリハッキリした巨大で美しい虹が空港の傍で立ち上がっておりまして「これは幸先がいい!」等と家族で話し合っていたのですが、実はこのあととんでもない目に遭うとは露知らず・・・。
副虹までついていた巨大な虹!スマホでは伝えられない美しさです。 |
実際の所、荷物が多いだけでなく、ペットをカウンターの向こうに連れて行ったあともかなり長い間誰も戻ってきませんでした。実際はTSAのオフィサーがやってきて、ペットのかごの底や蓋のところに何か隠したりしているものがないかなどを調べたりしているのでした。
また、カウンターはカウンターで預ける8つのスーツケースの検量にちょっとドキドキ。実際の所、家では頑張って入れてきたもののスーツケースによっては22.5キロでは収まらず、23キロだったり、23.2キロだったりというのもあったのです。w
しかし、カウンターの荷物運びのオジサンは優しくて、ちょこっとの重さに関してはお目こぼしをしてくれて明らかにちょっとずつ重いのに”OK,OK,OK”と言いながら一つずつ許可を出してくれました。家長としては大変助かりました。まあ、それでも1キロを超えることはなかったのですが・・・。(<言い訳)
北の方から近寄ってきたらしいサンダーストーム・・・。 |
こういう時は障害を持っている子の親としては大変心強い・・・。私はこれを”優しさと良識”と呼びたいなと思いました。
その後はスムース。構内の移動用トラムに乗っていつものゲートでFive Guysのハンバーガーで最後のアメリカを家族で食べ尽しました。w
その後はいよいよ機内へと移動。ところがここからがミニドラマの始まり。先程虹が立ち上がっていたのは実はラッキーの印というよりも、雨関係の前触れだったようです。なんと、我々の出発便が最後の最後で管制塔から足止めを喰らいまして、何と3時間もの間機内で待ちぼうけ。
機長さんは何度も何度も謝罪しておられましたが、こればかしはお天道様が相手ですので如何ともしがたいということで、機長さんが気の毒に感じました。しかしそれよりも心配だったのは犬と猫。余計に3時間もかかることで健康状態にどういう影響が出るのかと嫁さんと心配しました。
それでも3時半頃に出発した飛行機はほとんど揺れることもなくスムースに飛行を続けやがて日本へ到着。私も二本ほどしか映画は観ませんでしたが、横に座っていた息子はほとんどパンチドランカーのようにウトウトし続けしているのが笑えました。
氷の上を歩けるのか?w |
18年以上のアメリカ生活を過ごした嫁さんも遂に日本へ。 |
まさに日本の玄関口。 |
兎にも角にもなんとかそれにも間に合って、セントレアへは定刻に到着。眼下に富士山を眺めながらの飛行はやはり格別でした。最終的には夜の10時前後。家族が外での夜食も食べ終わって家へ戻ってきたのは12時ちょっと前くらいという大変遅いものでした。しかし、荷物の家への搬入はとても!疲れました。(セントレアには二週間駐車して障害者割引で3750円で済みました。)息子と共に自分の車に犬猫込みで連れて帰って実質的に一人で10ケース以上を搬入。息子は横でぴょんぴょん跳ねておりましたが・・・。w
家へ帰ったあとは風呂入ってしばらくして私は寝ましたが、嫁さんは眠らず娘とともに何か夜遅くまで起きていたようです。何れにせよ日本へは安全に家族で戻れてめでたしめでたしでした。
2017年6月19日月曜日
ペットも帰国
Labels:
日常
今回の帰国で大変だったのは単にモノの片付けその他だけではありませんでした。
最も大変だったのは物理的な荷物の運搬は言うに及ばず我が家に住んでいる”犬と猫”の移住でした。そうです、検疫を通すという大変な作業が待っていたのでした。
しかし、実際の所この一番大変な作業はアメリカに居た嫁さんに任せるしか無いところがあって、そこの点は残念ながら日本にいる私が手も足も出せませんでした。
近所でお世話になっていたVeterinarianにはもう十年近くお世話になっておりましたが、猫も犬もRabiesのショット記録や三種混合の記録などとともに、それぞれのワクチンの番号とそれらの抗体価の変化を記録していったものをキチンと提出しなければならないのでした。これらはVetsからカンザス州立大学へ送付したものを二度三度と記録し続けていたものなのですが、これが曲者。(少なくとも半年前以上からこう言ったショット等の記録とともに抗体価の記録などもないと日本にはペットなど連れて帰れないのです。)
大学側からの記録は通常問題は無いのですが、更にこの記録をリッチモンドに有るUSDAにチェックしてもらってやっとアメリカ側は終了。(特別な資格を持ったVetが居るらしいです。)
しかし、問題はVet側・・・。実際にはここのアシスタントが記録を書き込んでいくわけなのですが、アルファベットのLが1になっていたり、全く関係のない番号が書き込まれたり、先生の資質とは関係のない低いレベルで単純ミスが連発され、それを一々嫁さんが電話をしたり実際にVetに行ったりして確認。
更にはそれを日本の農林水産省の動物検疫所にメールしてPDF化した実物を担当官の方にチェックして頂き、間違いないか否かを毎度確認していくという地道な作業の繰り返し。検疫所の担当官の方は実に懇切丁寧かつ迅速にほぼ何時であろうとすぐにメールを返してくださるということで、嫁さんは毎度感心しておりました。
実際には上記の手順、仔細な部分は微妙に異なっているらしいのですが、それも年ごとに少しずつ変わってきたりしますので、ペットを帰国させたい方は農林水産省のページにキチンとアクセスするとともにアメリカ側のUSDAの記事と書類をよく確認しておくべきだと思われます。
そうしないと、成田で最後の最後に・・・ということになるのではないかと。それは悲劇以外の何物でもないですし、ましてや出国の時点でさえ引っかかってしまったら、チケットとパスポートと荷物を持ったままもう一度家へ帰らざるを得ないなどということになりかねません。そっちも高いストレスレベルという意味では相当の悲劇だとは思うのですが。
最も大変だったのは物理的な荷物の運搬は言うに及ばず我が家に住んでいる”犬と猫”の移住でした。そうです、検疫を通すという大変な作業が待っていたのでした。
しかし、実際の所この一番大変な作業はアメリカに居た嫁さんに任せるしか無いところがあって、そこの点は残念ながら日本にいる私が手も足も出せませんでした。
