2014年6月16日月曜日

子供の成長を感じた朝

今朝はふと気づくと大学で夏休み中の長女からFaceTimeで留守電が入っていました。

なんじゃろ?と思いながらコールバックしてみると珍しく一発で娘が出てきました。iPhoneの画面いっぱいに出てきた娘の顔は何となく嬉しそうです。私自身も上の娘からこういった感じのコールをもらうこと自体が珍しいことなので「どうしたん?」と切りだすと、今大学の紹介で始まったインターンシップの第1クールの二週間が過ぎて一息ついたよ〜と言うことを話しかけてきたのでした。

話を聞いてみるとどんなことをインターンシップでやっているのか大まかに掴めました。
それによると、地域に存在する多数のNPOから上がってくる様々なアイデアをグラントの形で提出するための手伝いということでした。
多くの人が地域の活性化や改善、人的資源の有効活用のために種種雑多な「アイデア」を持ってくるのですが、グラントを提出したりした事の無い人にとってはその書面を有効な形で準備するのは実際に非常に敷居の高い行為ですので、そこを助けることが一つ。
もう一つはアイデアは良いのにそれを言葉にして計画を具体的なものに落としこむだけの教育を持っていない人々を助けていくというものです。要するにこの一つ上に書いたことより更に一つ下の段階の「アイデアが具体的にさえなっていない段階」の考えをまとめていくものですね。

(後でこの話を嫁さんにしたら、長女的には英語でならもっともっと具体的に自分の経験をお父さんに伝えられるのに残念だと言っていたとの事でした。英語で話してくれればいいものを、、、。お父さんだとわからないとでも思ってたかな?w)

何れにしてもこの時話していて感慨深かったのは、20年前に周りの皆に祝福されこの世に生を受けて来た小さな命が大きく育ち、異国の地で日本語と異なる言語で肌の色も文化的背景も生育環境も異なる恵まれない人々を助けることの出来る人間にまで育ってきているという事実。アメリカ着いて初めて保育園に連れて行った時にはハローの意味さえ知らずに声を出さずに毎朝メソメソ泣いていた娘が、、、。ちょっと胸が熱くなりました。

コレばかりは本当に人の子の親として素直に我が子を誇りに思うし嬉しいです。

何だか自分自身が生まれて来て、こういう感じで人の役に立つ子を育てることが出来たというシンプルで力強い事実は自分自身が生物学的に少しは意味のある人生を送ることが出来たのかな〜等という根源的な「意味論」にまで遡って間接的に自分の人生を見つめなおさせてくれます、、、。

しかしまあ、、、親はなくとも子は育つと申しますし。w 
我が家の場合は、先生や友人、そして近所の人など数多くの周囲の人々から注ぎ込まれ続けた本当に素晴らしい「絶え間ない愛情」が娘を育てたんだと堅く信じています。

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