今回帰国してきた次女は高校の頃、第二外国語にロシア語を選択していました。
今回の帰国に際してもちょっと私と小競り合いになるほど大量のロシア語の学習用プリントや本を日本に持ち込んできております。一体何が彼女をそれほどまでにロシア語学習を使用というモチベーションを維持させるのか、そのドライブの推進力は何なのかということをちょこっと尋ねてみたのですが、いまいちハッキリしません。
よく聞くと世界中を旅してみたいというのがその根幹にはあるようなのですが、実際にその際に役立つ語学学習をする道のりはそう平坦ではないことは英語やドイツ語を学習したことのある日本の方なら理解していただけるのではないかと思います。
そこでもう少し娘に話を聞いてみるとどうやらロシア語を教えてくれていたホワイト先生というのが大変に面白い人物で、授業の中に勉強のみならずジョークありロシアの生活習慣の説明ありの授業が展開されるとのこと。まあ、いろいろと脱線しすぎてどうでも良いようなことも微細を穿って説明しすぎるきらいがあるようなのですが、そこはそれでまた先生の魅力の一部なのでしょう。
私自身の英語の学習を振り返ればやはり先生次第だったなという気がします。特に最初の入りがけ。
私の場合は、今でもネガティブな意味で名前も忘れませんが、Nという先生が大嫌いで全く勉強しませんでした。中学一年生にもよく解る”エコヒイキをする先生”でしたが、いろんな意味で当時に自分から見ると糞のようなことを言ったりしたりする先生でしたね〜。今だったら英語で滝のように罵り返してやることも出来るのですが、大人げないですなあ。w
しかし、そんな私も高校の頃に登場したとんでもない先生によって英語の学習に俄然火が着きました。この先生なんと若い頃は高校卒業後に数年間にわたってホームレスをしていた先生で、飯場仕事で土方として日雇い労働をしながら日々食いつなぎ、道端で寝起きしてはいろいろなことを考えていたらしいです。それでもある時期に「このままではいかん」と一念発起。日雇いの仕事の日々の中で勉強をし大学受験。ある大学に入学後は英語の教員になるべく猛勉強をしたのだそうです。
その先生はまたまた”強烈”な光を放つ先生だったのですが、この先生何時もムスッとしていたのですが時々ギラリと光る抜き身の刀から発せられる様な言葉で生徒を撫で斬りにしては怠け者の私達を挑発するかのように鼓舞していたのでした。
この先生には都合三年間習い続けたわけですが、最後は中学の時にあれだけ嫌だった英語が大学受験では得点源になっていましたし、その英語を使った生活をアメリカで長きにわたって送るなどとはその時はこれまた露程にも考えては居ませんでした。
言葉というのは世界を拡げ、チャンスを増やし、運命を変えます。今もし言葉の学習や数学や物理の学習で悩んでいる人が居たら、学ぶ相手を変えてみる(塾以外では難しいのでしょうが)のも一つの手立てかもしれませんね。
2 件のコメント:
私が通った高校の当時の第二外国語は中国語、ドイツ語、フランス語と英語だったと思いますが
いまは母校を含めてそこまで種類を揃えられない学校が多いようですね。
教師を揃えるのが難しいので。
同じ理由で地学がない学校もあるわけですし。少子化の影響ですかね。
高校時代の英語の時間は教科書ではなく先生が印刷したプリントが教材でした。
旧約聖書や十二人の怒れる男の脚本、The Monkey's PawというWilliam Wymark Jacobsの怪奇小説などを
読み込んでいきました。
いま思い出しても充実したハイレベルな授業だったなと思います。
授業が楽しいかどうかって勉強するモチベーションに大きく影響しますよね。
ちらっと読ませていただいた後半の記述をみるだけでも、如何に良い教育歴があるのか丸わかりですね!
結局は良い先生を惹きつけるだけのシステムと生徒がいる学校に通われるだけの能力があったということですな〜。
(第二外国語をそれだけ揃えられると言うのも凄いもんです。)
能力とモチベーションのある生徒の前にこれまた能力と夢のある先生が立って授業をするなんて言うのはまさに教育の理想像。
今思い出しても顔から火が出るような恥ずかしい生活を送っていたバカ丸出しの当時の己にはタイムマシンを作ってでも当時に行って、鉄拳制裁を加えるべきか。w
コメントを投稿