近所でお世話になっていたVeterinarianにはもう十年近くお世話になっておりましたが、猫も犬もRabiesのショット記録や三種混合の記録などとともに、それぞれのワクチンの番号とそれらの抗体価の変化を記録していったものをキチンと提出しなければならないのでした。これらはVetsからカンザス州立大学へ送付したものを二度三度と記録し続けていたものなのですが、これが曲者。(少なくとも半年前以上からこう言ったショット等の記録とともに抗体価の記録などもないと日本にはペットなど連れて帰れないのです。)
大学側からの記録は通常問題は無いのですが、更にこの記録をリッチモンドに有るUSDAにチェックしてもらってやっとアメリカ側は終了。(特別な資格を持ったVetが居るらしいです。)
しかし、問題はVet側・・・。実際にはここのアシスタントが記録を書き込んでいくわけなのですが、アルファベットのLが1になっていたり、全く関係のない番号が書き込まれたり、先生の資質とは関係のない低いレベルで単純ミスが連発され、それを一々嫁さんが電話をしたり実際にVetに行ったりして確認。
更にはそれを日本の農林水産省の動物検疫所にメールしてPDF化した実物を担当官の方にチェックして頂き、間違いないか否かを毎度確認していくという地道な作業の繰り返し。検疫所の担当官の方は実に懇切丁寧かつ迅速にほぼ何時であろうとすぐにメールを返してくださるということで、嫁さんは毎度感心しておりました。
実際には上記の手順、仔細な部分は微妙に異なっているらしいのですが、それも年ごとに少しずつ変わってきたりしますので、ペットを帰国させたい方は農林水産省のページにキチンとアクセスするとともにアメリカ側のUSDAの記事と書類をよく確認しておくべきだと思われます。
そうしないと、成田で最後の最後に・・・ということになるのではないかと。それは悲劇以外の何物でもないですし、ましてや出国の時点でさえ引っかかってしまったら、チケットとパスポートと荷物を持ったままもう一度家へ帰らざるを得ないなどということになりかねません。そっちも高いストレスレベルという意味では相当の悲劇だとは思うのですが。
2017年6月18日日曜日
家で過ごす最終日
Labels:
日常
最終的には最後の部屋の壁塗りは諦めました。
家の中では本当に最後の一品まで綺麗にしていくつもりで片付けていったのですが、嫁さんに言わせるとやりたかったことの70%くらいしか仕上がらなかったとのことですが、私から見ると「よく数日でここまで仕上げたわな」と言う感じ。
ほぼ寝ずに仕事を仕上げた嫁さんには頭が上がりません。
私の方は翌朝真夜中からの運転に備えて一時間でも寝ようとしていたのですが、実際には帰国を確信して興奮した息子が大音量で流すYoutube上のANAのビデオに邪魔されて20分ほどしか眠れず・・・。orz
取り敢えずはシャワーを浴びてシャキッとした状態で車を運転しなければならないのですが、頭は冴えているようで実は眠くて仕方ない。でかいスーツケースは7つ、ミニ・スーツケースは3つ。次女の大学引っ越し用のでかいプラスチックケース2つと犬猫それぞれ一匹ずつのケージ、更にはぎっちり詰め込んだポスター・絵画用の筒二つ、リュックが3つ、嫁さんが持つ、パスポートやペット管理用の書類を詰め込んだカバンが一つと言う感じで、それをパズルのように詰め込んだ巨大なトヨタのシエナを運転することでまずはDCへ向かいます。
夜の3時ちょっと前に家を出たのですが、深夜であってもアメリカの東海岸の大動脈I-95は混み合っています。DCに入っていったのは五時ちょっと過ぎでしたが、流石はアメリカの首都。ガンガンに混み合っています。畏れ入りました。
長女と彼氏が同棲しているDCの真ん中にあるビルはまるでホテルのようなところでしたが、家賃もそれ相応、ワンベッド、ワンリビング、キッチンのみにも拘らず月の家賃が$1900!やはり高いです。折半しているとのことですが、それでも広さに比べて都会は高いですな〜。
さて、ここで20分ほど過ごしたあとで直ぐにIADへと移動してチェックインですが、ここでBudgetレンタカーを返して直ぐにANAのカウンターに行ったところで9時半までは何も始まりません。というわけで、ここで一旦シートに座って待つことにいたしました。
続きは明日の分で。
家の中では本当に最後の一品まで綺麗にしていくつもりで片付けていったのですが、嫁さんに言わせるとやりたかったことの70%くらいしか仕上がらなかったとのことですが、私から見ると「よく数日でここまで仕上げたわな」と言う感じ。
ほぼ寝ずに仕事を仕上げた嫁さんには頭が上がりません。
私の方は翌朝真夜中からの運転に備えて一時間でも寝ようとしていたのですが、実際には帰国を確信して興奮した息子が大音量で流すYoutube上のANAのビデオに邪魔されて20分ほどしか眠れず・・・。orz
取り敢えずはシャワーを浴びてシャキッとした状態で車を運転しなければならないのですが、頭は冴えているようで実は眠くて仕方ない。でかいスーツケースは7つ、ミニ・スーツケースは3つ。次女の大学引っ越し用のでかいプラスチックケース2つと犬猫それぞれ一匹ずつのケージ、更にはぎっちり詰め込んだポスター・絵画用の筒二つ、リュックが3つ、嫁さんが持つ、パスポートやペット管理用の書類を詰め込んだカバンが一つと言う感じで、それをパズルのように詰め込んだ巨大なトヨタのシエナを運転することでまずはDCへ向かいます。
夜の3時ちょっと前に家を出たのですが、深夜であってもアメリカの東海岸の大動脈I-95は混み合っています。DCに入っていったのは五時ちょっと過ぎでしたが、流石はアメリカの首都。ガンガンに混み合っています。畏れ入りました。
長女と彼氏が同棲しているDCの真ん中にあるビルはまるでホテルのようなところでしたが、家賃もそれ相応、ワンベッド、ワンリビング、キッチンのみにも拘らず月の家賃が$1900!やはり高いです。折半しているとのことですが、それでも広さに比べて都会は高いですな〜。
さて、ここで20分ほど過ごしたあとで直ぐにIADへと移動してチェックインですが、ここでBudgetレンタカーを返して直ぐにANAのカウンターに行ったところで9時半までは何も始まりません。というわけで、ここで一旦シートに座って待つことにいたしました。
続きは明日の分で。
2017年6月17日土曜日
いよいよ明日が実質的な最終日!
