「医学」生物学の研究というのは最終的に疾患治療とか、生態現象の本質的解明を最終目標にしていると私は思っている。後者の記述も結局はそれを通じた疾患の治療へと繋がるわけで、全ては人間という生体そのものの解明にベクトルは向いているのだと思います。発生学、神経研究、癌研究、シグナリング、老化、細胞周期、どれをとっても人間とは何かというのを徹底的に分析していこうという方向性を持っている事には変わりない。
では日常のレベルで私達研究者が何をしているのかというのは研究をしたことの無い方々には当然謎の世界であるわけで、家内も私に出会うまでは何だか白い巨塔のようなところで試験管を振っている変った人たちの集まりと思っていたようだ。(本当のところ、変った人も多いですけど。)
実際は毎日細胞に餌をやったり、目に見えない分子を蛋白やDNA、RNAのレベルで色々な方法で検出したりして自分の立てた仮説を検証しつつ、やっぱり駄目だとかこれは良いよ~!などと一人で呟きながらしこしことコンピュータに向かってプレゼンテーションの準備、論文の推敲、そして学生達の指導、授業の準備、予算獲得のためのNIHその他のグラントを日々セッセ、セッセと頭を掻き掻き日々を過ごしているのが日常です。本当にしたいことは実験だけというのが理想なのですが、賢い学生を教える喜びというのは実利としても最終的に自分に跳ね返ってきますので中々それも止められないところです。(実際は「多大の」指導のための時間を割かねばなかなかそう上手くはいかない。安定した結果を学生が出せるようになるまでにはそれなりに学生のファインチューニングが必要なのです。(笑))
何度も冗談で家内に「少しお小遣いを出して実験助手にするから手伝わんか?」とカマをかけたが「死んでもいや、絶対いや」とにべも無く断られた。私も同感である(笑)。理由はと聞いたところ、幾らでも有るみたいでそれを列挙してみると、
1:一日中ただでさえ顔をつき合わせているときっと感情のもつれが有った時に距離を置く時間が無くなってそれを解きほぐす事が出来なくなる。2:DNAの抽出のような最初から最後までその対象物がわかりやすい形で視覚化されないような物を、長い時間自信をもって操作し続ける覚悟が無い。料理みたいに作っているものが目に見えて出来あがって行くのがよっぽど良い。3:失敗したら一方的にバカだのアホだのと攻められて泣いてしまいそう。とのことでした。なかなか良いところ衝いてるな、とわが嫁サンながら感心。
世の中には幾らでも夫婦で同じラボで働いてる研究者なんて居るぞと言ったのですが、まあダイヤのように固い意思で崩せそうに有りませんね。崩そうとも思いませんが。夫婦で同じラボで働く研究者と言うのは御当人達にはきっと都合が良いのでしょうが、その下で働く人間にはその夫婦の日常がダイレクトに反映される事になります。(私、そういうところで働いていた事がありますので。)
まあ、当たり障り無く感想を述べさせていただくとすればある人にとっての便利は他の人にとっての不便である事もあるわけで、「一長一短」ですよね。
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