2008年12月21日日曜日

日本の裁判

裁判というのは日本人には本当に馴染みが薄いものだと思う。
アメリカは訴訟社会ではあるものの、やはり弁護士から裁判にするぞ等と言われると普通の人はトンでもないというのが通常の反応。詰まらない揉め事には巻き込まれたくないというのが洋の東西を問わず共通した考え方であることに変わりは無いと思う。最近、日本のほうでは陪審員制度(裁判員制度)が導入されるというのだが一体、わざわざ何のためにそんなことをするのか理解できなかったので「大義」としての導入理由を探してみるとありますあります。wikipediaにしっかりとした記述が。本当に日本でこんな制度が根付くのかきわめて疑問ですが、まあ豪快な無駄実験という気がします。多分、このままで発車するのでしょうが、内容的には大変問題があると個人的に思っています。
裁判の事を書こうと思ったのは他でもない昨日のウェブの記事でした。三菱重工ビル等の連続企業爆破事件を起こした大道寺将司の再審請求が棄却されたとの記事があって思わず口があんぐり開いてしまった事からちょっと考えてしまったのです。とっくに死刑になってこの世の人ではないと思っていたからで、二十年以上前に最高裁で死刑が確定した人間を還暦になるまでまだ裁判をしているというのはまったく私の理解の範疇を超える出来事でしかない。まあ、WIKIを見る限りでは超法規的措置で出国した共犯者が未だに逮捕されていないので云々等と書いてあるが、そんなもんでしょうか。とにかくロッキード事件にしても血液製剤による薬害事件にしろ、誰しも驚くほど何時までも何時までも裁判が続いており、結局、被告人死亡とか原告の高齢化により控訴を断念したとか、「冗談でしょ」というような事例がゴロゴロしている訳で、こんなにあれこれ抱え込んで裁判所の人間は発狂しないんでしょうか、と他人事ながら心配になってしまいます。きっと裁判所というのは「書類の館」なんでしょうね。アメリカとしか比べるものが私の場合には無いので大したことは何も言えないのですが、いくらなんでも事件が大きいからといって事の審判に10年20年というのは「やりすぎ」だと思うのは私だけでしょうかね。裁判員制度というのが裁判を良くするのなら良いのでしょうが、日本と日本人という枠組みの中で機能するのかというと、少なくともあの名作「十二人の怒れる男たち」のようにはいかないでしょう。

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