Labels:
日常
相変わらずやってもやっても前に進まない感じ。
ディティールを補正していくためには気を使って一つ一ついろいろなものを調べていくわけですが、今現在の生活をしながらも自分の足跡を掃き消していくようにして掃除をしていかなければなりませんので、本当に難しい限りです。
しかも、今までは大型物件の比較的片付けやすいものを処理していたので、引っ越しも片付けもガンガン進んでいたように”錯覚”していたのですが、最後に近付くにつれその漸近線が100%に近づきつつも永遠にフラットにならないことに心も体も疲れてきております。w
昨日も今日もディスポーザル・エリアへと二度ずつ車を走らせ、重い物・軽い物、ガラージの片付けで出てきた最後っ屁のようなゴミをスコーッと捨ててきました。
嫁さんも私も全然子供達の手伝いはあてには出来ないし、あてにするつもりも無いのですが、やっぱり家のことをわかっているのは俺達二人なんだなというのがよく解るこの数日の片付けでした。
片付けが終わるたびにその日の昼や夜の食事は外食になりまして、主に娘達のリクエストに従う形で普段は余り食べに行かないものを食べに行っておりまして、大概の出費を強いられております・・・。orz
余り眠らずに次々と仕事ばかりしていると溜め息が出てくるのですが、嫁さんと娘が「お父さんってそんなに溜め息出す人だったっけ?疲れててもダイジョブって言ってなかった?」などと、責めてまいります。
そうです、お父さんも歳をとっているのです!!(だからもっと優しくしなさい。w)
ディティールを補正していくためには気を使って一つ一ついろいろなものを調べていくわけですが、今現在の生活をしながらも自分の足跡を掃き消していくようにして掃除をしていかなければなりませんので、本当に難しい限りです。
しかも、今までは大型物件の比較的片付けやすいものを処理していたので、引っ越しも片付けもガンガン進んでいたように”錯覚”していたのですが、最後に近付くにつれその漸近線が100%に近づきつつも永遠にフラットにならないことに心も体も疲れてきております。w
昨日も今日もディスポーザル・エリアへと二度ずつ車を走らせ、重い物・軽い物、ガラージの片付けで出てきた最後っ屁のようなゴミをスコーッと捨ててきました。
嫁さんも私も全然子供達の手伝いはあてには出来ないし、あてにするつもりも無いのですが、やっぱり家のことをわかっているのは俺達二人なんだなというのがよく解るこの数日の片付けでした。
片付けが終わるたびにその日の昼や夜の食事は外食になりまして、主に娘達のリクエストに従う形で普段は余り食べに行かないものを食べに行っておりまして、大概の出費を強いられております・・・。orz
余り眠らずに次々と仕事ばかりしていると溜め息が出てくるのですが、嫁さんと娘が「お父さんってそんなに溜め息出す人だったっけ?疲れててもダイジョブって言ってなかった?」などと、責めてまいります。
そうです、お父さんも歳をとっているのです!!(だからもっと優しくしなさい。w)
2017年6月16日金曜日
下の娘の卒業式
Labels:
日常
遂に我が家には高校生が居なくなりました。
先週の息子の卒業式に引き続き、今度は下の娘の卒業式が執り行われました。遂に最後の小鳥も我が家を巣立つことになり、いわゆる”こども”と言う感じの子供は居なくなる感じですかね〜。
式の会場はリッチモンドのど真ん中にあるシアターでした。下の娘の学校は公教育とは言っても各カウンティから成績毎に数人から数十人ずつピックアップされた子達が集うちょっと変わった学校で、Southern VAのかなり少数の子供達が通うところです。
今年はハーバードに二人、イェールにも二人、その他日本では”全く”知られてはいないものの、アメリアでは知る人ぞ知るtop notchのカレッジやその他の大学にもポコポコ入っている・・・と言う感じで、「ほう流石だな!」と感じることしきりでした。まずもって全員が大学に進学する公立高校というのは先ずこの手の高校以外は有り得ないと言っていいでしょう。何しろ卒業式で配られた名前の横に全員の進学先の大学が書かれておりますのでよくわかります。
DCからボーイフレンドとともに帰宅してきていた長女もそれなりのドレスアップをして式に臨みましたが、妹の番になった時に大声で名前を連呼していたのが何ともアメリカンだな〜って正直に思いましたね。他人の目など気にもせず。w
式が終わった後は皆でベトナム料理店に行ってたらふく食べました。ちょっと驚いたのは、そこでサーブしてくれた女の子が実は長男の高校で総代をしていたベトナム系の女の子だったのです。可愛い子でした。VCUに行くそうです。
最後になりましたが、本日行われた卒業式ではtossingが行われましたのでちょっと動画を載せておきますね〜。
先週の息子の卒業式に引き続き、今度は下の娘の卒業式が執り行われました。遂に最後の小鳥も我が家を巣立つことになり、いわゆる”こども”と言う感じの子供は居なくなる感じですかね〜。
