2016年3月3日木曜日

AIの未来はシンプルではないと再び感じました

EX MACHINAを観ました。アマゾンのプライム(アメリカ経由のストリーミング)で。

この映画はAIの避けて通れない複雑な問題を提示している最も現代的な映画だと感じました。
スピルバーグのA.I.も設定にいささか?な部分があるにせよ、私的には人類のシュールな未来の一つのパターンとしては十分有り得るなと思えるものでした。

しかし、今回のEx Machinaはチューリングテストを超えてくると思われる、”充分にありえる”と言うか確実に来るであろう近未来のAIの形の一つをgoogleの創業者を思わせる人間を使った寓話として描き出しているものですね。余り書くとネタバレになるので書きませんが、実際の所サイボーグの製作技術の進歩とAIの融合は際限なくチューリングテストの壁を溶かしてくるものと考えます。

しかも、精神のパートのみならず肉体的なレベルでの近似性も兼ね備えたレプリカントのレベルのサイボーグの登場は避けがたいような・・・。
アシモフのロボット三原則で人間を襲わない事がロボットの三原則の第一の柱になっていますが、こんなのは人間側の都合でいくらでも改悪して無効化し、戦闘型ロボットを作製してくる国がどんどん出てくるでしょう。

国家間の戦争において、”人”が実際に戦場に出て行って弾に当たって死んでしまうといった事態が”何時の時代の話?”なんて言われる様にならなければよいのですが、わたしは楽観視していません。
下手をするとわたしの娘の子供達ぐらいの世代では介護ロボットやその他のサービスに使われる平和利用目的のロボット達だけでなく、戦闘用のロボットも”恐ろしいレベル”の仕上がりを見せているような気がするんです。

この映画でぽつんと言われていた台詞。「人が平原で棍棒を持って二本足で立ち上がった瞬間から絶滅へ向かい始めた」っていうのが後々に洒落でも何でもない事態になるような気がしてなりません。

バガヴァッド・ギータの破壊神の登場は有るのでしょうか。

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