修士(マスターコース)の学生二人を今、孵卵器の中で暖めながら育てている事は以前にも書いたのですが、実際に二人の間に実験遂行能力に大きな差があることに気付いてかなり戸惑っています。一方はグングン進むし、もう一方は、失敗の繰り返しで特にこの二ヶ月間目立った進捗を見せずという感じ。細胞の培養の段階でそのハンドリングの不器用さに気付いたのだが、それが改善されない。次回からは採用前にパイペッティングをさせてみようと強く思っている。ただ、彼の良い点は、理解に至るまでの思考回路の流れは遅いのだが、最終的には結論を見出すし、その上で色々と良い疑問を持っている事、しかし、それ以上ではない。一方彼女のほうは理解も早く手も器用。実験の支持を与える私としては申し分ないのだが、自分から進んでその理屈上のバックグラウンドを探ろうと言う感じではない。まあ、将来は上級技官として給料を払えるレベルの子だと言う感じです。どちらが長い目で見てよいのか難しいところだが、将来的に彼らがサイエンティストになるのではなくて歯科医になる為のキャリアパスだと言う事を考えると、言われた通りの事をきちっと短時間で出来るほうが「早く一年以内に Thesisに書ける結果を出す」と言う意味では良いのかな等と考えてしまいます。
まあ、私のセクションチーフも、「マスターの学生を送り出すのはポスドクを雇うのと違って、労多くして中々アウトプットは少ない。それも教育の一環だ。」と言っていましたが、、、。だからと言って、今この時点でポスドクを雇って3-4万ドルのお金を彼らに払っていたらそれだけで私のラボはヒューズが飛んでしまうので、それは想像すら適わない選択です。(笑)こうやってマスターの学生を育てる事で、鮎の稚魚を放流しそれが帰ってきて産卵してくれるようになるまで待つのと同じように、「良い評判」を得て、その学生の紹介によって更に良い学生が入ってくる事を考えなければならないのでしょう。
禅僧ではないのですが、石の上にも三年という話でしょうか。
その間に私も学生達を指導し、授業を受け持つ人間としてのレベルアップを図らなければならないのは当然で、その一環として時々そのような授業や実験室レベルでの指導のスキルアップを図るセミナーに出席。殆どのものは「あーそうですか」とか、納得の出来ない退屈なものなのだが、先日行われた、大学で生徒からの評価の一番高い授業と表彰された生化学の教授の授業手法に関するレクチャーは「なるほど」秀逸だった。やっぱり素晴らしい人の模倣は何故それが素晴らしいかよく理解したうえで、先ずは進んでしなければならないなと感じる次第でした。独自性などというのはそのレベルを体現できてからでも充分で、そこに至らぬままに試行錯誤というのが殆どではないのかなと思います。
それにしても私が大学に居た頃の教養や学部の一部の授業のつまらなかった事を思い出すと何だか泣けてきます。知的好奇心を喚起若しくは刺激する授業の何と少なかったことよ、、、。ああはならないようにしようと思う次第です。今でも記憶に残る最も面白かった授業は、教養の数学で差分方程式を使って列車が衝突時にばらばらになる様子を式で表現できる事を習ったときの事でした。医学部を出ているのに実習以外で最も感動が大きかった授業がこれだなんて、、、。恥ずかしいです。
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