式の会場はリッチモンドのど真ん中にあるシアターでした。下の娘の学校は公教育とは言っても各カウンティから成績毎に数人から数十人ずつピックアップされた子達が集うちょっと変わった学校で、Southern VAのかなり少数の子供達が通うところです。
シアターは三回まで観客席があり、普段は演劇や映画上映をしているところです。 |
いつものようにポリスがやってきてガードしております。これは一種のバイトですけどね。 |
DCからボーイフレンドとともに帰宅してきていた長女もそれなりのドレスアップをして式に臨みましたが、妹の番になった時に大声で名前を連呼していたのが何ともアメリカンだな〜って正直に思いましたね。他人の目など気にもせず。w
式が終わった後は皆でベトナム料理店に行ってたらふく食べました。ちょっと驚いたのは、そこでサーブしてくれた女の子が実は長男の高校で総代をしていたベトナム系の女の子だったのです。可愛い子でした。VCUに行くそうです。
2017年6月15日木曜日
終わらない終わらない・・・
Labels:
日常
ちょっとした事が色々とありすぎて、大変疲れます。
これどうする?捨てる?取っておく?持って帰る?それとも大学に持っていく?それとも上の娘の家に持って帰ってもらう?等と一々確認。更にはゴミを捨てる手順や時間、ドネーションする際の持ち運びの手順等、時間が無いが故に普段は問題にならないような”手順”が時間に押し込まれるように大切になってきます。
更には今後のリノベーションの範囲と方法、それを行うであろう業者との連絡などこの数日にすべて済ませるとなると実際の所めまいがしそうです。
もともとここに居た家族たちもそれなりに色々と動いてくれていたとは言え、そこは英語の世界。嫁さんにも複雑なことは使い慣れない単語を使いう交渉事では理解出来ませんし、お金の支払等の決定もしなければならないため、当然ですが一人ではなかなか進めることは出来ませんでした。また、今日は家をレンタルするにあたっての保険の種類の変更にも行ってきました。これがまた結構細かくて大変ですが、それも取り敢えずは問題なく終わりました。
最初は週末にケンタッキーにでも行ってバーボンの里を廻ろうかい!等と心のなかで想い描いていたアイデアもあったのですが、なんのなんの。全くもって荒唐無稽なアイディアであることがよ〜〜くわかりました。w
ケンタッキーどころか、ちょっとだけ家を離れていろいろなところに必要なことをしに行くことさえ大変な状況ですがな・・・。
今回も大量のゴミが出ましたし、最後の片付けの段階で夫婦二人で心が疲れてしまっていますが、ここはなんとか踏ん張るしかありません。
明日も朝早くから種々のアクションを取っておかなければなりませんが、果たして想い描いたように行くのか?これまた疑問です。やるだけやって後は当たって砕けろというところでしょうかね。明日は携帯電話の解約の連絡もして置かなければなりませんしね。(固定電話とネットの解約の連絡は既に済んでいる。)
さてさて明日はいよいよ次女の高校の卒業式・・・無事に終わってくれますように!
これどうする?捨てる?取っておく?持って帰る?それとも大学に持っていく?それとも上の娘の家に持って帰ってもらう?等と一々確認。更にはゴミを捨てる手順や時間、ドネーションする際の持ち運びの手順等、時間が無いが故に普段は問題にならないような”手順”が時間に押し込まれるように大切になってきます。
更には今後のリノベーションの範囲と方法、それを行うであろう業者との連絡などこの数日にすべて済ませるとなると実際の所めまいがしそうです。
もともとここに居た家族たちもそれなりに色々と動いてくれていたとは言え、そこは英語の世界。嫁さんにも複雑なことは使い慣れない単語を使いう交渉事では理解出来ませんし、お金の支払等の決定もしなければならないため、当然ですが一人ではなかなか進めることは出来ませんでした。また、今日は家をレンタルするにあたっての保険の種類の変更にも行ってきました。これがまた結構細かくて大変ですが、それも取り敢えずは問題なく終わりました。
最初は週末にケンタッキーにでも行ってバーボンの里を廻ろうかい!等と心のなかで想い描いていたアイデアもあったのですが、なんのなんの。全くもって荒唐無稽なアイディアであることがよ〜〜くわかりました。w
ケンタッキーどころか、ちょっとだけ家を離れていろいろなところに必要なことをしに行くことさえ大変な状況ですがな・・・。
今回も大量のゴミが出ましたし、最後の片付けの段階で夫婦二人で心が疲れてしまっていますが、ここはなんとか踏ん張るしかありません。
明日も朝早くから種々のアクションを取っておかなければなりませんが、果たして想い描いたように行くのか?これまた疑問です。やるだけやって後は当たって砕けろというところでしょうかね。明日は携帯電話の解約の連絡もして置かなければなりませんしね。(固定電話とネットの解約の連絡は既に済んでいる。)
さてさて明日はいよいよ次女の高校の卒業式・・・無事に終わってくれますように!
