さて、コタツで寝入ってしまった私ですが、朝は早うからまた起きて実家である宮崎への帰郷です。
嫁の実家には義父への見舞いと種々の野暮用の処理、そして長崎の両先生に会うことを目的に帰ってきましたが、今度は私の実家で顔見世興行をして両親の様子を確認することがお仕事です。取り敢えずは昨日買っておいた親戚一同に配るカステラを荷物に詰め込み、朝早く義理の妹に駅まで送ってもらいました。
二日前に義父の病院を訪れた折に買い込んでおいた宮崎行のバスのチケットでしたが、今回はいつもの繁忙期のような事は無く、バスの中はスカスカの状態で、自分自身を入れてたったの5人しか乗っていませんでした。まあ、こんな時期にこんな路線に乗ってくる人はまあ珍しいでしょうから驚きもなにもないのですが、片道6000円前後でこの数の客を運んだところで採算がとれるのか他人事ながらちょっと心配でした。
さて、バスは5時間ちょっとで宮崎に到着したんですが、降りていきなり衝撃。聞こえてくる宮崎弁がまるで聞き慣れない言葉とイントネーションの世界であると感じたことでした。本当にうたでも歌っているんじゃないかというくらいキーの高い発音の連発。一音節毎に尻上がりの発音をする言葉の連続した会話、、、。もうこんな話し方は本当にスッカリ忘れてしまって出来ないな〜と言う感じです。
部分部分でのコピーはまだ出来るんですが、両親が話しているような話し方はなんか体の中から消えた感じで、結局、長崎や名古屋で生活していた期間が長かったんだろうかと思っています。
家にはタクシーを走らせて到着。後期高齢者となった老親が玄関口で私を迎えてくれました。
何だか右瞼を虫に刺されたとかいう母親が登場してきました、、、。orz 結構、オイオイというような感じだったのですが、数日前はお岩さん状態だったらしく、これでも治ったほうだとか。ショックとかを誘引するようなタイプの虫刺されでなくて良かったですよ、ホンマに。
帰ってすぐに用意したカステラを一斤ずつ3つ持って親戚まわりの開始です。
おやじの原付きに乗って走りだしたのは良かったのですが、寒くて寒くて薄着で乗ったことを大後悔でしたが時既に遅し。震えながらのカステラ配りです。w それぞれの親戚たちと一時間ほど話し込みちょっとした親戚同士の情報交換をしました。こういった細かい話し合いというのはアメリカに居て、日本には居なかった自分にとって本当は円滑な親戚付き合いの基本として大事なんですよね。
夕飯は魚を食べ、取り留めもない話をして8時ぐらいには眠くなってしまいそのまま寝ました。まあ、老いたとはいえ両親が元気でやってくれているのは息子にとってありとあらゆる意味で有難いことです。
このまま元気でやってもらいたいものですが、、、。老々介護が始まるのは一体いつになるのか、それともこのまま元気で居てくれる時間がもっと長く続いてくれるのか?しかし、老いるということは何らかの本当に小さなきっかけが全てをガラリと変えてしまうことになってしまうことです。
柔軟性や回復力の極端な低下が見られるのが老年期というもの、まあ、その先の事も色々と考えておいてやるのが子供の役割の一つ、というのがこの頃の日本の姿なのだと思います。
色々と考えておかねば、、、。
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