Farewell食事会
Labels:
日常
リッチモンドにもあと数日。
今回の我々家族の日本への帰国に関連してVCUで共に研究者として働いていた同僚の皆さんが最後の晩餐を開いてくれました。場所はLegend Breweryで、ここは我々の中でもビールが美味い店としてよく知られたリッチモンドのお店です。
6時から集まったのですが、それまでは家で壁塗りや掃除の手伝いをしておりましたので実際はヘトヘト。それでもここまでは運転をして帰りは娘に送ってもらうという約束で家族全員で行きました。K先生御夫妻とH先生がほぼ定刻通りに現れましたが、外は生憎のサンダーストーム。それでも雨好きの私には逆に願ったり叶ったり。
全員で外のテーブルに着いて注文開始です。最初からドンドコドンドコ飲み物や食べ物を注文しながら四方山話に花が咲きます。なかでも特に昨今の研究におけるサバイバルの難しさに関していろいろと話が出ますが、トランプ政権下で今後どんな感じでリサーチにおける予算が変化していくのか未だ誰も知らない状態だとのこと。
アホが大統領になると下々の人間が色々と困るのは日の目を見るよりも明らかですが、こんな形でごく身近の同僚たちが割りを食っているのかと思うと怒りの方向も日本にいるときとはまた違った方向に向かっていきます。
そんなこんなでいろいろなことを話しているうちに腹はパンパン。w
米国に来て毎晩毎晩食べ過ぎでお腹はパンパンです。orz
ビールと話と料理でハッピーになった私は、娘の運転する車の後部座席ですやすやと寝ながら家路についたのでした。
今回の我々家族の日本への帰国に関連してVCUで共に研究者として働いていた同僚の皆さんが最後の晩餐を開いてくれました。場所はLegend Breweryで、ここは我々の中でもビールが美味い店としてよく知られたリッチモンドのお店です。
6時から集まったのですが、それまでは家で壁塗りや掃除の手伝いをしておりましたので実際はヘトヘト。それでもここまでは運転をして帰りは娘に送ってもらうという約束で家族全員で行きました。K先生御夫妻とH先生がほぼ定刻通りに現れましたが、外は生憎のサンダーストーム。それでも雨好きの私には逆に願ったり叶ったり。
全員で外のテーブルに着いて注文開始です。最初からドンドコドンドコ飲み物や食べ物を注文しながら四方山話に花が咲きます。なかでも特に昨今の研究におけるサバイバルの難しさに関していろいろと話が出ますが、トランプ政権下で今後どんな感じでリサーチにおける予算が変化していくのか未だ誰も知らない状態だとのこと。
アホが大統領になると下々の人間が色々と困るのは日の目を見るよりも明らかですが、こんな形でごく身近の同僚たちが割りを食っているのかと思うと怒りの方向も日本にいるときとはまた違った方向に向かっていきます。
そんなこんなでいろいろなことを話しているうちに腹はパンパン。w
米国に来て毎晩毎晩食べ過ぎでお腹はパンパンです。orz
ビールと話と料理でハッピーになった私は、娘の運転する車の後部座席ですやすやと寝ながら家路についたのでした。
2017年6月14日水曜日
感謝の印
Labels:
日常
今日は午前中から先週まで息子の通っていた学校に行って参りました。
理由は簡単で、個別に先生方にお会いして今までの長年にわたる息子への情熱的な教育に対して直接感謝の言葉を述べさせていただくことが一つ。もう一つはそれを言葉だけでなく、感謝の印として何らかの”役に立つもの”を学校に残していくことを目的にdonationを行ったことでした。
実は卒業式終了の時点で、special physical Ed.の先生にお願いをして、500ドル前後で何らかの形で生徒たちが使える物品を購入していただきたいので、その額に見合ったものを見繕っていただけないでしょうかと言うようなことを行っておりました。そして数日の間隔をおいて先生とお会いすることになったのが今日でした。
先生にお会いした時に「トレッドミルの様なエクササイズの為のマシンなんかは如何でしょうか」等とお話はしたのですが、実際に彼らが使うレベルのものになると容易に2000ドル前後のものになってしまい、今回の予算的には厳しいということになりましたので、先方から提案があったのは”学校内で届け物をする時に使用する三輪自転車(tricycle)”でした。
リッチモンドに有る百年以上続く有名な自転車店Agee'sに先生と二人で行って、三段変速のペダル・ブレーキ(後ろに回すことでブレーキが掛かるもの)付きの600ドルちょっとのものを買わせて頂きました。
家に帰ると直ぐに先生方からは感謝のメールが届き、嬉しそうに届いたばかりの自転車に乗っているハンディキャップを持った子供達の様子を写した数葉の添付写真を見ることが出来ました。
特殊教育で大変な苦労をされるアメリカのspecial edの先生方に対するせめてもの感謝の印をアメリカに残すことが出来ました。今後もこの学校のこの教室がハンディキャップのある多くの子供達を助け続けてくれることを願ってやみません。
理由は簡単で、個別に先生方にお会いして今までの長年にわたる息子への情熱的な教育に対して直接感謝の言葉を述べさせていただくことが一つ。もう一つはそれを言葉だけでなく、感謝の印として何らかの”役に立つもの”を学校に残していくことを目的にdonationを行ったことでした。
実は卒業式終了の時点で、special physical Ed.の先生にお願いをして、500ドル前後で何らかの形で生徒たちが使える物品を購入していただきたいので、その額に見合ったものを見繕っていただけないでしょうかと言うようなことを行っておりました。そして数日の間隔をおいて先生とお会いすることになったのが今日でした。
先生にお会いした時に「トレッドミルの様なエクササイズの為のマシンなんかは如何でしょうか」等とお話はしたのですが、実際に彼らが使うレベルのものになると容易に2000ドル前後のものになってしまい、今回の予算的には厳しいということになりましたので、先方から提案があったのは”学校内で届け物をする時に使用する三輪自転車(tricycle)”でした。
リッチモンドに有る百年以上続く有名な自転車店Agee'sに先生と二人で行って、三段変速のペダル・ブレーキ(後ろに回すことでブレーキが掛かるもの)付きの600ドルちょっとのものを買わせて頂きました。
家に帰ると直ぐに先生方からは感謝のメールが届き、嬉しそうに届いたばかりの自転車に乗っているハンディキャップを持った子供達の様子を写した数葉の添付写真を見ることが出来ました。
特殊教育で大変な苦労をされるアメリカのspecial edの先生方に対するせめてもの感謝の印をアメリカに残すことが出来ました。今後もこの学校のこの教室がハンディキャップのある多くの子供達を助け続けてくれることを願ってやみません。
2017年6月13日火曜日
終わらない引っ越し準備
Labels:
日常
やはりやることが沢山あり”予想通り”なかなか出発の日まで、去る為の準備で追いまくられそうです。
昨日の塗装の二度塗り仕上げなどをしつつ、様々な物を取捨選択するという作業が実はまだまだあります。これ捨てていいのかな?それとも残そうかな?というものが沢山あります。特に、現在進行形でアメリカの家で使いながらも最後の最後はどうしようかな?などと考えているものの中には人にあげるにはパーソナル過ぎて意味がわからないけど、家族にとっては意義深いもの・・・などという物品は意外とあるものです。
そういったものを一々考えながら取捨選択する作業というのは想像以上に神経をつかうものでして、作業の一旦終了後には”なんとも言えない疲労感”が私と嫁さんを襲います。w
おまけにその選別して持って帰ることに決めたものを数の限られたトランクにパズルのように詰め込んで重さが50ポンド(約22.5キログラム)を超えないようにしないといけませんので、二重に大変です。詰め終わるたびに体重計に乗り、中身を詰め終わったスーツケースをグイッと持ち上げて総重量を図り己の体重と併せた重量がXXキログラムを超えないようにするという作業の繰り返し。
長い間日米をこうやって往復してきましたので、比較的作業工程自体には慣れているのですが、それでも微妙に重さが超えるようなところがありまして結構考えます。重さの1キロオーバーは通常目を瞑ってもらえないことが多いのですが、数百グラムくらいなら何事もなかったように見過ごしてくれる人もいてそこあたりの予測が結構大変です。
思い出の品々は殆どダンボール入りの船便で送ってしまっていたつもりが、実際には未だ送り忘れていたりとか、結構ポカミスと言うのもありますので、そこらあたりのレスキューが大変な感じでしょうか。
それでもほとんど詰め終わり、あとは我が家で最もスタートの遅いLAZY GIRLである下の娘の取捨選択程度となりました。
最後に娘に激しく苦言を呈さなければならないような事態にならなければ良いのですが・・・。
昨日の塗装の二度塗り仕上げなどをしつつ、様々な物を取捨選択するという作業が実はまだまだあります。これ捨てていいのかな?それとも残そうかな?というものが沢山あります。特に、現在進行形でアメリカの家で使いながらも最後の最後はどうしようかな?などと考えているものの中には人にあげるにはパーソナル過ぎて意味がわからないけど、家族にとっては意義深いもの・・・などという物品は意外とあるものです。
そういったものを一々考えながら取捨選択する作業というのは想像以上に神経をつかうものでして、作業の一旦終了後には”なんとも言えない疲労感”が私と嫁さんを襲います。w
おまけにその選別して持って帰ることに決めたものを数の限られたトランクにパズルのように詰め込んで重さが50ポンド(約22.5キログラム)を超えないようにしないといけませんので、二重に大変です。詰め終わるたびに体重計に乗り、中身を詰め終わったスーツケースをグイッと持ち上げて総重量を図り己の体重と併せた重量がXXキログラムを超えないようにするという作業の繰り返し。
長い間日米をこうやって往復してきましたので、比較的作業工程自体には慣れているのですが、それでも微妙に重さが超えるようなところがありまして結構考えます。重さの1キロオーバーは通常目を瞑ってもらえないことが多いのですが、数百グラムくらいなら何事もなかったように見過ごしてくれる人もいてそこあたりの予測が結構大変です。
思い出の品々は殆どダンボール入りの船便で送ってしまっていたつもりが、実際には未だ送り忘れていたりとか、結構ポカミスと言うのもありますので、そこらあたりのレスキューが大変な感じでしょうか。
それでもほとんど詰め終わり、あとは我が家で最もスタートの遅いLAZY GIRLである下の娘の取捨選択程度となりました。
最後に娘に激しく苦言を呈さなければならないような事態にならなければ良いのですが・・・。
2017年6月12日月曜日
朝から壁塗り〜!
Labels:
日常
朝8時から一日中家の壁を塗っておりました。
私の嫁さんの趣味友達で、ご近所に美人で有名な奥様がおられるのですが、その方が実はサイディングや室内の壁塗りなどをサイドビジネスとしてかなりプロフェッショナルにこなしておられます。
今回、嫁さんの帰国記念ということで、彼女がボスに許可をもらって日曜日だと言うのに朝もはよから家の壁塗りに来てくださるというのでした。実際には嫁さんがいろいろと彼女と話し合って、私が持っている塗装用の種々の持ち物を先ず確認した上で、それに足りないものを足し合わせて準備してくださり、部屋塗りの仕上げを行っていくというもの。
朝、本当に8時には来てくださり、長男の手によって仕上げられた”我が家の壁という壁”に書き込まれた大量の不可思議な模様をどうやって綺麗にしていくのかアイディアを話してくださり、実際にオイルベースのプライマーでプライミングして、その後にホワイトクリームベースの塗料で部屋中を綺麗にローラーで塗っていくというものでした。
特に嬉しかったのは彼女がトリムの周辺をマスキングテープの使用無しでぴっちりと綺麗に塗り上げてしまうことでした。室内塗装をされたことの有る方ならよくわかると思うのですが、少しでもはみ出したらその部分はきれいになりません。結局、この部分が最も神経を使い、かつ大変疲れるところなのですが、マスキングテープ無しであれよあれよと言う間に美しいエンドの仕上げを行ってくださいました。
その間に私と嫁さんはローラーでその他の部分をフラット仕上げ。時間はかかりましたが実にきれいに仕上がっていきます。今までの汚かった壁が嘘のように美しくなっていくのが大変印象深かかったですね。
やっぱりプロの人がやってくださるトリムの仕上げは別格。我々もやるにはやるのですが、あそこまでは到底できません。刷毛の使い方が私の目には斬新で、思わず「なるほど」と唸ってしまいました。
今日は一日中大変なシンナーの匂いに追い立てながら二部屋を塗りまくりましたが、こういったことを教えてくださる方にはひたすら感謝感激です。結局休憩を入れても10時間近くしっかりとお仕事をしてくださり只々恐縮至極でした。
明日は我々夫婦二人で、続きをやりたいと思います。
私の嫁さんの趣味友達で、ご近所に美人で有名な奥様がおられるのですが、その方が実はサイディングや室内の壁塗りなどをサイドビジネスとしてかなりプロフェッショナルにこなしておられます。
今回、嫁さんの帰国記念ということで、彼女がボスに許可をもらって日曜日だと言うのに朝もはよから家の壁塗りに来てくださるというのでした。実際には嫁さんがいろいろと彼女と話し合って、私が持っている塗装用の種々の持ち物を先ず確認した上で、それに足りないものを足し合わせて準備してくださり、部屋塗りの仕上げを行っていくというもの。
朝、本当に8時には来てくださり、長男の手によって仕上げられた”我が家の壁という壁”に書き込まれた大量の不可思議な模様をどうやって綺麗にしていくのかアイディアを話してくださり、実際にオイルベースのプライマーでプライミングして、その後にホワイトクリームベースの塗料で部屋中を綺麗にローラーで塗っていくというものでした。
特に嬉しかったのは彼女がトリムの周辺をマスキングテープの使用無しでぴっちりと綺麗に塗り上げてしまうことでした。室内塗装をされたことの有る方ならよくわかると思うのですが、少しでもはみ出したらその部分はきれいになりません。結局、この部分が最も神経を使い、かつ大変疲れるところなのですが、マスキングテープ無しであれよあれよと言う間に美しいエンドの仕上げを行ってくださいました。
その間に私と嫁さんはローラーでその他の部分をフラット仕上げ。時間はかかりましたが実にきれいに仕上がっていきます。今までの汚かった壁が嘘のように美しくなっていくのが大変印象深かかったですね。
やっぱりプロの人がやってくださるトリムの仕上げは別格。我々もやるにはやるのですが、あそこまでは到底できません。刷毛の使い方が私の目には斬新で、思わず「なるほど」と唸ってしまいました。
今日は一日中大変なシンナーの匂いに追い立てながら二部屋を塗りまくりましたが、こういったことを教えてくださる方にはひたすら感謝感激です。結局休憩を入れても10時間近くしっかりとお仕事をしてくださり只々恐縮至極でした。
明日は我々夫婦二人で、続きをやりたいと思います。
2017年6月11日日曜日
娘の表彰式
Labels:
日常
娘の卒業まであと一週間ほどとなりましたが、その前に学校の美術部展覧会での表彰式がありました。
アメリカという所は幼稚園の頃から大学に至るまで、実際は研究者になっても、どんな職業人になっても経験することなんですが、なんでもチャンスが有りさえすればその人の良い所を拾い上げて”表彰””顕彰”しようとします。
なんか適当に仕事をしていても、Employee of the weekなんていう賞をもらって、その一週間はその仕事場に最も近い特別な駐車スペースに車を停めていいような権利が貰えたり、Best teacher of the yearなんていうのを貰ったら、その一年間はうやはりベストな位置の駐車スペースに一年間!も駐車出来たりなんていうことがあります。
学校も同じで、お話が面白かった子とか算数の計算問題が良く出来たとか、どんな小さなことでもピックアップして小さな手作りの表彰状を貰ったり、本当にいろいろな機会をピックアップしては褒めて褒めて褒めまくるという事が行われます。
それは受け手も同様でして、そうされることをほんとうに喜んでおります。最初日本から来た時は何となく奇異に思えていたのですが、それに慣れてくると”良い制度だな〜”と思えてくるのでした。
日本にもきっとそれに類したことをしている事業所や学校はあると思うのですが、少なくともメジャーでは無さそう。実際に導入するとかなり喜ぶ人が出てくる良い制度だと思うんですけどね。
というわけで、ビジュアル・アートの部でプライズを頂いて$175の小切手を貰っておりました。実際に少なくとも中学校くらいから上になるとプライズにはキャッシュなどが付帯してくるのがアメリカでは全く普通です。今までにも上の娘も下の娘も何度も何度も結構な額の小切手をせしめているようなのですが、親にはごく稀にしか報告しておりません。(プリントや成績表の整理を年度末にするたびにそういった証拠書類がゴッソリ出てきて嫁さんに質問されたら「実は・・・」という例ばかり。)
何だかそういう制度自体も”アメリカ的だな”と思いますね。オレがこんなカネ、高校の頃貰ったら即座に本に変換されてたんじゃないかなとも思うんですが、彼女達の場合はどうやらアクセサリーや服に変わるようで・・・。
ART WORKSというジェームスリバーの脇にあるアートギャラリーで開かれたのですが、そこで絵を売っているオーナーのオジサンからこっそり「この2年で一番いいと思える絵だったよ!」とコッソリ耳打ちされたと言って娘は喜んでいたとかいなかったとか。
まあ、親としては一つ冷静になって話は半分以下ということで忘れることと致しました。w
アメリカという所は幼稚園の頃から大学に至るまで、実際は研究者になっても、どんな職業人になっても経験することなんですが、なんでもチャンスが有りさえすればその人の良い所を拾い上げて”表彰””顕彰”しようとします。
なんか適当に仕事をしていても、Employee of the weekなんていう賞をもらって、その一週間はその仕事場に最も近い特別な駐車スペースに車を停めていいような権利が貰えたり、Best teacher of the yearなんていうのを貰ったら、その一年間はうやはりベストな位置の駐車スペースに一年間!も駐車出来たりなんていうことがあります。
学校も同じで、お話が面白かった子とか算数の計算問題が良く出来たとか、どんな小さなことでもピックアップして小さな手作りの表彰状を貰ったり、本当にいろいろな機会をピックアップしては褒めて褒めて褒めまくるという事が行われます。
それは受け手も同様でして、そうされることをほんとうに喜んでおります。最初日本から来た時は何となく奇異に思えていたのですが、それに慣れてくると”良い制度だな〜”と思えてくるのでした。
日本にもきっとそれに類したことをしている事業所や学校はあると思うのですが、少なくともメジャーでは無さそう。実際に導入するとかなり喜ぶ人が出てくる良い制度だと思うんですけどね。
というわけで、ビジュアル・アートの部でプライズを頂いて$175の小切手を貰っておりました。実際に少なくとも中学校くらいから上になるとプライズにはキャッシュなどが付帯してくるのがアメリカでは全く普通です。今までにも上の娘も下の娘も何度も何度も結構な額の小切手をせしめているようなのですが、親にはごく稀にしか報告しておりません。(プリントや成績表の整理を年度末にするたびにそういった証拠書類がゴッソリ出てきて嫁さんに質問されたら「実は・・・」という例ばかり。)
何だかそういう制度自体も”アメリカ的だな”と思いますね。オレがこんなカネ、高校の頃貰ったら即座に本に変換されてたんじゃないかなとも思うんですが、彼女達の場合はどうやらアクセサリーや服に変わるようで・・・。
ART WORKSというジェームスリバーの脇にあるアートギャラリーで開かれたのですが、そこで絵を売っているオーナーのオジサンからこっそり「この2年で一番いいと思える絵だったよ!」とコッソリ耳打ちされたと言って娘は喜んでいたとかいなかったとか。
すぐ脇を流れるジェームスリバーが眺め渡せます。 向こう側に何処かで見たオバサンが・・・。 |
2017年6月10日土曜日
息子の卒業式
Labels:
日常
遂に息子の卒業式がやってきました。
この時期になるとリッチモンド周辺にある幾つもの高校がVCUのシーゲル・センターを使って卒業式を執り行います。しかも一日に何回も入れ替えを通じて行われますので、朝の部もあれば昼の部も、そして我々の息子のときのように夜7時からというのまであり、終了は文字通り9時前後。集まり始めるのは6時前からですから式が終わった頃は親もヘトヘトです。w
息子は今現在二十歳。日本で二十歳の高校生と言うと「二度ダブったんか?」と聞かれそうですが、実質的にはダブったというよりもダブらせたという方が正確な表現でしょうか。このブログの中でも何度か話の中に出しましたが、息子は自閉症を持っており、アメリカの小学校からずっといわゆる特殊教育プログラムに加入していました。リッチモンドに移ってきても、中学、高校においては幾つかの学校システムを渡り歩きながら親から見ても実に手厚いプログラムに保護されてきておりました。
実際は来年の21歳になるまで”我々が望めば”高校教育が継続されるのが我々の属するカウンティの基本方針でもあったのですが、今年をもって嫁さんと長男はアメリカを去ることになっておりましたので、丁寧にお断りを入れ今年を最終年とすることで高校側と”卒業”の約束を取っておりました。
上の娘の時と同様にシーゲルセンターでの卒業式でしたが、やっぱりアメリカの卒業式は華やかですね。パノラマで写真を撮っておりましたので、ここに一枚あげておこうと思います。
二時間弱の式でしたが、遂に我々の息子の義務教育が終わったのかと大変感慨深いものがありました。
子供達は大きくなっておりますが、当然のようにそれに合わせて我々も歳を取る、そして、周りの環境も変わっていく。上と下の娘達はそれぞれ大学卒業後と今年からの大学入学へと進路を進めており親子が大陸を隔ててバラバラの生活となりますが、私自身は彼女らのアメリカ生活に関しては楽観視しております。
問題はこの息子の帰国後の様々なセットアップと将来の生活に関する種々の問題解決です。これからは嫁さん自身がアメリカでは経験しなかったことでまた忙しくなるかとは思いますが、そこは日本語の壁が無い嫁さんのこと。頑張っていただきたいと思います。(^o^)
この時期になるとリッチモンド周辺にある幾つもの高校がVCUのシーゲル・センターを使って卒業式を執り行います。しかも一日に何回も入れ替えを通じて行われますので、朝の部もあれば昼の部も、そして我々の息子のときのように夜7時からというのまであり、終了は文字通り9時前後。集まり始めるのは6時前からですから式が終わった頃は親もヘトヘトです。w
息子は今現在二十歳。日本で二十歳の高校生と言うと「二度ダブったんか?」と聞かれそうですが、実質的にはダブったというよりもダブらせたという方が正確な表現でしょうか。このブログの中でも何度か話の中に出しましたが、息子は自閉症を持っており、アメリカの小学校からずっといわゆる特殊教育プログラムに加入していました。リッチモンドに移ってきても、中学、高校においては幾つかの学校システムを渡り歩きながら親から見ても実に手厚いプログラムに保護されてきておりました。
実際は来年の21歳になるまで”我々が望めば”高校教育が継続されるのが我々の属するカウンティの基本方針でもあったのですが、今年をもって嫁さんと長男はアメリカを去ることになっておりましたので、丁寧にお断りを入れ今年を最終年とすることで高校側と”卒業”の約束を取っておりました。
上の娘の時と同様にシーゲルセンターでの卒業式でしたが、やっぱりアメリカの卒業式は華やかですね。パノラマで写真を撮っておりましたので、ここに一枚あげておこうと思います。
Manchester高校の卒業式。数日後にcomcastで放映されるとのこと。 |
子供達は大きくなっておりますが、当然のようにそれに合わせて我々も歳を取る、そして、周りの環境も変わっていく。上と下の娘達はそれぞれ大学卒業後と今年からの大学入学へと進路を進めており親子が大陸を隔ててバラバラの生活となりますが、私自身は彼女らのアメリカ生活に関しては楽観視しております。
問題はこの息子の帰国後の様々なセットアップと将来の生活に関する種々の問題解決です。これからは嫁さん自身がアメリカでは経験しなかったことでまた忙しくなるかとは思いますが、そこは日本語の壁が無い嫁さんのこと。頑張っていただきたいと思います。(^o^)
登録:
投稿 (Atom)